2021年10月19日 11時08分

鉄印帳の旅(25)たった一人の鉄道旅。

東北の方言は本当に分からない。今はどこでも年齢を問わず誰とでも普通に会話できますが、半世紀近く前は、若い世代しか言葉が通じず、お年寄りの方との会話では、私と同世代の方が通訳していくれた経験があります。これ、決して話しを盛っていません。当時、私がからかわれていたということはないと信じていますが…。

座席のボックス毎にある小さなテーブル。そこには路線図あり。これは良いアイデアだと思う。

戸沢駅。17:34。夜の帳(とばり)が降りてきた。

既に乗客は私一人。戸沢駅までが秋田県仙北市(せんぼくし)で、次の阿仁マタギ駅からは秋田県北秋田市。「んっ?」と想い調べて納得。

国鉄阿仁合線の終点だった比立内駅。ここで交換の角館行きには乗客の姿あり。行政の区域も関係ありそうですね。

1978年にちゃんと来ていました。当時既に会社員。あの時代に休みをとってよくここまで来たものだと今更ながら驚く。

宿の部屋から撮影。阿仁前田温泉駅発20:57。車内に乗客の姿あり。最終列車は21:35発なので、地元の足としての需要はあるようです。

2021年10月18日 10時32分

鉄印帳の旅(24)秋田内陸縦貫鉄道角館駅。

宮古駅前から乗車した岩手県北バス。

本当に快適でした。

山田線と平行して走る区間もあります。

盛岡駅まであと少し。盛岡駅前には定刻の15:20着から2分ほどの遅れで到着、誤差の範囲ですね。

盛岡駅発15:35、こまち25号。目的地の角館駅到着は16:21。

開業100年の角館駅に到着。

こちらは100年ではなく、まだというかもうというか35年目の秋田内陸縦貫鉄道角館駅。

1986年(昭和61年)11月1日開業の秋田内陸縦貫鉄道。その時はまだ今のように1本の線路でなく秋田内陸南線(角館駅~松葉駅/旧国鉄角館線)と秋田内陸北線(鷹ノ巣駅~比立内駅/旧国鉄阿仁合線)とに分かれていました。その後、日本鉄道建設公団建設線(鷹角線)の建設が進み、秋田内陸線として全線94.2kmが開業したのは1989年(平成元年)4月1日のことでした。

「のってけれ内陸線!!」はいっ、これから乗ります。

折り返し角館発16:50の118Dとなります。下車するのはこの日の宿のある阿仁前田温泉駅。18:36の到着予定。

今のところ来年の2月28日まで限定の秋田内陸ワンデーパス。25%お得になっています。

2021年10月17日 9時42分

鉄印帳の旅(23)三陸鉄道宮古駅。

三陸鉄道の入場券。(自動券売機発行)

JRの入場券もあるのかな?と思いつつ未確認。ただ三陸鉄道の最短区間の運賃は170円でしたので、¥150はJR東日本の料金と思われます。宮古駅は現在、JR東日本と三陸鉄道の共同使用駅で、かつ管理は三陸鉄道なのでこうした入場券となっているのでしょう。

入場券を買ったのはこれが今もあるのかな?の確認のため。と、左側の貼紙「宮古駅は移転しました」に気付く。なるほど。

昨年からネコと暮らしており、こうしたネコちゃん達が気になって仕方がありません。

ところで旧北リアス線の列車では、今も「三陸鉄道」ホームから発着する列車があります。ここに来るまでてっきり全列車が「JR」のホーム発着になったと思い込んでいたのですがそうではありませんでした。

写真の36-R(レトロ)3は2014年6月1日に南リアス線で乗っていますが、今は全線で運用されているとのことです。

地元の方も観光客もどちらも使い勝手が良いと思った車内。観光客としてはこのシックな装いに心が落ち着きます。

こどもさん向けの模擬運転台あり。大きなお友だちが一人でここに座るのはかなりハードルが高いと思われますが、1区間で良いから座ってハンドルを握ってみたい。

クウェート国からのご支援に感謝します。

コロナ禍の中でのステッカーあり。

13:27発113D久慈行きは定刻で出発。ところで正面の陸橋ですが、以前そこから宮古駅を見下ろす写真を撮っています。

2014年5月31日の撮影。風景自体は今も変わっていないと思う。

クロジカ君に見送られ、いざ次の鉄印を求めてバス乗り場へ。13:45発の「106特急・急行バス」で向かうは盛岡駅。乗車時間は1時間35分。JRとは悲しくなるほど所要時間が異なります。

2021年10月16日 21時36分

鉄印帳の旅(22)三陸鉄道リアス線。

釜石駅10:58発の2011D宮古行き。この列車、(かつての南リアス線)盛発10:33の2207Dが列車番号を変えて直通するもので、以前はJRのホームであった4番線からの出発です。時刻表を見ると盛駅~釜石駅~宮古駅方面を直通しない(折り返し)列車でもここで接続する設定になっており、盛駅とを結ぶ釜石駅始終着の列車も含め全列車がこのホームを使っているのではないかと推察しています。

南リアス線時代のホームには36(さんりく)-700形式の車両が停車中ですが、車両番号は読めませんでした。

鵜住居駅で交換した5010D。恐ろしくインパクトの強い「イシツブテ」って何?と思って調べたらポケモンのキャラクターの一つらしい。 岩手県広聴広報課の資料にもあったので、ラッピングの通りの岩手県とのコラボ企画らしいけど、言えることは私の世代は知らなくても仕方がないということかな?

津波対策の巨大な堤防。

吉里吉里駅に反応するのは井上ひさし作の小説「吉里吉里人」を読んだ人。

沿線の絶景ポイントでは運転士さんのアナウンスが入ります。

もっとも東日本大震災以前と変わらぬ風景の場所はほぼ無さそうです。

岩手船越駅近くの鯨と海の科学館には、津波の到達した高さが分かるようになっていました。

この日、列車から見た海はただ穏やかで、2011年3月11日を想像することは出来ませんでした。

津軽石駅。この駅についてはJR時代と三陸鉄道への移管を見据えての改修工事を行った部分が混在している感じ。もっともあくまでも私の印象です。

移管した区間の全線を実際に乗ってみて感じたのは、ほぼ「新線」に近いと言える復旧だということ。聞いてはいたものの乗ってみて改めて実感。ただ乗客数がどれほどかが心配ではあります。

宮古駅到着直前閉伊川(へいがわ)に架かる第34閉伊川鉄橋。東日本大震災で流出した橋桁はご覧のように復旧しました。またここを渡る際は是非、一番前でお楽しみ下さい。鉄橋で羽を休めていたウミネコたちが逃げる逃げる。いつもかは不明ですが、クスッと笑える風景です。

宮古駅到着。かつてあった三陸鉄道の駅舎が「駅」としては使用されなくなっており、何とJRの駅舎であった宮古駅が共同使用となり、JRと三陸鉄道の窓口が隣り合っていた!

鉄印は3種類。背景が異なっており、一番右側が本来のもの。これを鉄印帳に貼りました。入場券についてはまた明日。

2021年10月15日 18時13分

鉄印帳の旅(21)釜石線。

10月8日の鉄印帳の旅は三陸鉄道の巻。宮古駅での発売なのでそこを目指すのですが、県庁所在地の盛岡市から宮古市に向かう鉄路での朝一番の最速ルートは盛岡駅~(東北本線~釜石線)~釜石駅~(三陸鉄道リアス線)~宮古駅。盛岡駅を5:56に出て宮古駅には10:25到着です。

一方盛岡駅~宮古駅間を最短距離で結ぶ鉄道である山田線の始発列車の出発時刻は15:59。お話しになりません。もっとも同区間には106特急・急行バスと言う路線バスが走っており、はっきり言えばJRを使う人はあまりいません。もともと自動車専用道がない一般道だけを走っていた時代を含め、所要時間でも国鉄~JRを凌駕していたという記憶あり。

バスが行き交う盛岡駅前を横目にJR東北本線のホームを目指します。

8:42発の3621D、快速はまゆり1号釜石行きがこの日の旅の始まり。釜石駅で乗り継ぐ三陸鉄道リアス線釜石駅~宮古駅間はJR東日本から移管された区間で、そこを乗ることは今回の旅の目的一つです。

人もまばらな自由席。3両の内1両は指定席なのですが、きっと今の状況での利用率は低いでしょうね。国鉄時代には急行列車があった盛岡駅~釜石駅間ですが、その当時でも指定席はなかったはず。(1972年3月)

察するにその指定席は新花巻駅で、新幹線からの乗換客の座席確保ではないかと思っています。余談ですがこの座席は進行方向とは逆向きです。花巻駅からスイッチバックで釜石線に入るためで、最初からそれに合わせた向きにセットされています。特急ひだの名古屋駅~岐阜駅間と同じです。

花巻駅には腕木式信号機のオブジェあり。SL銀河乗車の際の記念写真スポットかな?

これぞ日本の秋と言える風景。

はざ掛けをこれほど見かけるのは一体いつぶりだろう。この風景の中をゆくSL銀河を撮ってみたいと真剣に考えている。ここだけではなく、SL銀河の運転区間は魅力あふれる景色の連続。四季を通じ、ここでの撮影にはまる人がいるのは当然の帰結であると納得。

釜石線の名所中の名所、陸中大橋駅近くのΩ(おめが)ループ。眼下の線路をこれから走ります。紅葉の真っただ中にここを通ってみたい。

釜石駅には10:51着。ここから三陸鉄道の2011D宮古駅行き(ホーム右側に停車中)の出発時刻は10:58。改札を出て乗車券を買いなおさずそのまま乗車。実は「切符はどこで売っていますか?」とホームの駅員さん(多分)に聞いたら、車内清算でお願いしますと言われました。確かに8分の乗り継ぎだと実質5分もないことになりそうなので、現実的な対応かと思います。

2021年10月14日 15時39分

鉄印帳の旅(20)IGRいわて銀河鉄道の鉄印。

盛岡駅18:47発の3729Mに乗車。

第3セクターになってからの東北本線/IGRいわて銀河鉄道の区間は初乗車。と言っても今回は1区間のみ、青山駅までの乗車。通勤時間なので結構な混み具合。

そもそも東北本線に「青山駅」があるなんて鉄印の旅をしなければ恐らく一生知ることがなかったかもしれない。東北本線で盛岡駅を出発したら厨川だよなと思い調べてしまった。

まずここには信号所があり、それが複線化で廃止。

2002年、IGRいわて銀河鉄道開業。

2006年、青山駅開業。

2015年、本社が青山駅に移転。

だから鉄印の授与が青山駅になったんですね。

ところで「前九年口」とあります。日本の歴史で学んだ「前九年の役」と関係はありそうだと思いつつ何か観光スポットにでもなっているのかと思いきや、「盛岡市前九年」という地名があるのを知りました。地名の由来までは調べていませんが恐らく「前九年の役」と関係があるのは間違いないでしょう。

さて青山駅での鉄印の受付時間は19:00まで。18:51着の電車でギリギリセーフ。

今回悟ったのですが、第3セクターの駅の窓口は時間制限のあることが多く、とにかく鉄印収集の出来る時間を調べることが最重要ということ。乗りつぶしをしていたときのように早朝から深夜までただ乗ることは出来ないのです。(但しこれは私のルールであり、日中限定とか各駅停車限定とか様々なマイルールがあります)

もう一点書くならば、少なくとも日付を書いてもらう必要があり、発行には時に時間がかかることもあります。乗車券の購入をされる方だけではなく、自分の前に数人鉄印授与の方がいれば間違いなく数分はかかります。よって時間の余裕は大切で、終点の駅でそのまま折り返す場合はその時間を見込んでおくことをお勧めします。

鉄印のおまけにティシューペーパーがついてきました。街頭で配布されているティシューペーパーは実用品ですが、これは保存品になりました。

盛岡駅に戻る電車を待っていたら貨物列車が通過。EH500形金太郎のイラストあり。IGRいわて銀河鉄道から東北委本線となった瞬間。

2021年10月13日 15時23分

鉄印帳の旅(19)IGRいわて銀河鉄道。その前にお約束。

はやぶさ40号は盛岡駅18:10着で18:17発。この間にこまち40号と連結です。

18:14、無事繋がりました。

「柵から離れてご見学ください」とありますが、それは当然としても見学が私一人というのは私にとって初めての体験。

さてこれで盛岡駅新幹線ホームに別れを告げ、次の目的地に。

そうそう、この日泊った盛岡駅前のホテルのロビーにはこんなディスプレイあり。100円ショップのブロック。ある意味フル編成。

余談ですが、我が家の模型コーナー。

2021年04月30日 22時21分

東北本線「はつかり」試乗会の案内状。

東北特急「はつかり」用のディーゼル・カーの試乗会の案内状。

1960年(昭和35年)12月10日ダイヤ改正で登場した1D青森行き、2D上野行き81系気動車特急は当時、国鉄の技術の粋を集めた車両で、鉄道ファンのみならず、広く一般市民にも注目されていたと聞いています。

それはそれとして

●宛名の文字がとにかく達筆。いつもなら名前全部をマスクで隠すのですが敢えて一文字を残してみました。

●「日本国有鉄道総裁十河信二」は「新幹線の父」と呼ばれ、出身地にあるJR四国/伊予西条駅隣接の「鉄道歴史パーク in SAIJO」には四国鉄道文化館・十河信二記念館があり、胸像が展示されています。

●今は気動車=ディーゼルカーですが、「ディーゼル」「カー」の間に「・」が入っているのは何故?

と、ここまででも貴重な資料。

案内状の裏面。

「案内状代用乗車証」とあります。案内状で乗車できるのではなく、この面があって初めて乗車できる?ということの様です。

面白いと思ったのは「一等」が「壱等」となっており、如何にも仰々しいところ。

また発行者が「日本国有鉄道総裁室文書課長」というのもこの列車への国鉄の期待が感じられます。

2021年03月11日 22時58分

東日本大震災から10年。

東日本大震災から10年が経ちました。

宮城県南三陸町防災対策庁舎。(2031年まで宮城県が維持・管理)

2013年9月27日、地元の新聞社の協力を得て被災地で地元の方々の話を聞いていました。

この地の住所は宮城県本吉郡南三陸町志津川字塩入77。「塩入」というかってここに「津波」が来た事からついた地名の可能性があり、1995年(平成7年)の建設時には、町議会で高台に建設すべきではと反対する意見も出たが、県の補助金申請の期限があり、結局この建物の高さを超える津波は来ないであろうとこの地に建設されたそうです。

ところで南三陸町には縄文遺跡が多数あります。その遺跡は高台にあり、その場所はこの地震で津波に襲われることは無かったそうです。縄文人が津波の来ない高台に住居を構えたか、もしくは今ある遺跡が津波被害に遭わなかったことで現存しているかは定かではありませんが、実に示唆にとんだ事実と地元の方が話されていたのを今も思い出します。

当初の予想をはるかに越える高さの津波(当初6m、その後10m、実際には15.5m)が襲ったことが結果として被害を大きくしたのですが、それにしてもこの地に建設を容認した事への反省を口にする方がおられました。

石巻市立大川小学校。

児童ら84名が犠牲となりました。この小学校の出来事は「民事」裁判で最高裁まで行きましたが、結果原告の児童の保護者が勝訴しました。

この裁判の経緯は様々なメディア等で詳しく出ていますのでここでは割愛しますが、「山へ逃げよう」という児童の声をおさえた先生達(学校そして教育委員会)。その責任を問うことは、先生達も亡くなっていただけに、訴える側にとっても過酷な裁判でした。

ただ石巻市・石巻市議会の対応を含め、行政サイドは責任を取りたくないから責任を認めないとしか思えない対応で、原告の方は、「生き延びた子どもたちから聞いたことを教育委員会が(子どもの話は信用するに足らないとして)事実として認定せず、学校および教育委員会に責任はない」としたことで、「山に逃げよう」という子ども達の声が無かったことにされたことが裁判のきっかけとも話をされました。

その話を聞いた後、この裁判の行方を見ていたのですが、最終的に司法の判断が真っ当であり、これで原告の保護者の方達がやっと犠牲になった子ども達に報告出来るようになったであろうと思いました。

JR東日本石巻線女川駅。

2016年2月19日、2015年(平成27年)に高台移転で移設されたこの駅を訪問しています。

2013年9月28日の女川の町。震災から2年が過ぎていましたが、復興とはほど遠い状況でした。

3月11日は私にとり震災で起きた事、そしてその後どうなったかを思い出す日。それは「忘れない」ことが必ず来るであろう大震災への唯一の備えだと思うからです。

2020年06月21日 22時05分

おばこアマビエで応援セット第3弾。

由利高原鉄道を応援しています。

今回は「地元の味噌で旬の味わいセット」。

  • 青豆味噌450g 【真坂糀味噌店】
  • 生貯蔵酒(アマビエラベル)300ml【佐藤酒造店】又は「雪の茅舎 奥山山廃」300ml【齋彌酒造店】
  • タケノコ
  • 山菜又は旬の野菜⇒これはアスパラでした。
  • オリジナルポストカード(2種類)

アスパラはニンニク・椎茸と炒めてみた。

タケノコはフライパンで焼いて味噌をつけて食す。これが旨かった。

日本酒は美味しい。呑みすぎ注意報発令!



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!