2021年05月08日 22時38分

絵はがきに見る鉄道史(48)二七八清征記念碑。

自宅での絵はがきスキャンからの紹介。

「名古屋名所 二七八清征記念碑」。2020年12月05日にUPした「絵はがきに見る鉄道史(37)名古屋市電が右側通行だった時代。」でも同じ場所の写真を使っています。

「熱田神宮参拝記念」の押印がありますので、観光客がこの絵はがきを購入したのは間違いないでしょう。

※電車の番号は179。

タイトルは前の写真と同じ「名古屋名所 二七八清征記念碑」。

※電車の番号は181。

電車の番号から類推すると何れも大正時代前半(1915年頃)では無いかと推察しています。

※二七八清征記念碑は1920年(大正9年)にこの場所から移転している。

ただ電柱の有無の違いがあり、下の写真の方が、若干時代が古いような気がします。

ところで両方の絵はがきに「名古屋名所」とありますが、この場所が当時の観光名所であったことは間違いなさそうです。何故かと言えば、同じ場所(碑+電車)の絵はがきはオークションサイトでかなり多く見ることが出来、実は珍しいものではありません。ではどの写真に入札するかですが、上の写真で言えば、写真に占める電車の大きさ。下の写真で言えば、まるで写真館で撮影した写真が如くの枠がついていることにあります。

2021年03月18日 12時02分

切手と消印(25)さよなら越美南線。

さよなら越美南線。越美南線沿線郵便局の共同発行。

発行日付の61.12.10は昭和61年(1986年)12月10日。

廃止に至るまでの国鉄越美南線の苦境は如何ともし難い状況で、やはり県都である岐阜市と直結していなかったことがその要因の一つであったと思います。

こう言ってしまうのは心苦しいのですが、当時公共の交通機関で関市、美濃市に取材などで出掛ける際は、名鉄美濃町線を使っており、そこから先の現在の郡上市(八幡町や白鳥町)へは新岐阜駅前から岐阜バスに乗っていました。運行本数でも相当の差があった記憶です。

そしてこの国鉄越美南線廃止の翌日、第三セクター長良川鉄道越美南線が開業します。

2021年03月06日 22時57分

切手と消印(24)新幹線博多開通記念切手展。

1975年(昭和50年)3月10日、山陽新幹線の岡山~博多間が開通しました。

博多郵便局らしく、「愛のたよりを博多から」なんて、なかなか泣かせるフレーズです。

ところでこの消印にある「新幹線博多開通記念切手展」ってどんな展示だったのでしょう。興味津々。

さてこの時の博多開通。私は何と初日に小倉まで乗っていました。春休みとはいえ、新規路線の開業日に乗る事への興味は全く無かった頃で、それもあってなぜ九州に行く気になったのかさっぱり思い出せません。

何れにしろ特に乗り鉄を意識することもなく、また写真を撮ることもなく、ただふらふらと旅をしていた時代です。

2021年03月05日 15時49分

切手と消印(23)呉線電化完成記念。

呉線電化完成記念。

「呉郵趣研究会」「呉鉄道同好会」の共同発行。消印の日付は45.10.1(1970年10月1日)。

非電化時代の呉線を代表した列車「急行あき」。その最後の勇姿の撮影に私が出かけたほどですから、それはなかなかの存在でした。

ところで呉線が電化されてからこの線には一度も行っていません。こうして書いているのも何かの縁。コロナが収まったら出かけてみようと思っています。

2021年03月04日 15時25分

切手と消印(22)豊橋 市政80周年 豊橋まつり。

「市政80周年 豊橋まつり」の消印。61.10.18の日付(1986年10月18日)あり。ところで豊橋という地名は明治維新以降のこと。

もともとは「吉田」と呼ばれていました。それが町を流れる「豊川」に架かる橋から「豊橋」という地名になり、1906年(明治39年)8月1日に市制が施行されました。

日付がズバリで無いのは豊橋まつりに合わせてのことでしょう。

消印の電車ですが、私の推理はモ3800。あっていたら嬉しいな。

2021年03月02日 16時45分

切手と消印(21)地下鉄3号線開通記念。

名古屋市営地下鉄の記念スタンプ。

昭和52年(1977年)3月18日、地下鉄3号線開通。「地下鉄3号線」とは、名古屋市民であってもその名に馴染みがない。

消印をよく見れば電車の形と区間で「鶴舞線」の最初の開業だ!とは分かりますが、鶴舞線はあくまでも「愛称」なので敢えて正式名称で「地下鉄3号線開通記念」消印としたような気がします。何故って言えば、鶴舞線は最初から鶴舞線の名前があったからです。

ところでここでの消印は3月19日の日付。恐らくこの郵便書簡を購入された方は、開業日の翌日にこれを手に入れたものと推察しています。

 

一方こちらの電車。一般的には「3000形」の方が通りが良いと思うのですが何故か3800型」。方向幕の「伏見」からすれば確かにこちらは「3800」番台。

数字の3801が読めるので敢えて形式名ではなく、個別の型番にしたのかな?

2021年03月01日 16時26分

切手と消印(20)愛知の鉄道100年フェア。

武豊線開業100周年関連の最後です。

「愛知の鉄道100年フェア 記念スタンプ帳」。

木曽川、一宮、稲沢、枇杷島、名古屋中央、熱田、大府、東浦、半田、武豊の各郵便局のスタンプが並んでいます。

「木曽川」は昭和の時代は「木曽川町」として一つの市町村でした。その後「一宮市」に編入されるのですが、「神楽獅子舞」は知りませんでした。

一方「一宮」には「七夕」があり、各地各様、名物を取り入れていました。

2021年02月28日 16時23分

切手と消印(20)国鉄武豊線開業100周年記念。

国鉄武豊線開業100周年記念。こちらは東浦郵便局の発行。

この一連を一つでくくれば既に4回目の連載。100年という区切りのインパクトの大きさ故でしょう。NPO法人名古屋レール・アーカイブスで最初に「切手と消印」の整理を始めたときに、武豊線開業100周年が多いなあとは思いましたが、考えてみればそれだけの価値があるということを、ここに今書きながら認識を新たにしています。

ついでながら、C56の左側にある「ぶどう」の房。東浦町がぶどうの産地であることを思い出しました。

今回の消印での発見。

●小型記念通信日付印

●通信日付印(和文)

「風景印」と「小型記念通信日付印」が異なるものだと言うことを知りました。

もっとも私がこれを蘊蓄(うんちく)として語れるようになることはないでしょうが、それでも小話としては話せそうです。

2021年02月26日 17時01分

切手と消印(19)国鉄武豊線開業百年記念切手帳。

国鉄武豊線開業百年記念切手帳。

発行は半田郵便局と半田市内到底郵便局。

昭和61年(1986年)4月29日から5月5日まで運転された蒸気機関車を題材にしています。

私にとっては笹島駅で開催された「愛知の鉄道 100年フェア」の馴染みがあり、その記念行事で走った「SL一世紀号」は撮影出来ませんでした。

ところでこの「1世紀号」は期間中、毎日武豊線を走ってはおらず、東海道本線の木曽川駅まで往復した日もあります。

●武豊線/武豊~熱田間が開業したのは1886年(明治19年)3月1日。

●その後、清洲、一ノ宮と延伸され、同年の6月1日までに木曽川駅まで到達しました。

その関係で、「1世紀号」は武豊線だけではなく、東海道本線を木曽川駅まで走りました。

2021年02月24日 22時31分

切手と消印(18)武豊線開業百周年記念/半田亀崎郵便局。

こちらは半田亀崎郵便局の「武豊線開業百周年記念」。

1号機関車150形。1872年(明治5年)の日本の鉄道のスタートにあたりイギリスから輸入された機関車のうちの1両。

新橋~横浜間で使用された後、武豊線の開業時にこの地に来て、そして走ったとのことです。

こちらのスタンプは「武豊線での画期的な電気式ディーゼル動車 キハ43000形」。1937年(昭和12年)、当時の鉄道省が作った気動車で、武豊線で使用されたことは間違いないのですが、その後に向けての結果を出すことが出来ず、量産されることはありませんでした。「電気式」という確かに「画期的」ではあった車両でした。

ところで武豊線の100周年関連。まだ続きます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!