2020年10月21日 18時37分

鉄道ファン12月号。

鉄道ファン12月号の特集は形式記号「二」。荷物を運ぶ車両のことで、形式記号は「荷物」の「ニ」。だから「二」の特集。

若い方にはピンと来ないでしょうが、還暦を越えている私には「二」に馴染みがあります。

 

例えばこの写真は1973年7月の松浦線平戸口駅。駅頭には鉄道で運ばれた(運ばれる???多分、運ばれたであっているはずですが、、、)荷物が山積み。これが昭和の日常でした。実際に、私も駅留の鉄道荷物を送ったことがあります。記憶では長万部から熱田。一体何を送ったんだろう?それにしても宅配便が登場するはるか以前。郵便で送れない重量のものを個人が比較的安価に送る唯一の手段が鉄道荷物でした。

ところで今回の特集では、私の撮影した写真を使って頂いています。何々?

私鉄の「荷物車」の紹介ページで、近鉄西信貴鋼索線のコニ7形の写真。ケーブルカーでは唯一の「車籍」のある荷物を運ぶ「二」の付く形式の車両です。

私が国内の全ケーブルカーを乗っていることを知っている方から問い合わせがあり提供したものですが、光線の関係で荷物が見にくいのが残念です。と、それはともかく、意外と皆さんこの「コニ」は撮影していないのだそうです。

こちらは立山ケーブルカーの荷物運搬車。

2両とも荷物運搬車が付いているのですが、公式ウェブサイトでは「荷台」となっており、今回の特集である「二」とはならないようです。

皆さん、「二」に注目。そう言えば今発売中の鉄道ダイヤ情報は名鉄特集。その中に「新聞輸送」の記事がありました。でも「二」の付く形式の電車では運ばれません。

2020年10月08日 21時11分

Go To トラベル 京都編(4)保津川下り。

12:25、嵯峨野観光鉄道トロッコ列車の終点、トロッコ亀岡駅到着。

さて列車を降りてどうしようか?亀岡から京都/嵯峨嵐山への「保津川下り」の船遊びをすることは決めていたのですが、お昼時でもあり乗船場に直接向かわず、とりあえず食事をすることとして山陰線亀岡駅までの電車に乗るべく、馬堀駅まで歩きます。

電車は2216M快速京都行き。馬堀駅は通過です。

馬堀駅から1駅電車に乗って亀岡駅へ。

それにしてもこの区間で1時間に3本も普通電車があるのは隔世の感あり。(昨日UPした蒸気機関車牽引時代の山陰本線では、昼間の普通列車はざっくり1時間に1本程度でした。)

14時頃に「保津川下り」の船に乗る。この写真の馬車は「トロッコ亀岡駅」と「保津川下り」乗船場を結んでいるものです。乗ってみたかったものの予約をしていなかったため諦めました。次回、チャンスがあれば乗ってみたいと思う乗り物好きな私です。こどもかっ!と言われても甘んじて受けます。

乗船してしばらくは緩やかな流れなのですが、それでも3人の船頭さん達の竿裁き、彼らの技の数々は見惚れます。

流れの急なところでは尚更。運動量も半端ありません。その操船技術は京都府亀岡市の無形文化財に指定されており、これは実際の竿裁きを見れば納得です。

トロッコ嵯峨駅を14:02発の嵯峨野/リッチ11号をお出迎え。列車と船でエールの交換。
14:38の撮影は287系の特急「きのさき9号」。嵯峨野観光鉄道トロッコ列車は保津川に沿って走りますが、現在の山陰本線はくねくねと流れる保津川を串刺しするかの如く直角に走ります。この場所は「保津峡」~「馬堀」間。列車は右から左に走っていますが、少し先に行けば今度は下り列車が左から右へと向かったりします。
1258M、亀岡発京都行き。写真の場所は「保津峡駅」で、川の上、鉄橋が駅となっており14:58に停車中~出発と出会えました。
トロッコ嵯峨駅15:02発の嵯峨野/リッチ13号。保津川橋梁を渡って行きます。ところで今回撮影出来たトロッコ列車は下り2本。上り列車は撮影出来ませんでした。それでも撮れただけでラッキー。それは山陰本線の列車も同様。
何せダイヤの無い船からの撮影。しかも保津川下りの所要時間は川の水量によって60分~110分と幅があり、それでも運を天に任せるとは正しくこの事です。(この日の所要時間は1時間35分でした)
もっともそもそも今回の川下りは鉄道の撮影が目的ではなく、単純に保津川の景観を楽しむのが目的であり、それは十分に堪能しました。
かくして「Go To トラベル 京都編」は終了。この後残りの「地域共通クーポン」を使ってお土産を購入。さて今回の旅、「Go To トラベル」が背中を押してくれたことは間違いありません。宿泊した旅館では女将さんや仲居さん、買い物で入った店であれば店員さんと会話をしました。コロナ禍の中であったからこそいつもより多く言葉を交わしたと思います。
おまけ。この写真は2009年5月4日の天竜舟下り(長野県)の船からの1枚。飯田線の列車は本数が少なく、謂わば奇跡の1枚。それにしても毎度やっていることは同じ。

2020年10月07日 21時02分

Go To トラベル 京都編(3)トロッコ保津峡駅。

「Go To トラベル地域共通クーポン」を利用しての嵯峨野観光鉄道トロッコ列車。

保津川を眼下に走ります。

トロッコ保津峡駅。たぬきさんのお出迎え。

なにゆえたぬきと思ったら、ちゃんと解説の看板あり。なるほどね。

昭和45年、西暦で1970年4月1日の保津峡駅。

嵯峨野観光鉄道トロッコ列車は、1989年(平成元年)に複線新線への切替のため廃線となった嵯峨駅 -~馬堀駅間の線路を使い、1991年(平成3年)に開業した観光路線。

当時、周りに人家も見当たらず、ほぼ信号所としか思えないたたずまいでしたが、その風景は抜群でした。ただこの日はこの後天候に恵まれず、早々に撤退した思い出あり。

2020年10月06日 22時41分

Go To トラベル 京都編(2)嵯峨野観光鉄道トロッコ列車。

「Go To トラベル」で京都に一泊。そうすると「Go To トラベル地域共通クーポン」の利用が出来るようになります。

嵯峨野観光鉄道でそれが使えるから乗るわけではありませんが、「トロッコ列車大人片道乗車券(630 円)+トロッコオリジナル商品のセット」で千円という「トラベル地域共通クーポン」を活用したプランがあったことが背中を押したことを否定しません。ということでトロッコ嵯峨駅。

トロッコ列車の乗車券を買うと、このお土産引換券が付いてきます。

売店で販売している商品。これがセットとなっており、乗車券と商品を別々で買うよりお得です。

出発前に「19世紀ホール」を見学。まず気になったのが「人車」。もっとも京都のこの辺りに人車はなかったはずで、鉄道の歴史の一コマとしての展示と思われます。

蒸気機関車の展示。

D51 603はカットモデルになっており、蒸気機関車の構造がよく分かります。

折り返し12:02発の嵯峨野/リッチ7号に乗車。

2020年10月05日 14時25分

Go To トラベル 京都編(1)名古屋~米原~近江八幡。

10月3日(土)~4日(日)の二日間、Go To トラベルを活用し、京都に行ってきました。

京都までの足はジパング倶楽部なので「こだま」号乗車。ジパング倶楽部は今年に入りやっと2回目の利用。新幹線に乗っての県境越えは2月28日以来。

N700Sでもこれば嬉しいのだけどそれほど世の中は甘くない。

コロナ禍が無くても空いている「こだま」自由席ですが、これほどなのは驚きです。

米原駅で下車し、在来線(琵琶湖線)に乗り換え。停車中の近江鉄道100形(101編成)にご挨拶。本当ならば2月に「近江の地酒電車」に乗り、この夏には「ビア電」に乗っていたはず。でもこればかりは致し方なし。

米原から大阪方面の新快速乗車。

「換気が必要な場合、開けることができます」っていうこのステッカー。窓を開けられること自体は車輌製造時まで遡る話なのですが、ステッカーが以前からなのか今回のコロナ禍によるものなのかは分かりませんでした。

以前からあったとしても、今回の事が無ければ気に留めることは無かったでしょう。

2020年08月23日 23時45分

関西人はなぜ阪急を別格だと思うのか 。

関西人はなぜ阪急を別格だと思うのか 。これは私の言葉ではありません。

鉄道ライター/伊原薫さんの新著の表題です。ところで私の阪急感ですが、電車の色がシックなこともあり、品の良い鉄道事業者といったところでしょうか。これは好みの問題でもなく、例えば阪神であれば「赤胴車」「青胴車」には目が向き、「青胴車(ジェットカー)に乗るならやはり先頭車の一番前のかぶりつきだよね。」とかしたり顔で語ったりする私です。

一方京阪なら「テレビカー」とかあって、こちらも特徴があり趣味的に見て面白い存在です。

さてこの本に話題を戻して、大阪の方と話をすると間違いなく「阪急」というブランドは存在するようです。まだ買ったばかりで読んでいないので、この話題はここまでにします。

2020年08月05日 21時48分

1973年3月28日の関西本線笠置駅。

愛知県では明日から緊急事態宣言が出されるため、また遠出を自粛をすることになります。私自身が高齢ということもあり、私にできる最大のコロナ対策はかつてのような自由な行動を控えることだと思っています。

それもあって今年に入り、写真や資料の整理をしていますが、そこで一つ学んだことは時間があれば整理が進むものではないということ。ただ単に怠惰な無為徒食な時間を費やしたのでした。

それでも資料類はほぼエリア別の分類に目途が立ちましたし、昭和の時代の乗車券類はスキャンを終えました。鉄道趣味は、模型をされている方を除くとほぼ外に出ての活動となります。ということで自由に動ける日が早く来ることを祈り、昭和の時代を振り返ります。

さて1973年(昭和48年)3月28日。この日は関西本線に撮影に出かけていました。

柘植駅。関西本線の上り(名古屋方面)貨物列車は、加太(かぶと)峠を越えるべくD51が後押しします。こうした写真を撮っている人は結構いるはずなのですが、世間で見ることはかなり少ないと思います。

この日のメインは笠置駅での俯瞰撮影。

列車の行き違いは、文字通り煙(けむ)に巻かれました。

上り貨物の出発。蒸気機関車が牽く列車の出発は迫力があります。

加茂駅。とりたてて主張をしていない写真ですが、当時の加茂駅の様子を伝えていると思っています。日常の風景、例えば名鉄神宮前駅や名鉄堀田駅は電車の編成を撮り易い場所です。撮影のしがいはともかく、今のこのご時世だからこそ、身近な風景を記録しておこうと思っています。もっとも暑いのでそれはそれで注意しつつです。

2020年08月03日 23時52分

長浜駅界隈。

昨日、長浜鉄道スクエアに入ろうとしたら、踏切の警報が鳴り出した。

長浜駅12:37発の特急「しらざぎ58号」米原行き。何の変哲も面白さもない1枚ですが、ローアングルなのがいつもの私と違うかな?

13:20頃に通過した敦賀方面行きの貨物列車。(北陸本線電化記念館の展望デッキから撮影)

EF510は名古屋でも見られる形式ですが、やはり北陸本線を走る姿が似合っていると思うのは気のせい?

ところでこの2枚の写真を清水さんが見たら、どんな講評をしてくれただろうか?実はそんな事も考えていました。

 

2020年07月26日 16時17分

1969年10月26日の京都。

1969年(昭和44年)10月26日。

京都。何故京都?分からない。お小遣いがあったとも思えない。かと言って親が一緒だったような気配も無し。

京福電車で人生初の流し撮り。まあ出来ているというより雰囲気。

地上時代の京阪四条駅。京都市電との平面交差があるのですが、それを撮っていない。

同じく地上時代の京阪三条駅。銀色の飾りバンパーのついた電車は当時は目を惹いた。当時の関西の電車では、京阪が一番好みだったと思うが、他社の電車には乗っていない。本格的に乗り鉄を始めるのはこの写真から5年の歳月が必要だった。

2020年06月13日 21時33分

加悦(かや)SL広場(4)デッキ付きの気動車。

独断と偏見ですが、非電化のローカル私鉄の典型だと思っているのがデッキ付きの気動車。

加悦SL広場にいたのはこのキハ101。

キハ101より一回り大きいキハユニ51。

「キハユニ」ということで「ユ」がついていますので郵便物を扱う場所が車内にあります。鉄道で郵便が運ばれていた現役時代を知っている人はすでに限られた存在ですが、鉄道が日本の郵便輸送を支え、それが大都市間だけではなく、地方まで及んでいたのはまごう事なき事実です。ただこの郵便室は1993年(平成5年)の復元で、それは少し残念ではあるものの、それでこの車両の価値が下がるものではありません。

ところでここ加悦SL広場は閉園となったあとの情報が出てきません。一部車両について地元与謝野町での保存話も出ていましたがどうなったのでしょう。コロナ禍が少し落ち着けば情報も出てくるでしょうからそれをしばし待つことにしています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!