2020年08月03日 23時52分

長浜駅界隈。

昨日、長浜鉄道スクエアに入ろうとしたら、踏切の警報が鳴り出した。

長浜駅12:37発の特急「しらざぎ58号」米原行き。何の変哲も面白さもない1枚ですが、ローアングルなのがいつもの私と違うかな?

13:20頃に通過した敦賀方面行きの貨物列車。(北陸本線電化記念館の展望デッキから撮影)

EF510は名古屋でも見られる形式ですが、やはり北陸本線を走る姿が似合っていると思うのは気のせい?

ところでこの2枚の写真を清水さんが見たら、どんな講評をしてくれただろうか?実はそんな事も考えていました。

 

2020年07月26日 16時17分

1969年10月26日の京都。

1969年(昭和44年)10月26日。

京都。何故京都?分からない。お小遣いがあったとも思えない。かと言って親が一緒だったような気配も無し。

京福電車で人生初の流し撮り。まあ出来ているというより雰囲気。

地上時代の京阪四条駅。京都市電との平面交差があるのですが、それを撮っていない。

同じく地上時代の京阪三条駅。銀色の飾りバンパーのついた電車は当時は目を惹いた。当時の関西の電車では、京阪が一番好みだったと思うが、他社の電車には乗っていない。本格的に乗り鉄を始めるのはこの写真から5年の歳月が必要だった。

2020年06月13日 21時33分

加悦(かや)SL広場(4)デッキ付きの気動車。

独断と偏見ですが、非電化のローカル私鉄の典型だと思っているのがデッキ付きの気動車。

加悦SL広場にいたのはこのキハ101。

キハ101より一回り大きいキハユニ51。

「キハユニ」ということで「ユ」がついていますので郵便物を扱う場所が車内にあります。鉄道で郵便が運ばれていた現役時代を知っている人はすでに限られた存在ですが、鉄道が日本の郵便輸送を支え、それが大都市間だけではなく、地方まで及んでいたのはまごう事なき事実です。ただこの郵便室は1993年(平成5年)の復元で、それは少し残念ではあるものの、それでこの車両の価値が下がるものではありません。

ところでここ加悦SL広場は閉園となったあとの情報が出てきません。一部車両について地元与謝野町での保存話も出ていましたがどうなったのでしょう。コロナ禍が少し落ち着けば情報も出てくるでしょうからそれをしばし待つことにしています。

2020年06月10日 23時09分

加悦(かや)SL広場(2)令和2 年2月29日の加悦鉄道。

今年の2月29日(土)。この頃は鉄活に出かけていました。

今日は4月4日にUPした「加悦(かや)SL広場(1)昭和51 年8月21日の加悦鉄道。」の続きです。

加悦SL広場が3月31日をもって閉園と言うことでやってきたのですが、新型コロナウィルスの影響で出かける人は既に減っていた時期で、想像していたよりも少ない人出でした。もっとも何事も無ければこれほどがらんとした写真は撮れなかったでしょう。

加悦SL広場は、名古屋からだけではなく、関西圏に住んでいる方にとっても決して交通の便が良い場所ではありませんでした。それでも展示車両は鉄道愛好家の心の琴線に触れるものがあり、この日の行動は関東地方から来た方を中心にした30名の団体に混ぜてもらっていたのですが、私を含め皆さん閉園を前に見納めに来られた方たちでした。

ここにどんな車両がいたかなどの解説はこのブログでは抜きにして、今は見られない風景の余韻に浸って下さい。

2020年04月04日 22時56分

加悦(かや)SL広場(1)昭和51 年8月21日の加悦鉄道。

加悦鉄道。国鉄宮津線(現在の京都丹後鉄道宮豊線)丹後山田駅(現在の与謝野駅/よさのえき)と5.7キロ離れた加悦駅を結んでいた鉄道。1926年(大正15年)の開業で1985年(昭和60年)に廃止されました。

1976年(昭和51年)8月21日、能天気な大学4年生は加悦鉄道に乗りに行っていました。

国鉄キハ08形/キハ40は客車を気動車に改造した車両。昭和46年(1971年)に加悦鉄道にやってきました。丹後山田駅発11:35に乗車。

加悦駅着11:52。

今改めて見て思うのは、昭和51年であってもこれほど時代がかった風景はそうは無かったはず、という事。

当時、駅構内には蒸気機関車が保存されていたのですが、若かりし頃の私は全くそれに気が無く、折角の蒸気機関車を撮影した写真はこれ一枚。んーっ、残念。

ところで何故今になって加悦鉄道かっていうと、先月31日をもって加悦鉄道の名残である「加悦SL広場」が閉園したことによります。

2020年04月02日 22時55分

北丹鉄道の廃線跡トンネル。

大阪市と京都府宮津市を結ぶ国道176号線。その道路を福知山から京都丹後鉄道宮福線に寄り添うように北上し、宮福線下天津(しもあまづ)駅を過ぎて直ぐの場所。

トンネルが見えますがこれが北丹鉄道の廃線跡。

ここは2つのトンネルが連続しており、こうして先が見通せます。

ところでこのトンネルですが、実際に歩いてみて感じたのは随分小さい(高さが低い)なあということ。いくら1923年(大正12年)9月22日開業で、鉄道車両が小さかった可能性はあるもののそれだけでは説明がつかないというのが私たちの感想。恐らくですが、廃線後にここを道路にした際、線路面を道路にせず嵩上げして舗装したと考えると、合点がいくよねとなりましたが、さて真相や如何に?

さて1枚目の写真に戻ります。そこにあった案内看板。

「元伊勢」という地名?場所?もさることながら、内宮(ないくう)、外宮(げぐう)まであります。本家との違いは、三重県伊勢市では外宮=「げくう」であり、どうやらここ京都府福知山市では外宮=「げぐう」と読み方が違うようです。

2020年04月01日 20時42分

北丹鉄道を知っていますか?

京都府福知山市にある今も昔も鉄道の要衝、福知山駅。そこから京都丹後鉄道宮福線が京都府宮津市に向けて分岐します。

福知山駅からその宮福線の途中にある「大江駅」の近くまで、かつて北丹鉄道(ほくたんてつどう)という鉄道が走っていました。

3月1日の京都駅。その頃はまだ鉄道を求めて出かけることが出来ました。ここで全員集合。バスでまず向かったのは1971年(昭和46年)に休止、その後廃止された北丹鉄道の廃線跡巡り。

福知山駅から北へ1キロ少々。かつての北丹鉄道の本社があった場所。

そこには福知山西駅という駅があったからだと思うのですが、今は「西駅公園」という名の場所です。

滑り台もある公園に集う大きなお友達たち。んっ、奥にいるのは蒸気機関車?

2号機関車。1923年(大正12年)9月の開業に際して作られた機関車なのですが、何とこの機関車は実物大のレプリカ。

どこからどうみても本物にしか見えません。

強いて言うならばこの銘板の美しさがレプリカの象徴。

2020年03月06日 22時00分

京都丹後鉄道宮舞線由良川橋梁(2)大俯瞰。

山登りしてまで撮影するのは、怠惰な私にとってはあり得ない事態。車両が米粒の写真などまず撮ったことが無い。同行者がいなければまず行かなかった。なのだが、行って良かった。案内をしてくれた方には大感謝。

もっとも駐車場からこの場所までたかだか10分。実はなんてことはないのだ。

1本の列車を撮りつくす。

速攻で下山し、橋のたもとで撮影。昨日の写真の撮影地とほど近い場所。

ファインダーではもう少し島がくっきりしていたのですが、残念。

続いて「くろまつ号」がやってきました。

シックな味わいの色ですが、何せこの天気ですので沈みがち。再履修をすべきかどうか思案中。ではなく、車内グルメを味わいに来ようかどうかの思案中。

2020年03月05日 21時40分

京都丹後鉄道宮舞線由良川橋梁(1)初めての丹後由良。

京都丹後鉄道も「鉄道フェスタ2020」への参加鉄道事業者でした。ということで超有名撮影地である宮舞線丹後由良~丹後神崎間の由良川橋梁で撮り鉄をしていました。

2020年3月1日、14:54頃、丹後神崎駅付近を行く下り列車。

2分後、橋を渡り始めました。そして1枚目の写真に続く。

俯瞰ポイントに移動。15:44頃、西舞鶴行きが橋を渡り始めました。

2019年11月06日 11時05分

近江鉄道のビア電(3)いつもの新幹線撮り鉄タイム。

  • 私たちにとっては2回目にして既に定番の「尼子駅」での新幹線撮り鉄タイム。

15:19、まずは1本目。

15:27。

新幹線ではありませんが季節感狙いで切り取ってみました。出来はともかく挑戦者魂。

今回も割とありきたりな感じの写真しか撮っていませんが、だいぶここの様子が分かってきましたので次回はもう少し工夫をしてみたいと思っています。

尼子駅発15;31の彦根行き電車に先を譲り、いよいよ出発。電車に戻ります。

ところでこの日、9月8日は台風15号の影響で、東海道新幹線の計画運休が発表されており、米原駅で見たこの案内表示には1時間に1本の「ひかり」が既に運転されていないことが分かります。

もっとも午後から調整に入るとは発表されていたものの最終的な時間は午前の段階では出ておらず、それでも早め帰京された方は多かったと聞いています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!