2020年06月13日 21時33分

加悦(かや)SL広場(6)デッキ付きの気動車。

独断と偏見ですが、非電化のローカル私鉄の典型だと思っているのがデッキ付きの気動車。

加悦SL広場にいたのはこのキハ101。

キハ101より一回り大きいキハユニ51。

「キハユニ」ということで「ユ」がついていますので郵便物を扱う場所が車内にあります。鉄道で郵便が運ばれていた現役時代を知っている人はすでに限られた存在ですが、鉄道が日本の郵便輸送を支え、それが大都市間だけではなく、地方まで及んでいたのはまごう事なき事実です。ただこの郵便室は1993年(平成5年)の復元で、それは少し残念ではあるものの、それでこの車両の価値が下がるものではありません。

ところでここ加悦SL広場は閉園となったあとの情報が出てきません。一部車両について地元与謝野町での保存話も出ていましたがどうなったのでしょう。コロナ禍が少し落ち着けば情報も出てくるでしょうからそれをしばし待つことにしています。

2020年06月11日 22時22分

加悦(かや)SL広場(5)キハ08 3。

特徴のある個性的な古典機が並んでいた加悦SL広場。その中で私のお気に入りはこのキハ08 2。

客車改造気動車。その独特のフォルム/形状は気動車らしくなく客車そのもの。

いろいろな角度から撮影してみる。

これはちょっと狙いすぎました。

2020年06月10日 23時09分

加悦(かや)SL広場(4)令和2 年2月29日の加悦鉄道。

今年の2月29日(土)。この頃は鉄活に出かけていました。

今日は4月4日にUPした「加悦(かや)SL広場(1)昭和51 年8月21日の加悦鉄道。」の続きです。

加悦SL広場が3月31日をもって閉園と言うことでやってきたのですが、新型コロナウィルスの影響で出かける人は既に減っていた時期で、想像していたよりも少ない人出でした。もっとも何事も無ければこれほどがらんとした写真は撮れなかったでしょう。

加悦SL広場は、名古屋からだけではなく、関西圏に住んでいる方にとっても決して交通の便が良い場所ではありませんでした。それでも展示車両は鉄道愛好家の心の琴線に触れるものがあり、この日の行動は関東地方から来た方を中心にした30名の団体に混ぜてもらっていたのですが、私を含め皆さん閉園を前に見納めに来られた方たちでした。

ここにどんな車両がいたかなどの解説はこのブログでは抜きにして、今は見られない風景の余韻に浸って下さい。

2020年04月10日 22時34分

加悦(かや)SL広場(3)2020年3月1日の加悦SL広場。

愛知県が独自の緊急事態宣言を出しました。鉄道の趣味者としては当面、近所の散歩鉄位は楽しもうかと思っていますが、それにしても私個人としては富山地方鉄道軌道線南北接続を乗りに行ける日が早く来るのをただ祈るばかりです。

もっともその前に、ひたすら感染しないように自衛の日々です。

先月の1日(日)、閉園を前にした加悦SL広場を訪問。この日一日は、実はとあるグループの企画に便乗させて頂いたのですが、これが私の完全プライベートお出かけ鉄活の最後となりました。それにしてもこれがわずか1か月前のこと。

ところでこの日のこの場所、他の訪問者も名残りで来られているのは間違いないのですが、「葬式鉄」とは若干異なる感じで入園しました。現役の鉄道が廃線になるのではないということもありますが、何せ展示してある車両に皆さん、馴染みがないので、普通に見学して回っておられました。かく言う私も同類です。

旧加悦駅を移転させたと見紛う(みまごう)ほどの建物ですが、本物ではなく。レプリカ/複製です。そうした来歴を知らなければ、きっと旧加悦駅がここにあったと思う人も多そうです。

 

2020年04月06日 20時59分

加悦(かや)SL広場(2)2006年9月24日の加悦SL広場。

3月31日で営業終了した加悦SL広場が開業したのは1977 年 9 月 (昭和52年) 。つまり一昨日UPした写真に写っている加悦駅構内の蒸気機関車や客車は単に駅構内に休車の状態で留置されていたものです。

2006年(平成18年)9月24日の加悦SL広場。名古屋からドライブで出掛けてました。

加悦SL広場の入り口にある蒸気機関車のモニュメント。なのですが、恐らくこれは1996年(平成8年)11月に今の場所に移転した際に作られたものだと思っています。

ちょっと分かり難い話で恐縮ですが、もともと加悦駅・加悦SL広場があった場所は、当時の加悦町(現在は合併により与謝野町)に譲渡されており、今の加悦SL広場があるのは旧大江山鉱山駅(おおえやまこうざんえき)跡なのです。

今とあまり変わらない姿の加悦SL広場。

『近年、展示車両や施設の老朽化により、お客様の安全を確保し営業を継続する事が非常に困難な環境となり、誠に勝手ながら 2020 年 3 月 31 日をもちまして閉園する事を決定致しました。』というコメントが宮津海陸運輸株式会社「加悦SL広場公式サイト」に出ていましたが、これまでよく持ちこたえていたというのが私の偽らざる感想です。

その時から戻ること30年の1976年よりも美しく見えたキハ08 3。

2020年04月04日 22時56分

加悦(かや)SL広場(1)昭和51 年8月21日の加悦鉄道。

加悦鉄道。国鉄宮津線(現在の京都丹後鉄道宮豊線)丹後山田駅(現在の与謝野駅/よさのえき)と5.7キロ離れた加悦駅を結んでいた鉄道。1926年(大正15年)の開業で1985年(昭和60年)に廃止されました。

1976年(昭和51年)8月21日、能天気な大学4年生は加悦鉄道に乗りに行っていました。

国鉄キハ08形/キハ40は客車を気動車に改造した車両。昭和46年(1971年)に加悦鉄道にやってきました。丹後山田駅発11:35に乗車。

加悦駅着11:52。

今改めて見て思うのは、昭和51年であってもこれほど時代がかった風景はそうは無かったはず、という事。

当時、駅構内には蒸気機関車が保存されていたのですが、若かりし頃の私は全くそれに気が無く、折角の蒸気機関車を撮影した写真はこれ一枚。んーっ、残念。

ところで何故今になって加悦鉄道かっていうと、先月31日をもって加悦鉄道の名残である「加悦SL広場」が閉園したことによります。

2020年04月02日 22時55分

北丹鉄道の廃線跡トンネル。

大阪市と京都府宮津市を結ぶ国道176号線。その道路を福知山から京都丹後鉄道宮福線に寄り添うように北上し、宮福線下天津(しもあまづ)駅を過ぎて直ぐの場所。

トンネルが見えますがこれが北丹鉄道の廃線跡。

ここは2つのトンネルが連続しており、こうして先が見通せます。

ところでこのトンネルですが、実際に歩いてみて感じたのは随分小さい(高さが低い)なあということ。いくら1923年(大正12年)9月22日開業で、鉄道車両が小さかった可能性はあるもののそれだけでは説明がつかないというのが私たちの感想。恐らくですが、廃線後にここを道路にした際、線路面を道路にせず嵩上げして舗装したと考えると、合点がいくよねとなりましたが、さて真相や如何に?

さて1枚目の写真に戻ります。そこにあった案内看板。

「元伊勢」という地名?場所?もさることながら、内宮(ないくう)、外宮(げぐう)まであります。本家との違いは、三重県伊勢市では外宮=「げくう」であり、どうやらここ京都府福知山市では外宮=「げぐう」と読み方が違うようです。

2020年04月01日 20時42分

北丹鉄道を知っていますか?

京都府福知山市にある今も昔も鉄道の要衝、福知山駅。そこから京都丹後鉄道宮福線が京都府宮津市に向けて分岐します。

福知山駅からその宮福線の途中にある「大江駅」の近くまで、かつて北丹鉄道(ほくたんてつどう)という鉄道が走っていました。

3月1日の京都駅。その頃はまだ鉄道を求めて出かけることが出来ました。ここで全員集合。バスでまず向かったのは1971年(昭和46年)に休止、その後廃止された北丹鉄道の廃線跡巡り。

福知山駅から北へ1キロ少々。かつての北丹鉄道の本社があった場所。

そこには福知山西駅という駅があったからだと思うのですが、今は「西駅公園」という名の場所です。

滑り台もある公園に集う大きなお友達たち。んっ、奥にいるのは蒸気機関車?

2号機関車。1923年(大正12年)9月の開業に際して作られた機関車なのですが、何とこの機関車は実物大のレプリカ。

どこからどうみても本物にしか見えません。

強いて言うならばこの銘板の美しさがレプリカの象徴。

2020年03月06日 22時00分

京都丹後鉄道宮舞線由良川橋梁(2)大俯瞰。

山登りしてまで撮影するのは、怠惰な私にとってはあり得ない事態。車両が米粒の写真などまず撮ったことが無い。同行者がいなければまず行かなかった。なのだが、行って良かった。案内をしてくれた方には大感謝。

もっとも駐車場からこの場所までたかだか10分。実はなんてことはないのだ。

1本の列車を撮りつくす。

速攻で下山し、橋のたもとで撮影。昨日の写真の撮影地とほど近い場所。

ファインダーではもう少し島がくっきりしていたのですが、残念。

続いて「くろまつ号」がやってきました。

シックな味わいの色ですが、何せこの天気ですので沈みがち。再履修をすべきかどうか思案中。ではなく、車内グルメを味わいに来ようかどうかの思案中。

2020年03月05日 21時40分

京都丹後鉄道宮舞線由良川橋梁(1)初めての丹後由良。

京都丹後鉄道も「鉄道フェスタ2020」への参加鉄道事業者でした。ということで超有名撮影地である宮舞線丹後由良~丹後神崎間の由良川橋梁で撮り鉄をしていました。

2020年3月1日、14:54頃、丹後神崎駅付近を行く下り列車。

2分後、橋を渡り始めました。そして1枚目の写真に続く。

俯瞰ポイントに移動。15:44頃、西舞鶴行きが橋を渡り始めました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!