2021年03月04日 15時25分
「市政80周年 豊橋まつり」の消印。61.10.18の日付(1986年10月18日)あり。ところで豊橋という地名は明治維新以降のこと。
もともとは「吉田」と呼ばれていました。それが町を流れる「豊川」に架かる橋から「豊橋」という地名になり、1906年(明治39年)8月1日に市制が施行されました。
日付がズバリで無いのは豊橋まつりに合わせてのことでしょう。
消印の電車ですが、私の推理はモ3800。あっていたら嬉しいな。
「市政80周年 豊橋まつり」の消印。61.10.18の日付(1986年10月18日)あり。ところで豊橋という地名は明治維新以降のこと。
もともとは「吉田」と呼ばれていました。それが町を流れる「豊川」に架かる橋から「豊橋」という地名になり、1906年(明治39年)8月1日に市制が施行されました。
日付がズバリで無いのは豊橋まつりに合わせてのことでしょう。
消印の電車ですが、私の推理はモ3800。あっていたら嬉しいな。
名古屋市営地下鉄の記念スタンプ。
昭和52年(1977年)3月18日、地下鉄3号線開通。「地下鉄3号線」とは、名古屋市民であってもその名に馴染みがない。
消印をよく見れば電車の形と区間で「鶴舞線」の最初の開業だ!とは分かりますが、鶴舞線はあくまでも「愛称」なので敢えて正式名称で「地下鉄3号線開通記念」消印としたような気がします。何故って言えば、鶴舞線は最初から鶴舞線の名前があったからです。
ところでここでの消印は3月19日の日付。恐らくこの郵便書簡を購入された方は、開業日の翌日にこれを手に入れたものと推察しています。
一方こちらの電車。一般的には「3000形」の方が通りが良いと思うのですが何故か3800型」。方向幕の「伏見」からすれば確かにこちらは「3800」番台。
数字の3801が読めるので敢えて形式名ではなく、個別の型番にしたのかな?
武豊線開業100周年関連の最後です。
「愛知の鉄道100年フェア 記念スタンプ帳」。
木曽川、一宮、稲沢、枇杷島、名古屋中央、熱田、大府、東浦、半田、武豊の各郵便局のスタンプが並んでいます。
「木曽川」は昭和の時代は「木曽川町」として一つの市町村でした。その後「一宮市」に編入されるのですが、「神楽獅子舞」は知りませんでした。
一方「一宮」には「七夕」があり、各地各様、名物を取り入れていました。
国鉄武豊線開業100周年記念。こちらは東浦郵便局の発行。
この一連を一つでくくれば既に4回目の連載。100年という区切りのインパクトの大きさ故でしょう。NPO法人名古屋レール・アーカイブスで最初に「切手と消印」の整理を始めたときに、武豊線開業100周年が多いなあとは思いましたが、考えてみればそれだけの価値があるということを、ここに今書きながら認識を新たにしています。
ついでながら、C56の左側にある「ぶどう」の房。東浦町がぶどうの産地であることを思い出しました。
今回の消印での発見。
●小型記念通信日付印
●通信日付印(和文)
「風景印」と「小型記念通信日付印」が異なるものだと言うことを知りました。
もっとも私がこれを蘊蓄(うんちく)として語れるようになることはないでしょうが、それでも小話としては話せそうです。
国鉄武豊線開業百年記念切手帳。
発行は半田郵便局と半田市内到底郵便局。
昭和61年(1986年)4月29日から5月5日まで運転された蒸気機関車を題材にしています。
私にとっては笹島駅で開催された「愛知の鉄道 100年フェア」の馴染みがあり、その記念行事で走った「SL一世紀号」は撮影出来ませんでした。
ところでこの「1世紀号」は期間中、毎日武豊線を走ってはおらず、東海道本線の木曽川駅まで往復した日もあります。
●武豊線/武豊~熱田間が開業したのは1886年(明治19年)3月1日。
●その後、清洲、一ノ宮と延伸され、同年の6月1日までに木曽川駅まで到達しました。
その関係で、「1世紀号」は武豊線だけではなく、東海道本線を木曽川駅まで走りました。
こちらは半田亀崎郵便局の「武豊線開業百周年記念」。
1号機関車150形。1872年(明治5年)の日本の鉄道のスタートにあたりイギリスから輸入された機関車のうちの1両。
新橋~横浜間で使用された後、武豊線の開業時にこの地に来て、そして走ったとのことです。
こちらのスタンプは「武豊線での画期的な電気式ディーゼル動車 キハ43000形」。1937年(昭和12年)、当時の鉄道省が作った気動車で、武豊線で使用されたことは間違いないのですが、その後に向けての結果を出すことが出来ず、量産されることはありませんでした。「電気式」という確かに「画期的」ではあった車両でした。
ところで武豊線の100周年関連。まだ続きます。
JR武豊線が開通したのは1886年(明治19年)3月1日。その100年後、半田郵便局発行のこの記念発行物にあるように「武豊線開通100年記念展」が開催されたようです。
日付が7月19日なので調べてみたら、半田市立博物館でこの企画展が開催されていたという情報が出てきました。(あくまでもネットでの情報です)
開通当時の半田駅。今と大きく変わった感じがしないのは気のせいでしょうか?
この地方の記念スタンプ。
1988年(昭和63年)1月31日。それまでのJR東海/岡多線(岡崎~新豊田)が廃止され、愛知環状鉄道が開業しました。なおかつこの日は新豊田~高蔵寺間が延伸開業した日でもあります。豊田郵便局の消印あり。
地下鉄桜通線の今池~野並間の延長は1994年(平成6年)3月30日。「名古屋市南区内地下鉄開通」という消印の文字に地元の喜びを感じました。
鉄道と道路の併用橋だった「犬山橋」。そこに道路橋が新設されてそれまでの犬山橋が鉄道専用となったのは2000年(平成12年)3月28日。消印の「ツインブリッジ」は道路橋の愛称だそうです。また郵便局名が「各務原東」となっていますが、愛知県側の郵便局で同様の発行があったかまでは分かっていません。1つ残念なのは名鉄電車の車両がないこと。もっともこの記念の消印は「道路橋」が主体なので、それは無い物ねだりでしょう。
以前、鉄道郵便局という鉄道郵便を扱う郵便局がありました。
明治時代に始まり、1986年(昭和61年)にその歴史を閉じました。
その直前、1986年9月25日から9月30日まで「さようなら鉄道郵便局展」という催しが名古屋であったようで、これはその時の記念スタンプと思われます。
イベント名が「さようなら」で、消印が「さよなら」である理由は私には分かりません。
一方こちらは記念切手。
切手の発行年が1987、昭和62年となっており、かつ消印の日付が62年3月30日ですので、明らかに廃止後しばらくたってからの発行です。
いずれにしろ鉄道史の一コマであり、しかも郵便物が鉄道で運ばれていた時代の最後の貴重な資料です。
東海道電化完成記念郵便切手。
1956年(昭和31年)11月19日発行。電化にあたり、最後まで非電化だったのは米原~京都間。
EF58が牽く特急「つばめ」「はと」。当時の日本最高峰の列車です。
こうして書いていて思ったのは記念切手が発売されるという事は、やはりそれがその時代を象徴するような出来事であったという事。今、書きながら鉄道史をおさらいしている気分です。