2021年02月17日 21時46分
NPO法人名古屋レール・アーカイブスに寄贈された切手と消印。
こうしたファイルに整理しています。
北陸トンネル開通記念。
北陸トンネルは1962年(昭和37年)6月10日、北陸本線の敦賀~南今庄駅間に開通しました。全長13,870 メートルは当時、日本で最長のトンネルで、今も地上にある狭軌トンネルでは日本最長です。
消印はED70形交流電気機関車。
切手のキハ82は大阪~青森、上野を結んだ特急「白鳥」。どちらも北陸本線の歴史の生き証人。
NPO法人名古屋レール・アーカイブスに寄贈された切手と消印。
こうしたファイルに整理しています。
北陸トンネル開通記念。
北陸トンネルは1962年(昭和37年)6月10日、北陸本線の敦賀~南今庄駅間に開通しました。全長13,870 メートルは当時、日本で最長のトンネルで、今も地上にある狭軌トンネルでは日本最長です。
消印はED70形交流電気機関車。
切手のキハ82は大阪~青森、上野を結んだ特急「白鳥」。どちらも北陸本線の歴史の生き証人。
国鉄七尾線。1935年(昭和10年)7月30日、津端~輪島間の全線が開通。
1987年(昭和62年)4月1日、国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道が継承。
その後、1991年(平成3年)9月1日に和倉温泉駅 ~輪島駅間がのと鉄道に経営移管され、2001年(平成13年)4月1日 に穴水 – 輪島間が廃止されました。
輪島郵趣会発行で、廃線でも第三セクター化でもないので、ここまでに紹介してきたローカル線の三セク化とは趣が異なります。
使用されている「さようなら鉄道郵便」の切手は同年の1987年3月26日の発行。タイムリーと言えばタイムリーな切手です。
中面はこんな感じ。数字の枠が並んでいますが、恐らくそこにその金額の切手を貼るようになっていたのではと推察しています。
昨日の続き。
「開業」あらば「さようなら」あり。
「さようなら国鉄明知線」、発行明知線沿線郵便局。
中を開くと「明知駅」の駅名標あり。あれっ?「明智駅」ではないの?
実は国鉄時代は「明知駅」だったのです。もっと言うと国鉄明知線開業時、明知は「明知町」でした。その後、町村合併で「明智町」となったのですが、「明知駅」が「明智駅」になることはなく、第三セクター「明知鉄道」の開業にともない、駅名は地名に合わせることとなりました。
そんな歴史の一端を感じるこのページ。
消印は「風景印」。恐らく特別なものというより、これまで使っていたものではないでしょうか?
そして、、、「▼キハ52型DL」はまあご愛敬と言うことで。
明知鉄道開業記念切手帳。
国鉄明知線が第三セクター明知鉄道として開業したのは1985年(昭和60年)11月16日。
ところでこの右上の消印の「串原」。今は岐阜県恵那市串原ですが、当時は恵那郡串原村。明知線の終点、明智駅のある恵那郡明智町(今は恵那市明智町)から更に南東方向に向かった人口1000人ほどの村で、東海3県の市町村を仕事でかなり回った私でさえ、この村に足を踏み入れた事はありません。
ところで岐阜市からこの村に向かうには明智経由が唯一の選択肢でしたので、この消印があるのは何も不思議ではありません。
ただ名古屋から串原に向かう際は、実際には豊田市経由で向かう事になります。私の知人に串原出身の方がおられ、『恵那市になったけど「恵那市」の中心地に行ったことが無い』と笑っておられました。
祝 天竜浜名湖線開業。
消印は「天竜浜名湖鉄道開業」。1987年(昭和62年)3月15日が開業日。
奥浜名の観光とSL紹介記念切手帳。
よく見ると消印のデザインが少しずつ違います。それぞれの「名物」がモチーフでしょうか?「天竜浜名湖鉄道沿線郵便局」のこの鉄道に対する期待と、各郵便局の意気込みを感じます。
ところで今回の「切手と消印」シリーズを始めてから、今回のような鉄道開業記念の記念郵便物があることを改めて知りました。それも結構な数あります。と言ってもNPO法人名古屋レール・アーカイブスで所蔵しているのはきっとその一部。もう少しこのシリーズを続けます。
昭和22年(1947年)は、日本の鉄道が明治5年(1872年)に開通してから75年の節目の年でした。
NPO法人名古屋レール・アーカイブスに寄贈された記念切手、記念の消印で一番古いのがこれ。
切手は弁慶号。開通時の1号機関車ではなく弁慶号。ひょっとすると1号機関車よりこちらの方が世間に知られていたのかも知れませんね。
一方、消印はEF57(で、間違いないはず)。鉄道省が太平洋戦争前に製造した最後の旅客用電気機関車で、国鉄になったからも東海道本線の客車の先頭に立っていました。
それにしても戦後の昭和22年にしてこうした記念切手、消印が発売されているという事は、すでにその頃、ある程度は混乱の時代を抜けつつあったという事ではないでしょうか。
1974年11月26日、門司の消印。
同じシリーズの②。
SLさよなら記念第2集。1975年2月25日の日付で消印の場所は盛岡。
「SLさよなら記念」はシリーズとなっていました。NPO法人名古屋レール・アーカイブスで所蔵しているものが全てかどうかまで私の知識が追い付いていないのが残念です。
もっともSLさよなら運転のご当地での、まさにずばりの日程で発売されたという事はなさそうです。このシリーズについてはまた暫くしてから調べなおすつもりです。
昭和39年(1964年)10月1日、東海道新幹線開通。
切手のデザインも素敵ですが、こんな消印があるとは知りませんでした。富士山バックで如何にも日本の新幹線ですね。
1枚目の写真の左下の部分をトリミング。
「カッシェ」とあり、これが何だろうと少し調べました。
「カッシェ」は「カシェ」ともいうようですが、その切手の初日カバー(の封筒)に描かれているイラストとのこと。通常は切手に因んだ絵柄だそうです。
素晴らしい芸術の世界が封筒に広がっていました。
蒸気機関車と大型のパラボラ、そして宇宙を行く衛星の図案。
文字では「山口衛星通信所開設10周年記念」と「KDD」が目だっていますが、実は蒸気機関車が主役かも知れないという1枚。
蒸気機関車の図柄の4種4枚の切手。その真ん中の消印には「山口線SL運転記念」「津和野」の文字と「54. 8. 1」の日付。その日付である昭和54年(1979年)8月1日は「SLやまぐち号」が運転を開始した日。
「山口衛星通信所開設10周年記念」とSL列車の運転開始という、山口県での2つのエポックな出来事を一つにまとめたものと推察します。
※KDD山口衛星通信所=現在はKDDI山口衛星通信所(山口県山口市仁保中郷123)
NPO法人名古屋レール・アーカイブスで所蔵する切手及び消印の中では、こうした合わせ技は現時点までに探した中ではこれだけ。いずれにしろかなり珍しいと言えると思っています。
大府駅開業百周年記念。
大府駅の開業は1987年(明治20年)9月10日。昭和62年は1987年でつまり開業から百年目の節目の年。そして、、、まあ余談なのですが昭和62年はJRが発足した年です。最初に「62」の数字と「JR東海」の文字を見た時に「えっ?」「あっ、そうか!」と一瞬思ったことをここに書き留めます。
「百周年」の「百」のところに「100円切手」を置いている所が技あり!ですね。
そして消印もちゃんと開業当時を描いています。
これまで郵便関係の資料をあまり整理していませんでしたが、今回こうして一つずつ見ていて、その奥深さに今更ながら驚いています。