2021年07月04日 21時39分

100円ショップのおもちゃ。新幹線シリーズ。

今日は100円ショップのおもちゃコーナーで見つけた「新幹線シリーズ」。12歳以上が対象となっており、大きなお友だちのための「おもちゃ」のようです。

で、N700系、ドクターイエロー、E5系はやぶさ、E6系こまちの4種類をそれぞれの形式ごとに「先頭車+中間車+先頭車」の3両を大人買い。

組み立ては明日以降にすることにしたのですが、どうやら単純ではないような気配が…。

2021年06月29日 15時34分

「名鉄カルチャースクール」がトレインビューだった件。

今月末で閉校となる「名鉄カルチャースクール」(名鉄神宮前)は、一部にトレインビューの教室がありました。

この日曜日の講義終了後、暫し撮影。

絶景とかではないのですが、これぞ名鉄らしい風景ではないかと密かに思っています。

熱田駅の側線に停車するキハ85系。「南紀」か「ひだ」かは不明。681系「しらさぎ」の車両の留置は時折見かけますが、85系もあるんですね。

列車本数が多い割には、意外とこうした行き違いが撮影出来ない。

常滑線の電車がやはり収まりが良さそう。この風景ともいよいよお別れ。

実は5階のレストラン街でも、眺望が少しダウンするもののトレインビューが楽しめました。

そしてこの風景ともいよいよお別れ。そしてこのビルともお別れ。

新しいビルでも「トレインビュー」スポットが出来ることを期待したいですね。

2021年06月18日 15時24分

爺散歩。所用がてらの名古屋駅。

今日は所用で名古屋駅。ネットを見ていたらドクターイエローの運転日らしい。

なのでスマホカメラで撮影。

13:14頃。ひかり641号到着。13:19発。手慣らし。

13:24頃。ドクターイエロー入線。

ワイドレンズに切り替えてみた。

JR西日本のバスとのツーショット。

13:26頃、出発。明日の戻りは多分、撮影出来ない。

2021年06月11日 17時23分

木曽川駅の電光式停止位置目標。

JR木曽川駅に侵入する電車。停止位置まであと少し。

その停止位置目標なのですが、何と四角の枠部分が点滅している。写真はその点灯時。

いつからあるのか?JR東海だけなのか?それとも鉄道事業者の間で導入が進んでいるのか?とにかく私が点滅式に気付いたのはここ木曽川駅が最初。

名鉄ではないと思う。

ネットで検索するとJR東日本の駅での事例が出ては来るけどよく分からない。

2021年06月09日 16時03分

爺散歩。JR木曽川駅界隈。番外編。

6月1日にUPした「爺散歩。JR木曽川駅界隈。」の続き。

いつも(と言っても今回が3回目)はJR木曽川駅を東側に出て撮影地に向かい、そのまま同じ東側に戻るのですが、今回はたまたま東海道本線の西側で撮影していたので、そのまま木曽川駅の西側に戻りました。

そこには如何にも「保存しています」という感の建物などあり。

1912年(大正元年)竣工の煉瓦造りの駅倉庫。木曽川駅の橋上駅化する際、取り壊さず保存したものでしょう。一宮市教育委員会の解説板がありました。

こちらは「付卸旅客通路上家(つけおろしつうろうわや)~柱・方杖(ほうつえ)の一部~」。

解説を読んでも、私には難しい。ただこの構造物は「近代建築における地震対策を物語る…」とあったのでそういうことなのであろうと納得した次第。

散歩って、やはりいつもと違う道を歩くのが楽しいですね。この1年で色々学びました。

2021年06月02日 22時14分

JR武豊線半田駅が6月6日から仮駅舎になります。

新聞などでの報道もありますが、JR武豊線半田駅を中心とした約2.6キロの高架工事が始まっています。

それに伴い半田駅が今週日曜日から仮駅舎となり、その後旧駅舎は取り壊され、特徴ある跨線橋は移築される予定です。

拙ブログでは2020年02月26日にもこの跨線橋を紹介していますが、今日も少し紹介。

 

平行四辺形の階段部分の窓。そのデザインは1910年(明治43年)の設置当時でもかなり斬新だったでしょうが、それは今も変わらないと思います。

先に書いたとおりこの跨線橋は移築保存されますが、どんな形で公開されるかが楽しみです。実際に通れるようになると良いですね。

おっと「来年の事を言えば鬼が笑う」とか言いますがそれよりも先の話。失礼しました。

2021年06月01日 23時02分

爺散歩。JR木曽川駅界隈。

今日ははっきり言って残念な写真です。自省の念を込め、敢えて出します。

JR木曽川駅北の超有名撮影スポット。朝所用があったため完全に出遅れた。本当ならば順光予定が、何と太陽は頭の上。車体に太陽が当らねば綺麗な水鏡にならない。

正面には日が当っているのに、、、。それにしても線路と田の間の道が思ったいたより広い。どちらにしても今一つでしょうか?

東海道本線の東側から西側に移動。風が出てきた、夏の日差しの中、ゆったりとでも吹き抜ける風は快適ですが水鏡には大敵。

通常、お昼を過ぎれば少しは風が出るのが一般的。と言うことでこの場を諦めることにしました。

2021年05月28日 16時07分

爺散歩。日日是好日への道。日々の鍛錬。

まだまだカメラを使いこなせない。

まずは最近、私の定番となっている場所。

公園なので遊具を入れてみた。いつか子供の遊ぶ姿を写してみたい。

先頭車狙いだったけどこちらの方が色合いが良かった。

JR笠寺駅の陸橋で撮影。シャッター速度は1/1000秒。甘い画面となったのは多分、ピントが来ていない。フルサイズ換算で600mm相当。さすがにピントはシビア。多分前ピン。いつかちゃんとした写真も皆さんに見てもらえるように日々鍛錬するのみ。でも毎日撮影は出来ないなあ。

2021年05月13日 21時35分

絵はがきに見る鉄道史(51)豊橋名勝 停車場。

昨日紹介した「豊橋名所 豊橋停車場及ビ吉田駅」の続き。

豊橋停車場(駅)の真ん前に電車が停まっています。これは渥美電鉄(現在の豊橋鉄道渥美線)の電車でデテハ1000形。豊橋と田原を結ぶ渥美電鉄の路線が「豊橋駅前」に達したのは1927年(昭和2年)10月1日。ですので、この写真はそれ以降になります。

写っている電車、デテハ1000形は1926年(大正15年)に日本車輌製造で作られた電車なので、何れにしろそれでこの写真が撮影された時期が変わるものではありません。

また昨日の写真との比較ですが、今日の写真の真ん中、省線豊橋駅を出たところにある街灯が若干新しい感じもするので、この写真の方があとで撮影されたものと推察しています。

※なお向山公園聖積塔からは前記以上の情報は得られませんでした。

よって本日の結論は昭和初期とさせてください。

2021年05月12日 16時33分

絵はがきに見る鉄道史(50)昭和初期の豊橋駅。

「豊橋名所 豊橋停車場及ビ吉田駅」。

まず日本の鉄道における官庁の歴史を軽くおさらい。

●1871年(明治4年)工部省鉄道寮(のちの工部省鉄道局)

●1885年(明治18年)工部省が廃止され、内閣の直属に

●1897年(明治30年)現業部門は逓信省外局の鉄道作業局に分離

●1907年(明治40年)3月に帝国鉄道庁官制公布。同年4月1日に鉄道作業局を改組した帝国鉄道庁設置

●1908年(明治41年)鉄道局と帝国鉄道庁を統合した内閣鉄道を新設

●1920年(大正9年)鉄道事業の権限強化・独立を目指して、鉄道省に昇格

ということで手前が「省線」の豊橋駅。今のJR東海/豊橋駅で、この駅名は1888年(明治21年)の開業当初から変わっていません。

奥の建物。豊川鉄道の「吉田駅」。

1897年(明治30年)豊川鉄道「豊橋駅」として開業。その後1899年(明治32年)に吉田駅と改称しています。

もっとも1943年(昭和18年)に豊川鉄道は国有化されたため、その時点で「豊橋駅」の名前に戻りました。

さて時代考証。吉田駅は大正末頃に改築されて写真の形になったということで、駅前の自動車からも察するに、昭和に変わった頃ではないかと思っています。

なお愛知電気鉄道豊橋線(現在の名古屋鉄道名古屋本線)は自社の線路ではなく、1927年(昭和2年)、豊川鉄道の線路を借りて吉田駅に乗り入れを開始しています。よってこの写真の駅舎から名古屋方面に向かったことは間違いありません。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!