2021年05月02日 22時28分
1964年10月1日、東海道新幹線開業。
なのですが、この「HIKARI KODAMA」ワッペンは「9.30」=「9月30日」の日付。一体この日にどんな意味があるのでしょう?
少し調べてみたものの理由は不明。それ以前にこれを作った主体そのものも分かっていません。
1964年10月1日、東海道新幹線開業。
なのですが、この「HIKARI KODAMA」ワッペンは「9.30」=「9月30日」の日付。一体この日にどんな意味があるのでしょう?
少し調べてみたものの理由は不明。それ以前にこれを作った主体そのものも分かっていません。
ということで3月30日に再度撮影。
名古屋都市センターまちづくり広場からの眺望。
13:25頃。中央本線貨物通過。
何だかスッキリしないのは天候もあるけど多分、黄砂。折角の満開なのに…。世の中、そうそう上手く行くことはない。
下に降りて再度撮影。通りかかった人が「昨日は良く晴れて花がスッキリ見えたのですが(残念ですね)」と教えてくれました。残念感が倍増し。トホホ。
名鉄電車の赤と花のピンクの両流しに挑戦。多分、言葉でのイメージは伝わったと思うのですが、写真は「???」ですね。再履修は来年に。
5875レで今年のこの場所での桜の花撮影は終了。
桜シリーズ4か所目。
2021年3月26日の金山駅付近。
14:48頃、EF64重連のタンカー通過。満開に近くとも満開にならなければ思っていた以上に色が出ない。
今ひとつですね。ただ今年は色々な撮影地で、なおかつ日程もばらけて撮影しており、こうした経験は初めてなのですが、咲き始めから満開。満開から散り始め。そして花吹雪、花筏に至るまでの日数が少し分かりました。
勿論、その年の気温であったり風や雨の影響でそれが一定で無いことは承知しています。ただ経験しなければどのタイミングが自分にとってのベストであるかを推測することが出来ません。ということで続く。
2011年3月14日、名古屋/金城ふ頭に「リニア・鉄道館」が開館。そうなんです。リニア・鉄道館は10年目の春を迎えました。
ということで本日、4月5日、行ってきました。
C6217は記念ヘッドマーク。
おっとその前に…。
来館記念ノベルティ。大人の入館者向けの「700系新幹線電車特製しおり」は1万枚が配布終了となっていましたが、幼児小中高生を対象とした「10周年記念特製コースター」はまだありました。
10年前の風景。
一番大きく進化したのはここかな?
もっとも進化したのはここだけではありません。久しぶりにちゃんと一周して、「おっ」とか「ほほう」とか発見がありました。
このブログをご覧の方で、開館直後に行ったきりとなっている方。何が進化したかを是非、体験しに出かけて下さい。
さて昼食。
子供たちに大人気、「Dr.Yellow lunch box」。見た目よりボリュームがある感じ。
今日の「リニア・鉄道館」、そして今年の春の桜祭りの〆。
300円ガチャ。
N700Sがあるんですね。知らなかっただけに驚いた。
メジャートレイン。表面は博多を起点に、
東京駅までの駅名が並んでいます。
裏面は実用品のメジャー。1メートル強。
「東海道・山陽新幹線」「新幹線N700sのぞみ」と書かれたブロックがほぼ同じ長さとするならば、このメジャーで名古屋駅は博多から何センチのところにあるのでしょうか?
答えは66センチ。
だから何なのか?と言われるとちょっと恥ずかしい。
ガチャではなく普通の商品を一つ、線路のマスキングテープ。
最近は本当にいろいろあって楽しいですね。
金山駅から熱田駅まで歩いてみた。
今回は撮影そのものが目的というより撮影ポイント捜し。よって携帯電話のカメラで時折撮影。
宗教施設を背景にしての撮影。名古屋らしい風景の一つと思っています。
跨線橋(歩道橋)から撮影。神宮前方向から金山方向を臨む。編成写真の撮影には良さそう。
こちらは金山方向から熱田駅方向を臨む。ご覧の通りの逆光ですが、6月頃には正面に日が当たるかも知れません。
ここ1年出かけていない「リニア・鉄道館」。
2011年3月14日のオープンで、本日10周年を迎えました。
それを記念して、あおなみ線では今、オリジナルロゴマーク、ヘッドマークの電車が1編成運転されています。
これがロゴマーク。
ヘッドマーク。あおなみ線は運用に入れば1時間間隔で上下1往復します。時間の見当がつきやすいので、どこかで撮影されては如何でしょうか?
なお12月中旬まで走る予定とのこと。
ところで肝心の「リニア・鉄道館」ですが、3月14日(本日)以降、様々なイベントも用意されています。ホームページなどでご確認の上、おでかけ下さい。
新幹線で大阪方面からの戻り、名古屋駅到着直前の左側車窓に見えるお城。以前から気になっていましたが3月10日に登城しました。
再建されたお城なのでコンクリート製。戦国時代の“都会”清須の町の歴史であったり、織田信長を始め戦国武将の歩みが分かり易く展示されており、望楼に到着するまでに結構な時間がかかりました。
名古屋駅前の高層ビル群と新幹線は、もう少し近い位置で撮影出来るのではと期待していましたが、少々難しい要望でした。
北東方面を望む。位置的に「晴れ」であれば、午後は逆光。今回は「下見」ということで、次回は朝一番で訪問しようと思っています。
稲沢線が東海道本線を越える所は、狙いようでは面白いと思いつつシャッターを押しました。
1969年(昭和44年)9月28日、関西本線蟹江~永和間を行く227レ。
関西本線の旅客列車の無煙化を前に撮影に出かけており、その際の1枚。
1970年(昭和45年)8月1日。中央本線宮ノ越駅。
私が撮影しているDD51牽引の旅客列車が登場し始めて間もないころの数少ない写真。
蒸気機関車を駆逐したディーゼル機関車ということで当時の鉄道マニアにはすこぶる評判の悪かったこの形式ですが、私自身は熱心な撮り鉄ではなく、また蒸気機関車への思い入れもそれほどでもなく、何だか不思議な形の機関車が登場したんだなあと思った程度でした。
2015年1月26日の「トワイライトエクスプレス」回送。
単なる乗り鉄ならば琴似駅でこうして待ち受けることは無かったでしょうが、JR北海道のDD51重連が牽く夜行列車はそれでも撮影する価値があり、多くの方が撮影されたその気持ちは良く理解出来ました。もっとも私は手軽な駅撮り。
苗穂駅を通過する「カシオペア」。2015年1月27日撮影。
こちらは日本ではありません。タイのノンプラドゥク・ジャンクション駅。日本での活躍を終え、工事列車の牽引用に輸出されたもので、北斗星のヘッドマークは同行者の手製です。
DD51は貨物列車でその存在感を示していましたが、実のところ私はその姿を殆ど撮影していません。
残念と言えば残念。でも、令和の時代まで私を楽しませてくれたので、最後の最後までちゃんと動くように整備をされたJR貨物のスタッフの方に感謝するのみです。