2020年03月22日 20時54分

「ありがとう東海道新幹線700系」のぞみ号。

「ありがとう東海道新幹線700系」のぞみ号。3月8日に予定されていた臨時「のぞみ315号」の運転は、新型コロナウイルス感染症の影響により中止となりました。

そのため乗客を乗せての運転は3月1日の団体専用列車が最後となりました。

その列車に乗った方から記念品を見せてもらいましたのでここで紹介します。

「700系車体を再生したアルミにより特別に製作したメダル」。「C60編成(8号車)」と号車まで特定された記念品が出てくるとは思ってもみませんでした。

メダルの裏面。「8号車」という刻印を期待したのですが、流石にそれはありませんでした。

私にとっての「700系」という車両のインパクトは、そのデザインの優美さよりも普通車でもゆったり乗れるという電車ということ。そしてそれまでの新幹線車両以上に「旅」というより「ビジネス」のイメージが強くなったという感想を持っています。もっともそれは700系が移動手段としての完成度が高かったということでもあります。

この写真は2009年の撮影。思い出の一コマになりました。

2020年02月29日 23時12分

JR東海/武豊線(3)武豊港駅。

1886年(明治19年)3月1日に開業した当時、「武豊駅」があった場所。その「武豊駅」は1930年(昭和5年)に武豊港駅になりました。

画面左にある解説では「武豊停車場跡地」とあり、それで思い出したのが『ふるさとの訛なつかし 停車場の人ごみの中に そを聴きにゆく』石川啄木『一握の砂』(1910)。

ところでこうして書いていて、「停車場」と「駅」ってどんな違いがある?とつまらないことを考え始め、で、調べました。結果は目から鱗。

出典:一般社団法人日本民営鉄道協会 ホーム⇒鉄道豆知識⇒鉄道用語辞典/た行⇒停車場

停車場

『鉄道は人と物を運ぶ事業なので、お客さまを乗降させたり、貨物の積み降ろしをしたりする「駅」(station)があります。列車の行き違いや待ち合わせをするための「信号場」、車両の入れ換えまたは列車の編成を行う「操車場」もあります。停車場はこの3つの総称(普通鉄道構造規則第2条)です。

停車場の範囲は、単線区間では場内信号の内側、複線区間では列車の進入する方向の場内信号機と列車が出発する方向の場内信号機の内側、停車場区域標が設けてある場合はその内側となります。

停車場は、本線路の配線の型によって3つに分類されます。「頭端式」は、ターミナル駅など線路が行き止まりになっているものをいい、「通過式」は、線路が停車場の構内を貫通しているものを指します「折り返し式」は、線路が折り返し式になっているものです。このほか、一時的な「仮停車場」もあります。』

今日のテーマは武豊線武豊港駅でした。

ここには転車台が残されており、国の登録有形文化財。

一周したら腕木式信号機もありました。

2020年02月27日 21時36分

JR東海/武豊線(2)亀崎駅。

1886年(明治19年)の武豊線開通にともなって開業した亀崎駅。

で、この駅のポイントは『駅舎』。日本最古の駅舎と言われているのです。

『亀崎駅の駅舎は明治19年の開業当時駅舎で、現存する駅本屋では最も古いもので、当時の姿を今に見ることの出来る貴重な産業遺産です。』。これは半田市役所のホームページ⇒観光情報⇒観光スポットから転載。

一方、明治28年に焼けているとする説もあり、それで冒頭の「言われている」という書き方になるのですが、いずれにしろ明治に建築されたのは間違いなさそうなので、この駅舎の価値の高さは揺るがないと思います。

駅名看板は「JR」とあるので、最近のモノ。もっとも屋根も葺き替えられており、この建物の原型部分はどこにある?

柱の造作は古そうな感じ。

こんな感じ。明治時代の香りが唯一(?)する。

歴史の風に吹かれながら武豊線散歩。

2020年02月26日 20時54分

JR東海/武豊線(1)半田駅の跨線橋。

半田市鉄道資料館に出かけたので、ついでに近くの“鉄道名所”を巡ってきました。

JR東海/武豊線半田駅。

1886年(明治19年)3月1日、武豊線/武豊駅 ~熱田駅間が開業したのに伴い、この駅も開設されました。

一見何の変哲もない、ただちょっと古いかな?という程度の跨線橋。

実はJRのみならず日本で一番古い現役の跨線橋です。

駅舎側からの上り口。一般的な跨線橋に比べ狭い印象。

これはホームの跨線橋の上り口。柱が優美な形なのに気がつきました、

階段の途中にある窓。これもなかなかのデザイン。

半田駅構内で跨線橋を撮影したら、衣浦臨海鉄道の貨物列車が通過。KE655号機は国鉄からの転籍組。

2019年12月17日 21時25分

HC85系と言わず、ここは敢えてクモハ85と言いたい。

冬なのに秋空の様に空が高かった昨日(12月16日)、仕事で名古屋プリンスホテル スカイタワーへ。

打合せのために案内されたのは西側の眺望が開けた部屋。

プリンスホテルの方から「先にやるべきことをしておきましょう」と促され、私はコンデジで、そして私の隣にいる別の会社の方は1眼レフ。(笑)

眼下に1本の筋が上へ下へと動いている。


HC85系と言わず、ここは敢えてクモハ85と言いたい。


一度、向野橋に出向いてみようかな?

2019年10月25日 23時00分

稲沢駅とEF6627。

昨日は稲沢駅近くの会社で打ち合わせ。

約束の時間より少し早く着いたので、しばし駅前を散策。

そこでまさしく「駅前」という地名を発見。思わずその場で地名としての「駅前」を検索。「駅前町」が何か所かあるのを発見し、「へーっ」と感心。

まあパターンは異なりますが、名古屋市の「名駅」が地名となった時、私の中ではそれが安易な命名として心に引っかかり、あまり良い印象がありませんでした。今は定着していますし、そもそも「名駅」という言い方が如何にも名古屋らしくそれなりに愛着もあるのですが、ここ稲沢市の「駅前」もきっと定着し、愛されているのでしょう。路面電車かバスの停留所風ではありますが…。

待ち合わせ場所は稲沢駅の東口。おっとEF6627が停まっている。携帯しかカメラを持っていなかったのが残念。で、EF6627あるところに撮影者の姿あり。2時間の打合せ後にもこの場所で同じ方の姿を確認し、ある意味驚き!何かあったのかな?

稲沢駅のホームから見たDD51の廃車体。

左側がDD511146、右側がDD511147。ナンバープレートを外され、何だか物悲しい。私の場合、廃車体を見て感傷に耽る(ふける)ことはあまり無いのですが、降り始めた雨が私をそんな感情に導いたのかもしれません。

2019年10月24日 22時58分

名古屋駅「住よし」のきしめん。

久々の名古屋駅在来線ホーム。どこに出かけるにしても最近はJR名古屋駅から在来線に乗ることはあまりない。中央本線なら千種駅だし、東海道本線は上り下りとも金山駅が多い。ならば関西本線はどうかと言えば、亀山か紀勢本線の松阪以遠に向かう時以外はまず近鉄利用。なのでお久しぶりの在来線となった次第。

5・6番線ホームでの電車待ち。目の前の7・8番線の「住よし」発見。時間は12時過ぎ。お腹が空いた。でもカバンの中には昼用に持ってきたパンあり。一瞬迷って5・6番線の「住よし」に入る。

海老天きしめん。いつもはかき揚げなのですが、たまにはありかな。揚げたてはやはり美味しい。毎度のこととはいえ、今日も汁を飲み干してしまった。塩分過多。

2019年09月02日 22時44分

中津川駅にJR東日本の電車が!

頭では分かっていても、咄嗟には理解できないことが時にあります。

9月1日(日)、つまり昨日は岐阜県中津川市の坂下に出かけていました。そしてその帰り道。

坂下発18:07の中津川行きに乗車し、この写真は終着の中津川駅到着時に撮影。

分かる方には分かるのですが、電車の色がJR東海ではない。そして車掌さんがいる。

そうなんです。この電車はJR東日本の211系。何でこんなことになっているのでしょうか?

2015年6月14日のJR東日本/篠ノ井線松本駅。JR東海の電車が停車しています。木曽路を走るJR東海/中央本線の普通電車はJR東海と東日本の境界である塩尻駅を越え、一部を除き松本駅まで乗り入れています。

特急しなの号のような長距離列車であればともかく、ローカルの普通電車が会社の垣根を超えて走る区間は実はかなり限られています。もっとも松本駅で見られるJR東海の313系は、長野県の木曽路からこのエリアの中心である町への直通と考えればそれほど違和感はありませんが、JR東日本所属の電車が松本から岐阜県の中津川まで来ているとは、ある意味「おっ」と思う出来事でした。

何故こうした事があるかについてですが、JR東海の313系が塩尻~松本間に乗り入れて走る距離と、JR東日本の211系が塩尻~中津川間で走る距離を調整しているからなのですが、そのことを知っていても岐阜県でJR東日本の電車を見るのはとても新鮮で、私は思わずこうして写真を撮ってしまいました。

(追記)

中央本線の普通電車ですが、JR東海の313系電車は基本的にワンマン運転のはずで、一方JR東日本の211系は電車自体がワンマン対応になっていないため必ず車掌さんが乗務されています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!