2021年11月14日 21時43分

近鉄(京都線/旧奈良電鉄)と京阪の相互乗り入れ時代の遺構。そして桃山御陵前駅。

さてここからが本題。京阪の丹波橋駅1番線ホームの北側。安全側線がまっすぐで、そこから分岐する形で副本線が本線に合流します。

安全側線がまるで本線が如くの直線であることが奈良電(その後の近鉄京都線)に向かう線路形状の名残り。

北側から丹波橋駅方向を見れば、言われればなるほどの配線としての特徴があります。

駐輪場は線路の跡とのこと。その先に肉眼では近鉄の線路が見えており、確かにここに線路があったことを実感できます。

一方こちらは(京阪)丹波橋駅の南側。明らかに京阪の本線から分岐し、別方向に向かう線路があったと納得できます。もっとも案内役の元近鉄電車の広報マン福原稔浩さんの解説を聞きながら回ったので私が今、こうして訳知り顔で書けるわけですが、例えば資料を渡されそれを参考に歩いたとしても、半分も理解できたかどうか自信がありません。

こちらは近鉄の桃山御陵前駅のすぐ北側。ここで(京阪)丹波橋からの線路と(現在の京都線の)本線が合流。つまり現在の近鉄京都線桃山御陵前駅から北方向に、近鉄丹波橋駅北側の京阪との立体交差の先までの区間は、奈良電(近鉄)と京阪が相互乗り入れしている時代には線路がなかったということになります。

何度も乗ったことのある近鉄京都線と京阪本線。こうして新たな知識を得て、次回ここを電車で通るときはきっと先頭車でかぶりつき。

(桃山御陵前駅)

今日はもう一つ、近鉄桃山御陵前駅南側の高架下商店街。

この写真は桃山御陵前駅から奈良方面に向かう電車を撮影したものですが、この電車の走っているところは高架線。そしてこの線路の下には、今は耐震工事の関係で規模は小さくなりましたが、今も昭和の面影を色濃く残す商店街があります。

この写真の右側がその商店街があるところ。

何とも懐かしい風情あり。

ラーメン屋さんの提灯も「高架下」。

商店街は桃山御陵前駅からすぐの一角だけが現在も盛業中ですが、そこを過ぎればこのように工事中。

ドラマのロケも行われるとのことですが、確かに主役の警察官が犯人を追いかけるには絶好のロケーション。

私が持っている京都の町のイメージとはかなり異なりますが、関西のガード下ならありですね。

ということでこの日の昼食は「復刻 元祖高架下ラーメン」。

2021年11月13日 16時28分

近鉄(京都線/旧奈良電鉄)と京阪の相互乗り入れ時代。

今の近畿日本鉄道/京都線は昭和3年(1928年)、当時の奈良電気鉄道の手でまずは11月3日に桃山御陵前駅~西大寺駅間が、そして同年11月15日に京都駅~桃山御陵前駅間が開業し全線が開通しました。

その後奈良電と近鉄とは昭和38年(1963年)10月1日に合併し、今の近鉄京都線となっています。

その奈良電~近鉄京都線ですが、京阪電気鉄道との間で相互乗り入れをしていた時期があります。

以下、近鉄のウェブサイト/近鉄ストーリーからの転載。

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奈良電気鉄道 昭和20年12月21日  京阪神急行電鉄との相互直通運転の開始 (丹波橋・三条間)

昭和43年(1968年)12月20日 京阪電気鉄道との相互直通運転の取止め  (丹波橋・三条間)

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現在の近鉄と京阪の「丹波橋」駅は正に隣どおし。それではどんな風に相互乗り入れを行っていたのでしょうか?

(画像提供:国土地理院)

昭和36年(1961年)5月1日撮影の京都島南部の航空写真から丹波橋付近をトリミング。これだとなんのことかさっぱり分かりませんね。

現在の2つの丹波橋駅との関係を絵解きすると、赤枠が京阪の丹波橋駅で青枠が近鉄丹波橋駅。

オレンジ色の線が京阪の京阪本線で、緑色の線が近鉄京都線。それ以外に赤色と青色の線の所にも線路が見えます。

これは北側のブロックですが、解像度は低いものの奈良電と京阪を繋ぐ線路の存在が確認できます。

こちらは南側のブロック。奈良電と京阪を繋ぐ線路がはっきりと確認できます。と言いたいところですが、これまでの航空写真を見ると現在の近鉄丹波橋駅付近の影が薄いことに違和感を覚えます。

それもそのはず、昭和36年(1961年)当時の丹波橋駅は京阪の丹波橋駅1つだったのです。

元々奈良電と京阪は別々の線路を走っていたのですが、奈良電が京阪の丹波橋駅に乗り入れる形で駅を統合。そのために上の写真で赤線、青線のところに新たに線路を敷設。それに伴い(京阪)丹波橋駅の東側の(奈良電の)線路は廃止されました。なお現在の近鉄丹波橋駅の場所には、奈良電の「堀内駅」がありましたが、統合時に廃止されています。

その後、近鉄(奈良電)と京阪の相互乗り入れ解消を前にした昭和42年(1968年)3月、近鉄はかつての奈良電が走っていた場所に線路を再敷設、堀内駅跡に近鉄の特急・急行系統専用の丹波橋駅を設置しました。その後も(従来の京阪)丹波橋駅も引続き使用されていたのですが、同年12月、相互乗り入れが取りやめとなりました。近鉄丹波橋駅はこれ以降、現在の形となっています。

※参考資料「近畿日本鉄道100年のあゆみ : 1910〜2010」

(奈良電の線路)

*昭和36年当時の経路…緑色の線~赤色の線~丹波橋駅~青色の線~緑色の線

*昭和43年以降は緑色の線

ところでなぜ唐突に近鉄と京阪の相互乗り入れの話を始めたかの理由ですが、10月30日(土)、「元鉄道広報マン福原稔浩さんと歩く近鉄京都線ウォークとトレインビューホテル見学」という少々タイトルの長いツアーに参加し、この連絡線跡を探訪したことによります。

昭和35年(1960年)10月号の時刻表。

(奈良電)京都駅~(京阪)京阪宇治駅間の電車は「京阪電鉄」の宇治線に付随する形での掲載。

(京阪)京阪三条駅~(近鉄)奈良駅間の電車は、近鉄ブロックの奈良電・近鉄奈良線の時刻表の中に掲載されていました。当時、奈良電は西大寺駅から近鉄奈良線に乗り入れ奈良駅まで走る電車が設定されており、つまりこの電車は京阪~奈良電~近鉄の3社直通運転をしていたわけです。

相互乗り入れは同じ電圧、同じような大きさの電車だけではなく、互いのメリットがあって成り立つものです。結局近鉄の600ボルト⇒1500ボルトへの昇圧や車両の大型化もあり、最終的に相互乗り入れは解消されるのですが、現在の2つの丹波橋駅は離れてはいても同じ駅構内ともいえる構造であり、相互乗り入れ当時と比較し、今となっては「不便になった」という実感は少ないのではないかと思われます。

2021年11月12日 21時09分

京都鉄道博物館ナイトミュージアム。

この10月29日(金)~31日(日)の3日間、京都鉄道博物館ではナイトミュージアムが開催されました。

(開催時間;17 時 00 分~19 時 30 分)

私が足を運んだのは30日(土)。16:30から入場料が半額の600円となることからそれを待って入場。数十人の行列あり。家族連れもいました。

そしてメインイベントの会場、転車台に直行。ここだけではなく他にも見たいものがあったのですが、そこに出向くと思う場所で撮影出来ない場合も考えられ、結局2時間近くの待機を決断。

18:13、日も暮れてまもなくショーの始まりです。

主役のC622も準備を整え、出番を待ちます。

18:20,C622がしずしずと扇形庫から出てきました。

大見得を切る直前の歌舞伎役者の如く、凛とした風情で舞台中央で立ちます。

ライトアップされた中での回転。現役時代には考えられなかった晴れ舞台。恐らく500人近い人が写真や動画を撮っていたと思う。(人数は私の勘です)

ライトアップされているのだからライトを生かした写真が狙い!と思っていたものの、なかなか難しい。

回転の撮影チャンスは2回。途中から私の中の真剣さが何故か徐々に消えていきました。こうしたイベントはしかめっ面で撮影し続けていても仕方が無い。たまにはゆっくりと楽しもうと思い始めたからです。

18:49頃、2回目の回転イベントも無事終了。コロナ禍が小康状態の中、こうしたイベントがやっと開催されるようになりました。

ライトアップされた京都タワーは名古屋に戻る道すがら。

2021年11月10日 14時25分

京都市/梅小路公園。

京都駅からJR山陰本線で1駅、京都鉄道博物館の最寄り駅である梅小路京都西駅下車。改札口を出て左に向かうとそこが梅小路公園です。1995年(平成7年)の開園とのことですが、2014年に市電広場が開設され、京都市電の展示が始まってから一度足を運んで見ようと思っていました。

梅小路京都西駅を出てすぐのところに置かれている2001。今にも動き出しそうなほど綺麗な状態です。

梅小路公園名物、京都電氣鐵道株式会社~京都市電で活躍し、昭和36年(1961年)に廃車となった27号。2014年からリチウム電池で動く動態保存化され、架線はありませんし、集電用のポールも上げていませんが、今の時期は土日祝の10:00~16:00の時間でこうして走っています。短い区間ではありますが乗ることも出来ます。

ところでこの27号、大正7年(1918年)7月,京都電氣鐵道株式会社の市営化に伴い移譲された136両の内の1両で、但し27号と言っても、京都電氣鐵道時代の27番目に作られた電車ではなく、昭和30年(1955年)に当時の残存車両28両に対して行った1~28号の連番への改番後の数字です。

※京都市営化時に、製造時に関する資料が無かったのか136両全ての製造年月日が不明。

(参考:京都市交通局ウェブサイト/市電保存館 on WWW (狭軌I型~2000型))

お子さん連れの方の乗車が殆どなので、大人が一人で乗るには勇気がいりますが、是非お試しあれ。

こちらは市電ひろば。4両の市電が「市電カフェ」「市電ショップ」となっています。「市電ショップ」はいわゆるお土産屋さんとお考え下さい。

ここに遊びに来る多くの市民の方にとって、「市電」があることが来園の動機付けにはなってはいないでしょうが、それでもかつての『京都』に触れる場所が身近にあるというのはうらやましく感じました。

2021年11月09日 13時28分

鉄印帳の旅(37)北条鉄道の鉄印。

北条鉄道の鉄印は、用意された鉄印による記帳ではなく、鉄印帳へ直接記帳されます。

「鉄印をお願いします」と駅員さんにお願いしたとき、駅事務室内がちょっとざわついた感じがしたのですが、それはどうやら折り返し時間が7分なので、出来る限り速やかに記帳しようとされたのではというのが私の感想。

で、上が「鉄印帳」。下が書き置き印で、購入時には3種類がありました。

北条駅の車止めの反対側には陶製の「手形」が飾られていました。何かの記念で作られたようですが、時間の都合でこの写真を撮影するだけで精一杯。恐らく解説もしくは案内の表示があったのではと思うのですが…。

北条鉄道で唯一交換できる途中駅、法華口駅。列車の交換は、昨年(2020年)から始まったばかり。

ホームには北条ふらわの「行き違い設備完成」のヘッドマーク風案内あり。

マジックアワー。特に秋の太陽が私は好きです。

ところでさりげなく「マジックアワー」という言葉を使いましたが、これは写真用語だそうで、私、知りませんでした。このブログを書くにあたり、語源ってなんだろうとか思い、調べました。

粟生駅。いつもなら撮らない写真ですが、マジックアワーの駅構内が美しく見えてシャッターを押しました。

北条鉄道で使用した乗車券はこの「1日フリーきっぷ」。片道(粟生駅~北条町)×2=840円なので、折角なら思い出として手許に残る方を選択。

2021年11月08日 18時23分

鉄印帳の旅(36)北条鉄道。

谷川駅を出てすぐの目と鼻のところに側線(?)が見えるのですが、架線が張られておらず、しかも精々電車2両分。何に使う線路だろう?

西脇市駅は同一ホームでの乗換ではなく、跨線橋を渡ります。125系から103系へとバトンタッチ。

さて10月29日の後半戦スケジュール。

(加古川線)谷川駅発  1513 2328S

西脇市駅着 1542

西脇市駅発 1545 1344S

粟生駅着  1605

(北条鉄道)

粟生駅発  1609  北条鉄道

北条町駅着 1632

北条町駅発 1639

粟生駅着  1702

(加古川線)

粟生    1707 1346S

加古川   1731

 (山陽~東海道本線)

加古川駅発 1736 3506M 新快速

京都駅着  1859

加古川線の谷川駅~西脇市駅間は1日9往復ですが、西脇市駅以南は1時間に1~2本。また日中は綺麗な60分ヘッドで、その上下電車が粟生駅で交換するようになっています。それに合わせて北条鉄道が接続し、なおかつ日中60分ヘッドの神戸電鉄も毎時粟生着00分、発10分なので1時間に1回、4本の列車がここに集まります。

たまたま私が乗車したのが通学“ラッシュ”の時間帯でしたので、狭いホームと階段が結構ごった返しました。

軸となるのは間違いなくJRのダイヤですが、粟生駅交換としたのが神戸電鉄はともかく北条鉄道との接続を考慮したのであれば、利用者の立場に立った正に「グッジョブ」だと思います。

16:06の粟生駅。先に到着したのが左の加古川駅行き。そして今、右側に西脇市駅行きが入線。左上には神戸電鉄6500系3両編成が停車中。北条鉄道の車両はこの写真では写らない場所に停車中。

次から次へと乗客が乗り込みます。と言っても1両に乗れる乗客数です。

北条町駅は私の想像と異なり、市街地の駅。人口42,839人(10月31日現在)の加西市の代表駅です。

2021年11月07日 22時09分

鉄印帳の旅(35)JR福知山駅と谷川駅。

福知山駅南口を出ると目の前にはC11(C1140)の姿が見えます。

広場には2本のレールのイメージのしつらえあり、腕木式信号機もあって良い感じ。

転車台はもともとこの地にあった福知山機関区の転車台を移設したもの。

ローカルの列車を乗り継ぐ場合、列車本数が少ないこともあり時間を持て余すこともままあるのですが、こうした保存機関車があると、ゆとりの時間は充実の時間へと変貌します。

14:06の福知山線篠山口駅行きに乗る前に、再度福知山駅名物の撮影。

「こうのとり9号」城崎温泉駅行きと「はしだて5号」久美浜駅行き。の表示がありますが、「はしだて5号」は実際には久美浜駅から快速となり豊岡駅まで行きます。もっとも久美浜駅の次の停車駅が豊岡駅で、1区間だけの快速列車。

もっと言えば「こうのとり9号」の豊岡駅到着は14:43。

「はしだて5号」の豊岡駅到着は15:35。

誤乗防止も合って「はしだて5号」の本来の終点を表示していないのかも知れません。

京都丹後鉄道のホームにふと目を向けるとそこにはJR西日本113系の姿あり。理由は不明。

谷川駅14:45。

加古川線の西脇市行きの発車は15:13。

時間があったので、一旦改札の外に出る。

そこには何故かコンクリート製の恐竜あり。「なぜ?どうして?」と疑問が膨らみ、駅員さんに聞いたところ、この近くで恐竜の化石が発掘されたことがあったそうな。納得です。

2021年11月06日 17時01分

鉄印帳の旅(34)京都丹後鉄道天橋立駅。

11:14、京都丹後鉄道天橋立駅に到着。

まずは鉄印を頂きます。なおこれを撮影したのは、帰路の特急「たんごリレー4号(丹後の海)」車内です。

その福知山駅行き特急「たんごリレー4号(丹後の海)」は11:54発なのでしばし駅前を散策。

駅から徒歩5分ほどの所にあり、智恵を授けてくれる文殊様で有名な智恩寺にお参り。「三人寄れば、文殊の知恵」という言葉はこのお寺のこととか。3人でなくとも、なんとか智恵が授けれないものかと考える俗な爺1人。記憶の泉の水は、老人力が強まるにつれて涸れつつありますが、せめて智恵の泉は枯らさないようにしたいものです。

智恩寺を抜けてすぐの所に、江戸時代には既にあったといわれる「智恵の輪 灯籠」。この石の輪を3回くぐれば文殊様の知恵を授かれると言われていますが、くぐるのは無理なので、実際には灯籠の周りを3回回るとか、頭を3回入れるとかをすると御利益があるそうです。なお今回私は手を合わせたのみ。さて御利益や如何に。

特急「たんごリレー4号(丹後の海)」の到着。

この列車は豊岡駅を10:53に1604D快速列車で出発し、途中の網野駅から特急となります。(特別料金不要の)快速~(有料)特急と変身する列車って、今日本でどれくらい走っているのでしょう。一度、調べなければ…。

車内。お客さんがいませんが、これは終点の福知山駅での撮影。

福知山駅  12:34着。

美しきサイドビューに別れを告げ、次は福知山線~加古川線経由で北条鉄道との乗換駅、粟生駅を目指します。

福知山駅発 1406 2540M 篠山口駅行き

谷川駅着  1445

谷川駅発  1513 2328S 西脇市駅行き

西脇市駅着 1542

西脇市駅発 1545 1344S 加古川駅行き

粟生駅着  1605

福知山駅では時間があるので、ゆっくりと昼食。そして、、、。

2021年11月05日 22時22分

鉄印帳の旅(33)京都丹後鉄道天橋立駅を目指す。

10月29日(金)の鉄印帳の旅。この日は「京都丹後鉄道」と「北条鉄道」の巻。

まずは京都丹後鉄道天橋立駅を目指します。

名古屋駅発 7:37 ひかり535

京都駅着  8:27

京都駅発  838 特急「はしだて1号」(京都駅~天橋立駅)

福知山駅着 954

福知山駅発 1013 4811D 快速丹後あおまつ1

天橋立駅着 1114

こんな予定。 京都駅出発時は「はしだて1号」と「まいづる1号」の併結で、見えているのは「まいづる1号」。 福知山駅名物、京都方面からの特急と大阪方面からの特急の同一ホーム接続。左側が今、乗ってきた京都丹後鉄道宮福線直通「はしだて1号」天橋立駅行き(9:54着 9:59発)。 右側の列車は特急「こうのとり1号」城崎温泉駅行き(9:49着 9:55発)。

福知山駅からの京都丹後鉄道宮福線は、特急で直行せず敢えて普通列車/天橋立駅行きに乗車。

その心は「はしだて1号」に接続する普通列車が、観光列車「丹後あおまつ号」だったから。

私の「鉄印帳の旅」ですが、若かった頃の「日本の鉄道の完乗を目指す」旅ならともかく、今は「鉄印収集だけが目的の旅」ではなく、時間に余裕もあるので、チャンスがあれば様々な車両のバリエーションを楽しみたいと考えつつ行程を組んでいます。何故って言えば、それがとっても楽しそうに思えたからですが、今回の京都丹後鉄道にもぴったりの車両がありました。それが「丹後あおまつ号」。この鉄道の他の観光列車と異なり、何せ予約不要の普通列車です。

乗車してすぐに目に付いたのはこのラック。書籍の時刻表が置いてあり、これは私にとっては初めてのこと。

水戸岡鋭治氏が担当された車内デザインは、想像だにしなかった低い背もたれにまずは驚き。もっともそのおかげでしょうが車内は広々とし、どの座席からも進行方向どちらの風景も楽しめます。

トイレの入り口も、列車のトイレとは思えず、面白いですね。

車内販売のコーヒー。左下にあるのは「もうひとつの京都 周遊パス 海の京都エリア(1日乗車券)」。それを購入するとこのコーヒーが無料で付いてきます。

この1日乗車券ですが2200円ですので、福知山駅~天橋立駅を普通列車で往復するだけならば元は取れません。しかし今回は帰路の列車は特急(自由席)の予定でしたので、特急料金を含めればまず元は取れ、更にこのコーヒーで「買って良かった」と相成りました。

沿線の名物が一目で分かるボード。手作り感満載で、個人的にはOK!

牧駅で5082D特急「はしだて2号」久美浜駅発京都行きと交換。

2021年10月27日 17時16分

鉄印帳の旅(32)信楽高原鐵道信楽駅にて。

信楽駅前。

駅名標の前には信楽焼のたぬきさん。

駅を出てすぐ左側には大だぬき。マスクをしてハロウィーンなのは今どきと言えば今どき。緑色の公衆電話が不思議なアクセントになっています。

駅前を歩いていて渡った橋には信楽名物の紹介あり。

そこに信楽高原鐡道を発見!

信楽駅に来たら是非、見てほしいもの。それは駅構内に展示されている「信楽高原鐵道列車衝突事故」の資料類。

1991年(平成3年)5月14日に発生した痛ましい事故を忘れないためにあえて展示しているとのこと。

事故のことはもちろん覚えていますが、それをこうして残しているとは知りませんでした。地元の方たちが事故を乗り越え、この鉄道を残すという強い気持ちがあったからこそこうして「鉄印帳の旅」にも出られるのですが、楽しいだけではなく、こうして鉄道の負の歴史に触れることもまた「鉄印帳の旅」ではないでしょうか。

鉄印を授与されるにはほんの数分しかかかりません。ただ集めるだけなら、到着して数分後に出る列車で戻ることも出来ます。でもここでは1本、後の列車に乗車する選択をしていただければと思っています。

この車両の顔に隠されたある秘密。展示を見て改めてこの写真を撮影しました。「レールがつなぐ くらしと未来」を感じる1日となりました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!