2021年06月03日 16時27分
あじさいが今、盛りです。
今日(6月3日)の名鉄名古屋本線桜~呼続間。
自分としては良い感じ。
そしてこちらの写真はちょっと残念な1枚。狙っていたのは電車の顔の部分がチラッと見える写真。ただ狙ってはいてもその通りに撮るにはサイズがタイトで、なおかつ電車の速度もこの辺りは結構早い。何枚撮っても上手くいかず、結局一旦引き上げることにした次第。修行します。
あじさいが今、盛りです。
今日(6月3日)の名鉄名古屋本線桜~呼続間。
自分としては良い感じ。
そしてこちらの写真はちょっと残念な1枚。狙っていたのは電車の顔の部分がチラッと見える写真。ただ狙ってはいてもその通りに撮るにはサイズがタイトで、なおかつ電車の速度もこの辺りは結構早い。何枚撮っても上手くいかず、結局一旦引き上げることにした次第。修行します。
今日の爺散歩。知人の情報で名鉄国府宮駅へ。
風が微かに吹いており、きれいな水鏡とまではいかず。
天候に恵まれても微風で鏡にならないもどかしさ。
国府宮駅を南側から臨む。電車からは何度も見ているはずなのに歩いてみれば新鮮な風景。
まだまだカメラを使いこなせない。
まずは最近、私の定番となっている場所。
公園なので遊具を入れてみた。いつか子供の遊ぶ姿を写してみたい。
先頭車狙いだったけどこちらの方が色合いが良かった。
JR笠寺駅の陸橋で撮影。シャッター速度は1/1000秒。甘い画面となったのは多分、ピントが来ていない。フルサイズ換算で600mm相当。さすがにピントはシビア。多分前ピン。いつかちゃんとした写真も皆さんに見てもらえるように日々鍛錬するのみ。でも毎日撮影は出来ないなあ。
名鉄名古屋本線本笠寺~本星崎間の「本城公園」。冬には気付いていませんでしたが花壇があり、今は「***」が花盛り。
すいません。花の名前を知らないので「***」とさせていただいています。
撮っているときはもっと花が際立っていたのですがこうして見るとさほどでもなく…。
ワイドレンズで撮影。
今から40年ほど前のカメラマンをしていた頃、こうした画角は「ワイドアップ」とか言っていた覚えあり。要するに広角レンズで狙った被写体に近づき、それを大きく見せること。
天候次第では面白くなりそうな予感。
昨日今日と、鉄道写真と言うよりは5月の日常のスナップを撮っていました。すっきりとした天候ではありませんでしが、晴れ渡ればそれはそれでここは午前の早い時間帯しか順光になりません。痛し痒し。
名鉄9500系。名鉄電車の中では私好みの形式。赤と黒の塗り分けですが、赤の印象が強く一目で名鉄と分かるカラーリングが好ましいです。もっともあくまでも私個人の感想です。
名鉄の「赤」を意識した1枚。もっとも本人の意図ほどは伝わらない1枚でしょう。
さて狙いは「紫陽花(あじさい)」。やはりまだまだでした。
「あーでもない。」「こーでもない。」と、考えたものの、これが私の精一杯。一週間後に再履修の予定。
ノスタルジー、爺散歩。
昭和49年(1974年)3月、名古屋市電の廃止直前の情景。名鉄は本笠寺~本星崎間。名古屋市電は本城中学前電停。
同じ歩道橋からの撮影。
懐かしいと言ってもあと少しで半世紀前の出来事。ノスタルジーならぬノスタル爺。
今年機種変更したスマホのカメラに「ポートレートモード」があり、今日それを試してみました。
花と電車が近いとポートレートモードの効果はあまり感じないですね。
多少離れても今一つ。
望遠レンズにしてみました。これだと効果を実感できます。
背景を足回りにしてみましたが、黒っぽいのはそもそも何が写っているかがよく分からないという大失態。
何枚か撮っていくうちに何となく「これかな」と思えた1枚。
花ではなく、細い草でも試してみました。
これはこれで良いと思うのですが、何だろう?撮っている気分が出ません。それでもその内にこれに慣れ、私の中で当たり前になるんでしょうね。
今日は爺散歩。
名鉄新安城駅界隈。
麦秋。スズメが大喜び。
背景は見なかったことにしましょうか?そうそうこちらの都合の良い景色には出会えない。
マツバギク。地元の方が育てているそうです。
自分の中でうまくまとめ切れていない…。
令和の日常風景。
昨日紹介した「豊橋名所 豊橋停車場及ビ吉田駅」の続き。
豊橋停車場(駅)の真ん前に電車が停まっています。これは渥美電鉄(現在の豊橋鉄道渥美線)の電車でデテハ1000形。豊橋と田原を結ぶ渥美電鉄の路線が「豊橋駅前」に達したのは1927年(昭和2年)10月1日。ですので、この写真はそれ以降になります。
写っている電車、デテハ1000形は1926年(大正15年)に日本車輌製造で作られた電車なので、何れにしろそれでこの写真が撮影された時期が変わるものではありません。
また昨日の写真との比較ですが、今日の写真の真ん中、省線豊橋駅を出たところにある街灯が若干新しい感じもするので、この写真の方があとで撮影されたものと推察しています。
※なお向山公園聖積塔からは前記以上の情報は得られませんでした。
よって本日の結論は昭和初期とさせてください。
「豊橋名所 豊橋停車場及ビ吉田駅」。
まず日本の鉄道における官庁の歴史を軽くおさらい。
●1871年(明治4年)工部省鉄道寮(のちの工部省鉄道局)
●1885年(明治18年)工部省が廃止され、内閣の直属に
●1897年(明治30年)現業部門は逓信省外局の鉄道作業局に分離
●1907年(明治40年)3月に帝国鉄道庁官制公布。同年4月1日に鉄道作業局を改組した帝国鉄道庁設置
●1908年(明治41年)鉄道局と帝国鉄道庁を統合した内閣鉄道院を新設
●1920年(大正9年)鉄道事業の権限強化・独立を目指して、鉄道省に昇格
ということで手前が「省線」の豊橋駅。今のJR東海/豊橋駅で、この駅名は1888年(明治21年)の開業当初から変わっていません。
奥の建物。豊川鉄道の「吉田駅」。
1897年(明治30年)豊川鉄道「豊橋駅」として開業。その後1899年(明治32年)に吉田駅と改称しています。
もっとも1943年(昭和18年)に豊川鉄道は国有化されたため、その時点で「豊橋駅」の名前に戻りました。
さて時代考証。吉田駅は大正末頃に改築されて写真の形になったということで、駅前の自動車からも察するに、昭和に変わった頃ではないかと思っています。
なお愛知電気鉄道豊橋線(現在の名古屋鉄道名古屋本線)は自社の線路ではなく、1927年(昭和2年)、豊川鉄道の線路を借りて吉田駅に乗り入れを開始しています。よってこの写真の駅舎から名古屋方面に向かったことは間違いありません。