2021年08月10日 23時20分

直江津駅にて。

直江津D51レールパークは、何かと楽しめる工夫があります。開館したばかりなので、あまり私の好みを書くのは憚られますが、

SL乗車体験で乗車する車掌車にはだるまストーブがあります。

またこうしたきっぷ切り体験も楽しみの一つとなっています。

さてこの動輪。直江津D51レールパークではなく直江津駅の南口に置かれています。油断していると気付かないまま通り過ぎそう。なおこの動輪はD51の第4動輪であるとの説明書きがありました。

455系・413系の撮影~直江津駅に移動~鉄印収集~直江津D51レールパークと結構忙しかったのがやっと一段落。直江津駅の正面の写真を撮影。

もっとも外に出てきた目的はこれ。駅弁の購入。駅前にあるホテルハイマートの駅弁売り場で購入。

趣のあるホームを延々歩く。

直江津発11:26、急行1号に乗車。

早速お昼ご飯。膝の上に弁当を置いて食べるのって、一体何年ぶりでしょう?んーっ、思い出せない。

2021年08月09日 23時39分

直江津D51レールパーク。

直江津D51レールパーク。今年の4月29日にオープンしたばかり。

このD51827号機は私にとって特別な存在。元々は愛知県あま市で、個人が保管していた機関車。

このブログでは

2016年3月30日~ https://www2.ctv.co.jp/tekken2/2016/03/30/15901/

2017年4月16日 https://www2.ctv.co.jp/tekken2/2017/04/16/19774/

の2回、記事を書いています。

それにしても本当に動く日が来るのだろうかと心配していたD51827。

それがこうして動く姿を自分の目で見る日が来るとは、本当に信じられない気分です。

整備状態も素晴らしく、えちごトキめき鉄道のご担当の方々の愛情を感じます。

『【D51が動く!】SL乗車体験』、転車台での“一回転”という見せ場が終わったあと、たまたまこうして点検をされている姿を見つけ、声がけした上で撮影させて頂きました。

話しを戻して『【D51が動く!】SL乗車体験』ですが、思ったよりも距離を走ります。因みにこの写真を撮影したのは出発地点から少し走ったあとで、この先、向こうに見える…、種明かしはこれ位にしておきます。

転車台が残る直江津駅。新金谷駅、千頭駅、鉄道博物館、京都鉄道博物館、小樽市総合博物館、天竜二俣駅…、何度見ても転車台の一回転は面白い。

2021年08月08日 22時46分

鉄印帳の旅(10)えちごトキめき鉄道の鉄印。

直江津駅で改札を出てますは鉄印収集。これを鉄印帳に貼りました。

実はえちごトキめき鉄道の鉄印はこれだけでは無いのです。

“同じ”デザインですが、こちらは糸魚川駅のもの。駅名の部分のデザインが少し違います。これだけの違いで収集してしまう私です。

今年の4月29日にオープンした「直江津D51レールパーク」に因むもの。

見開きになっていて中はこんな感じ。キラキラしています。

鉄印帳販売開始1周年を記念した鉄印。

裏面には「心動」の文字。これまでの日本語には無い言葉ですが、伝わるものはあります。

因みに以上の3種の鉄印は、えちごトキめき鉄道で販売している鉄印帳フリー版に貼っています。

 

2021年08月07日 9時01分

えちごトキめき鉄道の455系、413系。まずは撮影。

えちごトキめき鉄道では、今年の7月4日(日)から、JR西日本から購入した455系・413系を使用した「観光急行」の運行を始めました。
「昭和の急行列車」を体験できる気軽な観光列車とのことで、7月21日はその列車の撮影&乗車をしました。

まずはET127系で手慣らし。場所は上越妙高駅すぐ北。上越妙高駅を8:45発の直江津行き。大体の雰囲気は分かりました。

直江津駅を8:43に出発した妙高高原行き。上越妙高駅9:00発で、この場所では8:57に顔を出しました。

オリンピックに合わせて「オリンピア」のヘッドマーク付き。この形式での「オリンピア号」は実際にはありませんでしたがアイデア賞を差し上げたいと思います。

振り返ってみたらこちらにはヘッドマークはありませんでした。因みにこの列車は455系・413系を使用した「観光急行」が運転される日のみ快速として運転されます。

さて撮影を終えて直江津駅まで移動。2347M上越妙高駅発9:20のの直江津行き。第3セクター鉄道の列車では驚きの6両編成。

高田駅で「越乃Shu*Kura」(回送)と交換。私にとって一度は乗ってみたい呑み鉄列車。

直江津駅9:42到着。左側に停車中のET122形は1634D泊行き。1両編成の気動車です。

2020年11月16日 23時29分

木曽路の片道急行、パート2。

11月12日(木)に「木曽路の片道急行」をUPしたところ、知人から10月31日(土)、11月7日(土)の2日間運転された急行「▲▲中山道トレイン2020号▲▲」 のことかと思ったと連絡がありました。確かに急行「▲▲中山道トレイン2020号▲▲」 は片道運転であり、このブログで紹介するにはタイミングとしてもドンピシャで、なるほどなあと思った次第。

だからということではありませんが、名古屋エリアの片道急行、但し変形版を紹介します。

先回と同じ昭和42年(1967年)10月発行の時刻表。但し高山本線。ここに2本の急行「しろがね」号がいます。1本は昼行、1本は夜行。この列車の特徴は何れも循環急行であること。名古屋~岐阜~高山~富山~金沢~米原~岐阜~名古屋と高山本線~北陸本線を一周しており、昼行の「しろがね1号」は名古屋発8:14で名古屋着18:49。「しろがね2号」は名古屋発23:50で名古屋着11:09。

高山本線の時刻表の最下段に「金沢」「名古屋」の駅名が見えるのがその証拠。ところで先に「片道急行」と書きましたが、名古屋から米原経由で金沢~富山~高山と走る「しろがね号」はありません。

「しろがね号」と対になるのはこの時刻表のほぼ真ん中にいる「こがね号」。

名古屋を出る時にどこに行くのだろうとの混乱を避ける措置だったのでしょうか?

でも循環急行で、上下で同じ愛称の列車も存在していたことはあるので、何かルールがあったと言うことでは無かったようです。

2020年11月12日 15時17分

木曽路の片道急行。

昭和42年(1967年)10月発行のボロボロの時刻表。国鉄583系(私にとっては「月光形電車」)運転開始と言うエポックメイキングな号なのですが、今回はその話ではなく中央本線の急行列車の話。

当時13歳の中学生にとって時刻表は正に大人への入り口。隅から隅まで読んでいたというのは大袈裟ですが、それでもそんな気分であったのは間違いありません。

その中でまあ地元でもある中央本線に目が行くのは自然の理(ことわり)。注目は急行「きそこま」。多治見始発の長野行きで、4:55という早朝と言うにもあまりにも早い時間の出発。そして停車駅はまあこんなに停まる急行があって良いものかと思うほどですが、後に沿線市町村の代表駅すべてに停車していたことを知ります。

更に長じてこの列車の目的は、長野県木曽地区の町村と県庁所在地長野市を結ぶ足であることを認識することとなります。

では戻りはどうでしょう。そこには急行「きそこま」の名前はありません。

強いてあげれば急行「第4しなの」が上松で普通列車(客車)に接続し、それで各町村に戻る設定がされているように見えます。

時は変わって令和2年。

今はどうなっているかと言えば、塩尻発18:50の普通電車は、上松着19:44。

ここで後続の特急「しなの24号」が19:54に追いつき、接続を取るようになっています。中央本線では木曽福島駅での優等列車退避が出来ないためこうしたダイヤなのでしょうが、もしも木曽福島で緩急接続が出来れば、「しなの」が上松に停まらなかったかもと思ったりしています。

話を急行「きそこま」に戻しますが、片道しか運転されない急行があることを発見し、当時、私は大きなショックを受けました。それが今回、上松での緩急接続を見て、記憶の海の奥深くからいきなりそのことが浮上してきました。

ところでなぜ「きそこま」が片道運転だったかという探求をしなかったのかと言うと、それは自分でも良く分かりません。多分、ずぼらな性格のせいでしょう。きっと。

2020年11月10日 17時08分

長野県上松町/赤沢森林鉄道(14)上松町とボールドウィン。

本線での走行を終えた2台のモーターカー。次走るのはいつになるでしょう。赤沢森林鉄道の今年の運転は11月8日で終わるので、多分早くても来年の春以降かな。

さてここからはボールドウィンタイム。

前日に続いて照明を点けての撮影。17:19、青空がまだ見えています。

この日のボールドウィンのお供は理髪車。

(模擬)点検担当はかつて中央本線を走った蒸気機関車の機関士だった方。本職。

こうして充実の2日間が終了。

撮影を終え上松駅に戻ったところで、参加者の方から「ここ上松のマンホールはボールドウィンだよ」と教えられ、パチリ。ボールドウィンは町の誇り、象徴なんですね。

尻尾まであんこがつまったたい焼きの旅も残すところ名古屋に戻るだけ。

赤沢森林鉄道の撮影ツアー(完)

2020年11月09日 16時48分

長野県上松町/赤沢森林鉄道(13)秋色の林鉄。

この日はもう1台のモーターカーも本線走行。15:28。まだ定期列車運転時間中なので、沿線に撮影に来ていた撮り鉄さんもきっとびっくりしていたはず。

なおこの写真を撮影している場所は先に紹介した遊歩道から別れ、エリア内に巡らされた散策コースの一つで、誰でも撮影出来る場所です。

秋色の木立から顔を出す定期列車。

戻りのモーターカー。あれっ?転車台の無い赤沢森林鉄道なのに顔が正面?実はこのモーターカーは車体下にジャッキがあり、それで車体を持ち上げてどこでも方向転換が出来るのだそうです。その方向転換の様子を今回は見ることが出来ませんでしたが、チャンスがあれば是非、見てみたい。

後ろ姿を見て、何故かほっこりするのはきっと私だけではないと思い。そう言えば人力車の後ろ姿に似ている気がした。

15:51、この日の最終列車が起点の森林鉄道記念館に向けて走り去ります。

2020年11月08日 16時23分

長野県上松町/赤沢森林鉄道(12)再び呑曇渕(どんどんぶち)。

丸山渡からは歩き鉄。この森林鉄道は、往復乗車するか、丸山渡から歩いて帰るかの2者択一。丸山渡まで歩いて行き、乗って帰ることは出来ません。ただかなりの乗客の方が、帰路の歩きを選んでいます。森林浴を楽しみつつ、ゆっくり20分程度の山歩きは本当に清々しいものです。

右側の木道がその道で、こんな感じで森林鉄道記念館まで続きます。

この日もモーターカーの撮影あり。私は呑曇渕(どんどんぶち)での撮影を選択。15:01に通過。定期列車を先行して走ります。シャッタースピードは1/10秒で、モーターカーは少しぶれています。遅い列車とはいえ、やはりこのシャッタースピードで車体をぶれずに止めることは出来ませんでした。

この場所は前日も撮影は可能でしたが、雨で足下が滑りやすくなっていたため、万が一にもスッテンコロリンしては、ツアーそのものもさることながら折角許可を出してくれた地元の方々に迷惑になるであろうと諦めました。高齢者はちょっとした冒険も絶対にしてはならないと肝に命じています。

15:07に定期列車が通りました。シャッタースピードは1/2秒まで落とし、水の流れを見せつつ列車のスピード感を出してみました。撮り鉄修行中。

水の流れを止めるべく1/500秒での撮影。

ここまでの写真は全て手持ちで撮影していますが、デジタルカメラの進化を本当に肌で感じています。そしてその能力をどう使うかが撮影者に問われる時代とも思っています。

前日も撮った場所。太陽が当る部分と当らない部分の陰影がどこまで出るのだろう?とシャッターを押す。

カメラの操作に少し慣れてきた。かも?まだまだ。

2020年11月07日 15時01分

長野県上松町/赤沢森林鉄道(11)丸山渡のトイレ。

14時発の定期列車に乗ることに。

乗車券の裏側にスタンプを押すのが赤沢流。

爽やかだけど少し冷たい風が頬をなぜている。

※「なぜる」=「撫でる」なのですが、「なぜる」って名古屋風?調べると結構全国で使われている。

丸山渡までは1.1キロ。乗車時間は10分もありません。

そこから側線の様に線路が延びており、その先にはまだ線路がありました。将来は…とか妄想の世界に浸る。

その手前というか、丸山渡のほど近くにトイレがあります。何と列車!トイレットカー。

し尿処理施設がこの辺りにはなく、シーズンが終わるとこのトイレットカー(私が勝手に命名しています)を森林鉄道記念館まで引っ張ってきて、バキュームカーで中身を取り出しているとのこと。結構大変な作業だな。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!