2020年09月01日 23時48分

恵那と言えば栗菓子。

本日は恵那の余談です。

恵那・中津川エリアの秋の味覚と言えば栗のお菓子。中京テレビというか、私も何度か取材で栗菓子を取材をさせて頂いており、そうしたお店の一つに恵那川上屋があります。その恵那峡店の名物「栗一筋」を明知鉄道の撮影ついでに立ち寄り味わってきました。

まずは比較対象のための栗ソフト。

どどーんとその迫力に目が点。

見た目は栗そうめん。とことん栗を堪能できますが、「なるほど」という工夫があり、これだけの量のスイーツがペロリでいけてしまいます。

栗菓子の定番と言えば栗きんとんですが、それだけじゃない恵那の栗事情。

あっ、そういえば今回はテイクアウトにしています。店内での飲食は待ち時間が長いとの事でしたので、車の中で賞味した次第。

2020年08月29日 21時46分

レコードプレイヤーを買いました。

レコードプレイヤーを買いました。

いろいろ整理していく中で以前から気になっていたのがレコードのこと。

蒸気機関車の走行音だけのレコードが数枚あり、それを今回30年ぶり?に再生し、涙が、涙がちょちょ切れそうになりました。昭和40年代の発売で我が青春の世界です。だってレコードからCDの時代になったのが30周年前。それから暫くして我が家からレコードプレイヤーがなくなりました。その時に捨てるに捨てられなかったレコードが令和の時代まで我が家で生き延びていました。

手元のレコードは蒸気機関車だけではなく、サイモンとガーファンクル、アバ(ABBA)もあったりします。

2020年08月28日 22時13分

台湾高鐵(台湾新幹線)700T。

コレクションシリーズ。インテリア小物と言って良いのかな?ブリキの蒸気機関車はオルゴールです。もっとも曲は知っているのですが曲名が出てこない。

「特急」は名鉄のもので、部品の販売会で買った記憶あり。

手前の置物はイギリス・ヨークのイギリス国立鉄道博物館で購入したもので、1991年に我が家にやってきました。

右の路面電車風の置物は、確か中にお菓子が入っていた。

一番右にある古ぼけた陶器の置き物は灰皿です。そして、、、。

台湾高鐵700T型電車の模型。

中京テレビでは2000年(平成12年)にNNN(日本テレビ系列のニュースネットワーク)台北支局を開設しており、その関係で、台湾高鐵が関係者に配布した記念品が、報道経由で私の手元にやってきました。

注目すべきはこの銘板。「台湾南北高速鉄路700T型列車出廠紀年2004.1.30」とあります。(出廠は恐らく納入という意味でしょう。)

台湾高鐵(台湾新幹線)の開通は2007年1月5日。そこから遡ること3年前の段階で「台湾南北高速鉄路」とあり、確かに「南北」を結ぶ鉄道なのですが、それでもその後の開通時には「南北」という文字は無かったはずで、一つの時代が作られていく経緯をここで見た気がしています。

2020年08月27日 23時57分

トーマスエンジンコレクション。

コロナ禍の中で整理しているものにグッズのコレクションがあります。

その中の一つ、バンダイが発売したトーマスエンジンコレクション。

ディテールがしっかりしていて、それで買い集めた時期がありました。

よくぞまあ集めたものだと我ながら思うのですが、レールに転がして遊ぶというよりは、こうして飾る方が楽しい一連の車両達です。で、この2枚の写真に肝心なトーマスがいません。

トーマスは他のコレクションと一緒にいます。

理由?それは棚の大きさの関係で、どうしても1両入りきらなかったのです。それでどの車両を一連の中から外すか悩みに悩んでこんな感じにまとめてみました。

2020年08月26日 23時12分

Nゲージのジオラマ制作に挑戦!

出歩くことが少なくなったこともあり、ジオラマ制作の1日体験教室の門をたたきました。

7月のことですので既に1か月前のことです。材料はご覧の通り。

講師の先生が作られた完成見本、これを3時間ほどで作ります。

一応の完成。電車とバスは講師の方が用意された撮影用。

簡単には作れないと頭では分かっていました。そして結果は「やはり」でした。でも教えてもらえば、初心者として「楽しいかも」と思えるほどになることも分かりました。

コロナ禍のみならず加齢とともに暑さ寒さに極端に弱くなっていることもあり、在宅での楽しみにしても良いかもと思い始めています。

それともう一つ、鉄道模型って車両を走らせることが楽しいのだろうと思っていましたが、自分の理想郷(ジオラマやそこまで行かなくても配線)を創り上げるのが楽しくてみんなやっている!今はそんな気がしています。

2020年08月25日 16時49分

ドラマ「〇〇〇〇」の「伊勢志摩空港」の件。

私はドラマを見ていませんでしたが、ネットで三重県に空港がないとか出ていましたので一言。
三重県には「明野飛行場」があります。
陸上自衛隊の駐屯地で、ヘリコプターの基地となっています。
30年ほど前だったでしょうか、「ゆく年くる年」の中継で、中京テレビのヘリコプターを放送時間まで駐機させてもらったことがあります。
それはそれとして「伊勢志摩空港」。
時刻表は昭和35年(1960年)10月号。
その飛行機の時刻表に「志摩」の地名があります。
日東航空(~日本国内航空~東亜国内航空~日本エアシステム~日本航空)が水陸両用機を飛ばしていたもので、「志摩」にいわゆる滑走路のある空港があったわけではありません。
調べ切れていませんが離着陸(陸ではなく海上ですのでどんな日本語は良いのでしょうか?離着水?発着?)していたのは「志摩水上機飛行場」と言う名前で、今の賢島駅の南側あたりのようです。
最後の写真は、同じ時刻表の志摩地区の旅館の広告。「飛行機」は影も形もありません。

2020年08月21日 23時15分

ジェイアール名古屋タカシマヤ/鉄道の未来展。

ジェイアール名古屋タカシマヤで開催中の「鉄道の未来展」に行ってきました。その一部をピックアップ。

N700Sの塗装前の先頭構体。この写真だけ見ると大きさがよく分かりませんが正真正銘の本物です。もっとも思ったよりも小さかったというのが私の感想なのですが、新幹線(N700系)と313系の大きさを比較すると、、、。

N700系…横幅 3360mm、高さ 3,500mm(先頭車前位)

313系……横幅 2978mm、高さ 4,020mm

全長は比べるまでもないのですが、こうして数字を並べて見るとN700Sがこじんまりと見えたのは単なる印象ではないことが分かります。

それにしてもこのフォルム(立体的な形状)の美しさ。アルミの質感も含め惚れ惚れします。

個人的に面白いと思った前照灯(ヘッドライト)の点灯。

尾灯(テールライト)の点灯。まあ珍しい体験をさせてもらいました。でも地味なのか、やらずに通り過ぎる人多数。

「Nゲージリニア 浮上走行大型ジオラマ展示」は「おっ!」と思える展示。実物に見た後の感想は、「速い!!!」ということ。模型だから速さはそれほどでもないだろうと思っていましたが、見事に裏切られました。因みにこの写真のシャッター速度は1/40秒。

映像系の展示では「N700Sプロジェクションマッピング」「リニアプロジェクトの軌跡」がありましたが、どちらもお勧めです。

このイベントは来週の月曜日(24日)までの開催となっています。

2020年08月19日 0時01分

1974年(昭和49年)の北海道/名寄駅。

1974年(昭和49年)2月15日の北海道/名寄駅。

稚内から乗ってきた列車を降り、ここから後続の急行列車に乗り換え。その乗り継ぎ時間を使っての撮影。

C55形のスポーク動輪は格好いいと思う。

蒸気機関車がひく列車同士の交換は、当時であっても貴重な存在だったという記憶あり。

雪の中を出発する列車。良い思い出です。

39634は本線用ではなく入換用だった。

ドレインとスノープラウが巻き上げる雪が渾然一体(こんぜんいったい)となり何が何だかよく分からないC5787がひく列車の出発。

2020年08月17日 23時40分

1974年(昭和49年)の北海道。

昭和40年代の日本の鉄道シリーズ。何故この年代に拘っているかと言えば、この年代の経験が私にとっての趣味の原点だからです。

蒸気機関車も走っていればナローの鉄道も少なくはなっていましたがまだありました。そして何より名古屋に市電が走っていました。もっとも私の鉄道趣味は昭和50年代で一旦、終焉を迎えます。

何せ昭和の会社員ですから、その労働時間はお察しの通りで、更に家庭生活もあって趣味に割ける時間はほぼなく、本だけは買っていましたが買っただけの「積ん読」でした。その後、趣味の世界に戻ったのは十数年前で、仕事が現場から管理部門に変わり、また子供達が育ったのがきっかけでした。

このブログを読まれている方にも今、様々な事情を抱え鉄活を控えている方もいらっしゃるでしょう。コロナ禍の中で趣味どころではない方がいるかも知れません。でも趣味の灯は消さないで下さい。私は趣味から遠のいていたことはあっても、またこうして鉄活を楽しんでいます。

いきなり白鳥の写真ですが、昭和49年2月の北海道です。鉄活に勤しむ(いそしむ)というより旅の足としての鉄道でした。

2月14日の稚内市の大俯瞰。

稚内市の観光名所、氷雪の門。同じユースホステルに泊まっていた方達とそこまで上って行き、前の俯瞰の写真を撮りました。

その写真をトリミング。大桟橋があり、その右側に貨車がいるのが分かります。稚内駅は貨車群の更に右側にありました。ところでこの写真を撮ろうと思って氷雪の門に行ったのではありません。あくまでも氷雪の門が目的で、そこから“たまたま”市街地を見下ろすことが出来たのです。

2020年08月16日 23時49分

1973年(昭和48年)の越後交通。

昭和50年3月31日。新潟県のナローの鉄道がその姿を消しました。

越後交通栃尾線。もともと悠久山(新潟県長岡市)~長岡(国鉄との接続駅)~上見附(新潟県見附市)~栃尾(新潟県栃尾市⇒長岡市に編入)を結んでいたのですが、私が訪れた昭和48年12月28日の段階では、長岡~上見附を除く廃止されていました。そして写真は当時の終点、上見附駅です。

地方私鉄にあって、その姿は都会の電車に負けていないと私は当時思いましたが、今こうして改めて見ても、派手さはないもののすっきりとした好ましいデザインが素敵です。

越後交通の写真で一番のお気に入りがこれ。豪雪地帯のローカル私鉄の雰囲気を感じとって頂けると思います。それにしてもこの年は年末に結構な量の積雪がありました。ところでこの日、栃尾線が定時で運転されていたかどうかのメモが私の手元にないので確たることは書けないのですが、それでも上見附まで平然と往復しているので、通常運行であったことは間違いありません。

ED51。ナローと言うこともありますが、こじんまりとしてとても可愛らしい印象でした。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!