2021年06月12日 23時02分

東山動植物園に保存のモノレール。

東山動植物園に保存されているモノレール。詳細は割愛しますが、名古屋市民で、なおかつ何度もこの東山動植物園に来ている人にも知名度が本当に低いのが残念な存在です。

原因の一つに、かつて駅があった場所にそのまま保存されており、車体が周りから見えにくいことが考えられます。

また1964年(昭和39年)2月8日に開業し、1974年(昭和49年)12月18日に廃止と活躍した時期が短く、恐らくアラカン世代以上の年齢の方で無いと思い出に繋がらないこともあると考えられます。

もっとも保存している名古屋市もほぼ放置状態なので、余計に市民の関心は低そうです。私、個人的には定期的に車内見学でもしてくれれば保存のしがいもあると思っていますが、さてどうなることやら。

2021年05月30日 22時44分

あおなみ線の見える公園。港区稲永東公園。

名古屋市港区の稲永東公園。あおなみ線の野跡(のせき)駅から徒歩10分ほど。

で、この写真の左の林の向こうに実は電車が写っています。

前の写真をトリミング。陽炎(かげろう)のような電車の姿が見えます。緑が濃いのは、強い日差しを防いでくれて散歩するには気持ちが良いのですが、こうした写真を撮るにはコントラストが強くなり、不向きということを知りました。

ここでは散歩だけを楽しむのが良さそうです。

2021年05月17日 11時44分

続 知多自動車の時間表。

昨日の時間表を表面としたら今日は裏面。

1913年(大正2年)3月29日 に愛知電気鉄道(現在の名古屋鉄道)常滑線が常滑まで開通。同年8月31日に常滑線で未開業だった神宮前~秋葉前間も完成し、神宮前~常滑間が全通しています。裏面はその愛知電鉄からの乗継ぎ時間表。

常滑での電車とバスの乗継ぎ時間はわずか2分!短い編成の電車から、目の前に停まっているバスへの乗換え故の設定でしょうが一言、驚きです。ところで「神宮前」が「熱田」となっています。

 

昨日の表面で、トリミングした部分の少し上。ここには「名古屋」に続いて「熱田」もあり、経路の選択の余地を作ったのかも知れません。

さて常滑を出たバスの終点は?それは内海。

熱田(神宮前)を7:20に出た電車は常滑着8:19。バスは8:21に出発し9:21に内海着。約2時間の行程です。

一方現在のJR線経由。

熱田を7:29に出発し、武豊着は8:24。バスは8:27に出発し、内海着9:12。移動時間は1時間40分ほど。

地図を見てもらえば分かるのですが、武豊から河和経由で内海に向かうルートはほぼ直進する形になっており、昭和初期の道路事情なども勘案すると、これが恐らく名古屋から内海~師崎への最短ルートだったのでしょう。

よって常滑発のバスは内海以南へ直通しなかったと推察しています。

2021年05月16日 22時18分

知多自動車の時間表。

今日は鉄道ではなくバスの話し。

昭和5年(1930年)10月1日改訂の時間表。

知多自動車は1918年(大正7年)に設立され、1943年(昭和18年)に知多半島を走っていた他のバス事業者と合併し、知多乗合(知多バス)となっています。

路線図からすると常滑、半田、武豊,河和、内海ほか馴染みのある地名が並んでいます。

大府~武豊は今のJR武豊線。その上には名古屋~大府間の時刻があり、名古屋と知多半島各所を結ぶ鉄道&バスの連絡運輸が成立していたことが見て取れます。それにしても列車到着からバスの発車まで3分。うかうかしていると乗り遅れそうです。

逆方向。武豊での接続時間は10分ほどで流石に余裕を見ていると納得です。バスは1時間に1本程度あり、これが多いか少ないかということになりますが、一定の利便性は確保されていたのではないでしょうか?

ところでこの頃はまだ今の名鉄河和線は開通しておらず、知多鉄道の手によって1935年(昭和10年)8月1日に河和まで開通した後はバス路線は恐らく再編されたと推察されます。

2021年05月14日 22時37分

“絵はがきに見る鉄道史(52)名古屋駅新貨物取扱所。

かつての名古屋駅は現在の笹島付近にありましたが、駅構内が手狭になったことから貨物と旅客の取り扱いを分離し、旅客は現在の名古屋駅の場所に移転、貨物は現在の「ささしまライブ」の場所に移転しました。

「名古屋駅新貨物取扱所貨物ホーム」。後に「笹島駅(ささじまえき)」を名乗ることになるのですが、それは昭和12年(1937年)に(新)名古屋駅の開業に併せ、「名古屋駅」から正式に分離しての改称でした。

貨物駅は当初、名古屋駅の「貨物扱い」の場所が移転したという扱いだったようで、昭和4年(1929年)から表題の名称で現「ささしまライブ」の地で営業を始めました。この写真はまだ建設中と思われ、かなり珍しいと思われます。

「鋸歯形」とありますが、写真からのこぎりホームの構造がしっかりと分かります。

貨物駅の本屋。

毎日ではありませんがかなりの頻度でオークションサイトを見ています。そうすると時々、こうした名古屋の鉄道史に関する資料を発見します。そうした発見も在宅鉄活動の楽しみです。

2021年05月13日 21時35分

絵はがきに見る鉄道史(51)豊橋名勝 停車場。

昨日紹介した「豊橋名所 豊橋停車場及ビ吉田駅」の続き。

豊橋停車場(駅)の真ん前に電車が停まっています。これは渥美電鉄(現在の豊橋鉄道渥美線)の電車でデテハ1000形。豊橋と田原を結ぶ渥美電鉄の路線が「豊橋駅前」に達したのは1927年(昭和2年)10月1日。ですので、この写真はそれ以降になります。

写っている電車、デテハ1000形は1926年(大正15年)に日本車輌製造で作られた電車なので、何れにしろそれでこの写真が撮影された時期が変わるものではありません。

また昨日の写真との比較ですが、今日の写真の真ん中、省線豊橋駅を出たところにある街灯が若干新しい感じもするので、この写真の方があとで撮影されたものと推察しています。

※なお向山公園聖積塔からは前記以上の情報は得られませんでした。

よって本日の結論は昭和初期とさせてください。

2021年05月12日 16時33分

絵はがきに見る鉄道史(50)昭和初期の豊橋駅。

「豊橋名所 豊橋停車場及ビ吉田駅」。

まず日本の鉄道における官庁の歴史を軽くおさらい。

●1871年(明治4年)工部省鉄道寮(のちの工部省鉄道局)

●1885年(明治18年)工部省が廃止され、内閣の直属に

●1897年(明治30年)現業部門は逓信省外局の鉄道作業局に分離

●1907年(明治40年)3月に帝国鉄道庁官制公布。同年4月1日に鉄道作業局を改組した帝国鉄道庁設置

●1908年(明治41年)鉄道局と帝国鉄道庁を統合した内閣鉄道を新設

●1920年(大正9年)鉄道事業の権限強化・独立を目指して、鉄道省に昇格

ということで手前が「省線」の豊橋駅。今のJR東海/豊橋駅で、この駅名は1888年(明治21年)の開業当初から変わっていません。

奥の建物。豊川鉄道の「吉田駅」。

1897年(明治30年)豊川鉄道「豊橋駅」として開業。その後1899年(明治32年)に吉田駅と改称しています。

もっとも1943年(昭和18年)に豊川鉄道は国有化されたため、その時点で「豊橋駅」の名前に戻りました。

さて時代考証。吉田駅は大正末頃に改築されて写真の形になったということで、駅前の自動車からも察するに、昭和に変わった頃ではないかと思っています。

なお愛知電気鉄道豊橋線(現在の名古屋鉄道名古屋本線)は自社の線路ではなく、1927年(昭和2年)、豊川鉄道の線路を借りて吉田駅に乗り入れを開始しています。よってこの写真の駅舎から名古屋方面に向かったことは間違いありません。

2021年04月29日 15時05分

名古屋市交通局協力会東山公園モノレール。

名古屋市の東山動植物園。

そこにはかつてサフェージュ式を日本国内で初めて採用したモノレールがありました。

今も動物園の片隅に保存されています。

今日は、NPO法人名古屋レール・アーカイブスに寄贈された品の中の一つの紹介。

昭和30年代、40年代は飲食店を中心に、様々なところでマッチが配布されていました。これも間違いなくその一つ。1964年(昭和39年)の開業当時、このマッチはどこで配られれていたのでしょうか?ちょっと知りたい。

2021年04月28日 21時14分

岐阜県関市と名古屋を結ぶ足。

今回、往路は、名鉄/名鉄名古屋~新鵜沼、JR東海/鵜沼~美濃太田、長良川鉄道/美濃太田~関(下車したのは関下有知駅)と鉄道で結びました。ただ名古屋と関を結ぶ交通機関の選択は主に3種類あります。

1)上記のルート

2)岐阜バス/高速名古屋関美濃線(名古屋市内の停留所~関市内の停留所)

3)JRもしくは名鉄で岐阜(JR)、名鉄岐阜(名鉄)。岐阜バスに乗換え関市内の停留所。

1)で約2時間。

2)は栄と関シティーターミナル間で最短1時間。

3)は名古屋~関シティーターミナルを結んで約1時間20分。

で、結局帰路は栄に出たいこともあって高速バスを選択。予約不可、満席の場合乗車不可というバス。日中で乗れないことはまずないそうです。

さてどのバス停から乗るか?と今回は悩むことはありません。長良川鉄道関駅とバス停/関シティーターミナルは隣接しています。

乗車したのは11:33発で、栄には12:33着予定。(片道1060円)

コロナ禍の中で、こうした丁寧な説明には納得です。

2021年04月27日 11時35分

鉄印帳、長良川鉄道の巻。

長良川鉄道関駅。

昭和の時代を色濃く残しています。私にとって昭和はまだほんの少し前。1926年(昭和元年)12月25日から始まり1989年(昭和64年)1月7日に新しい時代を迎えた昭和。

今回の長良川鉄道訪問の主たる目的である鉄印帳。長良川と言えばやはり「鮎」ですね。

 

見開きでは明知鉄道とお隣同士になります。

それにしてもそもそもの御朱印っていつからあるのでしょう?

ネットで検索すると室町時代にはあったという記述もありますが、御朱印帳となるとこれも特定は難しいようです。私の中では、昭和の時代には御朱印帳を持って神社仏閣を巡る人が結構いたとの記憶があります。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!