2021年03月17日 22時37分
金山駅から熱田駅まで歩いてみた。
今回は撮影そのものが目的というより撮影ポイント捜し。よって携帯電話のカメラで時折撮影。
宗教施設を背景にしての撮影。名古屋らしい風景の一つと思っています。
跨線橋(歩道橋)から撮影。神宮前方向から金山方向を臨む。編成写真の撮影には良さそう。
こちらは金山方向から熱田駅方向を臨む。ご覧の通りの逆光ですが、6月頃には正面に日が当たるかも知れません。
金山駅から熱田駅まで歩いてみた。
今回は撮影そのものが目的というより撮影ポイント捜し。よって携帯電話のカメラで時折撮影。
宗教施設を背景にしての撮影。名古屋らしい風景の一つと思っています。
跨線橋(歩道橋)から撮影。神宮前方向から金山方向を臨む。編成写真の撮影には良さそう。
こちらは金山方向から熱田駅方向を臨む。ご覧の通りの逆光ですが、6月頃には正面に日が当たるかも知れません。
この3月8日から「シン・エヴァンゲリオン劇場版」が公開されています。
思えば昨年2020年1月14日から名鉄ではエヴァンゲリオン特別仕様のミュースカイが走り始めたものの、その後、コロナ禍の中で映画公開は延期されました。
この写真を撮影した2020年3月13日の豊田本町駅では、私以外にも数人の撮影者がいたのを昨日の様に思い出します。
実は、たまたまでしたが、乗っていたりもしていました。
そう言えば「あおなみ線」も「あやなみ線」になっていましたね。
ところで名鉄では映画公開に合わせ、「名鉄エヴァンゲリオンデジタルスタンプラリー2021」を行っています。個人的には「名鉄電車全線1DAYフリーきっぷ」がエヴァンゲリオン仕様になった「エヴァ1DAYフリーきっぷ」を発売しており、そちらが気になっていたりもしています。
映画を見た方からは「エヴァ」ファンだけでは無く、鉄道が好きな方にもお勧めという声をもらっています。さてどんな映画に仕上がっているのでしょうか?
「市政80周年 豊橋まつり」の消印。61.10.18の日付(1986年10月18日)あり。ところで豊橋という地名は明治維新以降のこと。
もともとは「吉田」と呼ばれていました。それが町を流れる「豊川」に架かる橋から「豊橋」という地名になり、1906年(明治39年)8月1日に市制が施行されました。
日付がズバリで無いのは豊橋まつりに合わせてのことでしょう。
消印の電車ですが、私の推理はモ3800。あっていたら嬉しいな。
DD51とDF200の重連で、多分今、名古屋界隈で一番撮り鉄さんの注目を集めている列車。8075レ。
関西本線名古屋~四日市間の撮影ポイントは何カ所のありますが、歩き鉄でも簡単にアプローチできるのが弥富駅の出発。この写真でシャッターを押したのは17:09頃。
振り向きざまの1枚。
私はこの列車の動向に詳しくないのですが、あと少しでこの異形式の機関車重連が無くなるとのこと。ネットでも色々な写真が上がっています。
機関車が「主役」の列車でこの後ろ打ちは何だかなあということになりそうですが、結構好きなカット。
名古屋市営地下鉄の記念スタンプ。
昭和52年(1977年)3月18日、地下鉄3号線開通。「地下鉄3号線」とは、名古屋市民であってもその名に馴染みがない。
消印をよく見れば電車の形と区間で「鶴舞線」の最初の開業だ!とは分かりますが、鶴舞線はあくまでも「愛称」なので敢えて正式名称で「地下鉄3号線開通記念」消印としたような気がします。何故って言えば、鶴舞線は最初から鶴舞線の名前があったからです。
ところでここでの消印は3月19日の日付。恐らくこの郵便書簡を購入された方は、開業日の翌日にこれを手に入れたものと推察しています。
一方こちらの電車。一般的には「3000形」の方が通りが良いと思うのですが何故か3800型」。方向幕の「伏見」からすれば確かにこちらは「3800」番台。
数字の3801が読めるので敢えて形式名ではなく、個別の型番にしたのかな?
武豊線開業100周年関連の最後です。
「愛知の鉄道100年フェア 記念スタンプ帳」。
木曽川、一宮、稲沢、枇杷島、名古屋中央、熱田、大府、東浦、半田、武豊の各郵便局のスタンプが並んでいます。
「木曽川」は昭和の時代は「木曽川町」として一つの市町村でした。その後「一宮市」に編入されるのですが、「神楽獅子舞」は知りませんでした。
一方「一宮」には「七夕」があり、各地各様、名物を取り入れていました。
国鉄武豊線開業100周年記念。こちらは東浦郵便局の発行。
この一連を一つでくくれば既に4回目の連載。100年という区切りのインパクトの大きさ故でしょう。NPO法人名古屋レール・アーカイブスで最初に「切手と消印」の整理を始めたときに、武豊線開業100周年が多いなあとは思いましたが、考えてみればそれだけの価値があるということを、ここに今書きながら認識を新たにしています。
ついでながら、C56の左側にある「ぶどう」の房。東浦町がぶどうの産地であることを思い出しました。
今回の消印での発見。
●小型記念通信日付印
●通信日付印(和文)
「風景印」と「小型記念通信日付印」が異なるものだと言うことを知りました。
もっとも私がこれを蘊蓄(うんちく)として語れるようになることはないでしょうが、それでも小話としては話せそうです。
国鉄武豊線開業百年記念切手帳。
発行は半田郵便局と半田市内到底郵便局。
昭和61年(1986年)4月29日から5月5日まで運転された蒸気機関車を題材にしています。
私にとっては笹島駅で開催された「愛知の鉄道 100年フェア」の馴染みがあり、その記念行事で走った「SL一世紀号」は撮影出来ませんでした。
ところでこの「1世紀号」は期間中、毎日武豊線を走ってはおらず、東海道本線の木曽川駅まで往復した日もあります。
●武豊線/武豊~熱田間が開業したのは1886年(明治19年)3月1日。
●その後、清洲、一ノ宮と延伸され、同年の6月1日までに木曽川駅まで到達しました。
その関係で、「1世紀号」は武豊線だけではなく、東海道本線を木曽川駅まで走りました。
こちらは半田亀崎郵便局の「武豊線開業百周年記念」。
1号機関車150形。1872年(明治5年)の日本の鉄道のスタートにあたりイギリスから輸入された機関車のうちの1両。
新橋~横浜間で使用された後、武豊線の開業時にこの地に来て、そして走ったとのことです。
こちらのスタンプは「武豊線での画期的な電気式ディーゼル動車 キハ43000形」。1937年(昭和12年)、当時の鉄道省が作った気動車で、武豊線で使用されたことは間違いないのですが、その後に向けての結果を出すことが出来ず、量産されることはありませんでした。「電気式」という確かに「画期的」ではあった車両でした。
ところで武豊線の100周年関連。まだ続きます。