2021年12月02日 9時25分

全国未成線サミットin浜田。石見神楽(いわみかぐら)の里。

ここまで3回に渡り広浜鉄道今福線の遺構をご覧頂きましたが、こうした歴史遺産が「観光」の対象となり得るということを感じて頂ければ幸いです。

(浜田市観光協会の本サミットの案内文)

『鉄道遺産を生かした地域活性~産業観光への活用~をテーマに全国にある「未成線」を活用する自治体、団体が集まり、サミットが開催されます。』

たまたま知人からこのサミットのことを聞き、このサイトを見て参加を決めました。

今回のサミットに参加したのは、以下の6路線。

1)五新線…奈良県五條市と和歌山県新宮市を結ぶはずだった

2)岩日北線…島根県津和野町と山口県岩国市を結ぶはずだった

3)油須原(ゆすばる)線…福岡県赤村

4)高千穂線…宮崎県高千穂町から現在の南阿蘇鉄道高森駅まで結ぶはずだった

5)三江線…2018年に廃線になった広島県三次市と島根県江津市を結んだ路線

6)今福線…島根県浜田市と広島県広島市を結ぶはずだった

五新線については2014年9月28日に奈良交通のボンネットバスの撮影会で行った懐かしい場所。

こちらは宮崎県高千穂町の発表のまとめ。ここに書いてあることを正に実現することがこのサミットの意義と感じた次第。

それにしても時代だと思ったのは、どの地域でも素晴らしいプロモーションビデオを作っていること。ドローンの活用は今や常識!と言え、とにかく立体的で分かり易い(伝わる)ことにただただ感動。映像の世界で生きてきたと自負する私は、既に時代に取り残されていることを知らされました。

それはともかく各地の素晴らしい取り組みが世間に習知されているとは言い切れないのが残念。私自身としてもこれから各地に足を運んでみようと決意を新たにしています。

ところで石見神楽(いわみかぐら)をご存知でしょうか?私は聞いたことがあるというレベル。

11月13日のサミット終了後に会場で披露されたのは、私にとっては初見の「大蛇(おろち)」。
日本書紀にある八岐大蛇(やまたのおろち)の神話の神楽。
1時間ほどかかる演目ですが、そのハイライトの部分がステージで披露されました。なお今回は8匹の蛇が登場しましたが、これはステージが広かったので出来たことで、狭い舞台では4匹ということもあるそうです。
ところでこの「大蛇(おろち)」ですが、この地方にある100を越える神楽団のほぼ全てが演目にしているそうで、それも驚きでした。
また蛇の胴は和紙と竹で出来ており、面(かぶり物)も和紙とのこと。凄いのは胴の部分に人は入っておらず、身体に巻き付けての演舞で、人の姿を極力見せないのも「技」としか言いようがありません。

11月14日の昼食会場となった石見公民館佐野分館。

前日「大蛇(おろち)」を披露されたのはこの地区の神楽団。間近に見られて深まる感動。

今回、ここに飾られていた幟(のぼり)。「奉寄進 鉄道紀念 昭和12年6月20日」とあり、工事が始まっていた今福線の何がしかの行事がここでこの日に行われたことは推察されるものの、それ以上のことは地元でも分からないとのことでした。もっともこの幟は未成線サミットのツアーに合わせて出したそうです。

地元で頂いたお土産。

地元で採れた野菜。心温まるおもてなし。

広い構内の浜田駅。山陰本線の途中駅ですが、この駅が支線を分岐する拠点駅になっていたらと思うとロマンがあります。廃線跡遺構にしろ未成線遺構にしろ、観光資源として活用され、そういた鉄道があったことが語り継がれれば有り難いことと思います。

鉄道趣味は多岐にわたっているのは恐らく多くの方の賛同を得られるでしょう。「廃線跡巡り」に「未成線巡り」を足し、そしてそれが一般の観光客を呼び込みツールになればと切に願っています。

2021年12月01日 16時36分

全国未成線サミットin浜田。広浜鉄道今福線の遺構(3)2本の橋。

新線の跡を道路として整備された区間を歩きます。

眼下には観光客の方に向けてのおもてなしの田んぼアート。今回のツアー参加者向けでは無く、「いつも」とのことでした。

ここは新線(左側、浜田駅から向かってくる)と旧線(右側、下府駅から向かってくる)の合流点。という説明を受けるとそのように見えるのは、鉄道が通るはずだった場所と分かるからでしょう。ただここから1つの線になるわけでは無く、

2つに分かれます。この写真では右方向に向かうのが広島駅方面に向かう旧線。真っ直ぐ橋を渡り、トンネルに繋がっているのが同じく広島駅方面に向かう新線です。

この場所が、今回ツアーで回った今福線遺構の最後の場所。第一下府川橋梁と4連アーチ橋。そして下長屋トンネルの案内看板があります。

旧線の4連アーチ橋。アーチ橋の数もここまで揃っているのを見れば、土木学会選奨土木遺産認定も納得です。

右側の第一下府川橋梁ですが、この場所からではその構造を見ることは出来ませんが、案内看板の写真から判断すれば形は私にとっては普通の橋。それにしても同じ昭和でも戦争を挟んで橋の造り方が大きく変わっているのを見ると、短い期間ながら技術の進歩を感じます。(技術的なことは良く分かりません。あくまでも素人の感想です)

ところでこの2本の橋が、何れも鉄道橋としての役割を一度も果たすこと無く、今もその姿を留めているのはある意味奇跡であり、そして悲しい。私の知る限り、日本で唯一の光景ではないであろうか?

さて4枚前の写真に見えているトンネルが下長屋トンネル。通常は中に入る事は出来ませんが、今回のツアーでは内部の見学が許されました。

トンネルの中には雰囲気の良いライトアップ。先にある明るいところで今回、このトンネルの説明を聞きました。

全長1633メートルの下長屋トンネル。その出口が見えましたが、天候の条件が揃えばこうして見られるものの、トンネル内の湿度が上がると曇って見えないのだそうです。ところでこのトンネルですが、その入口、出口でトンネルの形状が異なる極めて珍しい存在だそうです。(この写真では形状の違いが分からないのが残念です。)

ではその形状はそれぞれどうなっているのかであったり、そもそもそうなった理由については是非、現地でお確かめ下さい。ただ資料不足により、不明な点もあるそうなのでその点はご容赦下さい。

2021年11月30日 15時06分

全国未成線サミットin浜田。広浜鉄道今福線の遺構(2)土木学会選奨土木遺産。

里山の風景の一角に5連のアーチ橋が見えます。

未成線となった後、この5連アーチ橋は県道として使われています。この写真は、橋を通過後に振り向いて撮影したものです。まるでローマの世界遺産、水道橋が如くというと言い過ぎかも知れませんが、規模の大きさはともかく、その造形美は通じるものがあると勝手に思いました。

今福線(旧線)のアーチ橋は他にも幾つかあり、それらをまとめて土木学会選奨土木遺産に認定されています。

※土木学会選奨土木遺産とは…『土木遺産の顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的として、平成12年に認定制度を設立いたしました。
推薦および一般公募により、年間20件程度を選出しています。』(公益社団法人日本土木学会ウェブサイトから転載)

※今福線のコンクリートアーチ橋群…選出理由は以下の通り。

*未完成に終わった鉄道のコンクリートアーチ橋が一群として現存し、山間の景観に溶け込みながら、悲運な歴史を伝えている。

*竣工年:昭和12年着工、昭和15 年中止

今福線アーチ橋群のシンボル的な存在の4連アーチ橋。

なおこのアーチ橋群は、2015年に島根県のしまね景観賞奨励賞を受賞しています。ここでの注目は賞の中身。「奨励賞 まち・みどり活動部門 まぼろしの広浜鉄道「今福線」 浜田市宇津井自治会殿」とあること。

実はこの景観を保つために地元の自治会の皆さんが草刈りを始め様々な整備を行っておられ、それゆえ賞の対象は地元自治会。もっともそうした活動があるからこそ私たちがこうしてここを訪ねて回ることが出来、このエリアの景観を素晴らしいと思えるのです。

アーチ橋の上は歩くことが出来ます。

画面の左端に4連アーチ橋。そして右上の天空をゆくのは浜田自動車道。思わぬ場所で新旧の出会いはありました。

次に訪れたのは「おろち泣き橋」。そしてその案内看板に注目。ここに限らず今福線の名勝と言える場所にはこうした案内看板があり、QRコードを読み込みと音声で各ポイントの魅力を聞くことができるようになっています。

これが「おろち泣き橋」。この2つ目のアーチの場所にある立つとおそらく目の前の川の流れによるものでしょうか、不思議な音が響いて聞こえてきます。これは実際に立ってみなければ分からないのですが、この橋をおろち(大蛇)に見立て「今福線が開通しないことが決まった日から、おろちがひそかに泣き続けている」という地元の伝承があります。丁度この風景が見える場所。まあ科学的な分析はしないで、まずはここの音を楽しみましょう。

さてここまでで何となく未成線が観光の対象となりうることがお分かり頂けるようになったのではないでしょうか?

そこから今回の未成線サミットに繋がっていくのですが、ここ浜田市には沿線の自治会、まちづくり団体、大学、島根県技術士会など13団体が参加している「今福線を活かす連絡協議会」があります。その目的は、広浜鉄道『今福線』の遺構を活かして交流人口増加など地域の活性化をめざすとのことで、つまり観光誘致を行っている団体です。それにプラス遺構のある浜田市佐野、宇津井両地区の住民がガイドの会を結成し観光客らに魅力を伝えています。ガイドの会ではボランティアガイドの育成も行っており、今回の案内役もそうした方々でした。

2021年11月29日 12時06分

全国未成線サミットin浜田。広浜鉄道今福線の遺構(1)下府駅からスタート。

未成線とは?については昨日UPしましたが、ではそれで全国規模の「サミット」を開催するとはどういうことなのでしょう?

それを知る手がかりとして、今日は広浜鉄道今福線(未成線)の現在の状況について見てみましょう。

紹介する内容はサミット翌日、地元のボランティアガイドの方々に点在する鉄道遺構をご案内いただいたエクスカーション(体験型の見学会)『JR浜田駅発着 幻の鉄道遺産「広浜鉄道今福線」 遺構を巡るバスツアー』参加時のものです。

最初に訪れたのは山陰本線下府(しもこう)駅。

ここで今福線の簡単な歴史紹介。

(旧線)

*1933年(昭和8年)、下府駅を起点に岩見今福駅(現在の島根県浜田市金城町今福に作られる予定だった)まで着工。

*1940年(昭和15年)、戦争のため工事は中止。

(新線)

*1970年(昭和45年)、浜田市の起点を浜田駅に変更の上、浜田駅~岩見今福駅を着工。

*1980年(昭和55年)、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法により今福線工事中止。

つまり今福線は戦前(旧線)、戦後(新線)と2度も工事中止の憂き目にあっているのです。

下府駅はホーム2面2線の交換可能駅。この写真では浜田駅側を臨んでおり、右側が京都方面に向かう上り線で、手前が下り線です。

その下り線ホームの右側の草むらが戦前の今福線の線路が敷かれる予定だった場所、幻の3番線。解説を聞きながらの見学ですので分かりますが、知識なしでこのホームを見た場合に、ホームの端に違和感を感じることはきっとないでしょう。

余談ですが、下府駅は100周年。駅本屋は開業当時のものだそうで、待合室の木のベンチも100周年。思わずひと座り。戦前の今福線が無事開業し、その線が昭和50年頃まで残っていたとしたら、乗りつぶしをいていた私はこの椅子に腰掛けていたかもしれません。

下府駅発8:37の424D益田駅発出雲市駅行き。列車が来ればシャッターは押します。世が世ならば、浜田駅発広島駅(方面)行き普通列車となっていたのかも知れない。

今福第一トンネル。そして振り向けば…。

橋脚群。

私は廃線跡巡りもしており、それはかつての栄華の余韻に浸る一つのロマンです。一方、未成線でも特に着工されたにも関わらず日の目を見ることなく終焉を迎えてしまった建造物にはもののあわれを感じ、一種独特の「美」を感じてしまう私です。

この写真は今回のテーマとは無縁です。美しい風景だなと感じシャッター押した1枚。

2021年11月28日 22時00分

全国未成線サミットin浜田。

かつて広島県広島市と島根県浜田市を結ぶ路線、広浜鉄道の計画がありました。開通していれば広島~浜田間約89キロ、全区間の80%がトンネルのその路線をノンストップ特急が約55分で結ぶはずでした。

(参照:山陰中央新報社 ふるさとメール  [浜田市ふるさとメール] 2008/04/25  第153号 発行:浜田市総合調整室 ◇住民の熱い思いの結晶 ~二度にわたる広浜鉄道計画~(2)  浜田市教育委員会金城分室)

しかしその路線(島根県側の路線名は今福線)は着工はしたものの、1980年(昭和55年)に工事は中断され、その後工事は再開されることなく「未成線」として「幻の広浜鉄道」となりました。

※未成線とは…建設途中で工事が中断したり、完成したが列車が走ることがなかったりした鉄道路線のこと。

11月13日(土)の旅のスタートは広島駅新幹線口。

広島駅新幹線口にあって金色があまりにまぶしいその名も「朝」の像。朝日を浴びて輝いていました。

朝9時20分、広島駅新幹線口を出発した高速バスは水の都・広島の町を抜け、一路島根県浜田市を目指します。

未成線となった広島市と浜田市を結ぶ鉄道路線。その2つの町を今、高速バスが2時間20分で結んでいます。

窓外の風景は典型的な田園地帯ですが、このあとはほぼ山の中。

鉄道が走る予定だったルートとバスが走る浜田自動車道とどれほど離れているかまでは調べていませんが、中国山地を越える道(線路)を作ることの厳しさは容易に想像でき、「全区間の80%がトンネル」というのはそれはそうだろうと肌で感じることが出来ました。

浜田駅。

駅前のオブジェは石見神楽。毎正時になると仕掛けが動き、私もたまたまそのタイミングにここに居合わせ、思わず足を止めてしまいました。

ところで浜田の町に足を踏み入れたのは初めてのこと。大学時代、同じ下宿の住人にこの町の出身者がいたのを思い出しましたが、彼がこの町に戻ったかどうかも含め消息は分かりません。そんなことを思い出したのは年のせいなのか、それとも旅の感傷なのか?さあどうなのでしょう。

浜田駅に入線する452D快速アクアライナー/益田発米子行き。

1921年(大正10年)9月1日開業の浜田駅は今年100周年。

浜田駅から徒歩数分の「石央文化ホール」。

この日、この地で行われたのは「第3回全国未成線サミット」。たまたまネットのニュースで開催を知り、どんな会なのだろうと興味が湧き、足を運ぶことにしたものです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!