2021年10月20日 11時41分

鉄印帳の旅(26)秋田内陸縦貫鉄道の鉄印。

阿仁前田温泉駅近くで撮影。朝活というほど早い時間ではなく8時過ぎ。

阿仁前田温泉駅。温泉施設、宿泊施設も併設。たまたま温泉の設備が故障中だったのが残念でしたが、大浴場は気持ちよかったです。

駅前のオブジェ1。

駅前のオブジェ2。車両の顔も可愛い。

8:55発9D阿仁合駅行き。阿仁合駅には9:10到着。

朝の光が気持ちいい。

阿仁合駅到着。ここでは5分後(9:15)に出発の2001D急行もりよし1号角館駅行きに乗り継ぎます。

阿仁合駅で鉄印を手にする。「しあわせのえきへようこそ」。

こちらは角館駅で購入した1989年(平成元年) 4月1日からの全線開通30周年の入場券セット。

左下に「0円」の券あり。「+1」の謎解き。これを買ったときに(値段を見て)他の乗客の方から感嘆の声あり。

全線開業から感謝。いえいえっ、私の方からも秋田内陸縦貫鉄道の皆さんに感謝です。

2021年10月19日 11時08分

鉄印帳の旅(25)たった一人の鉄道旅。

東北の方言は本当に分からない。今はどこでも年齢を問わず誰とでも普通に会話できますが、半世紀近く前は、若い世代しか言葉が通じず、お年寄りの方との会話では、私と同世代の方が通訳していくれた経験があります。これ、決して話しを盛っていません。当時、私がからかわれていたということはないと信じていますが…。

座席のボックス毎にある小さなテーブル。そこには路線図あり。これは良いアイデアだと思う。

戸沢駅。17:34。夜の帳(とばり)が降りてきた。

既に乗客は私一人。戸沢駅までが秋田県仙北市(せんぼくし)で、次の阿仁マタギ駅からは秋田県北秋田市。「んっ?」と想い調べて納得。

国鉄阿仁合線の終点だった比立内駅。ここで交換の角館行きには乗客の姿あり。行政の区域も関係ありそうですね。

1978年にちゃんと来ていました。当時既に会社員。あの時代に休みをとってよくここまで来たものだと今更ながら驚く。

宿の部屋から撮影。阿仁前田温泉駅発20:57。車内に乗客の姿あり。最終列車は21:35発なので、地元の足としての需要はあるようです。

2021年10月18日 10時32分

鉄印帳の旅(24)秋田内陸縦貫鉄道角館駅。

宮古駅前から乗車した岩手県北バス。

本当に快適でした。

山田線と平行して走る区間もあります。

盛岡駅まであと少し。盛岡駅前には定刻の15:20着から2分ほどの遅れで到着、誤差の範囲ですね。

盛岡駅発15:35、こまち25号。目的地の角館駅到着は16:21。

開業100年の角館駅に到着。

こちらは100年ではなく、まだというかもうというか35年目の秋田内陸縦貫鉄道角館駅。

1986年(昭和61年)11月1日開業の秋田内陸縦貫鉄道。その時はまだ今のように1本の線路でなく秋田内陸南線(角館駅~松葉駅/旧国鉄角館線)と秋田内陸北線(鷹ノ巣駅~比立内駅/旧国鉄阿仁合線)とに分かれていました。その後、日本鉄道建設公団建設線(鷹角線)の建設が進み、秋田内陸線として全線94.2kmが開業したのは1989年(平成元年)4月1日のことでした。

「のってけれ内陸線!!」はいっ、これから乗ります。

折り返し角館発16:50の118Dとなります。下車するのはこの日の宿のある阿仁前田温泉駅。18:36の到着予定。

今のところ来年の2月28日まで限定の秋田内陸ワンデーパス。25%お得になっています。

2021年10月17日 9時42分

鉄印帳の旅(23)三陸鉄道宮古駅。

三陸鉄道の入場券。(自動券売機発行)

JRの入場券もあるのかな?と思いつつ未確認。ただ三陸鉄道の最短区間の運賃は170円でしたので、¥150はJR東日本の料金と思われます。宮古駅は現在、JR東日本と三陸鉄道の共同使用駅で、かつ管理は三陸鉄道なのでこうした入場券となっているのでしょう。

入場券を買ったのはこれが今もあるのかな?の確認のため。と、左側の貼紙「宮古駅は移転しました」に気付く。なるほど。

昨年からネコと暮らしており、こうしたネコちゃん達が気になって仕方がありません。

ところで旧北リアス線の列車では、今も「三陸鉄道」ホームから発着する列車があります。ここに来るまでてっきり全列車が「JR」のホーム発着になったと思い込んでいたのですがそうではありませんでした。

写真の36-R(レトロ)3は2014年6月1日に南リアス線で乗っていますが、今は全線で運用されているとのことです。

地元の方も観光客もどちらも使い勝手が良いと思った車内。観光客としてはこのシックな装いに心が落ち着きます。

こどもさん向けの模擬運転台あり。大きなお友だちが一人でここに座るのはかなりハードルが高いと思われますが、1区間で良いから座ってハンドルを握ってみたい。

クウェート国からのご支援に感謝します。

コロナ禍の中でのステッカーあり。

13:27発113D久慈行きは定刻で出発。ところで正面の陸橋ですが、以前そこから宮古駅を見下ろす写真を撮っています。

2014年5月31日の撮影。風景自体は今も変わっていないと思う。

クロジカ君に見送られ、いざ次の鉄印を求めてバス乗り場へ。13:45発の「106特急・急行バス」で向かうは盛岡駅。乗車時間は1時間35分。JRとは悲しくなるほど所要時間が異なります。

2021年10月16日 21時36分

鉄印帳の旅(22)三陸鉄道リアス線。

釜石駅10:58発の2011D宮古行き。この列車、(かつての南リアス線)盛発10:33の2207Dが列車番号を変えて直通するもので、以前はJRのホームであった4番線からの出発です。時刻表を見ると盛駅~釜石駅~宮古駅方面を直通しない(折り返し)列車でもここで接続する設定になっており、盛駅とを結ぶ釜石駅始終着の列車も含め全列車がこのホームを使っているのではないかと推察しています。

南リアス線時代のホームには36(さんりく)-700形式の車両が停車中ですが、車両番号は読めませんでした。

鵜住居駅で交換した5010D。恐ろしくインパクトの強い「イシツブテ」って何?と思って調べたらポケモンのキャラクターの一つらしい。 岩手県広聴広報課の資料にもあったので、ラッピングの通りの岩手県とのコラボ企画らしいけど、言えることは私の世代は知らなくても仕方がないということかな?

津波対策の巨大な堤防。

吉里吉里駅に反応するのは井上ひさし作の小説「吉里吉里人」を読んだ人。

沿線の絶景ポイントでは運転士さんのアナウンスが入ります。

もっとも東日本大震災以前と変わらぬ風景の場所はほぼ無さそうです。

岩手船越駅近くの鯨と海の科学館には、津波の到達した高さが分かるようになっていました。

この日、列車から見た海はただ穏やかで、2011年3月11日を想像することは出来ませんでした。

津軽石駅。この駅についてはJR時代と三陸鉄道への移管を見据えての改修工事を行った部分が混在している感じ。もっともあくまでも私の印象です。

移管した区間の全線を実際に乗ってみて感じたのは、ほぼ「新線」に近いと言える復旧だということ。聞いてはいたものの乗ってみて改めて実感。ただ乗客数がどれほどかが心配ではあります。

宮古駅到着直前閉伊川(へいがわ)に架かる第34閉伊川鉄橋。東日本大震災で流出した橋桁はご覧のように復旧しました。またここを渡る際は是非、一番前でお楽しみ下さい。鉄橋で羽を休めていたウミネコたちが逃げる逃げる。いつもかは不明ですが、クスッと笑える風景です。

宮古駅到着。かつてあった三陸鉄道の駅舎が「駅」としては使用されなくなっており、何とJRの駅舎であった宮古駅が共同使用となり、JRと三陸鉄道の窓口が隣り合っていた!

鉄印は3種類。背景が異なっており、一番右側が本来のもの。これを鉄印帳に貼りました。入場券についてはまた明日。

2021年10月15日 18時13分

鉄印帳の旅(21)釜石線。

10月8日の鉄印帳の旅は三陸鉄道の巻。宮古駅での発売なのでそこを目指すのですが、県庁所在地の盛岡市から宮古市に向かう鉄路での朝一番の最速ルートは盛岡駅~(東北本線~釜石線)~釜石駅~(三陸鉄道リアス線)~宮古駅。盛岡駅を5:56に出て宮古駅には10:25到着です。

一方盛岡駅~宮古駅間を最短距離で結ぶ鉄道である山田線の始発列車の出発時刻は15:59。お話しになりません。もっとも同区間には106特急・急行バスと言う路線バスが走っており、はっきり言えばJRを使う人はあまりいません。もともと自動車専用道がない一般道だけを走っていた時代を含め、所要時間でも国鉄~JRを凌駕していたという記憶あり。

バスが行き交う盛岡駅前を横目にJR東北本線のホームを目指します。

8:42発の3621D、快速はまゆり1号釜石行きがこの日の旅の始まり。釜石駅で乗り継ぐ三陸鉄道リアス線釜石駅~宮古駅間はJR東日本から移管された区間で、そこを乗ることは今回の旅の目的一つです。

人もまばらな自由席。3両の内1両は指定席なのですが、きっと今の状況での利用率は低いでしょうね。国鉄時代には急行列車があった盛岡駅~釜石駅間ですが、その当時でも指定席はなかったはず。(1972年3月)

察するにその指定席は新花巻駅で、新幹線からの乗換客の座席確保ではないかと思っています。余談ですがこの座席は進行方向とは逆向きです。花巻駅からスイッチバックで釜石線に入るためで、最初からそれに合わせた向きにセットされています。特急ひだの名古屋駅~岐阜駅間と同じです。

花巻駅には腕木式信号機のオブジェあり。SL銀河乗車の際の記念写真スポットかな?

これぞ日本の秋と言える風景。

はざ掛けをこれほど見かけるのは一体いつぶりだろう。この風景の中をゆくSL銀河を撮ってみたいと真剣に考えている。ここだけではなく、SL銀河の運転区間は魅力あふれる景色の連続。四季を通じ、ここでの撮影にはまる人がいるのは当然の帰結であると納得。

釜石線の名所中の名所、陸中大橋駅近くのΩ(おめが)ループ。眼下の線路をこれから走ります。紅葉の真っただ中にここを通ってみたい。

釜石駅には10:51着。ここから三陸鉄道の2011D宮古駅行き(ホーム右側に停車中)の出発時刻は10:58。改札を出て乗車券を買いなおさずそのまま乗車。実は「切符はどこで売っていますか?」とホームの駅員さん(多分)に聞いたら、車内清算でお願いしますと言われました。確かに8分の乗り継ぎだと実質5分もないことになりそうなので、現実的な対応かと思います。

2021年10月14日 15時39分

鉄印帳の旅(20)IGRいわて銀河鉄道の鉄印。

盛岡駅18:47発の3729Mに乗車。

第3セクターになってからの東北本線/IGRいわて銀河鉄道の区間は初乗車。と言っても今回は1区間のみ、青山駅までの乗車。通勤時間なので結構な混み具合。

そもそも東北本線に「青山駅」があるなんて鉄印の旅をしなければ恐らく一生知ることがなかったかもしれない。東北本線で盛岡駅を出発したら厨川だよなと思い調べてしまった。

まずここには信号所があり、それが複線化で廃止。

2002年、IGRいわて銀河鉄道開業。

2006年、青山駅開業。

2015年、本社が青山駅に移転。

だから鉄印の授与が青山駅になったんですね。

ところで「前九年口」とあります。日本の歴史で学んだ「前九年の役」と関係はありそうだと思いつつ何か観光スポットにでもなっているのかと思いきや、「盛岡市前九年」という地名があるのを知りました。地名の由来までは調べていませんが恐らく「前九年の役」と関係があるのは間違いないでしょう。

さて青山駅での鉄印の受付時間は19:00まで。18:51着の電車でギリギリセーフ。

今回悟ったのですが、第3セクターの駅の窓口は時間制限のあることが多く、とにかく鉄印収集の出来る時間を調べることが最重要ということ。乗りつぶしをしていたときのように早朝から深夜までただ乗ることは出来ないのです。(但しこれは私のルールであり、日中限定とか各駅停車限定とか様々なマイルールがあります)

もう一点書くならば、少なくとも日付を書いてもらう必要があり、発行には時に時間がかかることもあります。乗車券の購入をされる方だけではなく、自分の前に数人鉄印授与の方がいれば間違いなく数分はかかります。よって時間の余裕は大切で、終点の駅でそのまま折り返す場合はその時間を見込んでおくことをお勧めします。

鉄印のおまけにティシューペーパーがついてきました。街頭で配布されているティシューペーパーは実用品ですが、これは保存品になりました。

盛岡駅に戻る電車を待っていたら貨物列車が通過。EH500形金太郎のイラストあり。IGRいわて銀河鉄道から東北委本線となった瞬間。

2021年10月13日 15時23分

鉄印帳の旅(19)IGRいわて銀河鉄道。その前にお約束。

はやぶさ40号は盛岡駅18:10着で18:17発。この間にこまち40号と連結です。

18:14、無事繋がりました。

「柵から離れてご見学ください」とありますが、それは当然としても見学が私一人というのは私にとって初めての体験。

さてこれで盛岡駅新幹線ホームに別れを告げ、次の目的地に。

そうそう、この日泊った盛岡駅前のホテルのロビーにはこんなディスプレイあり。100円ショップのブロック。ある意味フル編成。

余談ですが、我が家の模型コーナー。

2021年10月12日 14時23分

鉄印帳の旅(18)道南いさりび鉄道に乗る。

函館発15:15、木古内行き128D。

キハ40 1798は旧国鉄急行色。キハ40形でも目を細めれば、キハ58系と呼ばれる中の北海道向けキハ56形・27形~キハ53形に何となく見えてくるからあら不思議。

1両では様にならないがこれで3~4連あれば十分、昭和の函館駅。

本場のDF200形。エンジン音をこんな近くで聞くのは久しぶり。やっぱり迫力あり。

函館山を見ながらノンビリとした旅を楽しんでいた頃。

茂辺地の駅で131D、キハ40 1796 濃赤色 /豊穣 と交換。道南いさりび鉄道では全ての車両が開業時の塗装からオリジナル色塗装に生まれ変わっており、その出会いはなかなか楽しい物があります。数年かけてこの塗装変更を行ってきたようですが、6年ぶりとはいえ鉄印がなければ恐らく乗ることのなかった道南いさりび鉄道。これらの車両が私を新鮮な気分にさせてくれたのは間違いありません。

どうでも良いことですが、この乗り心地の悪そうな昔ながらの座席は私にとってはゆりかご。この直角シートがあるから今回もこうして乗っているのですが、外の塗装は変わってもここは変えないで欲しいと思うのは私だけ?

2016年頃はこうした色でした。何となくしっくり来る感じ。

列車は木古内駅を目指し、快調に走ります。この時までは…。

16:09発のはずの泉沢駅。停まったまま。交換の貨物列車が遅れているとのこと。

長距離を走る貨物列車が遅れること自体はそれほど驚きはしないのですが、この後、木古内駅で北海道新幹線への乗継ぎが待っており、その時間は14分。5~6分の遅れは織り込み済みだったものの10分を越えるとなると少々厳しい。何せ相手は絶対に接続待ちをしないでしょうから。

9分遅れ。

木古内駅に7分遅れの16:26到着。何とかなりそう。

北海道新幹線は木古内発16:33のはやぶさ40号。

駅の通路を足早に駆け抜ける。

ホームに上がると同時に電車の到着。コレに乗り遅れたとしても2時間20分後には次の電車が来るので…とか書けるのは予定の列車に間に合ったから。

いよいよここから爺パングの旅の始まり。はやぶさでの目的地は盛岡。18:10の到着です。

2021年10月11日 11時55分

鉄印帳の旅(17)摩周丸に乗船。

函館本線0マイル地点紀念碑を横目に歩いている。

目指すは函館市青函連絡船記念館摩周丸。

『1988(昭和63)年3月13日の青函連絡船最後の日まで運航していた摩周丸を実際の乗り場であった旧函館第二岸壁に係留・保存して公開しています。』と摩周丸の公式サイトにありました。この日、函館駅から道南いさりび鉄道木古内行きに乗るのは15:15。摩周丸は1時間少々あれば見学できると思い乗船することにしたのです。

青函連絡船。学生時代の私にとって北海道は「津軽海峡冬景色」を口ずさみながら船で渡る地。ただ就職してからは飛行機で渡道しており、青函連絡船を使うことはありませんでした。

私にとっての青函連絡船歴。

1974年(昭和49年)2月8日に大雪丸、同年2月24日に羊蹄丸。

1977年(昭和52年)2月10日に十和田丸、同年2月25日に松前丸。

計4回の乗船で同じ船に乗ったことがないのはある意味奇跡かも知れませんが、今思えば摩周丸に乗船していればこの日の見学も違った気分になったのかも。

座席は一部が残されていますが、ここには座っていないはず。

私にとっての青函連絡船はこの桟敷席。上の乗船日をご覧頂ければ分かりますが、何せ真冬の季節。日中の便でも外は吹雪で景色はなく、それでもダッシュで窓際の席(席ではなく場所ですね)を取りに走り、そこにへばりついてただただ時間の通り過ぎるのを待っていました。

とか感傷に浸ろうかと思っていたら、修学旅行生の一団に想いを一蹴されました。でも修学旅行に来られて良かったね。

昭和の時代には入れなかった操舵室。しばし船長気分。

コンパス甲板に上ってみた。10月とは思えない暖かさ。

出入りする船を見ていて気付いた。ほぼ正面に縦に短い白い線が1本ある。

末広町電停からほど近い「八幡坂」に間違いない。と確信。

ということで市電の撮影に成功。

念のため写っていますよ!と証拠のためのトリミング。

こちらは函館駅の近く。電車の時間は函館市電のウェブサイトに出ていますのでそれが参考になります。

2016年6月11日に八幡坂から撮影した写真。これを事前に見ていれば摩周丸からこの坂が見えると分かったのでしょうが…。

参考までに道路ですので、電車の前を通る車は避けられません。またファインダーを覗きっぱなし、カメラを構えっぱなしでその瞬間を待ち続けることは、私の年齢では厳しいことを悟りました。それゆえ「いつ通過していったのだろう」は数度あり。

最初はどこか手近なところで市電を撮ろうと思っていたのですが、この機会を逃せば摩周丸に来ることは無かろうとばかりにやってきました。結論から言えば来て良かったの一言です。

ついでの函館駅前チョイ撮り。記録写真。

画面構成の勉強中。せめてもう少し空を入れ、左に余裕を持たせた方が良かったと思った一枚。これにて函館市電の撮影終了。



ADVERTISEMENT

カレンダー

2022年1月
« 12月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!