2021年08月21日 22時36分
軽井沢駅発妙高高原駅行きの電車。豊野駅着は18:28。115系。言わずもがなの国鉄電車。
私が乗るのは18:31の上田駅行きのSR1系一般編成。新旧の顔合わせ。
SR1系一般編成は今年のデビュー。出来たてほやほや。ちょっと嬉しい。
車窓にはチンダル現象。光の通路はただ美しい。
軽井沢駅発妙高高原駅行きの電車。豊野駅着は18:28。115系。言わずもがなの国鉄電車。
私が乗るのは18:31の上田駅行きのSR1系一般編成。新旧の顔合わせ。
SR1系一般編成は今年のデビュー。出来たてほやほや。ちょっと嬉しい。
車窓にはチンダル現象。光の通路はただ美しい。
16:44。上越妙高駅で雪月花とお別れ。
17:14発のはくたか570号に乗車。長野駅着17:33までの19分のあっという間の旅。
乗客がいるのは分かるのですが、県庁所在地ではないものの思ったよりも下車客がおり、と言ってもどどどっ!ていうことはありませんが、東京方面への片輸送ではないことを知りました。
手書きの乗車券は手許に残せないと言うことで長野駅でお別れ。
ここからはしなの鉄道の鉄印を求めて豊野駅に移動。ただ長野駅からしなの鉄道/豊野駅まで乗車するのは18:03発JR飯山線直通戸狩野沢温泉行き。
乗車区間はしなの鉄道なのに乗る列車はJRで何か不思議な感じ。
豊野駅には定時の18:17から少し遅れて到着。
無事頂くことが出来ました。右下のリンゴが可愛い。
二本木駅を15:38に出発。
すぐにデザートの登場。
終点の妙高高原駅を前に徐行運転。眼下は関川の流れ。U字というか逆Ω(オメガ)というか、珍しい眺めですね。
15:58、妙高高原駅到着。お隣にはしなの鉄道のSR1系、16:46発の快速「軽井沢リゾート4号」。
行先の「軽井沢」の文字を見ると、ただそれだけで信州の旅を満喫している気になります。ところで快速だと思ったら方向幕は特別快速なのですね。
妙高高原駅。初めての下車。
駅のホームで見かけた何かのメーター。
mb=ミリバール=ヘクトパスカルで、どうやら気圧計。しかし955 であればそれは台風!
HYGROMETERを調べたら「湿度計」と出てきました。妙高戸隠連山国立公園の入り口の駅として何某か(なにがしか)の必要性があったのでしょう。
1896年(明治29年)6月19日号の時事新報。
その中に、愛知馬車鉄道の広告あり。
もともと名古屋市内初の公共交通は、「馬」が車両を牽く鉄道での開業を目指しており、会社の名前も愛知馬車鉄道でした。
しかし明治29年、この広告にあるように馬車鉄道ではなく、電車が走る電気鉄道での開業を目指すこととし、1898年(明治31年)に(名前を変えた)名古屋電気鉄道によって笹島~県庁前(今の栄付近)が開通しました。
その後今を去ること99年前の1922年(大正11年)8月1日、名古屋電気鉄道の名古屋市内の軌道事業を名古屋市が買収。運営を行ったのは名古屋市電気局(後の名古屋市交通局)。名古屋市営の公共交通の歴史はこうして「市電」から始まりました。
なおこの画像はその年に名古屋市が発行した「電鉄市営記念絵葉書」の1枚をトリミングしたものです。
同じ絵葉書から、こちらは市電の路線図。今もこの路線があれば、どの辺りに走っていたかが一目瞭然なのですが、残念ながらそうはなりません。ただ当時の名古屋市営の交通網を少しでも感じて頂ければと思います。
と、何とも前置きが長くなりましたが、つまり来年は名古屋の市営交通100周年の記念すべき節目の年。
そこで今、地下鉄東山線名古屋駅の藤が丘駅方面行きのホームにある広告スペース、ビッグウォール(壁面広告と柱巻き)を使い、市営交通100年のPRがされています。
とはいうものの目立つのは名古屋グランパスの「鯱の大祭典」。実は今回のPRの主役はこちらで、市営交通100年も一緒に盛り上げようと、コラボしているそうです。
ところで今回、この話を詳しく書いている理由ですが、私が会員となっているNPO法人名古屋レール・アーカイブス(NRA)所蔵の写真が一部使われていること。
名古屋市が所蔵している写真に付随して、NRA所蔵写真が役に立っていることは、アーカイブズの役割を果たすことが出来、有難いことと感謝しています。
どの写真が名古屋市所蔵であるとかNRA所蔵という事ではなく、全体で名古屋の市営交通の歴史の一端を感じて頂ければ幸いです。
雪月花は直江津駅で折り返し、妙高高原駅に向かいます。
※直江津駅着14:49,発は14:57。
13:59から始まった少し遅めの昼食。
直江津駅に到着する頃にはこの3段のお重は全て私の体の中。美味しかった。
二本木駅。15:26着、15:38発。それにしてもえちごトキめき鉄道って、面白い形態の駅が2つもある珍しい(楽しい)鉄道会社。そしてその2つに雪月花はきっちり停車。
この駅に何があるかって言えばスイッチバック。
雪月花の場合、まずはこの写真の一番奥、2本ある線路の内、左にカーブしている線(引上線)にまず入ります。
車内から撮影。この時点で引上線に停車中。左側の坂を上る線が本線で、この駅を通過する列車は、引上線に入らずポイントを渡っていきます。
この列車は二本木駅発15:27の2357M直江津駅行き。手前に向かってくるのでは無く、先ほど雪月花が入った引上線に向かっています。
そこから丁度車体の影になっていて分かりにくいのですが、折り返し左に向かう本線を下って行くことになります。
スイッチバックの駅での撮影はこれくらいにしておきます。改めて駅のホームは眺めれば昭和の香り。
ところでこの駅の施設の多くは登録有形文化財となっています。(この写真はランプ小屋)
(1)二本木駅駅舎 (明治 43 年築) 冬の採光を目的とした高窓が残る、鉄道草創期における雪国の木造駅舎です。
(2)二本木駅ホーム上屋 (昭和 12 年築) 大正後期の米国製古レールと昭和前期の国産古レールを柱に使用した上屋です。
(3)二本木駅ホーム待合所 (昭和 10 年築) 壁の赤色塗と柱や梁の白色塗が特徴的な、築 80 年以上の待合所です。
(4)二本木駅地下道及び上屋 (昭和 16 年及び 17 年築) この付近の鉄道施設では唯一の、戦前製コンクリート造地下道とその上屋です。
(5)二本木駅倉庫 (明治 43 年築) 開業期から残る木造の倉庫で、小屋組はトラス構造と、西洋技術を活用しています。
(6)二本木駅ランプ小屋 (明治 43 年築) 開業期から残る赤レンガ造の建物で、かつては車内灯燃料油を保管していました。
(7)二本木駅スイッチバック線雪囲い(大正 11 年築) 線路を雪から守るために造られた、明治末期の国産古レールを柱に使った雪囲いです。 全長 112 メートルの長大な建造物で、豪雪地帯の駅の独特な景観を形成しています。
2019 年3月 19 日のえちごトキめき鉄道のプレスリリースのほぼ転載ですが、二本木駅に行かれるなら少しで良いので気に留めて頂ければと思います。
ところで今回アップした写真に上記7つのうち、一体いくつ写っているのでしょうか?
筒石駅着14:18、発は14:27。知る人ぞ知る全長11,353 メートルの頸城トンネル内の駅。
この駅は上り、下りでホームの位置が異なります。雪月花が停まっている下りホームは糸魚川寄り。右奥に見えるのが上りホームで、直江津寄りとなります。トンネルの途中で断面がずれるという極めて珍しいトンネルかと思われます。
ホームから出て駅舎に向かう通路。下りホームからは290段、176メートルあるとのこと。外の空気を吸いに、遠い道のりを行くことは9分では出来ません。
ホームと通路を仕切る扉。列車通過時の風圧対策で、通常は閉ざされ、停車する列車到着時に開けるそうです。
多分、連絡用の電話ボックス。2015年(平成27年)3月14日にえちごトキめき鉄道に転換されているのですが、ここは今もJRです。
短い停車時間の間にどれだけ写真を撮っている!だってここは筒石駅。身体が敏感に反応している。これはきっと鉄道ファンあるある。
食事が美味しい観光列車として知られているえちごトキめき鉄道の「えちごトキめきリゾート 雪月花」。以前から一度乗りたいと思っており、今回それが実現しました。
出発(たびだち)は糸魚川駅13:59。午後便で和食を賞味します。
料理が並ぶ前のしつらえ。ここにあるコースターと箸置きはお土産として持ち帰ることが出来ます。
料理は三段のお重で提供されます。
一の重(上段)。料理の説明をしようかと思ったのですが、公式サイトにも出ていますので、野暮なことは止めておきましょう。
二の重(中段)。
料理の写真はここまでにしますので、三の重(下段)は是非、実物でご堪能下さい。。
さて雪月花の料理の感想です。三段のお重、味噌汁、デザートまでのフルコースを頂き、この列車は「美食列車」であると認識しました。料金設定は気軽にいつでも乗れるとは決して言えませんが、列車そのものと風景を含め、価値ある料金設定であると感じました。
糸魚川ジオステーション ジオパルには他にも何かと鉄道展示あり。
SLくろひめ号。1982年(昭和57年)まで実際にここ糸魚川市内で仕事をしていた蒸気機関車。
運転台。何だか私でも運転出来そうなシンプルさ。まあそうは簡単にいかないことは承知しています。
昨日紹介したキハ52が普段入っている線路の右側にはどこかで見たような車両。
寝台特急トワイライトエクスプレスを再現した車両。昨年8月の糸魚川市での公開に先立ち、2019年12月3日から東京/六本木ヒルズヒルズ森タワー内で開催された「特別展 天空ノ鉄道物語」で展示されたのは記憶に新しい所です。
話しはガラッと変わりますが、私はかつて夜行列車が好きではありませんでした。ベッドは狭く、上段にしても下段にしても快適とは言えず、結果熟睡出来ないしとかそんなイメージでした、ところがトワイライトエクスプレスの最終運転日の直前、たまたまご縁を頂き、南千歳から大阪まで乗車しました。
車内には独特の上品さが漂い、食堂車の食事も上級。そして何より列車のスタッフの対応が素晴らしく、それに感動し、それからは夜行列車に乗るのが楽しくなり、結局「はまなす」も廃止直前に乗ってしまいました。そんな私の夜行列車観(人生観)を変えてくれたトワイライトエクスプレス。
再現とは言え思い出が次々と蘇り、楽しい一時を過ごすことが出来ました。
もう一つここの楽しみ。それは「ジオラマ鉄道模型ステーション」。
ということでジオパルの鉄道を楽しむにはやはり1時間はかかると覚悟して下さい。
新潟県糸魚川市。知らない人は絶対に読めない地名。でも鉄道を愛する人にはきっと簡単に読める町。糸魚川駅から西側(富山方面)が交流電化区間。東側(直江津方面)が直流電化で、機関車全盛時代には糸魚川駅には機関区があり、ここで機関車の交換が行われていたことから私たちには重要な存在でした。
糸魚川駅のアルプス口(南口)。参考までに元々の駅舎があるのは日本海口(北口)。日本海口の写真も撮ってはいるのですが、今回は割愛します。
駅前の気動車はキハ52 156。大糸線の非電化区間(糸魚川~南小谷間)で活躍し、2010年(平成22年)に引退。
今は糸魚川駅に併設の施設「糸魚川ジオステーション ジオパル」で“待合室”として利用されています。いつもは屋内でその役目を果たしていますが、この日は特別に屋外に引き出されていました。
※「糸魚川ジオステーション ジオパル」の施設概要は、お手数ですが検索⇒糸魚川ジオステーション ジオパルでお調べ下さい。
キハ20系は結構乗っているもののキハ52形はそれほど多くの回数、乗っていません。(但し、私の記憶)
それでも乗ってはいますし、今は到底訪れることの出来ないミャンマーまで追っかけもしました。
参考までに2016年11月28日、サトワ駅での1枚。ここは首都ネーピードーの西にある町。
話しは日本に戻ります。昭和のボックスシートってこんなに狭かったっけと今更ながら思う。
でもいやではない。こうした席で揺られていたから私は今、このブログを書いています。
どうやってこの重い車両を動かすのか?という問いへの答え合わせ。
12;20に糸魚川駅に到着し、次の予定の集合時間まで1時間少々。どうしようかと思ったもののこの駅でゆっくり出来るスケジュールにして本当に良かった。
2015年(平成27年)に始まった岐阜県恵那市山岡町の田んぼアート。
今年も明智光秀。恵那市役所のホームページによりますと今年のテーマは「コロナからの再出発」。『明智光秀をモチーフにした武将が「それぞれの希望に向けての再スタート」を応援しています。』とのことです。
因みに昨年のテーマは、、『大河ドラマ「麒麟がくる」の放送に合わせて、明智光秀をモチーフにした武将が新型コロナウイルスを切り裂き「コロナに負けない」「コロナに打ち勝つ」こと』でした。
ところでここの田んぼアート(恵那市での正式名は「田んぼdeアート」)の特徴は明知鉄道山岡駅の南側にあるイワクラ公園内の展望台から見るとアートとして認識出来ること。
※明知鉄道の列車内からは、色が異なる苗が並んでいるだけで、明智光秀の絵には見えにくいと思われます。
そしてここでの撮影のポイントは明知鉄道とのコラボレーション。撮り鉄さんだけでは無く、写真撮影を趣味にされている方、はたまた田んぼアートを見物に来た方も、かなりの確率で田んぼアートwith明知鉄道(もしくは明知鉄道with田んぼアート)を撮影されています。
※写真は急行7010D明智駅発恵那駅行き 山岡駅発は11:41。
山岡駅発12:00の9D。これで撮影終了。
先の急行7010Dの明智光秀ラッピングがもし手前だったら…。ひょっとしたら急行7009Dまでここで待機したかもです。