2021年07月22日 8時56分

コロナ禍の中で。東海道・山陽新幹線の時刻表。

新幹線の駅窓口などで配布されていた東海道・山陽新幹線時刻表。

エクスプレス予約の時代になってからでもズーッと重宝していました。ただ使える期間が終わると処分しており、この写真はNPO法人名古屋レール・アーカイブスの所蔵品。

その時刻表がコロナ禍の中で配布中止されているのを知ったのはつい最近。

便利だったよねという声は私のみならず私の周りの知人の間でも出ました。

名古屋鉄道の各駅にあったポケット時刻表も廃止されていますが、デジタル(スマホ)時代にあってもアナログの方が使い勝手が良い場合もあるというのが私の持論。

それでもデジタル時代だからこそ出来た、喫緊の課題である経費削減と思っています。

2021年07月21日 16時16分

名鉄急行電車の特別車両券。

名古屋鉄道では今年の3月15日から、特急車両を使用する急行列車2本の特別車が乗れるようになりました。

名鉄の公式HPでも3月5日付けで「一部の急行列車における特別車両券の発売について」というタイトルで出ており、そうなったんだとは知っていました。が、タイトルだけ見て中身を読んでいませんでした。

これは金山駅に掲載されていたその案内。新鵜沼駅6時00分発・6時16分発の急行2本が対象で、それぞれが豊川稲荷行き、河和行きであることを知りましたが、名古屋からそれぞれへの利用客のイメージがつかめないのは多分、私がその時間の電車に乗らないからでしょう。

それはそれとして豊川稲荷行きは新安城で特急豊橋行きに追い越されるので、この駅では特急車両の2本並びが日常的に見られる訳です。これは少し興味あり。

またこの掲示にある「急行列車」の文字。本来は「列車」であって「電車」ではないのですが、私自身、電化区間を走る列車はほぼ「電車」と言っており、こんな所で本来の用語を確認してしまいました。もっともこの「列車」があったからこの写真を撮ったのですが…。

2021年07月20日 21時12分

名古屋鉄道株式会社の御乗車記念(の絵はがき)。天竜下りの謎が解けた。

岡崎市在住の地方史研究家/Fさんから再度の助け船。

2021年07月17日、18日に更新した記事で書いた「天竜下り」の謎が解けました。

三信鉄道電車の時刻表、の表面の右上。

佐久間駅のスタンプ。そこには天龍下りの図案あり。しかもスタンプのベースには一般的に知られている「天竜峡駅近くからの天龍下り」ともう一つ、「佐久間駅近くからの天龍下り」が描かれています。

私は17日に『もっとも長野県飯田市の「天竜川下り」ではなく、今の「中部天竜」駅の近くでそれがあったのかも知れません。』と書いていたのですが、図らずもそれが正解だったようです。私にとっても驚きでしたがそれ以上に、「自分の中の常識を疑え」という原稿を書く上での原理原則に立ち戻るきっかけにもなりました。

肝心の時刻表。スタンプの日付である昭和9年(1934年)11月11日時点で、ご覧の通り吉田(豊橋)~佐久間間(豊川鉄道~鳳来寺鉄道~三信鉄道を直通運転)が開通しています。吉田~佐久間(現在の中部天竜)間の所要時間は1時間58分で今の飯田線のダイヤとほぼ同じです。

ところでもう一度時刻表の表紙に戻ります。実はこのスタンプの日付は三信三輪駅から佐久間駅まで延伸開業した日。

Fさんは偶然、このスタンプの押された時刻表を手に入れたそうなのですが、日付を調べて驚いたそうです。

『スタンプの日付(9.11.11)は、三信三輪(現・東栄)-佐久間(現・中部天竜)間が開通した日であることが分かった。これは、開業日を記念して三駅を回って押印した当時の鉄道ファン?の手によるものだと思うと、貴重なものである。』とされており、私も確かにそう思います。何せ昭和9年のこと。列車本数もさほど多くない時代であっただけに、簡単に出掛けて手に入れたとは思えない「偉業」だとも言えそうです。ただそうした方のおかげで私の疑問が解けたわけで、Fさんだけではなく、先人にもただただ感謝しています。

2021年07月19日 16時01分

JR北海道 駅名標キャラメル。

名古屋市郊外のショッピングモールの北海道物産を扱うお店で発見。

JR北海道 駅名標キャラメル。(1パック5箱入りで3パック購入)

北海道で、私は見たことが無かった駅名標キャラメル。それでも知っている人はいるわけで、今回は知人に教えられて買いに行きました。

旭川、南比布、抜海、南永山、輪西、新富士、小沢、安平、上芦別、大中山、尾白内、茶内、苫小牧、川端、桑園の計15駅。

買うときに油断していると同じ駅名を買いかねません。ただ商品の棚を漁るのが憚られたので、目に付いたところでこの3組を選択。こんなことで緊張してどうする私!

美味しく頂きつつ目をつむれば「北海道」気分。

なお余談ですが、南比布のように既に今年廃止された駅が含まれています。製造時期によるものでしょう。

2021年07月18日 15時32分

名古屋鉄道株式会社の御乗車記念(の絵はがき)。小倉公園の謎。

昨日の続きです。

7月10日の記事で「小倉公園については、常滑市に小倉の地名を見つけたもののそこから先、不明。絵はがきになる位だからそれなりだっとは思うものの…。」とした小倉公園の謎が解けました。

1961年頃発行の名鉄電車沿線案内。

その中の美濃町線沿線をトリミング。そしてそこに小倉公園と長良峡があります。

「こくらこうえん」ではなく「おぐらこうえん」。場所は岐阜県美濃市。

絵はがきでは知多半島の名所の中にこの小倉公園があったので、知多半島を探していたのですが、よもやの岐阜県でした。そして写真の遠景の水辺は伊勢湾ではなく長良川。常滑市の「小倉」には高台を発見できなかったのですが、美濃市の小倉は航空写真で高台であることを確認。

また苦戦していたもう一つの「長良川下り」も見つけることが出来ました。

そしてもう一点、名古屋鉄道の絵はがきにもあった天竜下り。飯田線の全通を見込んだ紹介だと思っていましたが、名古屋~飯田間を結ぶ急行バスが1938年(昭和13年)に開業しており、その布石もあったのかも知れないと今、思い始めています。

但し、証拠となる資料が見つけられずあくまでも私見です。

Fさんに多謝。

2021年07月17日 14時35分

名古屋鉄道株式会社の御乗車記念(の絵はがき)。番外編。

この7月8日~10日で紹介した名古屋鉄道御乗車記念(の絵はがき)。

この件で昨日紹介させて頂いた岡崎市在住の地方史研究家/Fさんからアドバイスを頂きました。

名古屋鉄道の前身の一つである愛知電鉄の「御乗車記念絵葉書」。

絵はがきにあるのは聚楽園大仏、三河三弘法、熱田神宮、豊川稲荷、時志観音、鳳来寺、南知多、鳴海球場、新舞子海岸、岡崎公園、新箱根ドライブウェー、天竜下り。

愛知電鉄が名古屋鉄道となったのは1935年(昭和10年)。よってこの絵葉書はそれ以前の発行。ただ、豊橋駅は1943年(昭和18年)まで吉田駅を名乗っており、この絵はがきでは正式な駅名より一般市民の分かり易さを優先させたものと思われます。

河和線(当時は知多鉄道)の成岩~河和口間が開業したのは1932年(昭和7年)なので、この絵葉書はそれ以降の発行。

ただ要注意は、愛知電鉄が名古屋鉄道となったのは先に書いたとおりで昭和10年ですが、知多鉄道が名古屋鉄道に吸収されたのは1943年(昭和18年)の事です。

それはともかくここでの考察は、

1)一枚の絵はがきにいくつもの観光地が紹介されていること。

これは7月10日に紹介した絵はがきの再掲ですが、これまで私が見てきた絵はがきは1枚1箇所が一般的で、複数箇所の紹介があっても精々2~3箇所です。ということから名古屋鉄道の絵はがきは愛知電鉄の絵はがきのスタイルを踏襲したものと推察されます。

2)絵はがきに選ばれた場所は必ずしも同一エリアではない。

この写真は天竜下りですが、当時まだ飯田線は全通していません。大嵐駅 – 小和田駅間 (3.1 km) が延伸開業して現在の飯田線が全通したのは1937年(昭和12年)のことで、この絵はがきが発行されたと思われる昭和9年頃ではまだつぎはぎ状態で、豊橋からの観光には適していません。もっとも長野県飯田市の「天竜川下り」ではなく、今の「中部天竜」駅の近くでそれがあったのかも知れません。

また合わせて愛電沿線図に、「佐久間」の先に「中部」があることについても今は調べ切れていませんのでここまでとします。ところで何が言いたいかなのですが、どうやら愛電でも名鉄でも、1枚の絵はがきに紹介されているのが同一エリアで無い可能性があると言うことです。

2021年07月16日 11時09分

7月13日の記事「名古屋市電気局の回数券の続きと東京市電気局の回数券。」補足。

7月13日の投稿の補足。2011年05月13日の記事で使用した写真。

「市電にはご覧の乗換券なるものがあり、電車が交差するところでは乗換が出来たことが読み取れます。」と書いたところ、岡崎市在住の地方史研究家/Fさんから、この乗車券では市電と市電の乗換となっていますが、戦前には市電と市バスとの乗換もあったとご教示頂きました。発行時期として最初の写真よりも少しあとのおそらく昭和10年~11年頃発行と思われる乗車券。

バス路線が赤い線となっている方が分かり易そうなので一枚だけを再掲。更にトリミング。赤文字の部分に「バス乗継」の文字があり、要するにここに鋏を入れないと乗換は出来ないと言うこと。

現在の名古屋市交通局では、マナカの利用でバスと地下鉄、バスとバスなどを乗り継ぐと大人で80円の割引となる乗継割引制度がありますが、それと同様の制度だったのかも知れません。

参考までに1936年(昭和11年)8月5 日発行の「最新改訂版名古屋地図」(丸新舎)にあった市電と市バスの路線図。こちらはまあ雰囲気ということで。

トリミング。「バス乗継」の乗車券とほぼ同時代の路線図のはずですが、全てのバス路線との乗継が出来たわけではなさそうです。

(余談)

一番上の市電の券面では「乗換」とあるのが、市電と市バスの券面では「乗継」とあります。どうやら当時、「乗換」と「乗継」では意味合いが異なっていたのかも知れません。

2021年07月15日 22時31分

続 高雄、台北、新京の市内交通の回数券。

新京交通の回数乗車券。右側にある「御注意」の内容に特段、私の回数券に対する知識と差はありません。

さて高雄共栄自動車の回数券の「御注意」。

「此ノ表紙ハ最後ノ一片ト共ニ御返シ下サイ」とあり、要は使用後は表紙もお返し下さいとのことですが、こうして表紙が私の手元にやってきましたので、ルールはルールとしてあるものの現場では柔軟な対応をしていたのでしょう。

台湾総督府交通局の「注意」。

「此の乗車券は記名人の外其同行者四名以内に限り使うことが出来ます」「同行者が一二年未満の小児ならば券片一枚で二人乗ることが出来ます」。

比較するのも如何と言われそうですが、東海道新幹線の回数券では

●「回数券6枚と表紙券1枚のセットのきっぷで、回数券1枚ずつ使用できます。」

●「回数券1枚でこども2人の利用はできません。」

とあり、私の「回数券」のイメージはこのパターンです。

つまり使用者(購入者)の名前の入った表紙がないと回数券を使用することが出来ないというのは、私の知識の外となります。定期券に近い運用だったのでしょうか?

また回数券1枚で子供2人が乗れるというのは興味深い規則で、同行の子供二人ということが当時の家族事情を反映しているのかなと思った次第。

2021年07月14日 23時16分

高雄、台北、新京の市内交通の回数券。

左側から高雄共栄自動車(台湾)、台湾総督府交通局(台湾)、新京交通(満州)の回数券(の表紙)。

高雄と新京はバスで、台湾総督府は鉄道です。

それぞれの現在の所在地。

1)高雄…台湾/高雄市

2)台湾総督府交通局の画像にある新北投、台北…現在ではそれぞれ台北MRT(MRT=Mass Rapid Transit)台北捷運/淡水信義線/台北駅と台北捷運/新北投支線/新北投駅となっています。この区間はざっくり言えば、日本統治下の時代は「国鉄」だったのが地下鉄として再整備されたと思ってください。

3)新京…旧満州国の首都。現在の中華人民共和国吉林省長春市。

それぞれの裏面。何が書いてあるかはともかく、台湾の回数券の表記は日本語のみ。一方、新京は日本語+中国語となっており、昭和14年頃の日本との関わりの違い、台湾は日本領であり満州は独立した国であったことによると推察していますが、そこから先は私の手には負えません。

2021年07月13日 15時29分

名古屋市電気局の回数券の続きと東京市電気局の回数券。

名古屋市電気局の回数券の続き。

バスに記載されていて、市電の回数券には書いていないこと。それは「自動車は乗換が出来ませぬ…」ということ。

一方、市電の乗換。このブログでは、2011年05月13日に名古屋市電の乗換券について触れています。

市電にはご覧の乗換券なるものがあり、電車が交差するところでは乗換が出来たことが読み取れます。

またよくよく見てみれば乗換は3回まで出来たようで、今なら名古屋の地下鉄の場合、改札を出なければ何度でも乗換が出来るので、公共交通の在り方として不思議ではないものの、私が知る名古屋市電にこうした乗換制度はありませんでした。しかしバスではそもそも、乗換制度は戦前から無かったことが読み取れます。

東京市電気局の電車回数乗車券。東京市が東京都になったのは1943年(昭和18年)なので、それ以前の発行です。

同じ会社の同じ製品の広告ですが、何故かデザインが異なっているのは謎です。

その注意書きにあった「電車からバスへ」。運賃が加算されますが、八銭払えば乗換が出来たことが分かります。

では市電と市電の乗換はどうかと言えば、結論から言えばOKだったのですが、私の手元には資料が無く、これ以上は書けません。いずれにしても今回寄贈された名古屋市、東京市の回数券は表紙はあるものの中身は無く、となればどんな切符だったのだろうと興味津々ではあります。もっともそれが贅沢な要望であることは承知しています。



ADVERTISEMENT

カレンダー

2022年1月
« 12月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!