2021年11月28日 22時00分

全国未成線サミットin浜田。

かつて広島県広島市と島根県浜田市を結ぶ路線、広浜鉄道の計画がありました。開通していれば広島~浜田間約89キロ、全区間の80%がトンネルのその路線をノンストップ特急が約55分で結ぶはずでした。

(参照:山陰中央新報社 ふるさとメール  [浜田市ふるさとメール] 2008/04/25  第153号 発行:浜田市総合調整室 ◇住民の熱い思いの結晶 ~二度にわたる広浜鉄道計画~(2)  浜田市教育委員会金城分室)

しかしその路線(島根県側の路線名は今福線)は着工はしたものの、1980年(昭和55年)に工事は中断され、その後工事は再開されることなく「未成線」として「幻の広浜鉄道」となりました。

※未成線とは…建設途中で工事が中断したり、完成したが列車が走ることがなかったりした鉄道路線のこと。

11月13日(土)の旅のスタートは広島駅新幹線口。

広島駅新幹線口にあって金色があまりにまぶしいその名も「朝」の像。朝日を浴びて輝いていました。

朝9時20分、広島駅新幹線口を出発した高速バスは水の都・広島の町を抜け、一路島根県浜田市を目指します。

未成線となった広島市と浜田市を結ぶ鉄道路線。その2つの町を今、高速バスが2時間20分で結んでいます。

窓外の風景は典型的な田園地帯ですが、このあとはほぼ山の中。

鉄道が走る予定だったルートとバスが走る浜田自動車道とどれほど離れているかまでは調べていませんが、中国山地を越える道(線路)を作ることの厳しさは容易に想像でき、「全区間の80%がトンネル」というのはそれはそうだろうと肌で感じることが出来ました。

浜田駅。

駅前のオブジェは石見神楽。毎正時になると仕掛けが動き、私もたまたまそのタイミングにここに居合わせ、思わず足を止めてしまいました。

ところで浜田の町に足を踏み入れたのは初めてのこと。大学時代、同じ下宿の住人にこの町の出身者がいたのを思い出しましたが、彼がこの町に戻ったかどうかも含め消息は分かりません。そんなことを思い出したのは年のせいなのか、それとも旅の感傷なのか?さあどうなのでしょう。

浜田駅に入線する452D快速アクアライナー/益田発米子行き。

1921年(大正10年)9月1日開業の浜田駅は今年100周年。

浜田駅から徒歩数分の「石央文化ホール」。

この日、この地で行われたのは「第3回全国未成線サミット」。たまたまネットのニュースで開催を知り、どんな会なのだろうと興味が湧き、足を運ぶことにしたものです。

2021年11月27日 16時05分

広島電鉄の広島駅前界隈。

今月(11月)12日は、広島駅前のホテルで一泊していました。

夜の7時過ぎに新幹線を降り、早速目の前を行く電車を撮影。

ここだけ見ればヨーロッパの市街地を行くトラムの風景。

駅に近い立地のホテルに泊ると、まずは窓外の風景の確認がお約束。「トレインビューホテル」であると分かっている場合は、予約時に「鉄道の見える部屋」を事前にお願いすることもありますが、今回は出たとこ勝負。

夜なので流し撮り。

一夜明けて13日(土)の朝。線路に朝日は届いていませんが、川沿いの木々が少し輝き始めました。

広島駅から南方の景色。

ホテルを出て朝の散歩。清々しい朝の空気を吸い込みながら、電車を撮影出来る幸せ。

広島の電車。連接車が知らない間に増えている気がしています。

2021年11月26日 17時03分

名古屋の鉄道136年史(10)鉄道開通以前の名古屋。

「尾張明細図」国立公文書館デジタルアーカイブ 公文附属の図・六九号 明治5年(1872年)10月発行

明治5年、日本に鉄道が開業した年に発行された現在の愛知県の内、尾張の地図。

形は何となくイメージできそうですね。

 余談ですがこの地図の本来の見方は横位置。南北が縦位置にならない地図は今となっては見慣れませんが、当時の地図では他にも見かけたことがあります。

真ん中の色が黄土色の部分が当時の「名古屋市」の区域です。ここだけ見ても各集落を結ぶ道路は整備されていたことがわかります。今風に言えば「県道」レベルの道の印象ですね。

「名古屋并熱田全図(なごやならびにあつたぜんず)」 明治11年(1878年)発行 。

この地図の表題が「名古屋并熱田全図」と、名古屋と熱田の地図となっているのは、当時、熱田の地はまだ名古屋市に編入されていなかったからです。

「并」の読み方は多分合っていると思いたいのが「ひとつにする」「ならぶ」という意味があります。

それはさておき明治5年の地図から進化したというか、ちゃんとした測量に基づく「地図感」があります。これだと市街地と郊外がはっきり区分できますが、市街地の広さそのものは明治5年とそれほど変わりません。「栄」の位置をいれましたので、名古屋城の位置との見比べで、当時の名古屋の町の規模をイメージして下さい。

またこの頃の名古屋市はざっくり言えば、現在の中区を中心に東区、西区の一部。今の名古屋市は、この狭い地域をスタートに徐々に市域を広げ、昭和39年(1964年)に当時の知多郡有松町、大高町を合併(緑区に編入)し、現在の形となっています。

今の栄界隈。真ん中に横向きに「栄町」と書いてある場所が今の広小路通り。縣廳(県庁)とあるのは愛知県庁で、この場所が今の栄交差点辺りとなります。広小路の左端は、今の伏見に達しておらず、市街地の狭さが分かります。

そしてこの「広小路」がこの先の名古屋発展のキーワードの一つとなるのですが、また機会を見つけてこのブログに書きます。

ところでこの明治11年では「名古屋市」とはまだなっておらず「名古屋区」の時代。もっとも意味合いとしては「区」であっても「市」で良さそうです。

因みに「名古屋区」となったのは明治11年からで、「名古屋市」となるのは明治22年(1889年)のこと。つまり名古屋駅誕生時は、名古屋市に出来たわけではなく、名古屋区に出来たということになります。なお名古屋市発足時の人口は157,496人。参考までに現在の名古屋市中区の人口は約93,000人ですから、当時の市街地の密集度がうかがい知れます。

もう一つ明治22年の名古屋のトピックス。この年、名古屋で初めて電灯が灯りました。

※名古屋市役所のウェブサイト参照。 

明治19年(1886年) 「尾張国参河国新図」

名古屋駅開業の年に発行された地図。

地図にも今の東海道本線が登場しています。が、この地図では「名古屋駅」がありません。

その疑問は今も解けていません。

また矢印のところにあるのは、後に手で書き加えられた線。現在の中央本線で間違いないのですが、なぜ手書き?これは当時、まだ建設されていなかったからですが、それにしてもいつの時代にこの線を描いたかと言った意図が分かりません。

ただこの線、実は名古屋にとって大きな意味のあるものなのです。

2021年11月25日 23時25分

名古屋の鉄道136年史(10)名古屋駅の位置と東海道本線の経路の謎

さて名古屋駅はどのようなところに作られたのでしょうか?そして東海道本線はどうして今の場所を走ることになったのでしょう?

国土地理院 125,000デジタル標高地形図(名古屋)

これで名古屋エリアの各地の高度が分かります。

名古屋駅界隈をトリミングしてみました。その色から標高がとても低い土地であることが分かります。ところでそもそもどうしてこのように標高の低いところに東京と京を結ぶ日本で最重要の幹線の線路が敷かれたのでしょう?

全体図に現在の東海道本線の位置を赤線で描いてみました。

金山駅を中心としたトリミング。

赤線の南北の高台は熱田台地と呼ばれており、当時の市街地はその上にありました。よく見ると東海道本線は熱田台地が狭くなったくびれの部分を堀割にして通っています。

つまり明治に開業した鉄道は、当時の市街地であった高台に上がることなく、それを避けるように線路が敷かれているのです。

「国鉄80年 機関車の発達」著者/本島三良・臼井茂信(昭和27年(1952年)/交友社)

明治30年代の東京/新橋駅の様子。

「国鉄80年記念写真集 車両の80年」編集者/日本国有鉄道工作局(昭和27年(1952年)10月14日/鉄道博物館)

鉄道草創期を走った蒸気機関車は見かけ以上に非力で、坂道は可能な限り避ける形で線路は敷かれたのです。

もっとも市街地の中心に線路を通すことは、明治の御一新の時代であっても住民の反対は避けられなかったでしょうし、住居などの立ち退きなどを考慮すれば、市街地の縁(へり)に線路を通すのが現実的な選択であったと私は考えます。

2021年11月24日 23時16分

名古屋の鉄道136年史(9)初代名古屋駅と濃尾地震。

明治19年(1886年)5月1日、官設鉄道の名護屋駅(翌明治20年4月25日、現在の名古屋駅に改称)として開業しました。

昭和17年(1942年)発行の「鉄道温故資料」(名古屋鉄道局総務部)に掲載されていた初代名古屋駅。

所有者名に高橋正照氏とあり、この本の出版時にその方からお借りした物と思われます。ところで初代名古屋駅の写真は、これしか見たことがありません。私が探した限りですが、オンリーワンでまず間違いありません。

何故ならば開業から僅か五年後の明治24年(1891年)10月28日、巨大地震「濃尾地震」がこの地方を襲い、駅舎が倒壊してしまったからです。

明治の時代ですので、写真そのものの希少性はあるのでしょうし、結局地震もあってこれ1枚しか残せなかったような気がしています。

ところで駅を倒壊させるほどの地震「濃尾地震」はどれほどの地震だったのでしょうか?

 

『内閣府/防災情報のページ/災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成 18 年 3 月/1891 濃尾地震』

にはこう記述されています。

<概要>

1891 年 10 月 28 日に発生した濃尾地震は、マグニチュード8.0と推定される過去日本の内陸で発生した最大級の地震であった。岐阜県美濃地方においては地表に明瞭な断層が発生し、その比高は 6 メートルにもなった。特に震源に近い地域においては近代建築が倒壊したのに対し、伝統的な土蔵が残った。

<教訓>

濃尾地震は、近世から近代への過渡期にあって、復旧のための資材、人員等の不足に悩まされながらも、マスメディアによる情報伝達、近代行政システムによる迅速な救援、地震原因の科学的研究、減災のための耐震建築の研究など、今日の地震対策の原型をつくり、その発展の方向を決定することとなった。この地震を機に「震災予防調査会」が設置された。現在においてもなお地震は避けがたい災害ではあるが、今後とも減災のための努力を続けなければならない。

新愛知社(名古屋市)が明治24年(1891年)に発行した「地震聚報 全」にその記録が残っています。

これは絵として残されたものですが、

写真でもその被災状況が伝わってきます。もっともそれほど甚大な被害とならなかった建物も中にはありますが、これを見れば名古屋駅が倒壊したのも頷けます。

この本の中の名古屋停車場の記述です。

この波形を見て、それがどれほどの大きさであるのかは分かりづらいですが、地震の激烈さは理解できます。

日本国有鉄道百年史 第2巻(昭和45年/1970年4月1日 日本国有鉄道) 229ページ

参考までに鉄道関係では、長良川の鉄橋の一部が崩落している写真が残されています。
初代名古屋駅舎。その前には大きな水たまり。低湿地に作られた名古屋駅の立地が見てとれます。

乗客が使う駅舎の右側の大きな建物は貨物扱所でしょう。たった1枚残った写真。それでもこうして残っていることで、鉄道開業時の名古屋市の様子を窺い知ることが出来る貴重な1枚です。

2021年11月23日 9時21分

鉄印帳の旅(41)若桜鉄道~智頭急行~ことでん~土佐くろしお鉄道、今回の旅の終わりに。

高知駅と言えばアンパンマン。

子どもでなくとも心和むアンパンマンのキャラクター。

以前は列車の出発、到着時間に関わらずここで遊ぶ子どもの姿を見た記憶あり。コロナ禍が本当の意味で収まるまでの辛抱です。

高知駅でアンパンマンととさでんのコラボ。

高知龍馬空港発16:05  FDA346便。先回この空港から名古屋に戻ったのはいつだろう?「鉄」ではなく「仕事」だったから20年ほど前のことだと思う。

夕景は家路を急ぐ時に似合うと思う。思うように出掛けられなかった長い期間を経て、仮にもこうして出掛けられるようになったことに感謝。2019年までの「帰路」は、次の旅への期待感で胸を膨らませていた。そんな日々が懐かしいと思いつつ、この穏やかな時間を過ごしていました。

久々に上空から見る中部国際空港。

久しぶりの上空から見る中京テレビの鉄塔。

中部国際空港開港前は、この風景で名古屋に戻ってきたことを実感していました。鉄塔と一部の建物は残っていますが、それ以外はスーパーマーケットになっています。でも、私にとっての「名古屋」は今も確かにここにあります。

2021年11月22日 23時01分

鉄印帳の旅(40)土佐くろしお鉄道。

11月4日(木)。この日は土佐くろしお鉄道の鉄印帳の旅。

朝一番で「ことでん」撮影散歩。

朝食は今月末で閉店の「連絡船うどん」。高松駅構内にありますが、改札口を入らずとも、お店の裏側で食することも出来ます。私の知人に、「高松」に来たらここでうどんを食べることが“儀式”という方もいるほどです。ただ今の営業時間は7:20~14:20(水曜日定休)。行かれる方は要注意です。

ところで私は宇高連絡線に乗っている世代ですが、何と今回初めて「連絡船うどん」を味わいました。これまでこの選択をしなかった理由は思い当たりません。単なる「その時の流れ」で、到着時は大体夕方なので駅を出て、居酒屋へ直行。出発時は朝早くが多く、多分ギリギリまで寝ていて、やっとこさで列車に乗り込んでいたと思う。その証拠に、ことでんを朝一で撮影したのは今回が初めてだったりします。

土佐くろしお鉄道の鉄印は、中村・宿毛線中村駅もしくはごめん・なはり線の安芸駅で記帳できます。で、今回私は、高知県安芸市の安芸駅を目指します。乗車するのは右側に停車中のJR四国2700系気動車。それにしてもお隣のマリンライナー/JR四国5000系電車との高さの違いが際立っています。振り子車両の低重心と2階建てグリーン車との列車設定の目的の違いでしょう。初乗車のこの形式、2700系。なかなか格好いい。それとこれまでの2000系気動車に比べ同じ振り子式ながら、乗り心地が随分進化し、カーブ通過時の感覚が滑らかになった気がしました。なお科学的な根拠はありません。あくまでも私見です。

高松駅発  08:25 しまんと5号(高知駅行き)

後免駅着  10:29

後免駅発  10:43 5864D しんたろう2号(奈半利駅行き)

安芸駅着  11:36

阿波池田駅を目指して徐々に高度を落とすこの界隈の風景は、何度見ても飽きません。

もしも土讃線に乗る機会があるなら、坪尻駅から阿波池田駅、大歩危駅界隈は是非、眠ることなく目を開けて車窓を楽しんで頂きたいと思います。

後免駅からは土佐くろしお鉄道/ごめん・なはり線(阿佐線)の9640形1S「しんたろう号」に乗車。

太平洋を渡る風を感じながら絶景を直に楽しめるオープンデッキ付の車両。他の列車に比べ、ゆっくりゆったり走っていると感じました。

ここから話しは朝一番のこの日の行動に繋がるのですが、この「しんたろう号」に乗ることを前提にこの日のスケジュールを組みました、それゆえことでん~連絡線うどんとなるのですが、高松駅発8:25のしまんと号はこの時間にして高松発の3列車目。効率よく回るならばしまんと1号06:04発、しまんと3号07:23発があるのですが、まあ今回はそこまでしなくとも、以前から乗りたかったこの列車への乗車を最優先した次第です。

安芸駅。ホームには「タイガース列車」が停まっていますがこの写真では分からないですね。

左側が本来の鉄印。右側が「コラボ鉄印」。なお2種類とも安芸駅と中村駅ではデザインが異なります。またいつか中村駅に出掛けよう。

昼食。安芸のご当地グルメは「釜あげちりめん丼」とのことで駅前のお店に入る。

値段も手頃で納得の味。

鉄印帳の旅では、心身共にゆとりある行動をしており、それゆえか以前に来たことのある駅であっても初めて気付くオブジェあり。そもそも由来を書いた案内を読む余裕はこれまで無いに等しい状況でした。

これから高知に向かう列車に乗車。タイガース列車との2両編成かと思いきや、タイガース列車は奈半利駅行き。手前が高知駅行き快速列車。

連結器は繋がっていませんでした。

安芸駅発 12:38 5833D 快速(高知行)

高知駅着 13:33

高知龍馬空港発16:05  FDA346便

名古屋飛行着着17:05

車体側面の沿線案内もにぎにぎしく出発進行!

高知駅到着。

2021年11月21日 21時14分

鉄印帳の旅(39)智頭急行(ちずきゅうこう)。からの瀬戸大橋線のかぶりつき席。

八東駅で今年4月に新デザインで登場した『第三弾「隼」ラッピング列車』と交換。格好いいと思う。

ライダーの聖地「隼(はやぶさ)駅」には元北陸鉄道のED301とJR四国高知運転所所属だったオロ12 6が保存されています。

郡家駅、午前の到着時に思ったのは「えっ!」。

2010年の郡家駅。やはり建て替えられていました。

出雲大社はお隣の島根県です。

14:08の出発時間まで構内売店で買った100円のコーヒーでくつろぎのひと時。

振り子式の特急「スーパーいなば」岡山行き。

鳥取県の象徴とも言える「梨」のイラスト。

郡家駅を出て直ぐ、右側にお城が見えました。調べたところお城山展望台「河原城」で、もともとあったお城の再建ではなく、2004年(平成6年)に建設された町のシンボル、情報発信の拠点とのこと。

因美線、智頭急行を特急列車で突っ走り、上郡駅で下車。

右側がオフィシャルの鉄印。左側が智頭急行オリジナル「鉄印 平福駅」(期間限定)。

たまたま上郡駅で出会った智頭急行の「あまつぼし(天津星)」。普通車両(HOT3521)で2018年(平成30年)にリニューアルデビューした車両です。

イベントでの使用を想定していますが、普段はこうして普通列車で活躍しています。

上郡駅からは113系。

途中の熊山駅で停車中。ふと外を見れば歴史的建造物とも言える跨線橋を発見。

1912年(明治45年)に2駅離れた瀬戸駅に建てられたものを、1960年(昭和35年)に熊山駅に移設された物とのこと。

電車の発車直前に撮影した銘板には「明治四十五年 横河橋梁製作所」とありました。「各駅停車」の旅は「各駅停写」の旅でもあります。

岡山発高松行きのマリンライナーに乗るならグリーン車狙い。

1号車の1番D席が取れたなら絶対にお勧めです。

かぶりつき席。夕日を見つめながら一人、感傷にふけることなく、ただ正面展望を楽しんでいる。

瀬戸大橋を渡るなら次回もこの席に座りたい。

高松駅に無事到着。

2021年11月20日 21時50分

鉄印帳の旅(38)若桜(わかさ)鉄道。

11月2日(金)の鉄印帳の旅は若桜鉄道。

名古屋駅発 08:20 ひかり631号

新大阪駅着 09:27

新大阪駅発 09:32 こだま847号

姫路駅着  10:15

(山陽本線~智頭急行~因美線)

姫路駅発  10:22 スーパーはくと3号

郡家駅着  11:48

(若桜鉄道)

郡家駅発  11:59 1355D

若桜駅着  12:31

名古屋駅からの新幹線はいつものN700Aですが、新大阪駅からはひかりレールスター 700系。

文字通りの「ひかりレールスター」時代に数度乗っていますが、今回同様のこだま(レールスター)に乗るのは多分、2度目。

姫路からはHOT7000系。

先頭車カメラの映像を車内で見られるとは知りませんでした。以前(2010年6月19日)にも乗っている車両なのですが、その時は気付いていなかった可能性あり。左側が郡家(こおげ)駅までの乗車券。右側が若桜鉄道の1日乗車券。郡家駅構内の八頭町観光協会で購入。

郡家駅で念のため若桜鉄道の時刻表を確認しようと思ったら、無い!若桜鉄道の時刻表が。

そしてよく見たら、JR因美線の時刻表の中に若桜鉄道もあるのを発見。

地元の方にとってはOKでも、私には想定外で驚きました。

鳥取駅発若桜駅行きWT3003「昭和号」に郡家駅から乗車。

昭和号の車内。ゆとりある和風。この列車ならロングシートでまったりもありです。

昭和号が日本の秋を駆け抜けてゆく

若桜駅。お久しぶり。

左側が鉄印帳に記帳の「鉄印」。右側は「コラボ鉄印」。

若桜駅。以前来たときと趣が変わりました。

このようなレトロモダンとも言える待合室は無かったはず。

良い風景だと思います。

鉄道があり、駅があり、列車がいる。

2008年7月8日に国の登録有形文化財に指定された風景。

2010年6月19日の若桜駅。今回、この方達に会えなかったのは少々寂しく思いました。

(11月2日のこの後の日程)

若桜駅発  12:52 1356D

郡家駅着  13:24

(因美線~智頭急行)

郡家駅発  14:08 スーパーいなば6号

上郡駅着  15:08智頭急行

(山陽本線)

上郡駅発  15:37 727M

岡山駅着  16:31

(瀬戸大橋線/宇野線~本四備讃線~予讃線)

岡山駅発  16:42 3147M 快速マリンライナー47号(高松行)

高松駅着  17:37

さて動き出す前に昼ご飯。

昭和号のクロスシートの席にはテーブルがあるので、駅前のスーパーで買ったおにぎりをほおばる。

ところでローカル線乗車で気になることの一つに食料の調達があります。「市」の代表駅であっても、駅に売店無し、駅前にコンビニ(お店)無し、食堂無しが珍しくありません。

若桜鉄道の場合は、郡家駅に売店があり、若桜駅前にはスーパーあり。恵まれた環境にありました。

2021年11月19日 16時43分

ことでんの電車の静態保存車。

ことでん(高松琴平電鉄)の車両で、現役引退後静態保存されている車両があります。11月3日のことでんのイベントの空き時間に2箇所を回ってきました。情報提供と案内は今回の撮影行の同行者で全行程を運転して下さった方。

ところで私たちが参加した有料撮影会が終わったのは11:50。その時には既に受付は終了していましたが、ことでん公式キャラクターのことちゃんが可愛くて思わずパチリ。単に『受付は終わりました」と言われるよりは心が和みそう。ことちゃんはこうした際の最強の飛び道具かも知れません。

昼食は勿論うどん。季節限定(この言葉に弱い私)「肉しっぽくうどん」“小”500円也。“小”でも多分、名古屋のうどん1玉分はある。香川のうどん屋さんは手頃な値段で本当に美味しい。

1)高松市立 房前公園(ふさざきこうえん)

高松市東部にある「道の駅 源平の里 むれ」に隣接している公園。高松からことでん志度線に乗り、終点の2駅前の 房前駅(ふさざきえき)から歩いても至近の距離です。

保存されているのは335号。この日、ラストランだった300号と同じ形式です。

日本車両で製造されたこの電車は、2006年(平成18年)12月に引退。明けて2007年(平成19年)1月に高松市に寄贈され、この地で展示されることになりました。

車内の状態も良好で、察するにですが、相当力を入れて整備されているのではないかと思われます。

運転席。とにかく狭い!

座ってみましたが、身長175センチですと身動きが取れません。昭和の時代の運転士さんが私より全般に小柄だったのかも知れませんが、これもこうして座れるからこそ体感できます。

滞在時間は10分ほど。道の駅もあるのにそちらには行かず、そうそうに次の目的地に移動。

2)「88~エイティエイト~」

ことでんの志度線塩谷駅が最寄りの「88~エイティエイト~」。お遍路さんの休憩所とテイクアウト&ドッグランの施設なのですが、ここにことでんの電車が保存されています。

20形23号。1925年(大正14年)製で、1961年(昭和36年)に高松琴平電鉄にやってきて翌1962年から営業運転を開始。昨年(2020年)、レトロ電車4連走行をもって引退。その後、クラウドファンディングでの資金支援があり、解体されることなくこの地にやってきました。

車内の見学には200円の料金が必要。でも中に入らない方と言う方、そうは言わずこの電車が長く保存されるように応援という意味でも是非、中を見学して下さい。

車内には「お遍路さん優先席」があり、ここがお遍路さんのための施設であることを改めて知ることになります。

運転席は今も現役の輝きがあります。

保存されていることでんの電車は他にもあるとのことですが、今回は時間の関係で2箇所のみ。レトロ電車の撮影に戻るべく移動開始。たまたま見た風景ですが、40万強の人が暮らす高松市は都会ですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!