2020年07月23日 23時45分

名古屋レール・アーカイブス資料展「走れ!夢の超特急~世界が認めたSHINKANSEN」

東海道新幹線が開業した1964年(昭和39年)10月1日は木曜日。つまり平日。

最近のイベントは、日付よりは曜日優先で日程が決まっているような気もしますが、東海道新幹線は10月1日に拘ったのだと思います。

ということで当日(1964年10月1日)は夕刊があり、そのトップは勿論新幹線の開業。

そして7面にも記事があって大きく扱われたニュースではありますが、それでも1面から8面まで「新幹線」でぎっしりと言うことはなく、例えばこの紙面でも「新幹線」「オリンピック」「赤い羽根」が同等の扱いです。その辺りは新聞らしい紙面構成ですね。

また新聞ですので「広告」があるのですが、個人的にはそれも目を引きます。会場ではそれもお楽しみの一つです。

さて名古屋レール・アーカイブス資料展「走れ!夢の超特急~世界が認めたSHINKANSEN」ではこの新聞の現物を展示しています。鉄道愛好家の方から寄贈された資料を整理していてたまたま見つかったのですが、それも5月に入ってから(以前にもこのことを書いています)で、運命の神様が引き合わせたくれたと思っています。

そして読みやすさは別にして、敢えて本物の現物展示にしたのはこの時代がかった色が理由です。同じ記事を読むにしても、当時の紙の上の文字を見てもらうことで時代の流れも感じ取って欲しいと言うのが狙いの一つだったりもします。

2020年07月22日 23時27分

祝!名鉄知多新線開業40周年。

今から40年前の1980(昭和55)年6月5日に全線開業した名鉄知多新線。それを記念した「知多新線全線開業40周年記念入場券」を知多奥田駅で買ってきました。

ところでこの駅、日本福祉大学の最寄り駅なので、そこへの取材の際に何度も使っています。と言ってももう15年以上前の話です。

いや、何。当時、24時間テレビの企画で「ドミノ倒し」をこの大学の学生さん達が毎年チャレンジしており、その打ち合わせ~本番で1年に数回通っていたのです。

当時と変わっていないなあとか思ったものの、そうそうっ、自動改札機がマナカ対応になっていました。

 

知多新線全駅の入場券と言いたいところですが、

何と計画はあったけど開業しなかった「小野浦(仮称)」の入場券あり。もっともこの駅の入場券代は1020円の中に入っていない模様。

2020年07月21日 17時20分

名古屋レール・アーカイブス資料展「走れ!夢の超特急~世界が認めたSHINKANSEN」の展示物の製作

私が会員になっているNPO法人名古屋レール・アーカイブスによる第10回名古屋レール・アーカイブス資料展「走れ!夢の超特急~世界が認めたSHINKANSEN」の展示物の製作のこと。

今回はコロナ禍ということもあり、やれる範囲で作ろう(30枚程度)というところからスタートしましたが、結局41枚になりました。

やってみて気付いたのは、私にとっての「新幹線」がかつての特別な存在から、いつの間にか日常の足になっていたということです。

東京出張時の新幹線車内は、資料作りか睡眠補給の時間で、移動の手段というより時間の帳尻合わせのために乗っているようなものでした。

また福岡出張時も、周りからは「稲見さんは当然、新幹線ですよね」とか言われましたが、使っていたのは専ら飛行機で、驚かれたりもしていました。

さて私の新幹線体験。希望に胸膨らませ、人生の門出のはずが落ち武者になるとはまだ知る由もない至福の2時間2分でした。(こんな乗車券を残している段階でアウトだと今更ながら両親に申し訳ないと思う)

ただ受験だから「新幹線」の乗ったことだけは間違いありません。

この時から1年の後、年に数回名古屋~東京を往復することとなりましたが、新幹線は私にとっては「いつもの」選択ではなく、「いつもの」は、大垣夜行と高速バスでした。

ところでそんな昭和40年代~50年代の新幹線はどんな存在だったのでしょうか?

「ことぶき入場券」がその1例ですが、大安吉日の新幹線ホームでは、新婚旅行に向かうカップルを見送る人であふれ、後にホームでの使用が禁止になるクラッカーの音がそちこちで鳴り響き、新郎の胴上げ、万歳三唱は見慣れた光景でした。

また転勤で赴任する人の見送りもよく見られ、新婚さんの見送りと違うのは、クラッカーがないのと、時にホームで繰り広げられる人間模様を感じるシーンでした。

当時でもビジネス客の方が圧倒的に多かった新幹線でしたが、それでも「新幹線」に乗ったことが話の種になった時代であったとするのに異論は少ないかと思います。

今回、そんなことを一つ一つ思い出しながら、自分にとっての「新幹線」って何だったのだろうとか思い出しつつ写真を選び資料を眺めていたら、朝日新聞の取材を受ける中でつい「かつては夢と冒険の乗り物だった」という言葉が出てしまいました。

でもそんな純粋な気持ち、当時はあったんだよね。きっと。

https://www.asahi.com/articles/ASN7K00VHN7COIPE001.html

2020年07月19日 21時41分

中勢鉄道廃線跡巡り(3)座学。

2020年2月8日(土)の中勢鉄道廃線跡巡り。阿漕(あこぎ)駅から1駅の津駅に向かいます。駅のアナウンスが「つ」ではなく「つーぅ」に聞こえると言われたあの「津」です。

11:57頃に顔を出した快速「みえ」は阿漕駅通過。その後を走る12:11発の普通列車に乗車です。

さて午後は津市の三重県生涯学習センターにて座学。いわゆる勉強会です。

その前に腹ごしらえ。

駅弁のあら竹特製の「元祖特選牛肉弁当」。ところでこのお弁当の特徴の一つに、牛肉だけではなくご飯の美味しさもあります。その秘密は…。是非、松阪駅前のあら竹さんで社長からお聞き下さい。なおあらかじめ乗る予定の電車の時間を社長に告げておくことは必須です。(笑)

さて中勢鉄道についての勉強会の中身はここでは割愛します。ただ廃線跡巡りの沼は、その歴史を知れば知るほどどんどん深みにはまっていくと言うことは悟りました。

で、今回のイベント用に幹事さん達が作った「乗車券」。区間もさることながら旧字体を使っているのはさすがです。

ダッチングマシーンもあれば、パンチもある。ところで硬券乗車券を行先別に保管してある棚は何という名前でしょうか?

硬券用乗車券箱、硬券切符販売棚とかそんな所ではないかと思うのですが、頭の中を疑問符がぐるぐる回っています。

今回の参加者の方が作られた中勢鉄道の列車。アーバンライナーと同じ縮尺とのことで、その可愛らしさは特筆ものですが、それよりその非力さも十分に伝わってくるわけで二重池付近の勾配はきっときつかったであろう、、、そして時に登り切れずに止まることもあったであろう。

2020年07月18日 23時48分

中勢鉄道廃線跡巡り(2)阿漕駅南の跨線橋。

さて昨日の場所から少し「阿漕駅」に近づいたところ。画面の左下のある『石』に注目。

境界と読めますが、これがここに鉄道の線路が存在したことを表しているとのこと。解説を聞きながら歩いているので、「なるほど」と思えるのですが、知らなければただ通り過ぎるだけ。

さて紀勢本線の踏切を渡り、南側に注目。特急「南紀」の右側にあるのが『中勢鉄道』が紀勢本線(中勢鉄道の開通当時は参宮線)を越える橋の橋脚の一部。

こうしてぽつんと残っているのは何故でしょう。とか思ってしまうのは私の悪い癖ですね。

でも気になる。

近鉄南が丘駅をスタートし、1時間半もかからず阿漕駅に到着。

駅舎は今風に建て替えられていますが、跨線橋は一体いつの時代のものでしょう?

2020年07月17日 23時06分

中勢鉄道廃線跡巡り(1)「ひのとり」との遭遇。

2020年2月8日(土)朝10時25分、近鉄名古屋線南が丘駅に集合。この日は中勢鉄道廃線跡巡りです。

ところで中勢鉄道って何ですか?ということになりますが、津市内にあった「岩田橋」駅を起点に、阿漕駅で紀勢本線と接続、終点の伊勢川口駅で名松線と接続していた『軽便鉄道』(762ミリゲージ)で、1925年(大正14年)に全通し、1943年(昭和18年)に全廃されています。

南が丘駅から一番近いところにあった「二重池駅」。その名前の由来となったと推察される2つの池の内の一つの周りで、まもなくデビュー(当時)の「ひのとり」の撮影。

二重橋駅から阿漕駅方面(起点の岩田橋駅方面)への廃線跡は道路になっていますが、こうして見ても“坂道”であることが分かります。これが明治~大正期の蒸気機関車にとってどれほどつらい道だったかは察するにあまりあります。

道路(昔の中勢鉄道)を跨ぐ近鉄名古屋線の跨線橋。橋桁の色が右半分と左半分で色が違うことが見て取れます。これは今の名古屋線が開業時は単線で、その後1線足されて複線となった証だそうです。知らなければただ通り過ぎるだけ。知れば歩みを止めて知の充足。

2020年07月15日 16時01分

名鉄瀬戸線/新瀬戸~栄町。

名鉄瀬戸線新瀬戸駅発13:42の急行栄町行きに乗車。

期待はしていなかったのですが、何と1番前の展望席が空いていました。初体験。

尾張旭駅。やっていることは子供の頃から進歩無し。

大曽根駅。

EF64の重連に出会えて「おっ!」と思う人はハイッ!鉄道ファンです。

この日の硬券。伊勢鉄道の乗車券と名鉄の入場券。西暦表示は分かり易いのですが、長いので字が小さくなるのが難点かな?

2020年07月14日 15時44分

高蔵寺~瀬戸市。

高蔵寺駅に13:00ジャストに到着。

初めて降りた訳ではないはずなのに、このオブジェは知らなかった。

その高蔵寺駅前にはゆとり―とラインのバス(ここ高蔵寺駅では…)が日中30分に一本、顔を出します。

名古屋市内に住んでいながらガイドウェイバスを間近に見るのは何年ぶり?かの記憶がない。

と書きつつ、このガイド部分の写真を撮るのは実は初めてだったりして。

13:20発の北野桝塚乗換の岡崎行きに乗車。

2つの行先表示を使ってそれを分かるようにしているパターンって他の鉄道で会ったっけ?

トンネル内でのすれ違い。ヘッドライトが点灯しているとオートフォーカスが上手く働かないのでマニュアルフォーカス。数打ちゃ当るたった1枚。

2020年07月13日 15時00分

津~近鉄四日市~名古屋~高蔵寺

話が前後しますが、7月10日(金)は鈴鹿駅で伊勢鉄道の鉄印帳を手に入れた後は一路津を目指します。

鈴鹿発10:17発の快速みえ3号鳥羽行きに乗車。もともと平日の午前帯とあって混むことはないのですが、それにしても悲しくなるくらいお客さんが乗っていない。この駅から乗車した3名は多分、「鉄印帳」組。

10:30に津で下車。折り返し近鉄で四日市を目指します。理由は昨日UPした四日市あすなろう鉄道のスマホスタンドを買うためですが、やはり出来る限り鉄道に乗って鉄印を集めたいと言うこともあります。

 

ただ想像していたとおり、車で「鉄印」集めをしている人がいると知人から聞きました。ここ鈴鹿駅は本数も多いので鉄道でも来やすいのですが、樽見鉄道の本巣駅であったり、長良川鉄道の関駅、郡上八幡駅はやはり効率面ではよくありません。で、1駅分の乗車券を買って鉄道に乗らずに「鉄印」集めをする、、、何だかなあと思うのは私だけではないと思います。

もっとも私もこの後に行った「愛知環状鉄道」は高蔵寺~瀬戸市間しか乗っていません。自分自身、少し気が引けています。でもせめて乗って集めようとは心に誓っています。

さて津駅を10:40に出る松阪発の急行名古屋行きは江戸橋を出たところで「ひのとり」とすれ違い。狙い通りとは言え、天候には勝てず。実は窓ガラスは水滴だらけでこれが精一杯。

近鉄四日市駅には11:09着。用事を済ませて11:28発の急行で近鉄名古屋へ。(12:04着)

お昼はお約束の住よしのきしめん(玉子入りかき揚げ)。因みに私は5・6番線専門で、しかもこればかり食べています。

そしてこの後は12:31発の普通電車多治見行きで高蔵寺駅へ向かいます。

(参考)

※鈴鹿駅~近鉄四日市間の最短コースは、鈴鹿~JR四日市~バスもしくは徒歩(15分強)で近鉄四日市。

また近鉄鈴鹿線鈴鹿市駅まで歩き、そこから伊勢若松乗り換えで近鉄四日市という手もありますが、時間はそれなりにかかりそうです。

2020年07月12日 14時59分

四日市あすなろう鉄道。

7月1日、四日市あすなろう鉄道から2つのグッズが発売されました。この写真では①「なろうグリーン」「なろうブルー」のリバーシブル柄「アクリルスマホスタンド」と②「なろうグリーン」の愛称で親しまれている車体をモチーフにした「電車型マグネットバー」の2種。

ところがスマホスタンドは発売後、即完売。慌てて追加で製造し、7月10日(金)から再スタートを切りました。

スマホを置くとこんな感じ。折角の電車が見事に隠れます。(笑)

もう一度じっくり見れば、線路にちゃんと762mmの文字あり。

アクリルの板は表と裏ならぬ両A面(昔のレコード時代を知る人限定!の表現)のリバーシブルとなっており、それも好評の要因だったかも知れませんね。

最近は、スマホで動画をみるだけではなくオンライン呑み会などもあるので、スマホスタンドは必需品になりつつあるのでは?

で、私も早速使用中。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!