中京テレビ

2021年05月03日 21時29分

近畿日本鉄道案内図。

近畿日本鉄道案内図。(画像データが大きくなるのを避けるため低画素です。路線の雰囲気としてご覧ください)

時代考証)東高安駅。信貴線信貴山口駅が「東高安駅」だったのは1948年(昭和23年)から1957年(唱和32年)。東高安駅(現信貴山口駅)から先のケーブルカー(現・近鉄西信貴鋼索線)は、1944年(昭和19年)に廃止されていたものが、1957年(昭和32年)に復旧、営業再開です。

という事で、この案内図は昭和32年よりも前となります。

●宇治山田駅の左上の「山田駅」は現/伊勢市駅。1959年(昭和34年)の改称。

●奈良電鉄が近鉄となったのは1963年(昭和38年)で、この案内図の年代特定には影響なし。

●その他、石切駅の右隣の孔舎衛坂(くさえざか)駅は1964年(昭和39年)の廃止。

時代考証)諏訪駅と四日市駅。1956年(昭和31年)9月23日 、経路変更に伴い諏訪駅が移転し、近畿日本四日市(現/近鉄四日市)駅となっています。という事で時代は少し遡ります。

もっとも時代考証が可能なのはここまで。昭和30年前後であることは間違いなさそうですが…。

余談ですが、一見まともに見える「橿原神宮駅」。実は「橿原神宮駅駅」。「橿原神宮前駅」となったのは1970年(昭和45年)3月1日。

2021年05月02日 22時28分

東海道新幹線開業記念ワッペン。だと思うのですが…。

1964年10月1日、東海道新幹線開業。

なのですが、この「HIKARI KODAMA」ワッペンは「9.30」=「9月30日」の日付。一体この日にどんな意味があるのでしょう?

少し調べてみたものの理由は不明。それ以前にこれを作った主体そのものも分かっていません。

2021年05月01日 22時30分

信楽高原鐡道の切符。

1987年(昭和62年)7月13日 、西日本旅客鉄道(JR西日本)信楽線を転換し、信楽高原鉄道/信楽線が開業。

さて、陶器製のお茶を入れる土瓶。

信楽(しがらき)から貴生川(きぶかわ)までの乗車券。

使えるかどうかで言えば、底にこの押印があったので、使用済みかも知れません。

ただ日付が滲んていて、いつ購入されたものなのかが判別しにくい。「21.3.24」だと思うのですが…。2009年=平成21年。

2021年04月30日 22時21分

東北本線「はつかり」試乗会の案内状。

東北特急「はつかり」用のディーゼル・カーの試乗会の案内状。

1960年(昭和35年)12月10日ダイヤ改正で登場した1D青森行き、2D上野行き81系気動車特急は当時、国鉄の技術の粋を集めた車両で、鉄道ファンのみならず、広く一般市民にも注目されていたと聞いています。

それはそれとして

●宛名の文字がとにかく達筆。いつもなら名前全部をマスクで隠すのですが敢えて一文字を残してみました。

●「日本国有鉄道総裁十河信二」は「新幹線の父」と呼ばれ、出身地にあるJR四国/伊予西条駅隣接の「鉄道歴史パーク in SAIJO」には四国鉄道文化館・十河信二記念館があり、胸像が展示されています。

●今は気動車=ディーゼルカーですが、「ディーゼル」「カー」の間に「・」が入っているのは何故?

と、ここまででも貴重な資料。

案内状の裏面。

「案内状代用乗車証」とあります。案内状で乗車できるのではなく、この面があって初めて乗車できる?ということの様です。

面白いと思ったのは「一等」が「壱等」となっており、如何にも仰々しいところ。

また発行者が「日本国有鉄道総裁室文書課長」というのもこの列車への国鉄の期待が感じられます。

2021年04月29日 15時05分

名古屋市交通局協力会東山公園モノレール。

名古屋市の東山動植物園。

そこにはかつてサフェージュ式を日本国内で初めて採用したモノレールがありました。

今も動物園の片隅に保存されています。

今日は、NPO法人名古屋レール・アーカイブスに寄贈された品の中の一つの紹介。

昭和30年代、40年代は飲食店を中心に、様々なところでマッチが配布されていました。これも間違いなくその一つ。1964年(昭和39年)の開業当時、このマッチはどこで配られれていたのでしょうか?ちょっと知りたい。

2021年04月28日 21時14分

岐阜県関市と名古屋を結ぶ足。

今回、往路は、名鉄/名鉄名古屋~新鵜沼、JR東海/鵜沼~美濃太田、長良川鉄道/美濃太田~関(下車したのは関下有知駅)と鉄道で結びました。ただ名古屋と関を結ぶ交通機関の選択は主に3種類あります。

1)上記のルート

2)岐阜バス/高速名古屋関美濃線(名古屋市内の停留所~関市内の停留所)

3)JRもしくは名鉄で岐阜(JR)、名鉄岐阜(名鉄)。岐阜バスに乗換え関市内の停留所。

1)で約2時間。

2)は栄と関シティーターミナル間で最短1時間。

3)は名古屋~関シティーターミナルを結んで約1時間20分。

で、結局帰路は栄に出たいこともあって高速バスを選択。予約不可、満席の場合乗車不可というバス。日中で乗れないことはまずないそうです。

さてどのバス停から乗るか?と今回は悩むことはありません。長良川鉄道関駅とバス停/関シティーターミナルは隣接しています。

乗車したのは11:33発で、栄には12:33着予定。(片道1060円)

コロナ禍の中で、こうした丁寧な説明には納得です。

2021年04月27日 11時35分

鉄印帳、長良川鉄道の巻。

長良川鉄道関駅。

昭和の時代を色濃く残しています。私にとって昭和はまだほんの少し前。1926年(昭和元年)12月25日から始まり1989年(昭和64年)1月7日に新しい時代を迎えた昭和。

今回の長良川鉄道訪問の主たる目的である鉄印帳。長良川と言えばやはり「鮎」ですね。

 

見開きでは明知鉄道とお隣同士になります。

それにしてもそもそもの御朱印っていつからあるのでしょう?

ネットで検索すると室町時代にはあったという記述もありますが、御朱印帳となるとこれも特定は難しいようです。私の中では、昭和の時代には御朱印帳を持って神社仏閣を巡る人が結構いたとの記憶があります。

2021年04月26日 22時16分

長良川鉄道のチャギントンラッピング列車。

2019年3月26日から運転が開始された長良川鉄道のチャギントンラッピング列車。

関駅で車両交換ということは…。

車庫に入るまでの間、この列車を撮影出来ると言うこと。

長良川鉄道の方にお断りし、ほんの少しだけ車内で撮影。

ブルースターが外から覗いている。感じ。

関までのこの列車、15人ほどの乗客が適度に散らばって乗っており、撮影はなかなか難しい状況でした。

チャギントンラッピング列車の土休日のダイヤは長良川鉄道のウェブサイトで公開されていますが、平日出会えるかどうかは全くの偶然。ラッキーの一言でした。

ところでこの列車の車内にはヤマト運輸のカーゴというか台車が乗っていました。ニュースでは見ていたものの実物は初めてのことです。「客貨混載」は順調に推移しているようです。

2021年04月25日 22時50分

桜シリーズ(8)長良川鉄道/関下有知(せきしもうち)駅ー2。

3月30日の関下有知駅。

9:30、下車した列車が桜並木の中を去って行く。その向こうの電線と送電鉄塔が無ければもっと良いのに。とか言う人もいそうです。

関下有知発9:50の美濃市発関行きが見え始めました。先ほどここ関下有知まで乗ってきた列車の折り返し。

午前ではなく、午後であれば順光でしょうけど、この日の午後は曇り予報。

時間があったのでぐるりと関下有知付近を歩く。ご近所の方と思われるかたとすれ違う。

結局駅の北側で10:22の美濃太田発北農行きを撮影することとしました。

10:33発の北農発美濃太田行き。(関駅で車両交換)

何だか賑やかなラッピング。楽しい予感。

2021年04月24日 22時54分

桜シリーズ(8)長良川鉄道/関下有知(せきしもうち)駅。

もう随分前の話。3月30日(火)の事です。

長良川鉄道の起点、8:51の美濃太田駅。

長良川鉄道の列車/美濃市行きの出発時刻は9:04。それまで暫し駅前散策。

まだ若い枝垂桜(シダレザクラ)。もう少し育てば、列車との良い絡みが撮れるかも知れません。

2018年8月26日以来の乗車。そう言えば観光列車「ながら」にまだ乗れていません。

9:30頃、目にも鮮やかな桜並木が見え始めたら、そこは関下有知駅。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!