2021年11月18日 14時41分

ことでんの「300号・120号Last撮影会」

ことでんレトロ電車ですが11:00~14:00の間、5回に分けての有料撮影会が行われました。

私は運良く、11:30からの2回目の応募の時間に間に合いましたが、参加出来なかった方も相当数おられた印象です。

入場にあたっては3000円が必要な有料撮影会だったのですが、私としては内容との見比べで十分納得の値段設定と感じていました。ところが、、、お土産が想像を超えており、ただただ驚き。キーホルダー×2個,レトロ電車の絵はがきセット×4組。

絵はがきセットはご覧の豪華版。大盤振る舞い。

どんな撮影会になるのだろうと期待しつつ、その後の展開が読めない。この状態で20分そのままではなかろうとは思っていたら、いきなりのカウントダウン開始。

ヘッドマークの交換が始まりました。なるほどね。

この写真はトリミングしています。

「移動禁止」というヘッドマークを付けようと誰が考えたのだろう?面白い!

「六万寺行」。六万寺駅は志度線の駅なのですが、最近は別にしてかつては「六万寺行」があったのでしょうか?ネットで検索すると確かに出てくるのですが確証無し。でもこうしてレトロ電車の撮影会で出てきたので、やはりあったのだろうと一人得心。

気持ちの良い撮影会でした。

(追記)

仏生山駅の駅舎の東側に1本の側線があります。

これまで私はこの線を単なる留置線だと思っていました。

因みに2016年9月10日の夜にこの駅に来たときには120号が留置されていました。

前の写真に戻りますが、車止めが無ければこの先にまだ線路が続いていそうな感じ。

その車止めの先の風景。かつて線路があったとしてもおかしくない微妙なカーブ。今回同行の方から、これが塩江(しおのえ)温泉鉄道~高松琴平電鉄塩江線の廃線跡だと聞きました。調べたところ1929年(昭和4年)開通、1941年(昭和16年)廃止の路線で、日本唯一の非電化の標準軌鉄道だった由。

塩江温泉鉄道~高松琴平電鉄塩江線の廃線跡探訪をされた方の記事もネットにあるので、遺構はある程度たどれるようです。これでまた四国に来る理由が出来たと少し嬉しい自分がいました。

2021年11月17日 13時28分

ことでんのレトロ電車さよならイベント。

11月3日(水)、高松琴平電鉄(ことでん)の「電車まつり」「レトロ電車さよならイベント」が開催されました。

とは言ってもレトロ電車の撮影中心で考えていたので「電車まつり」は参加していません。では「レトロ電車さよならイベント」の内、まずは「長尾線・琴平線Last運行」の紹介。

レトロ車両は 1000形 – 120号、 3000形 – 300号の2両で、いずれも大正15年(「1926年)生まれ。この日、11月3日をもって現役を引退したのです。

その2両ですが、午前は長尾線を一往復。

私達(今回は同行者あり)は平木駅~学園通り駅間にある新川橋で撮影することにしました。土木学会選奨土木遺産の一つで竣工は明治44(1911)年。「将来の軌道の複線化を見込んだ階段状練石積み橋脚という、希少な特徴を持つ土木遺産」というのが選ばれた理由で、この写真でも橋脚の右側が段々となっているのが見てとれます。

朝一番、古い電車が土木遺産の上を走る姿を撮影したいと思い、この場所を選んでいます。

1枚目と少し立ち位置を変えてみました。ひょっとしたら?の想いが通じたのかまずまずの水鏡。

午後は15:26に仏生山駅隣接の車庫を出ての琴平線一往復の撮影。向かったのは一宮駅~円座駅間の香東川橋梁。大正15年(1926年)竣工のこちらも文化財級。

好天に恵まれ、気持ちの良い一日を過ごしています。

岡田駅~羽間駅間。

羽間駅で交換。レンタカーでの移動のため、安全運転かつ安全に車を止められる場所を確保してでの撮影行。思ったよりも電車のスピードが遅く、また少し遅れ気味だったこともあり、想定よりも多くの場所で撮影しています。

もっとも運転者はことでんの撮影を何度も撮影されておられ、カーナビに頼らなくとも分かる場所多し。

琴電琴平を16:49に出発した電車を、榎井駅とのほぼ中間地点で撮影。太陽は山に遮られたもののまだ青空が広がっています。

18:24の定刻より少し遅れてレトロ電車は仏生山駅に戻ってきました。

そして「回送」の板に取り替え、95年の現役生活にプリオドを打ちました。

2021年11月16日 12時52分

近鉄京都駅直上のトレインビューホテル。

10月30日、「元鉄道広報マン福原稔浩さんと歩く近鉄京都線ウォークとトレインビューホテル見学」の最後は「都シティ 近鉄京都駅」からの眺望を楽しみました。何せこのホテルは近鉄京都駅ホームのすぐ上にあり、JRの在来線、新幹線に挟まれているという鉄道好きな者にとっては堪らない立地です。

新幹線車内から撮影したホテル。新幹線の線路に沿ってホテルが建っているのが分かります。

今回は、3階の3部屋を撮影用に解放して頂いており、まずは部屋に入る前にエレベーターホールからの眺望を楽しみます。京都駅は列車の本数は多いはずなのに、カメラを構えるとなかなか来ない。

たった5分が、久しぶりに長く感じました。まあ時刻表を調べれば済む話しではあります。

新幹線側の部屋からの眺望はこんな感じ。電車と目線の高さが同じなのでいつもより新幹線に親しみが湧きます。また新幹線の始発前に走る「確認車」を見るならば最適な場所です。早朝に横になって見られる場所はそうそうは無いはず。

在来線側の部屋。ベッドが窓際にあり、これでは夜、眠れないかも。サンライズの通過時間は…とか考え始めるときりがありません。

角部屋。眺望も開けています。

名古屋では見られなくなって久しい117系がお目見え。

近鉄京都駅に出入りする電車の撮影にもうってつけ。

名古屋にもトレインビューホテルはありますが、このホテルの特徴は視点の高さが低いことだと思いました。

余談ですが、近鉄のホームがカーブしているので、このホテルも緩やかなカーブの建物です。

2021年11月15日 22時32分

近鉄澱川橋梁(よどがわきょうりょう)。

桃山御陵前駅~向島駅間にある澱川橋梁(よどがわきょうりょう)。

今回のツアーの目的の一つで、1928年(昭和3年)に作られた鉄製トラス橋。

文化庁「国指定文化財等データベース」の解説文からの転載。

『旧奈良電鉄によって宇治川に架けられた下路式曲弦プラット分格トラス橋。陸軍演習に支障がないよう無橋脚橋梁として建設され,我が国の単純トラス橋で最大の径間長165mを誇る。関場茂樹の設計で,神戸川崎造船所製作。宇治川の鉄道景観を代表する建造物。』

つまりこの橋の周辺が陸軍の演習場でなければ、ワンスパンでこの橋が造られることなく、そうすると橋桁が複数ある普通の橋になっていたかもしれないということ。もっともそうなっていればこうして登録有形文化財(建造物)として、改めてその価値を認められることはなかったかも知れません。それにしても「径間長165m」が架橋当時から今に至るまで日本記録を保持しているという事実は凄いことだと思います。

ただし、そうした橋を架けなければならない事情はそう多くはないという証(あかし)でもあるそうです。

もっとも大鉄道会社とは言えなかった奈良電にとって、この橋の建造がどれほど経営に影響をもたらしたかは想像に難くありません。また昨日の高架下商店街ですが、これも陸軍の関係で、地平ではなく高架になったそうで、決して奈良電が望んだ結果ではないそうです。

造形美という言葉を思い浮かべるほど美しい形状の橋だと思います。

もっともその形ではなく橋としての役割において、鋼鉄の塊ともいえる(昭和初期の)電車が6両編成ですれ違っても問題のない強度で最初から設計されていたそうです。

10:09、ここでの最大のイベントである京都駅発賢島駅行き「しまかぜ」が走り抜けていきました。

10月30日(土)、近鉄京都線歴史探訪jの旅はこれにて終了です。

2021年11月14日 21時43分

近鉄(京都線/旧奈良電鉄)と京阪の相互乗り入れ時代の遺構。そして桃山御陵前駅。

さてここからが本題。京阪の丹波橋駅1番線ホームの北側。安全側線がまっすぐで、そこから分岐する形で副本線が本線に合流します。

安全側線がまるで本線が如くの直線であることが奈良電(その後の近鉄京都線)に向かう線路形状の名残り。

北側から丹波橋駅方向を見れば、言われればなるほどの配線としての特徴があります。

駐輪場は線路の跡とのこと。その先に肉眼では近鉄の線路が見えており、確かにここに線路があったことを実感できます。

一方こちらは(京阪)丹波橋駅の南側。明らかに京阪の本線から分岐し、別方向に向かう線路があったと納得できます。もっとも案内役の元近鉄電車の広報マン福原稔浩さんの解説を聞きながら回ったので私が今、こうして訳知り顔で書けるわけですが、例えば資料を渡されそれを参考に歩いたとしても、半分も理解できたかどうか自信がありません。

こちらは近鉄の桃山御陵前駅のすぐ北側。ここで(京阪)丹波橋からの線路と(現在の京都線の)本線が合流。つまり現在の近鉄京都線桃山御陵前駅から北方向に、近鉄丹波橋駅北側の京阪との立体交差の先までの区間は、奈良電(近鉄)と京阪が相互乗り入れしている時代には線路がなかったということになります。

何度も乗ったことのある近鉄京都線と京阪本線。こうして新たな知識を得て、次回ここを電車で通るときはきっと先頭車でかぶりつき。

(桃山御陵前駅)

今日はもう一つ、近鉄桃山御陵前駅南側の高架下商店街。

この写真は桃山御陵前駅から奈良方面に向かう電車を撮影したものですが、この電車の走っているところは高架線。そしてこの線路の下には、今は耐震工事の関係で規模は小さくなりましたが、今も昭和の面影を色濃く残す商店街があります。

この写真の右側がその商店街があるところ。

何とも懐かしい風情あり。

ラーメン屋さんの提灯も「高架下」。

商店街は桃山御陵前駅からすぐの一角だけが現在も盛業中ですが、そこを過ぎればこのように工事中。

ドラマのロケも行われるとのことですが、確かに主役の警察官が犯人を追いかけるには絶好のロケーション。

私が持っている京都の町のイメージとはかなり異なりますが、関西のガード下ならありですね。

ということでこの日の昼食は「復刻 元祖高架下ラーメン」。

2021年11月13日 16時28分

近鉄(京都線/旧奈良電鉄)と京阪の相互乗り入れ時代。

今の近畿日本鉄道/京都線は昭和3年(1928年)、当時の奈良電気鉄道の手でまずは11月3日に桃山御陵前駅~西大寺駅間が、そして同年11月15日に京都駅~桃山御陵前駅間が開業し全線が開通しました。

その後奈良電と近鉄とは昭和38年(1963年)10月1日に合併し、今の近鉄京都線となっています。

その奈良電~近鉄京都線ですが、京阪電気鉄道との間で相互乗り入れをしていた時期があります。

以下、近鉄のウェブサイト/近鉄ストーリーからの転載。

******************************

奈良電気鉄道 昭和20年12月21日  京阪神急行電鉄との相互直通運転の開始 (丹波橋・三条間)

昭和43年(1968年)12月20日 京阪電気鉄道との相互直通運転の取止め  (丹波橋・三条間)

******************************

現在の近鉄と京阪の「丹波橋」駅は正に隣どおし。それではどんな風に相互乗り入れを行っていたのでしょうか?

(画像提供:国土地理院)

昭和36年(1961年)5月1日撮影の京都島南部の航空写真から丹波橋付近をトリミング。これだとなんのことかさっぱり分かりませんね。

現在の2つの丹波橋駅との関係を絵解きすると、赤枠が京阪の丹波橋駅で青枠が近鉄丹波橋駅。

オレンジ色の線が京阪の京阪本線で、緑色の線が近鉄京都線。それ以外に赤色と青色の線の所にも線路が見えます。

これは北側のブロックですが、解像度は低いものの奈良電と京阪を繋ぐ線路の存在が確認できます。

こちらは南側のブロック。奈良電と京阪を繋ぐ線路がはっきりと確認できます。と言いたいところですが、これまでの航空写真を見ると現在の近鉄丹波橋駅付近の影が薄いことに違和感を覚えます。

それもそのはず、昭和36年(1961年)当時の丹波橋駅は京阪の丹波橋駅1つだったのです。

元々奈良電と京阪は別々の線路を走っていたのですが、奈良電が京阪の丹波橋駅に乗り入れる形で駅を統合。そのために上の写真で赤線、青線のところに新たに線路を敷設。それに伴い(京阪)丹波橋駅の東側の(奈良電の)線路は廃止されました。なお現在の近鉄丹波橋駅の場所には、奈良電の「堀内駅」がありましたが、統合時に廃止されています。

その後、近鉄(奈良電)と京阪の相互乗り入れ解消を前にした昭和42年(1968年)3月、近鉄はかつての奈良電が走っていた場所に線路を再敷設、堀内駅跡に近鉄の特急・急行系統専用の丹波橋駅を設置しました。その後も(従来の京阪)丹波橋駅も引続き使用されていたのですが、同年12月、相互乗り入れが取りやめとなりました。近鉄丹波橋駅はこれ以降、現在の形となっています。

※参考資料「近畿日本鉄道100年のあゆみ : 1910〜2010」

(奈良電の線路)

*昭和36年当時の経路…緑色の線~赤色の線~丹波橋駅~青色の線~緑色の線

*昭和43年以降は緑色の線

ところでなぜ唐突に近鉄と京阪の相互乗り入れの話を始めたかの理由ですが、10月30日(土)、「元鉄道広報マン福原稔浩さんと歩く近鉄京都線ウォークとトレインビューホテル見学」という少々タイトルの長いツアーに参加し、この連絡線跡を探訪したことによります。

昭和35年(1960年)10月号の時刻表。

(奈良電)京都駅~(京阪)京阪宇治駅間の電車は「京阪電鉄」の宇治線に付随する形での掲載。

(京阪)京阪三条駅~(近鉄)奈良駅間の電車は、近鉄ブロックの奈良電・近鉄奈良線の時刻表の中に掲載されていました。当時、奈良電は西大寺駅から近鉄奈良線に乗り入れ奈良駅まで走る電車が設定されており、つまりこの電車は京阪~奈良電~近鉄の3社直通運転をしていたわけです。

相互乗り入れは同じ電圧、同じような大きさの電車だけではなく、互いのメリットがあって成り立つものです。結局近鉄の600ボルト⇒1500ボルトへの昇圧や車両の大型化もあり、最終的に相互乗り入れは解消されるのですが、現在の2つの丹波橋駅は離れてはいても同じ駅構内ともいえる構造であり、相互乗り入れ当時と比較し、今となっては「不便になった」という実感は少ないのではないかと思われます。

2021年11月12日 21時09分

京都鉄道博物館ナイトミュージアム。

この10月29日(金)~31日(日)の3日間、京都鉄道博物館ではナイトミュージアムが開催されました。

(開催時間;17 時 00 分~19 時 30 分)

私が足を運んだのは30日(土)。16:30から入場料が半額の600円となることからそれを待って入場。数十人の行列あり。家族連れもいました。

そしてメインイベントの会場、転車台に直行。ここだけではなく他にも見たいものがあったのですが、そこに出向くと思う場所で撮影出来ない場合も考えられ、結局2時間近くの待機を決断。

18:13、日も暮れてまもなくショーの始まりです。

主役のC622も準備を整え、出番を待ちます。

18:20,C622がしずしずと扇形庫から出てきました。

大見得を切る直前の歌舞伎役者の如く、凛とした風情で舞台中央で立ちます。

ライトアップされた中での回転。現役時代には考えられなかった晴れ舞台。恐らく500人近い人が写真や動画を撮っていたと思う。(人数は私の勘です)

ライトアップされているのだからライトを生かした写真が狙い!と思っていたものの、なかなか難しい。

回転の撮影チャンスは2回。途中から私の中の真剣さが何故か徐々に消えていきました。こうしたイベントはしかめっ面で撮影し続けていても仕方が無い。たまにはゆっくりと楽しもうと思い始めたからです。

18:49頃、2回目の回転イベントも無事終了。コロナ禍が小康状態の中、こうしたイベントがやっと開催されるようになりました。

ライトアップされた京都タワーは名古屋に戻る道すがら。

2021年11月11日 14時07分

新たなる鉄道趣味のジャンル「レゴ鉄」。

このブログで9月9日にアップした「レゴ」。鉄道に関するものならば取りあえず1回は手を出したいと思う私ですが、今日はレゴの展示イベントの話題。

10月30日、31日の2日間、京都市の梅小路公園「緑の館」で開催された「第5回レゴブロック展示会」の模様です。

このイベントはレゴ愛好家の皆さんの力作を展示するもので、鉄道に限らず様々なジャンルの作品を見ることが出来ました。

こちらは大物。一体どれほどの制作期間が必要だったのでしょうか?

制作者の方によれば、設計図面を用意し、それで組み立てるのではなく、全体のイメージを頭の中で作った後は、一つ一つのレゴブロックの部品を、順番に組んでいくだけとのことでしたが、私には間違いなくそれで出来るという発想力が足りない。ではなく、無い。経験を積むことで何とかなりそうなことと何ともならないことがあることを、この年になれば十分理解しているつもりです。

同じような部本を使いつつ、なにゆえこれほどのバリエーションが出来るのか、見ているだけでも十分楽しい気持ちになりました。

こちらはレゴを愛する知人の出品。一個一個の部品は同じでも、組み合わせが変わることで、これだけ様々な表情を見せる造形になるのは不思議。もっともそれがレゴの魅力でしょう。

黄色いプレートですが、何とここを通過する時、警笛を鳴らすことが出来、それ以外にも一旦停止させて再度走り始めるといったことの出来るプレートであったり、レゴって本当に面白い。

こちらは別の方の一回り大きなレイアウト。

新幹線で遊ばせてもらいました。

レゴブロックで車両やジオラマなど本物の精密な再現(実物の再現)をすることはまず無理でしょう。ただ鉄道模型とは全く別の趣味の世界があることは体感できました。

組立やパーツ集めの難しさなどの苦労話もお聞きしましたが、本気の趣味の奥深さが見ているだけでも十分、伝わってきます。鉄道趣味のジャンルに「レゴ鉄がなぜ無いのだろう?」と思ったのが今回のまとめです。

2021年11月10日 14時25分

京都市/梅小路公園。

京都駅からJR山陰本線で1駅、京都鉄道博物館の最寄り駅である梅小路京都西駅下車。改札口を出て左に向かうとそこが梅小路公園です。1995年(平成7年)の開園とのことですが、2014年に市電広場が開設され、京都市電の展示が始まってから一度足を運んで見ようと思っていました。

梅小路京都西駅を出てすぐのところに置かれている2001。今にも動き出しそうなほど綺麗な状態です。

梅小路公園名物、京都電氣鐵道株式会社~京都市電で活躍し、昭和36年(1961年)に廃車となった27号。2014年からリチウム電池で動く動態保存化され、架線はありませんし、集電用のポールも上げていませんが、今の時期は土日祝の10:00~16:00の時間でこうして走っています。短い区間ではありますが乗ることも出来ます。

ところでこの27号、大正7年(1918年)7月,京都電氣鐵道株式会社の市営化に伴い移譲された136両の内の1両で、但し27号と言っても、京都電氣鐵道時代の27番目に作られた電車ではなく、昭和30年(1955年)に当時の残存車両28両に対して行った1~28号の連番への改番後の数字です。

※京都市営化時に、製造時に関する資料が無かったのか136両全ての製造年月日が不明。

(参考:京都市交通局ウェブサイト/市電保存館 on WWW (狭軌I型~2000型))

お子さん連れの方の乗車が殆どなので、大人が一人で乗るには勇気がいりますが、是非お試しあれ。

こちらは市電ひろば。4両の市電が「市電カフェ」「市電ショップ」となっています。「市電ショップ」はいわゆるお土産屋さんとお考え下さい。

ここに遊びに来る多くの市民の方にとって、「市電」があることが来園の動機付けにはなってはいないでしょうが、それでもかつての『京都』に触れる場所が身近にあるというのはうらやましく感じました。

2021年11月09日 13時28分

鉄印帳の旅(37)北条鉄道の鉄印。

北条鉄道の鉄印は、用意された鉄印による記帳ではなく、鉄印帳へ直接記帳されます。

「鉄印をお願いします」と駅員さんにお願いしたとき、駅事務室内がちょっとざわついた感じがしたのですが、それはどうやら折り返し時間が7分なので、出来る限り速やかに記帳しようとされたのではというのが私の感想。

で、上が「鉄印帳」。下が書き置き印で、購入時には3種類がありました。

北条駅の車止めの反対側には陶製の「手形」が飾られていました。何かの記念で作られたようですが、時間の都合でこの写真を撮影するだけで精一杯。恐らく解説もしくは案内の表示があったのではと思うのですが…。

北条鉄道で唯一交換できる途中駅、法華口駅。列車の交換は、昨年(2020年)から始まったばかり。

ホームには北条ふらわの「行き違い設備完成」のヘッドマーク風案内あり。

マジックアワー。特に秋の太陽が私は好きです。

ところでさりげなく「マジックアワー」という言葉を使いましたが、これは写真用語だそうで、私、知りませんでした。このブログを書くにあたり、語源ってなんだろうとか思い、調べました。

粟生駅。いつもなら撮らない写真ですが、マジックアワーの駅構内が美しく見えてシャッターを押しました。

北条鉄道で使用した乗車券はこの「1日フリーきっぷ」。片道(粟生駅~北条町)×2=840円なので、折角なら思い出として手許に残る方を選択。



ADVERTISEMENT

カレンダー

2021年12月
« 11月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!