2021年03月14日 10時55分

祝!「リニア・鉄道館」開業10周年。

ここ1年出かけていない「リニア・鉄道館」。

2011年3月14日のオープンで、本日10周年を迎えました。

それを記念して、あおなみ線では今、オリジナルロゴマーク、ヘッドマークの電車が1編成運転されています。

これがロゴマーク。

ヘッドマーク。あおなみ線は運用に入れば1時間間隔で上下1往復します。時間の見当がつきやすいので、どこかで撮影されては如何でしょうか?

なお12月中旬まで走る予定とのこと。

ところで肝心の「リニア・鉄道館」ですが、3月14日(本日)以降、様々なイベントも用意されています。ホームページなどでご確認の上、おでかけ下さい。

2021年03月13日 11時11分

清洲城に登城。

新幹線で大阪方面からの戻り、名古屋駅到着直前の左側車窓に見えるお城。以前から気になっていましたが3月10日に登城しました。

再建されたお城なのでコンクリート製。戦国時代の“都会”清須の町の歴史であったり、織田信長を始め戦国武将の歩みが分かり易く展示されており、望楼に到着するまでに結構な時間がかかりました。

名古屋駅前の高層ビル群と新幹線は、もう少し近い位置で撮影出来るのではと期待していましたが、少々難しい要望でした。

北東方面を望む。位置的に「晴れ」であれば、午後は逆光。今回は「下見」ということで、次回は朝一番で訪問しようと思っています。

稲沢線が東海道本線を越える所は、狙いようでは面白いと思いつつシャッターを押しました。

2021年03月12日 10時43分

惜別 DD51 思い出語り。

1969年(昭和44年)9月28日、関西本線蟹江~永和間を行く227レ。

関西本線の旅客列車の無煙化を前に撮影に出かけており、その際の1枚。

1970年(昭和45年)8月1日。中央本線宮ノ越駅。

私が撮影しているDD51牽引の旅客列車が登場し始めて間もないころの数少ない写真。

蒸気機関車を駆逐したディーゼル機関車ということで当時の鉄道マニアにはすこぶる評判の悪かったこの形式ですが、私自身は熱心な撮り鉄ではなく、また蒸気機関車への思い入れもそれほどでもなく、何だか不思議な形の機関車が登場したんだなあと思った程度でした。

2015年1月26日の「トワイライトエクスプレス」回送。

単なる乗り鉄ならば琴似駅でこうして待ち受けることは無かったでしょうが、JR北海道のDD51重連が牽く夜行列車はそれでも撮影する価値があり、多くの方が撮影されたその気持ちは良く理解出来ました。もっとも私は手軽な駅撮り。

苗穂駅を通過する「カシオペア」。2015年1月27日撮影。

こちらは日本ではありません。タイのノンプラドゥク・ジャンクション駅。日本での活躍を終え、工事列車の牽引用に輸出されたもので、北斗星のヘッドマークは同行者の手製です。

DD51は貨物列車でその存在感を示していましたが、実のところ私はその姿を殆ど撮影していません。

残念と言えば残念。でも、令和の時代まで私を楽しませてくれたので、最後の最後までちゃんと動くように整備をされたJR貨物のスタッフの方に感謝するのみです。

2021年03月11日 22時58分

東日本大震災から10年。

東日本大震災から10年が経ちました。

宮城県南三陸町防災対策庁舎。(2031年まで宮城県が維持・管理)

2013年9月27日、地元の新聞社の協力を得て被災地で地元の方々の話を聞いていました。

この地の住所は宮城県本吉郡南三陸町志津川字塩入77。「塩入」というかってここに「津波」が来た事からついた地名の可能性があり、1995年(平成7年)の建設時には、町議会で高台に建設すべきではと反対する意見も出たが、県の補助金申請の期限があり、結局この建物の高さを超える津波は来ないであろうとこの地に建設されたそうです。

ところで南三陸町には縄文遺跡が多数あります。その遺跡は高台にあり、その場所はこの地震で津波に襲われることは無かったそうです。縄文人が津波の来ない高台に住居を構えたか、もしくは今ある遺跡が津波被害に遭わなかったことで現存しているかは定かではありませんが、実に示唆にとんだ事実と地元の方が話されていたのを今も思い出します。

当初の予想をはるかに越える高さの津波(当初6m、その後10m、実際には15.5m)が襲ったことが結果として被害を大きくしたのですが、それにしてもこの地に建設を容認した事への反省を口にする方がおられました。

石巻市立大川小学校。

児童ら84名が犠牲となりました。この小学校の出来事は「民事」裁判で最高裁まで行きましたが、結果原告の児童の保護者が勝訴しました。

この裁判の経緯は様々なメディア等で詳しく出ていますのでここでは割愛しますが、「山へ逃げよう」という児童の声をおさえた先生達(学校そして教育委員会)。その責任を問うことは、先生達も亡くなっていただけに、訴える側にとっても過酷な裁判でした。

ただ石巻市・石巻市議会の対応を含め、行政サイドは責任を取りたくないから責任を認めないとしか思えない対応で、原告の方は、「生き延びた子どもたちから聞いたことを教育委員会が(子どもの話は信用するに足らないとして)事実として認定せず、学校および教育委員会に責任はない」としたことで、「山に逃げよう」という子ども達の声が無かったことにされたことが裁判のきっかけとも話をされました。

その話を聞いた後、この裁判の行方を見ていたのですが、最終的に司法の判断が真っ当であり、これで原告の保護者の方達がやっと犠牲になった子ども達に報告出来るようになったであろうと思いました。

JR東日本石巻線女川駅。

2016年2月19日、2015年(平成27年)に高台移転で移設されたこの駅を訪問しています。

2013年9月28日の女川の町。震災から2年が過ぎていましたが、復興とはほど遠い状況でした。

3月11日は私にとり震災で起きた事、そしてその後どうなったかを思い出す日。それは「忘れない」ことが必ず来るであろう大震災への唯一の備えだと思うからです。

2021年03月10日 17時40分

惜別 DD51。

今日は今週末で定期運用を終える愛知機関区のDD51を手軽な場所で記録撮影。
1)6079レ 名古屋駅
 ●DD51 1801 予想だにしていなかったヘッドマーク付き。
 ●そのヘッドマークですが「愛知機関区」「稲沢機関区」とあり、その部分をトリミング。
3)2080レ あおなみ線ささしまライブ駅直近
 ●DD51 857 ほぼ1年ぶりの中京テレビ前。
4)8075レ 名古屋駅
 ●DD51 857 新幹線の電車を背景に。
(ここからはおまけ)
5)キヤ95系
 ●名古屋駅で8075レが通過する4分前に目の前を通過。驚いた!
6)キヤ97系
 ●ささしまライブ駅で2080レを撮影直後、名古屋車両所で入れ替えしていた。

2021年03月10日 16時41分

撮り鉄修行中。名鉄呼続駅~桜駅。

私が鉄道を一眼レフカメラで本格的に撮るようになったのは2015年。早6年が過ぎました。

自分で言うのも何ですが、少しは狙った写真が撮れることが多くなってきた気がしています。でもまだまだ修行中。

今日の写真は名鉄呼続駅~桜駅間。テーマは手前に何かがある。

この写真は柑橘類。

花の名前を知らない私。多分、ツバキ。

ボケの花。で合っている気がする。

ローズマリー。ではないだろうか?

2021年03月09日 23時09分

続続 JR 春のダイヤ改正。JR北海道で18駅が廃止。

ところでこれは北海道というか豪雪地帯だけの特有な事情かも知れませんが、廃止された駅をどうするか?です。

端的に言えば廃止後にホームを撤去するかどうかということ。それは除雪作業対応。

ラッセル車は本線上では、写真の様にウイングと呼ばれる羽を外に開いて、線路上に積もった雪を取り除いています。

※撮影地…宗谷本線比布駅南方。

それが駅構内に入るとご覧の様にウイングを閉じます。もしウイングを開いたまま駅構内に入れば、ホームなどの施設を損壊させることになるのは容易に想像がつきます。

※撮影地…宗谷本線比布駅構内

ところで今回廃止される駅の多くは駅ホームの構造が1面1線。単線の線路に短いホームが1本あるだけです。

そうした構造の駅が廃止され、それに伴いホームが撤去されると、ラッセル車はその前後を含め、ウイングを開いたままで通過できるようになります。と考えると駅(のあった場所)の除雪そのものの在り方が変わるのをおわかり頂けるかと思います。

以上は宗谷本線沿線在住で、鉄道の除雪作業に詳しい方から教えて頂きました。

駅が廃止されれば、そこに列車が停車しなくなるだけ。私は単純にそう思っていました。しかし、駅の廃止とは単に旅客列車と地元利用者との関係にとどまらないことに驚きを禁じ得ません。JR北海道の駅の廃止問題をこれまで深く考えたことの無かった私ですが、こうして書いていて何かと考えさせられることの多い回でした。

今回、地元の市町村、住民の協力で残存が決まった駅も決して安泰とは言えないでしょう。何せそもそも利用客はほぼいない駅ばかり。駅の維持管理費と一言で言っても、JR北海道でしか面倒を見ることの出来ないこともきっとあるでしょうから、ここしばらくは目が離せない状況が続くと思われます。

2021年03月08日 12時00分

続 JR 春のダイヤ改正。JR北海道で18駅が廃止。

昨日の続きです。

https://www.town.horonobe.lg.jp/www4/section/jumin/public/le009f000001hwoa-att/le009f000001jop1.pdf

幌延町役場では上幌延駅と安牛駅の古い写真を探しています。

平成17年(2005年)までに撮影されたものは既に締め切られていますが、平成18年(2006年)以降に撮影された写真は今月末が締め切りの予定です。なおこの情報は「広報誌 ほろのべの窓2020年9月号」に掲載されたもの(上記URL)です。

それにしても時代だなあと思うのは、全国の広報紙がネットで見られること。自分たちは凄い時代を生きていると改めて実感。

同じ幌延町内の雄信内駅(おのっぷないえき)。

幌延町のウェブサイト『幌延町内における宗谷本線「極端に利用の少ない無人駅」に係る町方針について』にあったこの駅を存続するに至った理由は下記の通り。

*雄信内駅:宗谷本線の歴史を伝える国鉄型木造駅舎の希少性について考究が必要なこと

雄信内駅は1925年(大正14年)7月20日、現在の宗谷本線(当時は手塩南線)の駅として開業しました。その後、1953年(昭和28年)に改築されているとの記述を見つけましたが、「改築」なので大正時代の建物が残っている部分があるのかも知れません。ただ幌延町役場の資料には「国鉄型木造駅舎」とあるので、改築は大がかりであったものと推察しています。

この駅での定期列車の行き違いは朝の下り4321Dと上り4324Dの1日1回です。冬期、上りラッセルが走る時は(ダイヤ通りであれば)10:14頃、4323Dとラッセルがここでこのように交換を行っています。もっともこの光景がダイヤ改正後もあるかどうかは定かではありません。

この風景は、私が初めて北海道を訪れた1974年(昭和49年)の頃からきっと変わっていない。そしてこうした風景は当時、各所で見られたのですが、言われてみれば既に希少価値があるのではと幌延町役場の記述に納得しています。

幌延町が予算にゆとりがあるとは言えない中で、それでもこの駅を残すと判断したことにまずは敬意を表したいと思います。明治、大正期の建造物の保存は、比較的保存理由が分かりやすいのですが、「昭和」の産業遺産の保存は意外とハードルが高いのでは?もっともこれは私の個人的な感想です。

2021年03月07日 22時27分

JR 春のダイヤ改正。JR北海道で18駅が廃止。

3月13日に、JR各社でダイヤ改正が行われます。

今回私が注目しているのがJR北海道。経営が厳しい中、駅の大量廃止が発表されました。

以下、JR北海道の発表をそのまま転載します。

■駅の廃止(全18駅)

*函館本線:伊納駅

*宗谷本線:南比布駅、北比布駅、東六線駅、北剣淵駅、下士別駅、北星駅、南美深駅、紋穂内駅、豊清水駅、安牛駅、上幌延駅、徳満駅

*石北本線:北日ノ出駅、将軍山駅、東雲駅、生野駅

*釧網本線:南斜里駅

■駅の無人化

*根室本線:音別駅

■自治体による維持管理に移行する駅

※ご利用の少ない18駅について、沿線自治体から駅管理のための費用や人的な提供をいただくこととなりました。

*宗谷本線:蘭留駅、塩狩駅、日進駅、智北駅、恩根内駅、天塩川温泉駅、咲来駅、筬島駅、佐久駅、歌内駅、問寒別駅、糠南駅、雄信内駅、南幌延駅、下沼駅、兜沼駅、抜海駅

*石北本線:瀬戸瀬駅

【宗谷本線/幌延町の場合】

幌延町内でもともとJR北海道から廃止の意向を告げられたのは

*下沼駅
*上幌延駅
*南幌延駅
*安牛駅
*雄信内駅
*糠南駅
*問寒別駅

の7駅でしたが、最終的に上幌延、安牛の2駅を廃止し、それ以外の駅については、町が維持管理をするということとなりました。

ところでここでいう駅の維持管理とはどんなことがあるのでしょう?

(参照:幌延町内における宗谷本線「極端に利用の少ない無人駅」に係る町方針について 幌延町役場)

3.自治体維持管理人的負担
自治体が維持管理した場合必要となる人的負担は次のとおりです。
‧人材確保:駅巡回、除雪‧除草、清掃要員等
‧施設管理:定期巡回、駅舎乗降場修繕等

7駅を存続した場合、年間で410万円の支出が見込まれ、流石に全駅存続は断念。それでも何とか廃止は安牛駅、上幌延駅の2駅にとどめ、5駅は存続することとしました。

宗谷本線安牛駅。貨車駅舎(車掌車駅舎)の如何にも北海道らしい駅。

1日あたりの乗車人員は1人以下。(参照:JR北海道ウェブサイト/地域交通を持続的に維持するために)

冬場の積雪時でも駅への道路は通行できるようになっていましたし、ホームも列車の乗降が出来るまで除雪されていました。これを見る限り、駅は利用者の有無とは関係なく、使用できる状態でなければならないようで、確かに維持管理費がそれ相応にかかると言うことはなるほど納得でした。

私の不見識を吐露しますが、人の利用がない「秘境駅」で、どうして維持管理費がかかるのかちゃんと理解していませんでした。上に書いた「3.自治体維持管理人的負担」にあるとおり、考えるまでもなく「荒れるに任せる」ことなど現役の駅ではありえないことなのです。

2021年03月06日 22時57分

切手と消印(24)新幹線博多開通記念切手展。

1975年(昭和50年)3月10日、山陽新幹線の岡山~博多間が開通しました。

博多郵便局らしく、「愛のたよりを博多から」なんて、なかなか泣かせるフレーズです。

ところでこの消印にある「新幹線博多開通記念切手展」ってどんな展示だったのでしょう。興味津々。

さてこの時の博多開通。私は何と初日に小倉まで乗っていました。春休みとはいえ、新規路線の開業日に乗る事への興味は全く無かった頃で、それもあってなぜ九州に行く気になったのかさっぱり思い出せません。

何れにしろ特に乗り鉄を意識することもなく、また写真を撮ることもなく、ただふらふらと旅をしていた時代です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!