2021年03月05日 15時49分
呉線電化完成記念。
「呉郵趣研究会」「呉鉄道同好会」の共同発行。消印の日付は45.10.1(1970年10月1日)。
非電化時代の呉線を代表した列車「急行あき」。その最後の勇姿の撮影に私が出かけたほどですから、それはなかなかの存在でした。
ところで呉線が電化されてからこの線には一度も行っていません。こうして書いているのも何かの縁。コロナが収まったら出かけてみようと思っています。
呉線電化完成記念。
「呉郵趣研究会」「呉鉄道同好会」の共同発行。消印の日付は45.10.1(1970年10月1日)。
非電化時代の呉線を代表した列車「急行あき」。その最後の勇姿の撮影に私が出かけたほどですから、それはなかなかの存在でした。
ところで呉線が電化されてからこの線には一度も行っていません。こうして書いているのも何かの縁。コロナが収まったら出かけてみようと思っています。
「市政80周年 豊橋まつり」の消印。61.10.18の日付(1986年10月18日)あり。ところで豊橋という地名は明治維新以降のこと。
もともとは「吉田」と呼ばれていました。それが町を流れる「豊川」に架かる橋から「豊橋」という地名になり、1906年(明治39年)8月1日に市制が施行されました。
日付がズバリで無いのは豊橋まつりに合わせてのことでしょう。
消印の電車ですが、私の推理はモ3800。あっていたら嬉しいな。
DD51とDF200の重連で、多分今、名古屋界隈で一番撮り鉄さんの注目を集めている列車。8075レ。
関西本線名古屋~四日市間の撮影ポイントは何カ所のありますが、歩き鉄でも簡単にアプローチできるのが弥富駅の出発。この写真でシャッターを押したのは17:09頃。
振り向きざまの1枚。
私はこの列車の動向に詳しくないのですが、あと少しでこの異形式の機関車重連が無くなるとのこと。ネットでも色々な写真が上がっています。
機関車が「主役」の列車でこの後ろ打ちは何だかなあということになりそうですが、結構好きなカット。
名古屋市営地下鉄の記念スタンプ。
昭和52年(1977年)3月18日、地下鉄3号線開通。「地下鉄3号線」とは、名古屋市民であってもその名に馴染みがない。
消印をよく見れば電車の形と区間で「鶴舞線」の最初の開業だ!とは分かりますが、鶴舞線はあくまでも「愛称」なので敢えて正式名称で「地下鉄3号線開通記念」消印としたような気がします。何故って言えば、鶴舞線は最初から鶴舞線の名前があったからです。
ところでここでの消印は3月19日の日付。恐らくこの郵便書簡を購入された方は、開業日の翌日にこれを手に入れたものと推察しています。
一方こちらの電車。一般的には「3000形」の方が通りが良いと思うのですが何故か3800型」。方向幕の「伏見」からすれば確かにこちらは「3800」番台。
数字の3801が読めるので敢えて形式名ではなく、個別の型番にしたのかな?
武豊線開業100周年関連の最後です。
「愛知の鉄道100年フェア 記念スタンプ帳」。
木曽川、一宮、稲沢、枇杷島、名古屋中央、熱田、大府、東浦、半田、武豊の各郵便局のスタンプが並んでいます。
「木曽川」は昭和の時代は「木曽川町」として一つの市町村でした。その後「一宮市」に編入されるのですが、「神楽獅子舞」は知りませんでした。
一方「一宮」には「七夕」があり、各地各様、名物を取り入れていました。
国鉄武豊線開業100周年記念。こちらは東浦郵便局の発行。
この一連を一つでくくれば既に4回目の連載。100年という区切りのインパクトの大きさ故でしょう。NPO法人名古屋レール・アーカイブスで最初に「切手と消印」の整理を始めたときに、武豊線開業100周年が多いなあとは思いましたが、考えてみればそれだけの価値があるということを、ここに今書きながら認識を新たにしています。
ついでながら、C56の左側にある「ぶどう」の房。東浦町がぶどうの産地であることを思い出しました。
今回の消印での発見。
●小型記念通信日付印
●通信日付印(和文)
「風景印」と「小型記念通信日付印」が異なるものだと言うことを知りました。
もっとも私がこれを蘊蓄(うんちく)として語れるようになることはないでしょうが、それでも小話としては話せそうです。
駅のホームを組み立てる。
よく見れば(よく見なくとも)駅名標とか飲料の自動販売機の貼り付けシールの形がいびつで、しかも水平が取れていなかったりしている。
カッターで、ミリ単位の切り出しをするのは至難の業。慣れもあると思うが…、などとついつい言い訳が先行してしまう。
ホームを見本通りに作り上げるには、集中力だけでは何ともならない気がする。それにしても金属定規をあてての切り出しが、これほど真っ直ぐ切れないものとは、夢にも思わなかった。言っちゃ何だが、そんな初歩の初歩からやり直しの人生。
まあ今回はこれくらいで許してやろうと、自分で自分に大甘な採点。でもいやいやではなく、結構楽しんでいる自分がいる。
(参考)付けていないパーツが多数。貼っていないシールが山ほどあり。
国鉄武豊線開業百年記念切手帳。
発行は半田郵便局と半田市内到底郵便局。
昭和61年(1986年)4月29日から5月5日まで運転された蒸気機関車を題材にしています。
私にとっては笹島駅で開催された「愛知の鉄道 100年フェア」の馴染みがあり、その記念行事で走った「SL一世紀号」は撮影出来ませんでした。
ところでこの「1世紀号」は期間中、毎日武豊線を走ってはおらず、東海道本線の木曽川駅まで往復した日もあります。
●武豊線/武豊~熱田間が開業したのは1886年(明治19年)3月1日。
●その後、清洲、一ノ宮と延伸され、同年の6月1日までに木曽川駅まで到達しました。
その関係で、「1世紀号」は武豊線だけではなく、東海道本線を木曽川駅まで走りました。
ほぼ半日がかりで変電所を組み立てました。
Nゲージサイズ(1/150)なのでミリサイズの部品が多く、老人力を発揮するつもりはないものの、老眼鏡と拡大鏡をセットで使っても肝心の部品を取り付ける場所が見えない。ピンセットで部品をつかんで取り付ける場所に手を持って行く。その途端、手が震えて部品を落とす。四苦八苦。
プラモデルと同じ作業と言えばその通りだと思う。とは言ってもプラモデルを最後に組み立てたのは恐らく半世紀以上前。
下の見本写真と、とりあえずの完成品と比べてみれば、付いていない部品あり。何故?まあ何かと色々ありまして…。
こうして模型沼に段々はまって行く。
こちらは半田亀崎郵便局の「武豊線開業百周年記念」。
1号機関車150形。1872年(明治5年)の日本の鉄道のスタートにあたりイギリスから輸入された機関車のうちの1両。
新橋~横浜間で使用された後、武豊線の開業時にこの地に来て、そして走ったとのことです。
こちらのスタンプは「武豊線での画期的な電気式ディーゼル動車 キハ43000形」。1937年(昭和12年)、当時の鉄道省が作った気動車で、武豊線で使用されたことは間違いないのですが、その後に向けての結果を出すことが出来ず、量産されることはありませんでした。「電気式」という確かに「画期的」ではあった車両でした。
ところで武豊線の100周年関連。まだ続きます。