2021年02月03日 22時22分

1月27日にUPした「自転車で散歩「鉄」。東海通の踏切。」の続き。

パノラマカーとDE10 1562の共演。いや競演か?

ここの踏切で両方を入れての撮影はほぼ無理。だと思っています。

この日もトラックとかバスが停車しなかっただけでもラッキーでした。

2021年02月02日 22時44分

名古屋エリアの定番スポットへ行ってみた。大府駅近くの陸橋。

一度行ってみたかった東海道本線の定番スポット。

大府駅~逢妻駅間の東海道本線を国道366号線が立体交差で越える橋。広い歩道があり、安全に撮影することが出来ます。歩き鉄ですと武豊線の尾張森岡駅が近そうですね。

12:14頃。普通電車の岐阜行き。

12:20頃、左側は快速豊橋行き。右側はEF66112牽引の2059レ。西濃運輸カンガルーライナー。

編成美を感じます。

編成の後ろの方に見慣れないカラーリングのコンテナ。センコーグループRUNTECとあり、調べたところ冷凍コンテナだそうです。

EF641046牽引の3075レ。12:37に目の前を通過。

EF210-328牽引の2053レ「トヨタロングパスエクスプレス」。13:06に通過。

先頭の白っぽいンテナは何でしょう。私は全コンテナが統一されていると思っていたので…。

不要不急の外出自粛はまだまだ続きます。当面は名古屋エリアの近場で、散歩もしくは所用のついで鉄の日々が続きそうです。

2021年02月01日 19時44分

自転車で散歩「鉄」。JR東海道本線南大高駅。

昨日(1月31日)の自転車爺散歩。

JR南大高駅跨線橋。
自転車を漕ぐことに少し慣れてきた。それだけにより慎重に行動。

遠くに名古屋駅の高層ビル群が見える。

少し場所を変えてみた。架線柱が意外といいアクセントになったと自画自賛。

2021年01月31日 21時41分

さようなら、世界貿易センタービル。

東京/浜松町の世界貿易センタービルディング展望台「シーサイドトップ」が、本日の1月31日をもって営業を終了しました。

鉄道は写っていませんが海側はこんな眺め。

名古屋の方には馴染みの薄い場所かも知れませんが、そこからの眺望のすばらしさはこのブログでも2019年12月02日に書いています。

この写真は再掲。一期一会。

もう一度行きたかった。

出来れば夜!

2021年01月30日 21時43分

切手と消印(1)鉄道100年記念。

NPO法人名古屋レール・アーカイブスでは鉄道の切手などの寄贈を受け、それを保存活用しています。

まずは「鉄道100年記念」。

昭和42年(1968年)10月14日の消印有り。

FIRST DAY OF ISSUE(ファーストデイオブイシュー)。日本語では「初日カバー」。切手収集が趣味の方にとっては馴染み深いものですが、そうではない方には少し遠い存在かもですね。

今日からこうした消印付きの切手を中心に収蔵品の一部を紹介します。しばらくお付き合いください。

2021年01月28日 21時14分

自転車で散歩「鉄」。東海通の踏切。の警報灯。

東海通の踏切から名古屋港方面。

シートレインランドの大観覧車が見えます。

こちらは名古屋駅方面。どちらも手軽な撮影ポイントは見当たらなさそう。

さてこの踏切の警報灯。おしゃれな街路灯のような形。全方向(全方位)踏切警報灯。

こうした全方向(全方位)踏切警報灯は、その存在は聞いたことがあるものの点滅している所を私は見たことがありません。このタイプの警報機のある踏切をきっとどこかで通過しているはず。…と思うのですが。

かと言って週3往復のこの名古屋港線、しかも運休も結構あると聞いている名古屋港線で見るのは、ダイヤが分かっていてもハードルが高いですね。

2021年01月27日 17時35分

自転車で散歩「鉄」。東海通の踏切。

JR貨物名古屋港(なごやみなと)線。東臨港線という呼び方の方が私たちの年代には馴染みがあります。

今や週3往復の列車が走るのみとなったこの線の踏切を、今日は見てきました。

その名古屋港線と東海通が交差する踏切。車はちゃんと一時停止していますが、列車がほぼ通らない踏切だけに信号機では駄目なのだろうか?いう気持ちになります。

それはさておき踏切が近づくとこうした「踏切あり」の警戒標識が出てきます。

※国土交通省のウェブサイトで、このタイプの標識が正式にあるのをちゃんと確認しています。

ところが一か所だけ???何か違和感。

非電化の路線に「電車」のマークも何だかなあですが、この標識はJRなのに名鉄電車。

しかもパノラマカーで種別が特急。全国津津浦浦(つづうらうら)の警戒標識で、国が定めていない標識はかなり珍しいかそもそも全国でここだけ?

そしてこの標識のインパクトには絶句!

●この警戒標識の情報は、鉄友のAさんから教えて頂きました。多謝。

2021年01月26日 19時58分

自転車で散歩「鉄」。宮の渡し。

東海道五十三次41番目の宿場、宮宿。その宮宿と桑名宿の間は東海道唯一の海路「七里の渡し(宮の渡し)」で結ばれていました。

宮宿の船着場は今は宮の渡し公園(名古屋市熱田区)となっており、市民の憩いの場として親しまれています。私自身、取材で何度かここを訪れています。

海路の港であっても、やや内陸に入っているので羽を休めているのは海鳥ではありません。でも水辺の風景がそこにあります。

1月26日の昼下がり。

公園から新幹線が見通せます。

天候が今一つなので「いざっ」という時のための準備。

北から南方向を見ているので晴れていれば必ず逆光。でも晴れている時に来てみたい。

帰りがけの駄賃。名鉄常滑線神宮前~豊田本町間。

2021年01月25日 21時38分

自転車で散歩「鉄」。名鉄本笠寺~元星崎。

名鉄の本笠寺~本星崎間。桜で知られた場所以外の捜索。これって大事ですよね。

急行豊川稲荷行き。

かつては「用水」だったと思われる水路。水鏡にならないかと挑戦したけど撃沈の1枚。

撮影できる場所が限られるので、皆さんに「おっ!」とか言ってもらえるどころか、残念な写真も紹介するこのブログでしかUP出来ない1枚。

撮影ポイントが出尽くした感がある名鉄沿線。新味はなくとも私にはどこもお初。

自転車鉄の旅は続く。

2021年01月24日 12時02分

內田 百閒著「阿房列車」。

內田 百閒(うちだ ひゃっけん、1889年(明治22年)5月29日 ~1971年(昭和46年)4月20日)著「阿房列車(あほうれっしゃ)」。

三笠書房刊 1952年12月30日第1刷刊行。

私の手元にあるのはその第2刷。真ん中にある「印」は著者検印。いつの時代まであったか覚えていませんが、見なくなって2~30年は経っていそうです。

価格に「定価」と「地方価」があるのを見たのは、私にとってはこの本が初めてでした。

「地方価」って何だろうと調べたら、国立国会図書館が運営するレファレンス協同データベースに、三田市立図書館 (兵庫県)『書籍の「地方売価」がなくなった年を知りたい』があり、回答欄に『『日本雑誌協会日本書籍出版協会50年史』のWwb版 P.38によると、“1959年9月1日に「全国均一運賃込み販売制」が、書協・取協で取り交わされ、廃止となった。”との記載があった。
http://www.jbpa.or.jp/nenshi/  「地方売価」は、「地方価格」または「地方価」ともいう。』を見つけました。

書籍が全国一律価格でなかった時代があったことは分かりましたが、それ以上は私はギブアップ。

ところで今回はそうした事ではなく、この本そのものの話。

內田 百閒は小説家で随筆家。で、この本は自身の旅の紀行文(随筆)。この著者は今風に言えば乗り鉄で、鉄道に乗ることを目的にした旅を楽しんでいました。そしてこの本を私は随分前に一部を読んだ記憶があるのですが、シリーズ全作は手つかずです。

さてこの本の価値について一言。なおあくまでも私の私見です。

昭和の時代だけではなく、それ以前でも鉄道そのものの歴史(路線、車両、駅などの施設…)は、公文書などで探ることが出来ます。しかし当時の車内の様子などを記録した公文書はどうでしょう?

サービスを提供する側ではなく、サービスを受ける側から見た駅員さんや車掌さん、食堂車や車内内販売の様子はなかなか見当たらないというのが実情ではないでしょうか?「阿房列車」のシリーズはそうした当時の風俗も描かれており、遠い過去の出来事なのに「へーっ」という感想も持てる興味深い一冊です。

私の鉄道史を研究している知人は、「この一冊を読まずして戦後の鉄道を語るなかれ」というほどの勢いで、それは私にとってもうなずける範囲ではあります。

とまあそんなこともあって現在、絶賛読書中です。

(参考)

この本は、NPO法人名古屋レール・アーカイブスの蔵書です。この会では、鉄道事業者やメーカーに関する資料だけではなく、宮脇俊三氏を始めとした鉄道に関する随筆などの読み物も数は多くありませんが所蔵しています。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!