2021年01月12日 11時44分

定番撮影地。中央本線矢田川橋梁。

コロナ禍の中で遠出が出来ない状況が続いています。ということで近場の定番撮影地、中央本線矢田川橋梁(新守山~大曽根)へ。撮影は昨日(1月11日)。

10:40頃、1004M特急「しなの4号」長野発名古屋行き。

10:51頃。3130M高蔵寺発名古屋行き。

10:54頃。6088レ。天気予報は晴れでしたが、結局曇り。記録としての撮影ということで、この日はこれで終了。

この場所での撮影者は私も含め4名。平日だったら私1人だけだったかも知れません。

2021年01月11日 20時16分

名鉄資料館閉館。

昨年末、12月25日(金)をもって、名鉄資料館閉館が閉館しました。

私は2度伺っています。

一度はプライベートで、一度は仕事です。

目を惹く展示と言うより、地味ながらも名鉄の歴史を探求できる資料も多く、じっくり時間をかけて「読み解く」必要のある資料館でした。

ところでこの2枚の画像ですが、「名鉄資料館閉館記念」入場券。

閉館記念のパンフレットではありません。

1枚目の画像の右下が入場券となっていました。

記念券らしからぬデザインですが、思わずこれって原価がいくらだろうとか思ってしまいました。紙質も良く、商売っ気のない記念券。2000枚の発行ですから全部売れても34万円。販売にかかる費用を考えると、名鉄からの資料館26年間のご愛顧へのお礼のように思えました。

2021年01月10日 17時29分

東山動植物園のスカイビュートレイン。

気温は低いものの暖かそうな陽の光に誘われ東山動植物園に爺散歩。

65歳以上の名古屋市民の入場料はワンコインの100円。

一応、見るものは見て。

スカイビュートレイン。

自分でも何やってんだ、と、思う。

また散歩に来よう!

2021年01月09日 21時56分

歩き鉄。JR笠寺駅。

現在の状況の中でも出来る撮り鉄。

家からの歩き鉄。

運動不足の解消もあり公共の交通機関は使わない。スッキリ晴れた1月4に出かけてみた。

目的地はJR笠寺駅。今回は在来線と新幹線の交差が狙いなので、笠寺駅のすぐ北側にある歩道橋の階段を数段上ったところでカメラを構える。

青空が綺麗だったのでそれを広く入れようと思ったのですが、1枚目の写真を含め架線柱が思いのほか目立ち、画角の工夫が必要と感じた次第。

少し場所を変えての1枚。(青空)狙いには近いのですが、電車の正面の顔の部分に架線柱の影。シャッターを押すタイミングがNGですね。

もう一度位はここに挑戦しても良いかな?と思っています。

2021年01月08日 10時43分

地下鉄開業60周年記念特別装飾列車。

名古屋市交通局地下鉄東山線の電車の話。

私は2017年11月5日、地下鉄開業60周年記念イベントの一つ「ミュージックトレイン」 に乗車していました。(この写真は当日撮影)

そしてその後、「地下鉄開業60周年記念 特別列車運行中! 地下鉄開業60周年を記念して、東山線を走るN1000形1編成の高畑側先頭車両(N1615号車)車内に特別な装飾を施し、特別列車として運行しておりましたが、ご好評につき、当面の間、運行を継続することとなりました。ぜひご乗車ください。」というアナウンスが名古屋市交通局からあり、その時は「そうなんだ」とだけ思っていました。

ところが昨年末の12月31日、たまたま乗った電車がこの電車!何だか懐かしい友と出会った気分。

個人的にはこのデザイン、気に入っています。

※N1115編成の高畑側先頭車両(N1615号車)

2021年01月07日 22時44分

絵はがきに見る鉄道史(46)山陰本線/保津川橋梁と向野橋。

2020年10月08日に(旧)山陰本線/保津川橋梁の写真をUPしています。

現在の嵯峨野観光鉄道トロッコ列車の保津川橋梁。この鉄橋は実は2代目。

初代保津川橋梁。1899年(明治32年)に完成し、1928年(昭和3年)まで使用され、その後1枚目の写真の2代目にその役目を譲りました。

ところでこの絵はがきでは保津川下りが写っています。明治時代には既に観光客相手の遊覧船があったとのことで、さてこの写真が撮影されたのはいつでしょう。

こちらも初代保津川橋梁。鉄骨の組み方で初代と判断しています。

くっきりした写真ではない上に着色しているので、ディテールがはっきりしません。ただ何となくタンクの蒸気機関車+小型客車に見えます。そうするとこの区間を1899年(明治32年)に開通させた「京都鉄道」の可能性が高まります。

とまあ私の歴史推理はここまで。勘では明治40年代頃ですが、、、。

こちらは名古屋の向野橋(こうやばし)。手近な撮り鉄ポイントとして知られていますが、何とこの橋は初代保津川橋梁。そんな縁で初代保津川橋梁の絵はがきを2枚集めたのですが、思わぬ所に転用され、今も現役とはなかなかしぶとい鉄橋です。

もう一点。この向野橋があるので、絵はがきが初代保津川橋梁と特定できています。そうっ、鉄骨の組み方が、遠目ではその違いが分かりにくいのですが、写真をトリミングするとはっきりと違いが分かります。

2021年01月06日 14時22分

西枇杷島駅(5)レンガ造りのトンネル。

今回、西枇杷島駅に出かけたことで、東海道本線をくぐるレンガのトンネルを見つけました。

西枇杷島駅を名鉄岐阜方から撮影しようと思い、駅の西側をぐるっと回って気付きました。

トンネルの高さは多分180センチ(位)。しっかりとした構造なのですが、一体いつからあるのでしょう?

名古屋電気鉄道津島線西枇杷島駅が出来たのは1914年(大正3年)1月なので、、、と書きつつ、それとの立体交差のため東海道本線が高架化されていたと言うことはないですね。

東海道本線がこの辺りで高架っぽくなっているのは、すぐ南側の庄内川を渡るために徐々に高度を上げていたと考えるのが妥当で、ただ線路下を東西に結ぶこの(歩行者用)トンネルがいつからあるかはネットで検索しても分かりませんでした。

このレンガのトンネルの来歴もいつかは調べようと心に誓った次第。

2021年01月05日 11時02分

西枇杷島駅(4)昭和の名残り。

名古屋鉄道名古屋本線西枇杷島駅。

名鉄の駅の中で、もっとも「昭和」を残していると言っても過言ではないでしょう。

改札外の待合室。電車の到着までホームに入れないこの駅故に残った遺物。

木の造り付けの椅子は名鉄ではもうここだけ?

波板ガラスという言い方で良いのかな?昭和の時代には見かけましたが今や、絶滅危惧種。

1949年(昭和24年)8月1日から恐らく何も変わっていない。これも無人駅となりしばらくすれば取り壊される?

令和3年1月15日まであと10日。昭和の息づかいを感じることが出来る日はあと少しです。

2021年01月04日 17時17分

西枇杷島駅(3)謎の階段。

ところで今回の工事をする中で発見もあったようです。

こちらは上り(名鉄名古屋方面)ホーム。仮設で作られたホームの下が何だか階段っぽい。

こちらは下り(名鉄岐阜方面)ホーム。もっと階段っぽい。

この角度の方が分かり易いかも知れない。

西枇杷島駅は元々名古屋電気鉄道津島線の駅として1914年(大正3年)1月23日に開業。戦時中に休止した後、1949年(昭和24年)8月1日に多くの方が知っている今に繋がるデルタ線の駅として営業を再開しました。

※津島線はその後、枇杷島橋駅(今はありません) ~須ヶ口駅間が1941年(昭和16年)8月12日に「名岐線」となり、その「名岐線」は 1948年(昭和23年)5月16日に「名古屋本線」に名称変更しています。

今回この西枇杷島駅の歴史に触れたのはこの階段の歴史を紐解くため。

で、ここからは推察になるのですが、それは「開業時のホームの遺構」が発掘されたのでは…、ということ。開業時の西枇杷島駅は2両編成用のホームがあったとのことで、それを戦後の営業再開時に4両編成が停まれるように工事をしており、その際、階段を埋めてホームを伸ばしたというのが、この階段の存在を私に教えてくれた方の考察です。

かなりの確率で合っていそうだと私も思っています、

この地図は1915年(大正4年)1月1日発行の「名古屋附近交通地図」(発行:扶桑新聞)。今日のブログの投稿が、この地図にある「西枇杷島駅」が今に蘇ったという歴史浪漫であることを私は祈っています。

2021年01月03日 11時43分

西枇杷島駅(2)ホームに入れるのは電車到着直前。

遮断機の手前にあるのがホーム(名鉄岐阜方面)に向かうための階段。線路から一番離れた所を歩いたにしても、電車にあまりにも近い。

また向こう側のホーム(名鉄名古屋方面)に渡るための構内踏切の遮断機は電車ギリギリの所に設置されています。

それゆえ停車する電車の到着時以外は、ホームに乗客が行くことは安全確保のため許されていません。ということで左側のホームには誰もいません。

自動改札機はいつでも使えるのですが、そこから先、ホームに向かう手前に遮断機あり。分かり易くするために次の写真をご覧下さい。

この一番手前の遮断機がそれ。

通常の運用としては、電車の到着数分前に、駅員さんから「乗車案内」がなされ、乗客はホームに向かいます。一方、電車到着時は降車客がホームからいなくなったことを毎度、駅員さんは確認しています。

この駅員さんは始発から終電までここで乗客の安全確保をされています。

今回、西枇杷島駅では追い越しが出来る施設を撤去し、ホームを広くする工事をしました。それによりホーム上の安全が一定レベル確保されることとなり、新駅舎を作り、合わせて(名実共の)無人化されることになったのです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!