2020年12月24日 11時17分

月1の鉄道模型講座、第3回。

11月21日(土)の最終形。そしてここからは12月19日(土)。

右奥を小高い山にしてみようと思いたち、1段増やしてみた。

この教室では、先生の見本をそのまま作るのではなく、ベースは変わらないにしてもところどころ「こうしてみたい」と思えば、それを実現するにはどうすれば良いかを教えて頂き作業を進めています。

次に道路の部分の造り込みの準備。

さて大きな切り出しが済んだところで地色を塗っていきます。絵具を混ぜて色を作っていく作業は、半世紀前の高校の美術の授業以来。

色を塗ったら何となく「らしく」見え始めました。(続く)

2020年12月23日 11時00分

正縮尺の鉄道地図本。

*新潮社刊「日本鉄道旅行地図帳」(2008年刊 監修:地図研究科/今尾恵介)

たまたまの話の展開で、『新潮社の鉄道地図本より遥か以前、正縮尺で、鉄道地図本が出ていた』ことが話題に。

それは1966年に鉄道図書刊行会(株式会社電気車研究会)から出版された「日本鉄道線路図」という書籍とのことで、「鉄道ピクトリアル」誌の2009年1月号に復刻版が掲載されていることも教えて頂きました。
ここまではお安い御用。(笑)
さてここから本家本元の「日本鉄道線路図」を捜す!という事になるのですが、NPO法人名古屋レール・アーカイブスの蔵書にあるのでは?と微かな期待は持っていました。しかし、事務所で蔵書リストを検索しても見当たりません。
ただリスト化されていない蔵書も相当数あるので、所蔵庫を徹底的に探したところ、、、発見!!
書棚を見て回り、書架が残り3本となったところで目に飛び込んできました。
私好みの軽便鉄道「歌登村営軌道」の地図。
名古屋市内に市電が走っている時代。電停名は手書き?ところどころ訂正?がありますが、詳細は不明。
さて「正縮尺の地図」の定義ですが、「日本鉄道線路図」は確かに正縮尺ですがイメージとしては白地図です。それもあって新潮社刊「日本鉄道旅行地図帳」の方が“地図”らしいと思えます。よって「日本初」のキャッチフレーズはそれはそれで良しと言えそうです。

2020年12月22日 10時47分

しまかぜ×ひのとり×ひのとり。

先週の土曜日(12月19日)18:05。
近鉄名古屋線近鉄八田駅。
「しまかぜ」を追い越す「ひのとり」の撮影が目的でした。
※近鉄八田駅近くにお住まいの方から教えて頂きました。
で、上下「ひのとり」の離合。
この可能性も聞いてはいましたが、ここまでドンピシャになるとは想像していませんでした。
しまかぜが回送列車とは言え、この日の撮影は満足。
そして振り返れば…。
鉄道写真と胸が張れるものではありませんが、まずは記録写真という事で。

2020年12月21日 15時10分

名鉄×近鉄「サクラサク入場券」

今日は近畿日本鉄道、名古屋鉄道の受験生応援コラボ企画「サクラサク入場券」を買ってきました。
これまでは「サクラサクきっぷ」だったのですが、今年は入場券。そして両鉄道の「桜井」駅が新たに仲間入り。
で、気付きました。名鉄の「碧海桜井(へきかいさくらい)」って、いつ「桜井」になったんだ。(驚)
2008年(平成20年)の高架化時に変更になっていたなんて、、、。実は西尾線桜井駅近くに年に2~3度出かけており、高架駅も毎回見ていたのに…。
そう言えば今年春の「サクラサクきっぷ」では名鉄名古屋駅の購入者プレゼントが「マスク」で、それには本当に助けられました。
※今年の名鉄購入者プレゼントなどにつきましては、名鉄のHPなどでご確認ください。

2020年12月20日 19時49分

絵はがきに見る鉄道史(44)大名古屋三十二景の2。

交通頻繁(ひんぱん)なる栄町交差点。ところでこの絵はがきのシリーズは、表題が左から右に向かって読みようになっています。当時としてはかなり珍しいと思え、私も昭和10年代までの出版物で右書き以外を見たのは恐らく2~3例目。

栄町交差点をトリミング。左手前のレンガ造りの建物は日本銀行名古屋支店。建っていたのは東北交差点。

右奥。栄町交差点南西角の屋上にドームのある建物は、かつてのいとう呉服店(後の松坂屋百貨店)。そして正面奥の建物が1925年(大正14年)に移転開業した松坂屋百貨店です。

ということでこの写真は手前が今の市役所方面、奥が南大津通~金山方面。右が名古屋駅で左が今池方面という事になります。

また真ん中の名古屋市電では、折り返しで金山方面に向かう様子が写っています。恐らく熱田電気軌道が開業し、名古屋電気鉄道を経て名古屋市電となった東築地線の南陽館前との間を結ぶ系統。昭和10年代前半の名古屋市電で、栄町で折り返す南北を結ぶ系統は1系統のみでした。

遊楽街の大須門前。「Playing Center」の英訳になるほどという感想あり。

殷盛(いんせい)を極むる御幸本町通り。「The Commercial Circle Of Nagoya」って英訳が私の中では意味不明。

 

 

 

2020年12月19日 22時15分

絵はがきに見る鉄道史(44)大名古屋三十二景。

大名古屋三十二景。三十二枚入。袋の図案は名古屋の象徴「名古屋城」。

名古屋城/外苑の眺望名古屋城。

名古屋城/仰ぐ鯱名古屋城。

名古屋城/世界一金の鯱。

名古屋城だけで3枚。それにしても昔の金鯱は金網でガードされていたんですね。

新名古屋駅。まずはこの絵はがき集が発行された時の時代の特定。

既に何度もこのブログで書いていますが、写真の三代目名古屋駅の開業は昭和12年。「新名古屋駅」という書き方もあり、この絵はがき集が撮影されたのは昭和11年末~昭和12年初で間違いないでしょう。

で、その歴史的視点で今回は全32枚を何回かに分けて全てUPします。

海の玄関名古屋港。

海陸の交通は中川運河。

中川運河は昭和7年に全線供用され、海運の名古屋港と鉄道の笹島駅(貨物駅)を結ぶました。それにしても名古屋を紹介する絵はがきに「運河」が出てくるという事で、この運河が当時の名古屋でどんな位置付けだったかが分かります。

2020年12月18日 15時06分

少々寒い。

窓を開けた地下鉄車内(写真は桜通線)。
すっかり日常風景となっています。
もっともそのせいか冬になり暖房が入っても車内が暑くありません。以前ならコートを脱いだりもしていましたが、今冬はその必要が無さそうです。

2020年12月17日 22時08分

絵はがきに見る鉄道史(43)大名古屋。

大名古屋。GREAT NAGOYA。

7枚セットの絵はがき。やはり名古屋城は外せません。

熱田神宮。

1937年(昭和12年)3月24日に開園した東山公園。撮影した時期に近づきました。

※参考:東山動植物園公式HP「東山動植物園の歴史」。

1937年(昭和12年)2月1日に使用が開始された3代目名古屋駅。この写真をよく見るとまだ工事中に見えます。ということで全体の印象として、昭和12年になったかならないかの時期に順番に撮影されたのではと思っています。

もっとも私の興味は左隅の名古屋市電。多分1300形。合っていて欲しい。

名古屋港。撮影時代が分かるとその視点で色々考えられて楽しいですね。

2020年12月16日 21時01分

絵はがきに見る鉄道史(42)樺太/続 大泊。

樺太・大泊。

本土から樺太への玄関口。

稚内からの連絡船。「樺太大泊名所 樺太の玄関大泊港駅出船間際の連絡船亞庭丸」。大泊港の桟橋に駅があり、それが大泊港駅(で間違いないはず)。

この線路は桟橋の大泊港駅に向かっていた。

樺太大泊市街 銀座街(栄町)。

さて時代の特定。亞庭丸が稚泊(ちはく)航路に就航したのは1927年(昭和2年)。それ故それ以降の撮影で間違いありません。

大泊市街軌道。「樺太要覧 昭和15年(昭和16年 樺太庁発行)」の『第八章 交通通信 第一節 交通 軌道』によれば大正13年(1924年)、大泊船見町~楠渓町間で開通。ただ昭和3年(1928年)には休止。つまりこの写真はその数年の撮影であることは間違いありません。

一方、左上のスタンプ「香川県教育会主催 視察旅行」。流石にこれをヒントに検索しても手掛かりなし。

ところでこれまでUPした大泊の絵はがきとこの絵はがきではキャプションが右書きと左書きとの違いがあり、同時期の発行とまでは言えないでしょう。それでも街並みを見ればそれほど遠い時期ではないかと推察しています。

さて結論。上3枚の写真については昭和3年~昭和10年頃までで中らずと雖も遠からず(あたらずといえどもとおからず)でしょう。

2020年12月15日 14時59分

絵はがきに見る鉄道史(41)樺太/大泊。

樺太の位置関係の整理。1939年(昭和14年)12月号の時刻表(日本旅行協会)の路線図。

右下の大泊は現在の「コルサコフ」。真ん中の如何にも中心地らしい「豊原」が「ユジノサハリンスク」。西海岸(左側)の上の方に真岡(現在のホルムスク)があり、南端が本斗(現在のネヴェリスク)です。

この絵はがきは楠渓町(なんけいちょう)駅。稚内からの連絡船が到着する「大泊」の町の中心駅でした。もともと大泊(おおどまり)という駅名で開業したのですが、1913年(大正2年)に改称しています。

ところが上の路線図にこの楠渓町駅が見当たりません。

時刻表では「大泊」の下に「楠渓町」あり。なぜそうなっているかは不明。



ADVERTISEMENT

カレンダー

2022年1月
« 12月    
 1
2345678
9101112131415
16171819202122
23242526272829
3031  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!