2020年12月04日 21時08分

晩秋 大井川鐵道(4)おまけ。

11月29日(日)の大井川鐵道。おまけ編。
1か所目)大井川鐡道が見える喫茶店。
福用~大和田間。国道473号線から少し入った場所。
こじんまりした店内は味わいがあり、ご主人の手作りグッズが私たちを出迎えてくれます。
2か所目)大井川の河川敷で見つけた石積み。
どうやって積んだ?
3か所目)「とろろ茶そば」を頂いた食堂の駐車場。
四季桜と
ホーロー看板が目印。ハイアースの看板が水原弘だと思いだしたのは家に帰ってから。
4か所目)川根温泉笹間渡駅近くのお茶畑。
白い点々はひょっとしたら、、、
お茶の花。これ結構珍しいはず。調べて見たら、お茶の花は良い茶葉を作るために摘んでしまうのが一般的なようです。ではここで咲いていたのは何故?
5か所目)「KADODE OOIGAWA」の名物(あくまでも私見)の数々。
①タバコならぬ「ちゃばこ」の自販機
②SLソフトクリーム。大井川鐡道の撮影に車で行ったら、これはもう定番になる予感。
 *左から「煙」「漆黒」「ミックス」。
  「煙」はミルクソフト味
  「漆黒」はチョコレート味
  奇をてらっているのは見た目の色だけで味は美味しかったです。
③お茶の産地なのでお茶を使ったチョコレート。

2020年12月03日 12時58分

晩秋 大井川鐵道(3)〆は門出駅。

11月29日(日)の大井川鐵道。〆は門出駅。
2020(令和2)年11月12日(木)開業の新駅。
緑茶・農業・観光の体験型フードパーク「KADODE OOIGAWA(かどでおおいがわ)」が併設されており、そこには大井川鐵道で活躍したC11 312が展示されています。それが目的で今回立ち寄りました。
このC11 312はもともと会津線で活躍していた機関車で、その後縁あって松阪市の駅弁屋さん「駅弁のあら竹」に引き取られ、「ドライブインあら竹」にて、1975年(昭和50年)から1988年(昭和63年)の間展示されていました。
その後大井川鐵道に転じ、よもや復活して本線を走るとは思いもよりませんでしたが、更に言えば今回、静態展示されるとはつくづく運に恵まれた機関車だと思います。

2020年12月02日 11時20分

晩秋 大井川鐵道(2)とろろ茶そばとSL列車。

11月29日(日)の大井川鐵道。
お昼ご飯は「とろろ茶そば」。お茶と自然薯の産地なのでこのコンビは私にとってのお約束。
実はこの日、予定では大井川第二橋梁、場合によっては第四橋梁を目指すことも考えていました。しかし紅葉のピークが例年以上に早く、奥に行っても時季外れと思われ、午後一のEL急行も田野口~下泉で狙うこととしました。とか書くとまるで私が判断したみたいですが、同行の方達との相談の結果です。
そしてSL急行は川根温泉笹間渡駅の出発を正面から狙うことに。本命の前に上り普通12列車。
私自身にとって大井川鐵道での撮影は3度目(除くビール列車)ですが、この構図は一度も撮影していませんでした。

2020年12月01日 11時20分

晩秋 大井川鐵道(2)下泉~田野口。

晩秋の大井川鐡道。
同行者は2名。
一人(Aさん)は四季折々の大井川鐡道を訪ね、地元の方と一緒に沿線のとある駅の清掃、整備のボランティア活動も行っている方。
その写真は、定番の場所でガッチリ撮ったものから足で稼いだ「どうしたらこうした写真が撮れるの?」というものまであります。ということで今回もAさんが案内人兼運転手。久しぶりにカーナビの無い車でしたが全く必要なし。
【撮影地…下泉~田野口】
●EL急行1003列車 11:35頃
大井川をどこまで画面に取り込むか考えつつ、このサイズ。ところでこの列車をここで撮影出来るとは思っていませんでした。道路が空いていて途中でこの列車を追い越したのでこの場所で撮影することにした次第。なお到着して1分後くらいに列車は通過。
●下り普通7列車 11:59頃
対岸に移動。ここにかろうじてまだ色の残る木があった!
●SL急行101列車 12:51頃
ところで今から5年前、乗り鉄だった私は撮り鉄にも挑戦するようになりました。その時にデジタルの一眼レフを購入し、今はミラーレス一眼を使い、本人的には勉強中。
さて「学ぶ」は「真似ぶ」。
今回の同行者のもう一人(Bさん)は空間の使い方が素晴らしいと私が思っている方で、2枚の紅葉の額縁写真は、以前Bさんが別の場所で撮られた紅葉の額縁の「真似」です。
太陽が見え隠れし、時折強い風が吹く中での撮影。ほんの数秒の差で、無風と太陽を逃したものの構図の勉強にはなったと思っています。

2020年11月30日 22時21分

晩秋 大井川鐵道(1)SLも良いけどEL急行も良いね。

昨日は晩秋の大井川鐡道を訪ねました。
名古屋~浜松間は「ひかり」号でワープ。何と現れたのはN700S。当然私は初乗車。
雰囲気も座席の座り心地も随分変わった印象。
金谷駅で友人二人と待ち合わせ。
浜松発8:37、金谷着9:19の電車で到着。
※上り電車の電光掲示板は既に次の列車に変わっています。
この駅から程近い場所でレンタカーを調達。
最初の撮影地は福用~大和田間。喫茶店のコーヒーを飲みつつ、目の前に現れる列車の到着を待つ。
ここで撮影したのは2本。
まずは上り普通6列車(南海車)で10:16頃通過。
下りのEL急行。11:00頃。旧型の電気機関車が3両の客車を牽く姿は美しいと思う。考えようによっては蒸気機関車が牽く列車より貴重な存在。

2020年11月29日 20時00分

絵はがきに見る鉄道史(36)御大典奉祝名古屋博覧会。

御大典奉祝名古屋博覧会(ごたいてんほうしゅくなごやはくらんかい)。

1928年(昭和3年)9月15日から11月30日の間、名古屋市の鶴舞公園において開催された昭和天皇の即位を記念する博覧会です。

今年の9月29日にUPした「絵はがきに見る鉄道史(16)御大典奉祝名古屋博覧会」の続きと言えば続きですが、その際に書いた14枚の絵はがきとは別モノです。

この絵はがきのタイトルは「子供の汽車」。いわゆる遊覧鉄道のはしりでしょうか?

架線が無いので電車もしくは電気機関車の牽引ではなさそうです。ただガソリンカーでも無さそう。可能性としては出始めの蓄電池(バッテリー)駆動ではないかと?ただどれほどの性能があったのでしょう?気になります。

2020年11月28日 11時31分

絵はがきに見る鉄道史(35)鳥羽駅2題。

三重県の鳥羽駅。今は近鉄の駅というイメージですがJRの駅でもあります。

1911年(明治44年)7月21日、鉄道院参宮線の山田~鳥羽間の延伸に伴い開業。

※参考:主に国土交通省/鉄道主要年表から抜粋

*1870年(明治3年)民部大蔵省に鉄道掛 を設置

*1871年(明治4年)工部省に鉄道寮を設置

*1877年(明治10年)工部省に鉄道局設置(鉄道寮廃止)

*1885年(明治18年)工部省の廃止に伴い、鉄道局は内閣直轄となる

*1890年(明治23年)鉄道局を鉄道庁と改称、内務大臣直轄となる

*1892年(明治25年)鉄道庁、内閣府から逓信省に移管

*1893年(明治26年)鉄道庁は鉄道局と改称されて逓信省の内局となる

*1897年(明治30年)現業部門は逓信省外局の鉄道作業局に分離

*1906年(明治39年)鉄道国有法公布(4/20 施行):日本、山陽、九州など全国主要 17 私鉄、総延長 4,800 ㎞を買収

*1907年(明治40年)帝国鉄道庁官制公布(4/1 施行)

*1908年(明治41年)鉄道院官制公布施行:鉄道行政を逓信省から内閣に移管

*1920年(大正9年)鉄道省設置

*1922年(大正11年)鉄道大臣通達により毎年 10 月 14 日を「鉄道記念日」と定められる

*1948年(昭和23年)日本国有鉄道法公布(24/6/1 施行)

*1949年(昭和24年)日本国有鉄道(JNR)設立、運輸省設置(日本国有鉄道を分離)

まあざっくりですし、それぞれを語れば本が一冊どころかとんでもないことになりそうです。そもそも私の手に負える話ではありません。でもなぜこの年表を書いたかと言えば、鳥羽駅の開業が、誰の手で行われたかを知るためです。この辺りの時代考証を誤り、不正確な内容をこのブログで書き連ねることは本意ではありませんので一応は念には念をいれています。

こちらはカラー。と言ってもカラー写真ではなく、間違いなく彩色写真。彩色写真とはモノクロ写真の撮影後に手作業で丁寧に色づけするもので、完成度というか色の信頼度はある程度確保されていると思っています。

さていつ撮影されたかの検証。列車の向こうにある鉄塔。かつてあった展望施設「日和山エレベーター」(1934年(昭和9年)7月完成)とは思えず、何か電波塔の様な感じ。

鳥羽市観光サイトに「無線電話発祥記念碑」の記述があり、『大正3年(1914)12月には、鳥羽~答志島~神島間の連絡用として、世界ではじめて実用化に成功』との解説があり、ひょっとするとそれかもと思ったりしています。であれば少なくともこの写真の撮影時は大正時代には入っています。

もっとも蒸気機関車、客車、しかも手前には単車の客車らしき姿もあるのですが、そこから時代を特定する術がなし。

一方、彩色写真。モノクロ写真と写っているものがほぼ同じなので同時代のものと推察しています。

ところで鳥羽駅は建設時に海を埋め立てて作られています。2枚目の全景でもよく分かりますが、見る限り、埋め立て後の工事がまだ終わっていない感じもします。

ということで私の推理…大正10年前後、遅くとも昭和に入った頃。

2020年11月27日 11時56分

絵はがきに見る鉄道史(34)名古屋市内電車路線図-2。

昨日の続きです。

名古屋市内の鉄道の変遷は本当に一筋縄ではいきません。また私の手元の資料では追いつかない面もあります。今日も分かる範囲ということで…。

1922年(大正11年)、名古屋市電気局が当時の名古屋市内の路面電車を運営していた名古屋電気鉄道の路線を買収、それにより名古屋に名実共の「市電」が誕生しました。この覚王山線は1911年(明治44年)、名古屋電気鉄道の手で開業しています。当初、その終点の電停名は「月見坂」で、市営化後に「覚王山」となったのは分かったのですが、その時期が不明。なおこの「覚王山」から先、東山公園まで市電が伸びるのは1937年(昭和12年)の事です。

なおネットで検索していたところ、大正11年の市営化時に改称したような記述もありましたが、ここから先は名古屋市交通局の市営交通資料センターに行かないと辿れなさそうです。

ところでなぜこうして路線の歴史を辿っているかと言えば、この絵はがきが作られた時期を特定するため。結果、少なくとも「市電」の時代なのは間違いないので、1922年(大正11年)以降であることは確実です。

名鉄の前身、愛知電気鉄道。神宮前が起点であったことはあらかじめの知識として持っていました。ただこの路線図には「堀田」が無く、その変わりと言っては何ですが「井戸田(いどた)」があります。井戸田駅は1917年(大正6年)、愛知電気鉄道が神宮前駅 ~ 笠寺駅間を開業させた際に誕生しており、一方堀田駅が開業したのは1928年(昭和3年)です。

熱田神宮から南陽館前を結ぶ「名古屋市電」。熱田電気軌道により1910年(明治43年)に開業し、その後名古屋電気鉄道に買収~市営化されて東築地線となった路線です。南陽館前はその後、東築地に改称されていることは調べて分かりましたがやはりその時期が特定できず。今回紹介しているこの路線図の電停名が正しいとすれば、早くとも1922年(大正11年)以降となり、名古屋電気鉄道時代には改称されなかったこととなります。

さて最後にこの路線図の作成時期です。昨日UPした「中村電車線」が「中村電気軌道」になってからの通称とするならば大正15年/昭和元年頃と考えるのが妥当という結論に至りましたが、そこから時代が遡ることも現代に近づくこともあまり無かろうとは思っています。

2020年11月26日 23時10分

絵はがきに見る鉄道史(34)名古屋市内電車路線図。

名古屋市内電車路線図。これも絵はがきです。

中村電気軌道。ここでは中村電車線と表示されています。

「明治橋」=今の笹島交差点の西、中村警察署あたりのようです。当時の東海道本線、中央本線は地上駅で、そのため名古屋駅を挟んで路面電車は名古屋市内を横断しての直通は出来ませんでした。開業は1913年(大正2年)10月17日。ただ開業時の社名はで名古屋土地で中村電気軌道となるのは1926年(大正15年)6月1日のこと。ただ「中村電車線」がそもそもの通称なのか中村電気軌道と社名が変わってからなのかは不明です。

 

こちらは尾張電車線。正確には尾張電気軌道。その後1929年(昭和4年)に新三河鉄道となり、1937年(昭和12年)には名古屋市に買収され、八事線となります。

今池、千早、天道の電停名があるので、1912年(大正元年)以降の路線図。で、天道という電停がいつまで天道だったのかが探りきれず。私が知っているのは「八事」電停です。

2020年11月25日 23時01分

絵はがきに見る鉄道史(33)キカン車。

「キカン車」というタイトルの絵はがき。

ドイツ最新タービン式機関車。この絵はがきを見て初めてタービン式蒸気機関車という存在を知りました。そもそもタービンの仕組みは私には分からない。ただ何か凄い技術のようには見えます。

米国東部の強力機関車。見るからにそう思います。

ニューヨーク・ダンカーク州世界最大強力機関車。一体何両の客車を牽いているのだろう?

ニューヨーク中央鉄道輸送機関車。ニューヨーク・セントラル鉄道。

シカゴ鉄道会社強力電気機関車。日本の機関車とは比ぶべくもないもないが何でも大きいアメリカンサイズと言いたい。

今日は何も解説が書けません。ただ見て下さい!というのみ。

無軌道蒸気機関車。恐らく遊具。ロードトレインとかランドトレインと呼ばれる鉄道車両を模した路上を走る乗り物なのでしょうが、絵はがきのタイトルは無軌道蒸気機関車。恐らく日本語にする相応しい言葉が無かったのでしょう。

ドイツ最近強力大機関車。何とも凄い形をした機関車があったものですね。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!