2020年09月19日 11時33分
銀座通。
写っている電車は東京市電。トリミングをしてみたら13??と何となく読める気がしたものの、そこから先が調べ切れない。
日本銀行。
こちらは920とはっきり読めます。東京都電の歴史書を紐解けば一発で出てきそうですが、この辺りも将来への課題とさせて頂きます。
銀座通。
写っている電車は東京市電。トリミングをしてみたら13??と何となく読める気がしたものの、そこから先が調べ切れない。
日本銀行。
こちらは920とはっきり読めます。東京都電の歴史書を紐解けば一発で出てきそうですが、この辺りも将来への課題とさせて頂きます。
この絵はがきは大正時代~であることは間違いありません。しかしそれ以降、どの時代までに当てはまるのでしょうか?
上野公園。まあ今回は深くは考えず、当時の「観光名所」をお楽しみください。
浅草。こうして見ていて、私が思い描いていた大正時代よりも歩いている人が多く、観光名所があって絵はがきが存在することに納得しました。
日本橋。後ろの高い建物は日本橋三越本店。
この写真で歴史考証と思ったものの私では出来ませんでした。さてこの絵はがきの発行時期。昭和ではなかろうというのが私の結論。その内にちゃんと検証しようと心に誓う。(多分、誓うだけになりそう)
大正時代の東京の観光絵はがき。何故かタイトルが「絵ハカキ」なのですが理由は不明。「THE VIEW OF TOKYO」とあるので、海外からの旅行者向けとも思われます。
さて絵はがきというのは撮影場所は「絵」で何とか分かったりするのですが、年代(撮影時期)の特定は極めて難しい作業となります。
「日本橋通」とあるこの写真。私にとって東京市電よりも目立つ洋風建築がでんと構えています。入り口に白木屋呉服店とあり、その建物が五階建なので、調べて行くうちにそれが1911年(明治44年)以降であること間違いなさそうです。
鉄道は写っていませんが「東京海上ビルディング」。1918年(大正7年)9月20日に竣工しており、少なくともそれ以降の発行であることは間違いありません。
因みに日本で最初の「ビルディング」であると「東京海上火災保険株式会社六十年史」(1940発刊)に書いてありました。(驚)
やはり無くてはならない東京駅。
駅舎の上を飛行機が飛んでいる。時代の最先端の象徴だったんですね。きっと。
1914年(大正3年)12月20日に開業した日本の中央駅たる「東京駅」の絵はがき第二弾。
東京駅はもともと鉄道のなかった場所に駅を作っているので、架線柱はあっても建設中は蒸気機関車の天下です。
今の東京駅からは想像できませんが、駅の東側はまるで貨物ヤードです。資料によれば元々は貨物ヤードとしての計画があったようで、その後留置線となったとのこと。
具体的にこうした写真を見るとその説明が納得できます。
ところでここでは消印の日付に注目。開業日の2日前の12月18日となっています。さすがにこの理由は分からない。
時計の針を少し戻しての大正2年=1913年。
11月に行われた「陸軍特別大演習紀念」の絵はがきがもう一つ出てきました。名古屋逓友倶楽部とあるので郵便局関係の発行でしょうか?
名古屋城と名古屋郵便局。郵便局の前を市電が走っています。
これは1920年( 大正9年4月1日)発行の「名古屋市街新地図」ですが、栄町(今の栄)交差点の西側に郵便局があり、その前を市電が走っています。
こちらは演習に関する地図ですが、どこで行われたかまでの詳細は分かりません。小牧山古戦場の写真がありますが、それだけで判断ができるものではありません。
そしてこの絵はがきの右上。
複葉機と郵便局のマークが飛行機風に飛んでいますが、大正2年に陸軍が飛行機を持っていたという確実な資料を、私は見つけられませんでした。郵便局のマークは洒落としては面白いと思ったのですが…。
1914年(大正3年)12月20日、日本の中央駅たる「東京駅」が開業しました。
とういうことで「東京駅停車場」の絵はがき。長島写真製版所をネットで検索してみましたが見当たらず。
これぞ東京駅という写真。
こちらは現在(2018年10月13日撮影)の東京駅。
ご休憩室前の廊下。休憩室は皇族の方や政府や各国の要人が使われたでしょうから、それで撮影が許されず、廊下を撮影?1枚の絵はがきから様々な推理をするのは楽しい。
こちらは改札口。改札口が絵はがきになるということで、やはりこの駅に対する国民の期待(関心)を感じます。
今年の3月20日、21日の2日間、セントレアのAichi Sky Expoで開催する予定だった「鉄道フェスタ in Aichi Sky Expo2020」。そこで仕掛けていた展示の一つが今、日の目を見ており、皆さんにも知って頂きたくUPします。
その名も「名駅トレインビューホテルズ」。(この写真は名古屋プリンスホテル スカイタワーから撮影)
名古屋駅界隈の幾つかのホテルでは、鉄道ファン向けにそれぞれの特色を生かした「トレインビュー」の宿泊プランを売り出しています。
それとこの「名駅トレインビューホテルズ」では何が違うかと言えば、3つのホテルが合同で3者3様の名古屋駅界隈の鉄道風景を紹介し、それぞれのホテル単独ではなく、名古屋駅界隈のホテル「群」の魅力を伝えようとしていること。全国にトレインビューのホテルは数あれど、名古屋駅を中心としたホテル群は鉄道ファンにとっては魅力的な存在だと思っています。競合他社という発想ではなく、協働で地域のホテルの存在感をUPするかなり珍しい取り組みではないでしょうか?
ではその3つのホテルとそれぞれのホテルから見える風景を紹介します。まずは「名鉄イン名古屋駅新幹線口」。
写真提供は仕掛け人の鉄道フォーラム/伊藤博康さんです。
南向きの部屋から撮影。
北向きの部屋から撮影。新幹線2列車と名鉄2列車が写っています。それにしても名鉄インから名鉄の庄内川橋梁が見え、狙えばこんな瞬間を捕らえることが出来るとは思ってもみませんでした。
続いて「名鉄グランドホテル」。
ここは眼下が名古屋駅。他のホテルが大俯瞰となればここは鉄道風景が身近です。しなの+あおなみ線+新幹線。
東海道新幹線の確認車。新幹線が走り出す前にこうして安全運行の可否を、毎日確認をしています。夏場はこうした風景も普通に撮影出来ます。ホテルに泊まれば、こうした保守車両との出会いも部屋から余裕で楽しめます。
3つ目のホテルは「名古屋プリンスホテル スカイタワー」。
西側の部屋であれば名古屋貨物ターミナル駅や関西本線を行く貨物列車との出会いもあります。
東側の部屋では新幹線が眼下。
またこのホテルはそもそもが高層階なので、夜景撮影も楽しみの一つです。
ここまではホテルの紹介ですが、ここからが今回の「名駅トレインビューホテルズ」の紹介となります。
実は今、旅行会社が「名駅トレインビューホテルズ」として1つのくくりで宿泊プランを提供しているのです。
※参考までに「リニア・鉄道館」の入場券付きです。
(名鉄観光のHP)
https://search.mwt.co.jp/mdom/?ParamEncoding=UTF-8&keyword=%E3%83%88%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%93%E3%83%A5%E3%83%BC&_ga=2.174003555.1578121501.1599404074-1604062607.1599299774
今は愛知県の「LOVEあいちキャンペーン~ワタシのダイスキで地域を元気に!~」(~10月31日)も相まってかなり値打ちに各ホテルに泊まれます。
このキャンペーンのキャッチフレーズにもなっている「愛知県民のみなさまへ~知らなかったダイスキに、会い行こう。~」を胸に、名古屋駅前のトレインビューホテルに足を運んで見ては如何でしょう?
さてここからは私の個人的な願い。
名古屋駅前の参加ホテルが増え、かつ「名駅トレインビューホテルズ」を扱う旅行会社が増えること。
それぞれのホテルにはそれぞれのトレインビューがあり、しかも泊まる部屋の方角で景色が変わります。名古屋の人もあまり知らないでしょうが、大都市の駅で、これほど色々なトレインビューが楽しめる所はかなりレアなのです。
大正2年=1913年。ここのところ年表記は西暦を優先し、括弧書きで元号を入れていますが、このシリーズは敢えての年号表記です。何故かって言えば私の年代では、その方が『時代』をイメージしやすいからです。
新愛知新聞社発行「陸軍特別大演習記念」の絵はがき。
名古屋駅前に仮設と思われるのですが、巨大な門が作られています。大正天皇をお迎えしての陸軍の演習は、これを作るだけの意味合いがあったということだと思います。流石、名古屋の玄関口ですね。
駅頭に車は見当たらず、大八車がいます。ところで大八車(だいはちぐるま)を知っている人は少数派でしょう。若い人は、大八車を過去帳に追いやったリヤカーすら縁遠い存在かも知れません。
さて消印の日付。2-11-17。大正2年の11月17日となります。
この「陸軍特別大演習」ですが、名古屋市博物館のHPに記載がありました。
http://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/owari_joyubi_news/rikugun/index.html
ご興味を持たれた方は、上記をご参照ください。
昨日UPした絵はがきと同じ日本の鉄道が開業五千哩(マイル)を越えたことによる「鉄道五千哩祝賀会紀念絵葉書」。
キロポスト。この頃であればマイルポストと言うべきか、それには5000の文字があります。さりげなくちゃんとしているというか、やはりキチンとした仕事は見ていて楽しくなるのはいつの時代も同じと言うことでしょうか。
蒸気機関車の煙の中にも「5000」という数字あり。ところでこの鉄道五千哩の祝賀会は名古屋で開かれています。なぜ名古屋だったのかを調べるつもりでしたがすいません。まだ出来ていません。
絵はがき一杯の社紋(会社のロゴマーク)は、当時の鉄道会社のものであるのは間違いなさそうです。が、この直後、この社紋がかなり消えることになります。
というのも明治39年(1906年)に鉄道国有法が交付され、順次官設鉄道に組み込まれていったのです。
はがきの宛名面。消印が無茶苦茶格好いいではないか。恐れ入ってしまう。
このブログで以前にもUPしたことのある1906(明治39)年発行の「汽笛一声 鉄道五千哩祝賀会紀念」。
五千哩(5000マイル)=8046.72キロの鉄道網が日本に整備された記念の絵はがき。「名古屋」の消印がありますが、その説明はまた次回。
さて絵はがきですが、かつて古い絵はがきは、古書店などを回るなどして本当に探して探して探し尽くしても、思うようなものはなかなか手に入らなかったと聞いています。今はネットのオークションサイトで、例えば「絵はがき 鉄道」と言ったキーワードを登録し、毎日そこに出てくるモノをひたすら見続けていれば、いつかは狙った獲物に出会える可能性大です。そんなこともあって私の手元にやってきた絵はがきの一部を今日から紹介します。
(追記)
この写真の形式は探しきれませんでした。そもそも路線も分からない状態です。富士山が写っていると一発なのですが…。