2020年06月27日 23時00分
京姫鉄道とかその後、開業することがなかった鉄道会社の名前が見られます。
京姫鉄道とかその後、開業することがなかった鉄道会社の名前が見られます。
愛知県在住で鉄道関係の執筆、撮影をされている伊藤博康さんが創元社から新刊を上梓されました。
その名も「決定版 日本珍景踏切」。伊藤さんにとっては2010年に「最新調査 日本の“珍々”踏切」を執筆されてから10年ぶりの踏切本です。
今回の表紙は名鉄犬山線のあの踏切から見える風景。「キャッチ!」でも記憶にある限り2回見たことがある有名スポットです。もっとも地元の方だからこれを選んだのはなく、出版社の担当者からこの写真が表紙に相応しいと提案があったようです。
中身は、踏切というか鉄道に興味が無くても楽しいと思えるネタの連続で、この本を頼りに行ってみたくなった踏切もあります。特に商店街(アーケード街)の先にある踏切は、昭和の香りが漂い、踏切目的では無く、乗り鉄がてらその町を歩いてみたくなりました。
さてクイズ。この表紙写真では警報灯が両方赤くなっています。本来警報灯は交互に点灯します。どうやって撮ったのでしょうか?
(答え)
簡単に分かる話なのですが、答えはスローシャッターです。
要は両目が赤くなっている写真を撮ろうという着想を持てるかどうかです。
これまでそんなことは考えたこともなく、今後の写真撮影のヒントにしようと心新たにした次第。
本日も地図の話です。
明治11年(1878年) 発行「名古屋 熱田全図」。名古屋と熱田の間の文字は解読不能。名古屋の古い地図です。今で言う「名古屋城」「名古屋駅~栄界隈」「栄~熱田神宮」が当時の名古屋市で、それ以外は恐らく田園風景が広がっていたはずです。
驚きは、発行人の名前にある「士族」「平民」の文字。江戸時代までの身分制度は、維新から10年経ってもまだ残っていたのですね。
6月17日にUPした『「日本旅行便覧」を紐解く。』で書いた熱田から四日市の航路の続き。
東海道53次の宮の宿から伊勢方面に船便があり、伊勢国桑名までが7里(約28キロ)、そして四日市までは10里(約40キロ)と書かれています。どうも熱田(宮)と結ぶ航路は桑名というイメージがあったのですが、どうもそれは単なる思い込みだったようです。
とりあえず表紙。
こちらは全国の特産品紹介。
尾張大根は知らなかった。
さて本題。道府県別の人口ベスト10。大阪が2位ではなく、兵庫が2位。そして愛知県より新潟県の人口が多く、参考までに神奈川県は20位です。
次に市町村別。こちらは順当にと言いたいが、東京~大阪~京都~横浜についで名古屋は5位。県別で2位の兵庫県の県都神戸市は第6位。これも意外な結果。ところで県別人口4位の新潟の市はこちらのベスト10には見当たらない。兵庫もそうなのでしょうが、広いエリアに散らばって人が住んでいたと言うことでしょうか。
明治38年(1905年)発行の三訂帝国新地理附図(三省堂発行)の続き。
今日の発見は「火山脈」。私が子供の頃、学校で習った「火山帯」と同じ意味です。この地図では千島帯火山脈、那須火山脈、鳥海火山脈、寒風火山脈、能登火山脈、富士帯火山脈、白山火山帯、阿蘇火山脈、霧島帯火山脈の9つの火山脈があり、名称は私が知る千島火山帯、那須火山帯、鳥海火山帯、富士火山帯(富士箱根火山帯、富士箱根伊豆火山帯)、乗鞍火山帯、白山火山帯(大山火山帯)、霧島火山帯の7つの火山帯とは異なるものの、まあ同じですね。
ところでこの火山帯ですが、記憶が曖昧なのですが確か、火山が連なりそれぞれの火山に相関関係があったやもというもの。今は、単に地理的な区分でしかないと言うことで、学校で「火山帯」を学ぶことは無いそうです。
日本語も生き物で、かつて「一生懸命」は誤用で、「一所懸命」が正しいと教えられたのはいつの日だったのだろう。とまあ年寄りの繰り言です。
さてわたくし、鉄道も好きですが地図も大好きで、こどもの頃は時刻表よりも地図を日がな一日眺めていた記憶が…。
由利高原鉄道を応援しています。
今回は「地元の味噌で旬の味わいセット」。
アスパラはニンニク・椎茸と炒めてみた。
タケノコはフライパンで焼いて味噌をつけて食す。これが旨かった。
日本酒は美味しい。呑みすぎ注意報発令!
県境をまたいでの移動の自粛が解除されました。
東海道新幹線の運転本数も戻ってきて、電光掲示板も「のぞみ」主体となっています。
写真は今日の午前10時ころの名古屋駅新幹線改札口。一見乗客がいなさそうですが、列車が到着するたびにそれなりの下車客はいました。ただその数は以前ほど多くはありません。そこで見かけたワンシーン。降りてきた若い男性を、同じく若い女性が待ち受けており、向かい合った2人がやがて肩寄せあって歩いていく姿は、喜びよりも切なさを感じてしまいました。
とりあえずの状況報告です。
「三訂帝国新地理附図」。明治38年(1905年)3月14日、今も書店として出版社としてその歴史が続いている三省堂発行の地図です。今回これも一部ですがスキャンしました。
さてこうしたブログで地図は扱うべきではないとつくづく思う。とりあえず地名の文字を読もうとせずに、地図全体を雰囲気で見て下さい。ということで「帝国全図」。北は千島列島が日本領で、一方サハリン(樺太)は日露戦争前なので日本領となる前のロシア領です。
南に目を向ければ日清戦争の後なので台湾が日本領となっています。
またそもそもの国名が「日本帝国」となっています。てっきり「大日本帝国」だと思っていたのですが、当時は国名にあまりこだわりが無かったのかもしれませんね。
主要鉄道略図。
特筆すべきは主要鉄道に弥富~一宮を結ぶ「尾西鉄道」があること。そして伊勢神宮参拝の足として参宮鉄道(後の参宮線)が開通していること。明治時代、白地図に鉄道路線を敷いていくのはどれほど心がときめいたことでしょう。「列車で行こう」「シムシティ」「桃太郎電鉄」など鉄道敷設を一から考えるゲームは数ありますが、その当時はそれをリアルでやっていた訳です。やはり凄い時代ですね。
1895年( 明治28年10月2 日発行の「日本旅行便覧」(発行:文昌堂)。読んでみればいろいろ面白い発見あり。
要するに旅の持ち物。初めて旅に出る人への参考資料でしょうか?肌着や寝間着を持って行くようにとか、梅干は宿屋で買いましょうとか考えようによっては、海外旅行に出かける人が多くなり始めた頃のガイドブックに書いてあった内容とでもいいましょうか。
ということで明治28年の旅行ガイドには「海外渡航手続」の項目もありました。
何せ日本語が難しいので、詳細は省略するとして、私が引っかかったのは「美濃紙」。行政に提出する証明は「美濃紙」限定だったようです。
一方こちらは当時の鉄道事情。全国の鉄道は私鉄が中心となって敷設されていたことが分かりますが、それぞれの鉄道会社がどことどこを結んでいたのかパっと見では分からない。
特に未成線の多いこちらのブロックでは、ネットで調べても???の連続。以外なところに明治のこの時代に鉄道を作ろうとした先人たちの気概にただただ驚くのみ。
皆さんも一度、各鉄道会社の名前を検索してみて下さい。
1895年( 明治28年10月2 日発行の「日本旅行便覧」(発行:文昌堂)。表題からすると今で言う旅行ガイドブックの原点とも言える本だと思って買ったのですが、内容は少々想像と異なっていました。
まず最上段は「東海道53次」の宿場町の名前。その下に東海道本線の駅名。これが一対の対比となっており、下段に各町の概要と観光案内があります。確かに「旅行」案内はあるもののやはり物足りない感ありです。
こちらは名古屋界隈の巻。「宮」の宿では「是ヨリ伊勢へ航路アリ」との表記あり。鉄道開通以前は「宮」~「桑名」に航路があったのですが、さすがに東海道本線開業後だけあってそれは無く、その代わりなのか「伊勢」(方面)への航路が案内されているようです。もっとも「桑名」も伊勢と言えば伊勢なのですが、多分、ここでは「桑名」のことでは無かろうと判断。
街道と鉄道のブロックが終わると続いて航路のブロック。
「仝(どう)」は「同じ」と同じ意味のようですので、そうすると右側は越前(今の福井県)から北陸、東北、北海道を結ぶ航路の運賃表。
一方左は「四日市」~「横浜」間の航路の時刻表。更にその左側には「四日市」~「熱田」(名古屋市熱田区)の航路が掲載されており、これが熱田から伊勢への航路のことなのでしょう。鉄道史と言うより交通史の勉強をしている気分です。