2019年10月17日 22時17分

相老駅。

わたらせ渓谷鐡道と東武鉄道の接続駅、相老駅。意外と、と言っては失礼千万な私の勝手なイメージでしたが市街地なのに少々驚きました。

桐生市は群馬県。わたらせ渓谷鐡道の終点の間藤駅は栃木県日光市。間藤が栃木県というのがどちらかと言えば私にはピンとこないのですが、こうしてぐんまちゃんを見ると、例え桐生市が何県にあるかを知らない人でも、ここが群馬県であることはきっと分かるはず。

東武鉄道専用のICカードリーダー。この駅はわたらせ渓谷鐡道の駅員さんが駅業務を行っており、それだけにこれだけ厳重な注意書きになっているような気もします。

わたらせ渓谷鐡道の広々とした駅構内。貨物列車が走っていた時代の名残でしょう。

東武鉄道相老駅発17:04のりょうもう40号。

ところでこの日、私は京浜急行青物横丁駅に近いホテルを予約していました。それもあって相老駅16:50発で路線検索をしたところ、その答が相老~(東武鉄道/りょうもう号)=北千住~(常磐線~上野東京ライン)~品川~(京浜急行)~青物横丁でした。常磐線の品川直通はそれほど本数がある訳ではないので、たまたまこのルートになったと思われますが、思いがけない発見でした。

2019年10月16日 22時17分

わたらせ渓谷鐡道の立売り。

わたらせ渓谷鐡道の神戸駅(ごうどえき)の立売り。往路は何も買わなかったのですが、帰路はコーヒーを購入。

元東武鉄道の特急、DRC/デラックス・ロマンス・カーを改装したレストラン清流を背景に撮ってみた。

昭和の佇まい(たたずまい)の神戸駅。足尾線時代は「神土(ごうど)駅」と名乗っていましたが、わたらせ渓谷鐡道の発足時に地名の通りの「神戸(ごうど)駅」になったとのこと。国鉄時代は兵庫県神戸市の神戸(こうべ)駅との混同を避ける必要がなくなったというのがその理由。

話は飛びますが岐阜県に安八郡神戸(ごうど)町という、まあ紛らわしいと言えば紛らわしい名前の町がありますが、その町の代表駅は「広神戸(ひろごうど)駅」なので駅名での混同は無さそうです。

うさぎとかめの石像がある花輪駅。石像は童謡「うさぎとかめ」の作詞者/石原和三郎氏がこの地区の出身であることに因んでいるとのことで、車内でのそうしたアナウンスを聞きながらの旅ももう少しで終わりです。

車庫のある大間々駅。それが日常風景であっても撮らずにはいられない。もっとも半分は備忘録としてのメモ代わり。

相老駅に16:54着。

2019年10月15日 22時56分

トロッコわっしー6号。

通洞駅発15:38のトロッコわっしー6号に乗車。(列車の外観は10月6日にUPした写真を参照して下さい)

渡良瀬川に沿って走る。私が一番の渓谷美と感じた場所。

トロッコ列車だからこそ見られるガラスと言うフィルターを通さない、ありのままの自然。

沢入(そうり)駅で723Dと交換。

この駅はNHK連続テレビ小説「半分、青い。」のロケ地として一躍有名になった場所。でも「半分、青い。」は岐阜県恵那市岩村町が舞台と言われ実際にロケも行われました。ところが明知鉄道はラッピング列車は走ったものの、ドラマに登場しておらず、ちょいと複雑な気分でこの駅を眺めていました。

帰路もイルミネーション三昧。色の移り変わりを見るのは楽しい。けどトロッコ列車だけにトンネルの中は結構冷える。それまで「涼しい」と思いつつも半袖で頑張っていましたが、ここで薄手のカーディガンに手を通す。

2019年10月14日 17時04分

足尾銅山観光

「足尾銅山観光の見学つき 廃線跡を歩こう」で訪問したわたらせ渓谷鐡道は、全線で平常通り運転しています。ただ接続の両毛線は、足利~小山間で長期運転見合わせになるとJR被害日本から発表されています。

足尾銅山観光。その概要を日光市役所のHPから転載。

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1610年(慶長15年)備前楯山で初めて銅が発見されて以来、江戸幕府直営の銅山として大いに栄えました。1877年(明治10年)、古河市兵衛の手により民営化されると、最新の技術や設備によって急速な発展をとげ、日本一の銅山に成長しました。現在は、足尾銅山観光として坑内の一部を開放し、その歴史や仕組みなどが分かるようになっています。

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観光のスタートはラックレール式の鉄道への乗車。

気分は鉱山で働く鉱夫。見学コースは興味深く、特に時代を追って変わりゆく採掘の歴史は成程と思った次第。

鉱山そのものの紹介はここでは割愛し、鉱山軌道についてのみ紹介。

まず勾配は見た通りですが、気分は緩やかなジェットコースター。

坂を下り切ったところで列車の機関車(右側)は、切り離されます。

そして機回し線に入ります。

この機回し時に、機関車は無人運転されており、どういう仕組みだろうと興味津々でしたが、あえて聞くのは止めました。まあ、そのうち、いつか知る日がくるでしょう。

そしてこの後、右側の列車だけが下の写真の坑道に入っていきました。

ところで機関車が付けられている理由。かつての信越本線横川~軽井沢間、現在では大井川鐡道井川線アプトいちしろ ~ 長島ダム間と同様の、急勾配区間のみラックレール式で乗り切っているとのことでしたが、機関車を付けない区間が短いだけに、この「儀式」が一日中行われているのは単純に凄い!と思いました。

鉄道が好きな方なら、観光施設の乗り物を超えた存在のこの鉄道をじっくりと楽しんで欲しい。

2019年10月12日 10時36分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(8)通洞駅へ移動。

2019年(令和元年)9月28日(土)、わたらせ渓谷鐡道の「足尾銅山観光の見学つき 廃線跡を歩こう」の後半戦。「…つき…」に移動。

間藤駅を13:28に出る列車で2駅先の通洞駅に向かう。

折戸のドアの列車は久しぶり。

足尾駅でトロッコわたらせ渓谷号と交換。

実態は交換でなく、12:27に到着した列車が13:57の発車を待っている状況。間藤駅では機回しが出来ないので、ここ足尾駅を終点としているのでしょうか?

通洞駅は足尾銅山観光等の最寄り駅でもあり、足尾観光の拠点駅となっており観光客の利用は多いそうです。また2009(平成21年)年11月2日に駅本屋及びプラットホームが登録有形文化財に登録されています。

(追記)

台風19号の影響ですが、名古屋では思ったよりも静かでした。

ただ関東~東北で大きな被害が出ているようで、まだまだ予断を許さない状況です。

2019年10月11日 23時12分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(7)出川橋梁と足尾本山駅。

廃線跡のクライマックス、精錬所に入っていくための出川橋梁。

2度と開くことはないであろう足尾本山駅の門扉(もんぴ)。廃線跡巡りの旅だからこそ出会えた光景。産業遺産として価値ある歴史の生き証人だと思うのは私だけだろうか?

急勾配を駆け上がって来た列車は、最後の最後まで勾配を上って行く。これにて廃線跡巡りは終了。手の入っていない廃線跡をこれほど歩くとは思っていなかったので、満足度100%。そしてその先に…。

国の重要文化財/古河橋。鉄道橋ではなく、道路橋です。

板張りの橋。

今は煙を吐くことのない煙突。精錬所が動きを止めて久しいとのことですが、建物はそのまま残されています。

明日は台風襲来。私は一日、家に籠る予定。大きな被害が出ないことを祈るばかりです。

2019年10月10日 22時35分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(6)30.3‰。

足尾線の廃線区間で最急勾配の場所。しかもカーブがきつい。さてこの勾配標を裏から見れば…。

どちらにしてもあり得ないきつさであることは間違いありません。という解説がここではありましたが、勾配そのものの話より、参加者の笑いを誘っていたのは、この勾配標が、この「廃瀬跡を歩こう」が始まってから設置されたとのこと。ここから先は是非、このツアーに参加し、そこで聞いて下さい。

山間(やまあい)の廃線跡を歩く。1987年(昭和62年)、正式に列車が走ることが無くなったこの間藤~足尾本山間。赤さびたレールもさることながらあまりに貧弱なレールに驚きました。軽量級とは言え、C12~DE10が通った道。一見の印象は機関車の入らなかった超ローカルの私鉄線。

向赤倉トンネル。腕木式の信号機が目を惹きます。でもこの信号機は何故「進行」表示なのでしょうか?腕木式信号機は、何も力がかからなければ、羽は横位置、つまり停止表示になります。これは安全上の観点から、当然のことです。

つまりこの信号機は何か、しかけがしてあることになります。

2019年10月09日 17時30分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(5)第二松木川橋梁。

間藤駅を11:30過ぎに出発。松木街道踏切までは一般道を歩きます。

そして第二松木川橋梁からいよいよ廃線跡を歩きます。どうです。この橋を歩いて渡るのです。廃線跡は何度か歩いていますが、これほどの「橋」を歩いて渡ったことは流石にありません。

もっとも歩いたのは側道で、線路の間にある板張りの“通路”を歩くことはありません。

参加者が60名と多いこともあり、3班に分かれた渡ります。怖くはありませんが、足元はなかなか。

続いて渡った小さな橋はこの板の上を歩きます。わたらせ渓谷鐡道で安全確認をしたう上で私たちを案内しているとはいえ、得難い経験。

続いて向間藤トンネルに入るのですが…。

向間藤トンネルの暗さは本物でした。わたらせ渓谷鐡道から事前に懐中電灯は必ずお持ちくださいとの案内はあったものの、ある程度の人数がいればそれなりにトンネル内は明るくなるはずなのですが、前後に少し間隔が開くとご覧の通り。この写真では手前の線路を私が自分の懐中電灯で照らして撮影しています。

2019年10月08日 22時15分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(4)わてつに廃線区間って??

トロッコ車両からの絶景。釧網本線/ノロッコ号、嵯峨野観光鉄道、黒部峡谷鉄道、瀬戸大橋線/アンパンマントロッコ、門司港レトロ緩行線、、、私がこれまで乗ったトロッコ列車のラインナップ。それぞれの路線にそれぞれの風景あり。ここわたらせ渓谷鐡道も絶景の連続です。

間藤駅11:08着。

これからこの先に進みます。

ここで今回の廃線跡巡りの概略を紹介。わたらせ渓谷鐡道のわたらせ渓谷鐡道線は国鉄~JR東日本足尾線を引き継いだ路線であることは、まあここまでは常識の範囲ですね。

かつて、そして今も旅客列車の終点はここ間藤駅で、初めて間藤の地に足を踏み入れた、今を去ること40年以上前の1979年4月7日以来、私はこの先に鉄道線があったことは全く知りませんでした。

事の経緯。今回、たまたまネットで関東の鉄道を調べていて、わたらせ渓谷鐡道のウェブサイトで「廃線跡を歩こう」というツアーを発見した時は、頭の中に?????と疑問符が回りました。わたらせ渓谷鐡道に廃線ってあったっけ?一瞬、何が起きたか分かりませんでした。で、調べました。結果です。間藤駅から先に1.9キロの貨物線が伸びており、その終点が足尾本山駅であることを初めて知りました。今回のツアーでは、その廃線跡の線路を歩くもので、案内の写真も興味をそそり、これはわたらせ渓谷鐡道が私を呼んでいるに違いないとばかりに参加を決意したものです。

参加した感想は、面白かった!に尽きます。これは個人の感想で、万人に保証するものではありませんが、信じても損はしないと断言します。

2019年10月07日 22時38分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(3)トロッコ弁当。

久野知美さん曰く「まばたきをすると見逃してしまう小さな滝」は神戸(ごうど)駅の手前にあります。それにしてもほんの一瞬の出来事。それを逃すまいと車内でユーモアたっぷりの説明が入れるのですが、これを「名所」にしようと思いついた人に拍手!!!パチパチ。

それにしても滝が列車に近すぎて、一番ワイドで撮ってもこれが限界。比較の対象がないのですが、この滝の横幅は1m程度だと思います。ただ高低差は結構あって、上を見上げると首が痛くなる角度になります。

10:25、神戸駅入線。

この駅は10:28発の2分停車ですが、何と立売りがあり、コーヒーなどを売っています。私は帰路にコーヒーを買い増したが、行きは様子見。

わたらせ渓谷鐡道トロッコ名物、草木トンネルのイルミネーション。このトンネルは神戸駅~沢入駅間にあり、全長5242メートル。そこをゆっくり10分ほどかけて走るのですが、このイルミネーションのおかげで飽きることはありません。

何故?って、こうして色が変わるから。実は私に割り当てられていた席は、往路が普通の気動車だった(帰路はトロッコ)のですが、私も含めて多くの方がトロッコに移動されていました。

ちょっと早かったのですが、「夢鉄道 トロッコ弁当」を食す。

地元産の舞茸も入っておいしゅうございました。

それにしても第3話が終わっても「廃線跡」が出てこない。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!