2019年10月06日 16時25分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(2)子供優先席。

さてこれからが本題です。9月28日(土)、わたらせ渓谷鐡道を訪ねた理由は「足尾銅山観光の見学つき 廃線跡を歩こう」への参加。既に満席なのは承知していたものの駄目元で電話をし、キャンセル待ちをお願いして待つことしばし。運よく参加できることになりました。

で、往路はトロッコわっし―1号に乗車。

開放的なトロッコ列車に乗るには丁度良い30度越えの気温。(この写真を撮影したのは間藤駅です)

桐生駅を9:30に出発し、直ぐの下新田駅を通過したところで左手にJR下新田車両基地を見る。

運転室の右側に注目。

「子供優先席」あり。大人が座るには狭いこともあり流石に遠慮しましたが、あくまでも「後学のため」マスコン、ブレーキハンドルは操作しました。ところで私にとり国鉄足尾線からわたらせ渓谷鐡道になって初の乗車なので新しい発見が幾つもあり、こんな感じで2両編成の車内をあちこち散歩。とても席に座っていられない。

10:05に水沼駅到着。水沼駅温泉センターという施設が併設されています。

水沼駅10:09発の716Dと交換。除草作業が追い付いていない線に入っていく姿はローカル線の典型的な風景。ここわたらせ渓谷鐡道ではない鉄道事業者の方から聞いたのですが、昨今、夏場の除草はとても大変で、特に田畑に近い所では除草剤を撒くのも時期など地元との調整が必要であり、かといって手作業でやるには人手が足りる訳もなく、やれる範囲で粛々と進めるだけですとの事でした。

2019年10月05日 15時38分

わたらせ渓谷鐡道、廃線跡を歩こう(1)桐生のトレインビューホテル。

9月27日(金)、東京での仕事を無事終えて新幹線に乗車。

まずはぐんまちゃんにご挨拶。

この日は予定より30分ほど早い列車の乗れた(上野発20:42、高崎着21:26 あさま629号)ので若干、余裕ももって撮影。高崎からは21:42発の両毛線で桐生着は22:27。

どうでも良いことですが、両毛線の前橋駅、伊勢崎駅って高架になっていたんですね。私の時計は昭和のままで止まっている。(^-^;

朝、泊まったホテルの窓外を見たら、よもやのトレインビュー。何となくそんな気はしていましたが、正直、期待はしていなかっただけに単純に得した気分。時間は6:55。429M、高崎発小山行き。

桐生駅で429Mと交換した426M。(小山発高崎行き)

ふと視線を左に移すと渡良瀬川の鉄橋が見える。そこを通過する426Mを狙ったのですが、何か電車が何本か停まっており、そこは下新田車両基地であると後で判明。

高架線を行くわたらせ渓谷鐡道の単行列車。間藤からの始発列車は7:06に桐生駅に到着。

桐生駅の南口。ここから徒歩直ぐの所にホテルがあったのですが、南口を見るのは多分、初めてのこと。

2019年10月04日 22時45分

大井川鐡道生ビール列車、三等車。

ハロウィン仕様のHIROを横目に、生ビール列車は19:30に出発。それにしてもISO 12800の力は凄い。

日本国内で三等車が現役なのはここ大井川鐡道だけ。そしてその三等車に乗りたい人が全国からやってくる。は、大げさかもしれませんが、少なくとも名古屋から1人は来ています。

三等車の出入口は手動。「走行中に開けてはいけません」これ、常識。もっともそのその昔のラッシュ時は、車内に入れないどころか、この写真に写っている手すりにつかまり、ステップに足を置いて身体は車体の外!なんという経験もある昭和オヤジの私です。

もっとも私が知っているのは電化区間ですが、蒸気機関車が牽く列車で、なおかつ沿線にトンネルがある場合は、軍手が必須だったのではないでしょうか?何故っかって、言うまでもなく、手すりが煤で真っ黒だったからです。

20:44に新金谷駅着。乗継列車は20:50発で金谷駅着20:54。その乗継列車の吊り革はTOKYU!

2015年から運用を開始し、今はもうすっかり大井川鐡道に馴染んだ感ありの東急7200系。
私ではなく、今回のお仲間の乗車券。連絡切符が新金谷駅で発行可能ということもあり、わざわざこれを購入して帰ります。以前から知ってはいるものの私は買った経験なし。

2019年10月03日 22時42分

大井川鐡道生ビール列車、千頭駅。

新金谷駅を18:00に出た生ビール列車は19:13に千頭駅着。早速機回し。

機関車が牽引する列車だけの風景。夜の帳が下りた中、より風情を感じます。

この時間に千頭駅にいるのは生ビール列車の乗客だけ。

車輪をモチーフにした改札の扉。

南アルプスあぷとラインは既にこの日の運転は終了しており、静かに翌日を待っている。

HIROと旧型客車。結構似合っていると思うのだけど如何でしょうか。

2019年10月02日 23時15分

大井川鐡道生ビール列車、オハに机がついた。

大井川鐡道の話題を一週間ぶりに投稿。9月14日の大井川鐡道撮影行は昼の部で、夜の部は「生ビール列車」。毎年とまでは言わないまでも今回で5回目の参加。いつもの幹事さんが毎年頑張って予約してくれており、今年も無事乗車。

E101が牽く客車列車。蒸気機関車が牽く列車はここ大井川鐡道も含め全国にあり、またディーゼル機関車が牽く列車もあります。しかし意外とないのが電気機関車が牽くと分かっていて乗れる列車。そうそうあるものではありません。

ところで生ビール列車名物、千頭駅側に連結されているオハが今年からその席が販売されることになり、「机」が用意されているとは聞いていたものの9月6日のスタート以来、その様子が全くネットに上がってこない。

そして少しだけドキドキしながらオハフ33215に乗車。

座席の販売は1ボックス1人と聞いていたのですが、料理とコップの準備は1ボックスに2つずつあり。まあ妥当な配置でしょうが、これがもしも本当に1ボックスに1人ならば仲間との距離が遠く、ものすごく寂しい生ビール列車になるところでした。ところで机は固定式ではなく簡易な組立式。机と料理・コップの間にあるのは滑り止めでさもありなんでした。

いざ昭和の旅立ち。

旧客の窓越しに旧客を眺め、「乾杯!」をする贅沢な時間。

この方、大井川鐡道をこよなく愛する方の一人で、トーマス号やこの生ビール列車の出発時にホームで見送りをされています。この写真は出発前に撮影させてもらったもので、生ビール列車の出発時はちゃんとホームにおられました。ところで大井川鐡道のきかんしゃトーマス号はもう6年になるんですね。この方がこうした見送りをするきっかけがトーマス号の運転開始だったそうで、月日の流れは早いものです。

2019年10月01日 22時46分

本日から企画展「鉄道の記録 1969–1976 名古屋レール・アーカイブス」スタート!

カメラにおける世界のトップメーカーの一つであるニコン。そのニコンのカメラの歴史を展示する「ニコンミュージアム」が東京・品川にあります。

(住所)東京都港区港南2-15-3 品川インターシティC棟2F

(休館日)日曜日、祝日、および当館の定める日

(入館料)無料

これでもっか!というほどニコンのカメラが並んでいるのは壮観です。これがニコンミュージアムです。

そしてこのミュージアムの中にあるギャラリースペースで、企画展「鉄道の記録 1969–1976 名古屋レール・アーカイブス」が今日から始まりました。

展示パネル数は185枚。ニコンミュージアム史上最多だそうです。タイトルの通り、撮影時期はほぼ昭和40年代。撮影地は南は九州から北は北海道まで全国を網羅しています。また撮影に使われたカメラはニコンミュージアムだけあって全てニコンです。

展示期間は2019年10月1日(火)~12月26日(木)ですのでよろしければ足をお運びください。

ところでNPO法人名古屋レール・アーカイブス(以下、NRA)は、私も会員となっている鉄道に関する資料、写真等を収集し、公開している団体ですが、なぜ名古屋の団体の写真展が東京で行われることになったのでしょう?

ニコンミュージアムさんからの最初のアプローチは、「昭和40年代にニコンのカメラで撮影した鉄道写真はお持ちではないでしょうか?」「点数が揃えばそれで企画展を実施したい」でした。多くの方から写真の寄贈を受けているNRAなので、その時代の写真はあるものの、流石に撮影機材のリストはありません。さてどうしたものかと思ったものの、現役の会員さんに「昭和40年代にニコンのカメラで撮影していた方を大募集」と呼び掛けたところ、ドンピシャの写真が集まり、今回の開催に繋がりました。

おっと、何故「名古屋の団体なの?」ですね。実は法人でこうした活動を行っている団体が、東京にはありません。(趣味の任意団体はあります)

また鉄道系のNPOは他にもありますが、写真と資料収集だけを行っているのはどうもNRAだけのようです。調べが追い付いていない面もあるので、この件は「稲見調べ」とさせて下さい。

ということでこの会場で写真パネルの下に置いてあるこのカメラ、ニコマートFTN。私が使っていたカメラで、高校の入学祝に両親が買ってくれたものです。おかげさまで私の撮影した写真も展示されています。

もっともこの写真展を両親に見てもらえないのが残念でなりません。

※カメラは今回の展示用にニコンの方が整備されており、購入時の輝きが戻っています。(驚&嬉)

(おまけ)

写真はありませんが、この会場では昭和40年代の時刻表等々、全8冊を手にとってご覧いただくことも出来ます。何があるかは会場でのお楽しみ。

2019年09月30日 21時18分

お召し列車を撮影しました。

天皇・皇后両陛下がいきいき茨城ゆめ国体に臨席されたのに伴い、一昨日の9月28日と昨日の29日に令和初のお召列車が運転されました。

昨日、私は所用があって東京にいたのですが、その終わりの時間が確定しておらず、よって始めは何事もなく名古屋に戻るつもりでした。ところが思いの外順調に事が進み、夕方6時半にはフリーになり、であればと東京駅に向かいました。

鉄道ファンだけではなく、市民の方も待ち受ける中東京駅9番線にJR東日本E655系が暗闇の中から姿を見せました。

私にとって初めてのお召列車の撮影。8番線ホームで待ち受けていたのですが、「黄色い線の内側で撮影してください」というアナウンスはあったものの、撮影する側もそれをちゃんと守っており、意外と静かな現場でした。

夜間撮影になるので、ホームの灯りが無ければどんな電車かは分かりません。私は15両編成が停まるホームの11号車付近で待っていたのですが、電車の色もあって前から3両目までは何とか視認できますが、それから後ろの電車は漆黒の世界からまだ出ていません。

この後、車内からホームで待っている方たちに手を振る両陛下のお姿を見届け、撮影を終了。

2019年09月29日 15時15分

木曽岬町自主運行バス。

今日はバスのお話。

近鉄弥冨駅前には三重県桑名郡木曽岬町の自主運行バスが乗り入れています。

2路線あって、「中央線」は1時間にほぼ1本あり、利便性はまずまずではないでしょうか?

驚いたのはこちらのラッピングの無いバス。何とレンタカーでした。たまたまなのか、いつもこうして運行しているのかは不明ですが、どちらにしても住民の大切な足であることには変わりません。

話は集合場所の近鉄弥冨駅に戻ります。弥富市と言えば文鳥という事でこうした手持ち顔出しパネルあり。親しまれる鉄道を目指し、そして地元愛を前面に押し出すアイデア。

一方には文鳥+やはり弥冨と言えば金魚!と主張する看板あり!

2019年09月28日 19時47分

近鉄名古屋線木曽川橋梁の遺構。

どんと大きく写っているのはJR関西本線の木曽川橋梁で、この画面で左に小さく見えるのが現在の近鉄名古屋線木曽川橋梁です。

そのJR関西本線のすぐ北側に、鉄橋と並行して杭が縦に並んでいます。これが近鉄名古屋線が狭軌の時代の鉄橋の遺構で、橋桁、橋脚は撤去されていますが、水中に橋台(ケーソン?)部分が残っており、船がそれを引っ掛けないようにこうして目印があるのだそうです。

ところで今回の廃線跡散策で思わず私の心にヒットしたのは、廃線跡ではなくこの写っている道路そのもの。まずは左下のコンクリートの指標に注目。

近鉄のマーク入り。

道路の中にも「近鉄」+「↑」の埋め込みあり。

この道路は何と近鉄さんの所有とのことで、この埋め込み部分が近鉄の所有とそれ以外の方による所有の境界線とのことでした。いわゆる私道ですね。保守管理は弥富市が行っているとのことでしたが、まあそうしたことはあり得るわけではあるものの驚きの発見。でも教えてもらわないと気付くことは無かったでしょう。

2019年09月27日 20時40分

伊勢湾台風から60年。近鉄名古屋線の軌間拡幅工事。

最近、近鉄電車の名物広報マン/福原稔浩(ふくはらとしひろ)氏を中心とする仲間が協力し合い運営している「有志で巡る廃線跡シリーズ研究会」に参加させていただいています。会の趣旨は『歴史鉄が集まり、廃線跡をめぐり、歴史を知り、学び合って、知識を高める集いの場』で、一見ハードルが高そうですが、初心者でも楽しめるように工夫されており、毎度参加とはならないものの私の鉄活の定番の一つにしたいと思っています。

その会でこの9月23日(月)に「 近鉄名古屋線第1回 廃線跡散策&勉強会」を行いました。

午前中の廃線跡散策は、近鉄弥富駅を起点に旧木曽川橋梁まで歩くもので、近鉄、JRの車窓からも見えるこの橋なども間近に見ました。

※詳細な鉄道史の話は省きますが、近鉄名古屋線は、伊勢湾台風以前は狭軌(1067mm)の鉄道で、伊勢湾台風を契機に広軌(1435mm)化されており、この橋は狭軌時代に使われていたものです。

ところでこの橋の管理は今も近鉄が行っているとのことで、真ん中のブロックというか道路の上の部分の色が異なっているのは、定期的に点検を行い、道路を行き交う人や車に万が一にでも事故が起きないように補修を行っているからだそうです。

参考:この日、私たちが見た遺構は、11月9日(土)に開催の近鉄主催のハイキング『特別企画ハイキング・名鉄タイアップ企画(踏破賞対象)近鉄名古屋線改軌60周年記念ハイキング 近畿日本鉄道発展の礎を歩く(近鉄弥富駅~近鉄長島駅)』でも見られます。

午後は「伊勢湾台風と名古屋線」というテーマでの勉強会。福原さんと会の事務局の福田さん、そして近鉄OBで、伊勢湾台風が襲来したその年に就職された方から、台風被災からの復旧並びに広軌化工事について詳細な話をお聞きしました。

(以下、近鉄HPから転載)

名古屋線の広軌化を1958(昭和33)年9月から計画し、準備をすすめていたところ、1959(昭和34)年9月、伊勢湾台風により、名古屋線は甚大な被害を受けました。しかし、台風による水没区間復旧を機に、名古屋線80キロ標準軌化を一挙に(11月19日~27日)完工する大事業を完了し、62日間で全線復旧、広軌化を成し遂げました。

 

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近鉄名古屋線の広軌化は、木曽川に架かる橋梁など、重要な構造物が台風の襲来時点で既に出来上がっていたり、その他の準備でも終わっていたものもあったそうで、それもあって最終的に当時の佐伯社長が決断したとは聞いていました。ただ9月27日から11月27日まで鉄道を止めて代行バスを走らせていたのではなく、実は一部区間を除き狭軌のままで開通させ、その横で広軌化工事の準備を行い、最終的に上記の日程で一気に改軌をしています。

近鉄の社史等にはそれは書かれているとのことでしたが、勉強不足を改めて知らされた一瞬でした。

鉄道を止めない。鉄道マン一人、一人の気持ちが一つになって初めて成し得た大事業であったと改めて感じています。

またその根っこには佐伯社長の一言「罹災社員の救済は前例に関わらず徹底的にせよ」があったと聞きました。海外出張中だった佐伯社長からの、伊勢湾台風の報に接しての最初の電報は、「電車は動かせるのか」ではなくこれだったそうです。人があっての会社であり、その人が安心して暮らせることが会社の繁栄であるという信念があったのでしょう。

今年は近鉄名古屋線広軌化60周年の節目の年であり、それは名阪間を直通で結ぶ特急/ビスタカー2世の登場から60周年でもあります。伊勢湾台風が無くとも広軌化及び直通特急運転開始はつつがなく進んだものとは思います。

ただ被災した中で、復旧~運転再開と同時に広軌化工事をやり遂げたことは称賛に価すると私は思っています。

最後に一言。今回、弥富市内を歩いていて気になったのは、家の土台のかさ上げ具合。伊勢湾台風から暫くの間に建てられた家と、恐らく台風の記憶が薄れてから建てられた家(私の推測です)ではその差が歴然で、名古屋港で高潮対策が進んこともあるのでしょうが、地平から1m以上も盛土されたところに家が建っている理由を知る人は確実に減っていると思います。

参考:この広軌化工事の模様は半世紀前に制作された当時の工事記録映画「伸びゆく近鉄」として残されており、その全編がDVD「近鉄rail Go 2」に収録され、来月(10月)19日、20日に開催されます「きんてつ鉄道まつり2019in五位堂・高安」から発売が始まります。

個人的には是非ご覧いただきたいと思っています。最後の最後で佐伯社長が完成を祝う金の犬釘を打つシーンでは、私は思わず拍手をしてしまいました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!