2021年11月07日 22時09分

鉄印帳の旅(35)JR福知山駅と谷川駅。

福知山駅南口を出ると目の前にはC11(C1140)の姿が見えます。

広場には2本のレールのイメージのしつらえあり、腕木式信号機もあって良い感じ。

転車台はもともとこの地にあった福知山機関区の転車台を移設したもの。

ローカルの列車を乗り継ぐ場合、列車本数が少ないこともあり時間を持て余すこともままあるのですが、こうした保存機関車があると、ゆとりの時間は充実の時間へと変貌します。

14:06の福知山線篠山口駅行きに乗る前に、再度福知山駅名物の撮影。

「こうのとり9号」城崎温泉駅行きと「はしだて5号」久美浜駅行き。の表示がありますが、「はしだて5号」は実際には久美浜駅から快速となり豊岡駅まで行きます。もっとも久美浜駅の次の停車駅が豊岡駅で、1区間だけの快速列車。

もっと言えば「こうのとり9号」の豊岡駅到着は14:43。

「はしだて5号」の豊岡駅到着は15:35。

誤乗防止も合って「はしだて5号」の本来の終点を表示していないのかも知れません。

京都丹後鉄道のホームにふと目を向けるとそこにはJR西日本113系の姿あり。理由は不明。

谷川駅14:45。

加古川線の西脇市行きの発車は15:13。

時間があったので、一旦改札の外に出る。

そこには何故かコンクリート製の恐竜あり。「なぜ?どうして?」と疑問が膨らみ、駅員さんに聞いたところ、この近くで恐竜の化石が発掘されたことがあったそうな。納得です。

2021年11月06日 17時01分

鉄印帳の旅(34)京都丹後鉄道天橋立駅。

11:14、京都丹後鉄道天橋立駅に到着。

まずは鉄印を頂きます。なおこれを撮影したのは、帰路の特急「たんごリレー4号(丹後の海)」車内です。

その福知山駅行き特急「たんごリレー4号(丹後の海)」は11:54発なのでしばし駅前を散策。

駅から徒歩5分ほどの所にあり、智恵を授けてくれる文殊様で有名な智恩寺にお参り。「三人寄れば、文殊の知恵」という言葉はこのお寺のこととか。3人でなくとも、なんとか智恵が授けれないものかと考える俗な爺1人。記憶の泉の水は、老人力が強まるにつれて涸れつつありますが、せめて智恵の泉は枯らさないようにしたいものです。

智恩寺を抜けてすぐの所に、江戸時代には既にあったといわれる「智恵の輪 灯籠」。この石の輪を3回くぐれば文殊様の知恵を授かれると言われていますが、くぐるのは無理なので、実際には灯籠の周りを3回回るとか、頭を3回入れるとかをすると御利益があるそうです。なお今回私は手を合わせたのみ。さて御利益や如何に。

特急「たんごリレー4号(丹後の海)」の到着。

この列車は豊岡駅を10:53に1604D快速列車で出発し、途中の網野駅から特急となります。(特別料金不要の)快速~(有料)特急と変身する列車って、今日本でどれくらい走っているのでしょう。一度、調べなければ…。

車内。お客さんがいませんが、これは終点の福知山駅での撮影。

福知山駅  12:34着。

美しきサイドビューに別れを告げ、次は福知山線~加古川線経由で北条鉄道との乗換駅、粟生駅を目指します。

福知山駅発 1406 2540M 篠山口駅行き

谷川駅着  1445

谷川駅発  1513 2328S 西脇市駅行き

西脇市駅着 1542

西脇市駅発 1545 1344S 加古川駅行き

粟生駅着  1605

福知山駅では時間があるので、ゆっくりと昼食。そして、、、。

2021年11月05日 22時22分

鉄印帳の旅(33)京都丹後鉄道天橋立駅を目指す。

10月29日(金)の鉄印帳の旅。この日は「京都丹後鉄道」と「北条鉄道」の巻。

まずは京都丹後鉄道天橋立駅を目指します。

名古屋駅発 7:37 ひかり535

京都駅着  8:27

京都駅発  838 特急「はしだて1号」(京都駅~天橋立駅)

福知山駅着 954

福知山駅発 1013 4811D 快速丹後あおまつ1

天橋立駅着 1114

こんな予定。 京都駅出発時は「はしだて1号」と「まいづる1号」の併結で、見えているのは「まいづる1号」。 福知山駅名物、京都方面からの特急と大阪方面からの特急の同一ホーム接続。左側が今、乗ってきた京都丹後鉄道宮福線直通「はしだて1号」天橋立駅行き(9:54着 9:59発)。 右側の列車は特急「こうのとり1号」城崎温泉駅行き(9:49着 9:55発)。

福知山駅からの京都丹後鉄道宮福線は、特急で直行せず敢えて普通列車/天橋立駅行きに乗車。

その心は「はしだて1号」に接続する普通列車が、観光列車「丹後あおまつ号」だったから。

私の「鉄印帳の旅」ですが、若かった頃の「日本の鉄道の完乗を目指す」旅ならともかく、今は「鉄印収集だけが目的の旅」ではなく、時間に余裕もあるので、チャンスがあれば様々な車両のバリエーションを楽しみたいと考えつつ行程を組んでいます。何故って言えば、それがとっても楽しそうに思えたからですが、今回の京都丹後鉄道にもぴったりの車両がありました。それが「丹後あおまつ号」。この鉄道の他の観光列車と異なり、何せ予約不要の普通列車です。

乗車してすぐに目に付いたのはこのラック。書籍の時刻表が置いてあり、これは私にとっては初めてのこと。

水戸岡鋭治氏が担当された車内デザインは、想像だにしなかった低い背もたれにまずは驚き。もっともそのおかげでしょうが車内は広々とし、どの座席からも進行方向どちらの風景も楽しめます。

トイレの入り口も、列車のトイレとは思えず、面白いですね。

車内販売のコーヒー。左下にあるのは「もうひとつの京都 周遊パス 海の京都エリア(1日乗車券)」。それを購入するとこのコーヒーが無料で付いてきます。

この1日乗車券ですが2200円ですので、福知山駅~天橋立駅を普通列車で往復するだけならば元は取れません。しかし今回は帰路の列車は特急(自由席)の予定でしたので、特急料金を含めればまず元は取れ、更にこのコーヒーで「買って良かった」と相成りました。

沿線の名物が一目で分かるボード。手作り感満載で、個人的にはOK!

牧駅で5082D特急「はしだて2号」久美浜駅発京都行きと交換。

2021年11月04日 10時06分

名古屋市交通局のオリジナルグッズアンケート。

先日、名古屋市交通局のグッズ/タオルハンカチを買ったらアンケートの案内をもらいました。
ウェブサイトの受付フォームはなく、e-Mailにて回答するものだったのですが、何と漏れなく記念品あり。
真面目に答えてシールを頂きましたが、発送の手間とかを考えると交通局も大変そうだと思った次第。
それにしてもこのシール、良く出来ていると思いました。私が使うかと聞かれれば、さてどうしましょう?ですが、お子さんのいらっしゃる家庭なら喜ばれそうですね。
ところでこうした非売品ですが、視点を変えればその時代の状況の生き証人だったりします。将来的にこれを展示・公開したりする機会があるかどうかまでは、何とも言えませんが、それでも保管しておこうかとは思います。
販売品は、同好の方で誰かがコレクションとして購入していることが多いのですが、何せ今回で言えば「アンケートにメールで回答」しなければ手に入りません。

2021年11月03日 8時19分

名古屋の鉄道136年史(8)馬車鉄道。

なかなか名古屋の鉄道の話しが出てきません。次回からは多分、本題に入ることが出来るかと思います。今暫くお付き合い下さい。

「 鉄道80年のあゆみ 」運輸調査局 編(昭和27年(1052年)/日本国有鉄道)

馬車鉄道というものがかつての日本にありました。この写真は東京・新橋駅前。明治15年(1882年)に開業した「東京馬車鉄道」で、日本最初の馬車鉄道でした。

蒸気機関車よりも時代遅れに見えるこの鉄道が、明治15年開業とは意外かも知れませんが、馬車鉄道は長距離ではなく、市内交通として日本に登場しています。「えっ、電車じゃないの?」とか思われるかも知れませんが、日本で最初の一般営業用電気鉄道が京都市に登場したのは明治28年(1895年)のことなのです。

絵はがき「上野三橋ヨリ山下ヲ望ム」。当初は新橋と日本橋を結び、その後日本橋 ~上野~浅草~日本橋間の環状線も開業させています。当時、東京におけるというか、日本における2大鉄道ターミナルの新橋と上野、そして大繁華街の浅草を結んでいました。

※上野駅は明治16(1883)年に開業

「両国橋及浅草橋真図」井上探景画 出版/松本平吉 画工/井上安次

この部分には馬車の鉄道だけではなく、線路を走らない乗合馬車も描かれています。共存共栄の関係だったのでしょうか?

さてこの馬車鉄道(東京馬車鉄道)はその後、東京電車鉄道と社名を改めて路線の電化を進め、明治44(1911)年には、東京市が路面電車を経営していた民間会社3社を買収し、東京市電が誕生しています。

余談ですがこの東京馬車鉄道の軌間は1372ミリ。この軌間はその後の都電であったり京王線・都営地下鉄新宿線、東急世田谷線、函館市電が採用していますが、日本の1372ミリは以上で全て。何故この軌間が東京馬車鉄道で採用されたかは不明ですが、今の日本に1372ミリゲージがあるのは正にここが発端であることは間違いありません。

話しは変わってギリス/グレートブリテン島とアイルランド島に囲まれたアイリッシュ海の中央にある「自治権を持ったイギリスの王室属領」である「マン島」。

観光施設ではない世界唯一の公共交通機関としての馬車鉄道があります。(実質的には観光客用とも言える)

ダグラス・ベイ馬車軌道 (Douglas Bay Horse Tramway )。写真は2014年8月の訪問時のもので、その後廃止されるとのニュースが出ましたが、最終的には線路を付け替え現在も運行されています。

今は出掛けることは出来ませんが、今後渡航できるようになったら、都市交通の原点とも言えるこの鉄道を体験されては如何でしょう。

2021年11月02日 22時57分

名古屋の鉄道136年史(7)日本最初の鉄道は海の中を走っていた。

「東京真画名所図解 髙縄鉄道」井上安治作 明治15年(882年)頃?

この浮世絵には海中の土盛りを走る列車が描かれています。

その事実はつとに知られていましたが、その後の日本の発展で東海道本線を取り巻く環境は大きく変わり、いつしか「海上鉄道」は忘れられていきました。

それが昨年、JR東日本が高輪ゲートウェイ駅前を中心に進める品川再開発計画の工事現場で、何と「高輪築堤」が出土したのです。日本最古の鉄道の線路跡とも言える「高輪築堤」、その存在意義とは?

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(東京都港区のホームページ 2021年5月24日更新から転載)

高輪築堤跡/高輪築堤は、明治5(1872)年にわが国初の鉄道が開業した際に、海上に線路を敷設するために築かれた鉄道構造物です。平成31(2019)年4月、品川駅改良工事の際に石垣の一部が発見されました。

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(文化庁のホームページ 2021年8月23日更新から転載)

令和3年8月23日、東京都港区にある高輪築堤跡を史跡に指定すべきとの答申が文化審
議会から文部科学大臣に提出されました。

1.高輪築堤跡とは
明治5年(1872)9月12日、日本初の鉄道が新橋・横浜間に開業しました。東アジア初の鉄道の総延長は約29kmあり、そのうち約2.7kmは、海上に堤を築いてレールを敷き、その上を蒸気機関車が走りました。この海上鉄道敷の遺構が「高輪築堤跡」です。
なぜ海の上にレールを敷いたのでしょうか。それは、鉄道用地の取得が困難な地域を避けて鉄道を通すためです。政府が明治2年(1869)に鉄道建設を決定した後も莫大な建設予算の前に反対する人々が多く、加えて、平坦地の少ない東海道沿いには旧薩摩藩邸や兵部省の軍用地があったのです。

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それにしてもこの思わぬ発見は想像以上(異例)の速さで史跡指定されたのです。

では当時の東海道本線はどれほどの海際を走っていたのでしょう。ならば調べてみよう!

「日本写真帖」田山宗尭 編(明治45年(1912年)1月/ともゑ商会)

恐らく発行時期に近い明治末期頃の撮影を思われる品川停車場。東海道本線が、明治末期にあってもまだ海際を走っていたのは意外な発見でした。

「国鉄80年 機関車の発達」著者/本島三良・臼井茂信(昭和27年(1952年)/交友社)

前の写真より少し開業時に近い明治33,34年頃と思われる品川駅構内。機関車は後の国鉄1850形となるC形タンク車。

さて話しは海中鉄道に戻します。

「新橋横浜間鉄道之図」(国立公文書館デジタルアーカイブ)

国立公文書館で保管されている(開業時の)新橋駅~横浜駅間の鉄道地図。もっともこれでは何か良く分かりませんね。

右端が新橋駅。

左端が横浜駅。そして…。

高輪海岸~品川駅にかけて、線路は確かに海の中を走っていました。

話しには聞いていたものの、『本当のところはどうだったの?」とか言う疑問が湧いてきて国立公文書館のウェブサイトを探りました。それにしても東京まで行かずに公文書を探して見られるという時代が来るとは本当に驚きです。何せ先人の鉄道史研究者の方は皆さん、東京まで足を運んでいたのです。

それはそれとして歴史探訪は本当に面白い。

※「日本写真帖」「国鉄80年 機関車の発達」はNPO法人名古屋レール・アーカイブスの所蔵資料です。

2021年11月01日 21時45分

名古屋の鉄道136年史(6)鉄道が開通した頃の浮世絵。

鉄道の開業後、『陸蒸気(おかじょうき)』を題材にした実に多くの浮世絵が発行され、今の時代にまで残されています。今回はそうした中から一部の作品を紹介します。

「従汐留横浜迄蒸気車鉄道往辺之図」(人形町 具足屋)

開業直後の発行と思われる1枚。

この浮世絵の機関車は昨日紹介した「テンダ式」ではなく明らかにタンク式。デフォルメされて表現されるのは浮世絵の常とは言え、日本最古の機関車の1両である150形(1号機関車)で正解でしょう。

それにしても背広姿で、如何にもこの場に不釣り合いな方は一体誰なんでしょう?

「国鉄80年 機関車の発達」著者/本島三良・臼井茂信(昭和27年(1952年)/交友社)

これが150形の写真。現在は埼玉県さいたま市の「鉄道博物館」に保存されています。

鉄道博物館に行かれる機会がありましたら是非、自分の目でご覧下さい。

※この写真は2010年12月5日撮影。

「東京高輪鉄道蒸気車走行之全図」一曜齊国輝(と思うのですが、ネットで検索すると「曜齊国輝」とも出てきます)

この絵のポイントとしては「貨車」を繋いでいること。調べたところ、開通時から貨物輸送が始まっていたようです。

また橋の上には2頭立ての馬車がいて、当時の「バス」の役割を担っていたのではないかと思われます。

「東京府下自漫競 品川之鉄道図」広重(恐らく3代目広重。左下の「広重」は読めるのですが、姓の部分は判読出来ず)

鉄道が「自慢」を「競う」中での1つだったという話し。

ところでこの浮世絵には「電柱」と「電線」が描かれています。よって明治15年(1882年)以降の作画であることは間違いありません。描かれている機関車や客車に大きな変化が感じられないので、開通から10年の経過の中では、鉄道車両に大きな変化は無かったということでしょう。

※電気について/参照:電気事業連合会のウェブサイト

2021年10月31日 14時02分

名古屋の鉄道136年史(5)明治5年(1872年)10月14日、日本で最初の鉄道が開通。

「鉄道の日」が、新橋~横浜間に日本で最初の鉄道が開通した日であることは広く知られています。もっとも開業当時は太陰暦であったため明治5年(1872年)9月12日でした。それがその後新暦に修正され明治5年(1872年)10月14日となったことはあまり知られていません。

「帝国鉄道発達史」杉謙二 編( 大正11年(1922年)10月4日/杉謙二)(国立国会図書館 デジタルコレクション)

キャブションには「本邦最初の新橋駅ご開通式当日明治天皇行幸の景」とあり、この写真は正に日本最初の鉄道開通日である明治5年(1872年)9月12日の記録です。そして日本初の鉄道開通の意味をこれほど感じさせてくれる情景はありません。

「帝国鉄道発達史 大正11年(1922年)10月4日 杉謙二 編」(杉謙二)(国立国会図書館 デジタルコレクション)

日本で最初の鉄道開業に際しイギリスから輸入された蒸気機関車の内の1両で、日本初のテンダー式蒸気機関車。ナンバーが5000となっているのは1909年(明治43年)に改番されたためで、この写真の撮影時期はこの書籍の出版時期である大正10年頃と推察しています。

こちらは絵はがき。撮影時期は不明ですが「開業当時召列車に奉仕した2号機関車」とのキャプションあり。

帝国鉄道発達史の機関車と同型式と思われますが、お召列車を牽いたのは別の機関車という文献もあり、このキャプションが正解かどうかは不明です。ただ一点、ポイントと言えるのは明治5年の時点でお召列車があったこと。機関車はともかく客車で専用車があったかどうかが気になるところです。

「日本鉄道史. 上編」鉄道大臣官房文書課編(大正10(1921年)/鉄道省)(国立国会図書館 デジタルコレクション)

客車は図面をご覧下さい。日本の鉄道の開業だから小型なのではなく、恐らく当時の世界標準に近い物ではないかと推察しています。

(余談)

「帝国鉄道発達史」杉謙二 編( 大正11年(1922年)10月4日/杉謙二)(国立国会図書館 デジタルコレクション)

嘉永7年/安政元年(1854年)、アメリカのペリー(Matthew Calbraith Perry)率いる米国東インド艦隊が当時の幕府に献上した“鉄道”の模型。当時の人にとっては「凄い!」だったのでしょうが、私にとっては「可愛い!」という令和の時代の感想。

2021年10月30日 22時34分

名古屋港線の8660レ、DE10+レール運搬用キヤ97。

毎週火・木・土にしか列車が走らない線が名古屋市内にあります。

名古屋港線(なごやみなとせん)という貨物線で、JR東海/名古屋資材センターに出入りするレール運搬車/キヤ97をけん引する8660レ、8661レが設定されているのですが、それ以外の列車の設定はありません。

上記の2枚の写真は10月19日の8660レ(名古屋駅方面行き)。場所は商業施設「ららぽーと名古屋みなとアクルス」のみどりの大広場。

10月26日の同じ場所。シートレインランドの観覧車を孔雀の羽に見立てのですが、逆光ではやはり…。

今回はたまたま「ららぽーと」内のお店に行く用事が2週続けてあったので撮影したのですが、運が悪いとこの写真のようにDE10が単機ということもあります。また運休ということもあったりもします。

2021年10月29日 9時00分

岐阜県羽島市のキハ605。

キハ605。

1951年(昭和26年)に常磐炭礦鐵道キハ21として製造され、その後1959年(昭和34年)に岡山臨港鉄道(キハ1003)へ。1984年(昭和59年)には紀州鉄道(キハ605)に移ったものの営業運転に使われることなく現役を退きました。

その後ふるさと鉄道保存協会(有田川鉄道公園)に譲渡され、JR貨物・北陸ロジスティクスで保管(一部修復)の後、縁あって2020年(令和2年)6月11日、ここ岐阜県羽島市の社会福祉法人岐阜羽島ボランティア協会/かみなり村「コンテナのアオキ」にやってきました。

こうして見ると一見、鉄道車両の保存をしている場所に見えますが、実際には「子ども・若者の居場所づくり」の場所。

堅苦しいかも知れませんがここでこの場の運営規程から事業の目的を転載。

(事業の目的) 第1条 社会福祉法人 岐阜羽島ボランティア協会(以下「事業者」という。)が設置する「コンテナ のアオキ」(以下「事象所」という。)では、指定障害福祉サービス事業の指定生活介護(以下「生 活介護」という)を実施するにあたり、適正な運営を確保するために必要な人員及び運営管理に関 する事項を定め生活介護の円滑な運営管理を図るとともに、利用者の意思及び人格を尊重して、常 に当該利用者の立場に立った適切な福祉サービスの提供を確保する。

障がい児者とその家族支援の活動を行い、不登校、ひきこもりの方のためのフリースペースもあるこの場所。そこにキハ605がいるのは事業の目的に沿った「楽しい場所」造りの一環だそうです。

ところで昨年4月オープンの施設の名前「コンテナのアオキ」の由来。それは建物がJRの「貨物コンテナ」で出来ていること。

コンテナというと四角四面で、狭い空間に感じますが、ここのコンテナ群はその構造を維持しつつ、実に快適な空間となっています。

こちらは調理室。

元コンテナであることが見て取れるトイレと洗面のコーナー。その他作業をする部屋を含め、コンテナを活用しているとは思えないゆとりを感じます。勿論、エアコンもあります。

理事長/川合宗次さんの話では、単純なコンテナの連結~組み合わせでは建築基準を満たさないため、それをクリアするため様々な工夫を凝らし、やっとの思いでここの開所に漕ぎ着けたそうです。

もっとも理事長さん曰く、「私は乗りものは好きだけで、鉄道マニアではない」そうです。

キハ605同様、ここに通ってもらえるための動機付けであったり、一方で地域の人たちにもこの場の存在を楽しんでもらおうという気持ちが先にあり、それでどうすれば良いかを考えた結果が現在の形になったそうです。

キハ605の車内。一見綺麗に見えますが…。

そこかしこにかなりの痛みがあり、おって修復をしていきたいとの事でした。

と思っていたら何とこのキハ605、動態保存の道を歩むことになりました。

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【理事長/川合宗次さんからの連絡】

石川県小松市で鉄道関連の保存活動をされている「なつかしの尾小屋鉄道を守る会」の坂井代表と出会い、キハ605の動態保存(エンジン稼働により気動車を動かすこと)にむけて整備をして頂くことになりました。それに伴い線路の延長工事が始まります(ほんの14mですが・・・)。

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ただただ驚きです。私から見れば不遇の日々を送っていたキハ605。それが令和に入り、よもや岐阜の地で、命を吹き込まれるとは思いませんでした。実際に動くまでにはまだ日にちがかかると思いますが、キハ605にとっての啓蟄の日を、一日千秋(いちじつせんしゅう)の思いで待つこととなりました。

私にとってはご縁がご縁を結んでキハ605の見学にやってきた「コンテナのアオキ」。そこでこうした展開を知ったことは単なる偶然とは思えず、これから何某かの応援を始めたいと思っています。

(見学について)

住所:〒501-6229 岐阜県羽島市正木町坂丸1-50 福祉施設「コンテナのアオキ」

※名鉄竹鼻線須賀駅から徒歩で15分ほど。

キハ605の見学は、外から見て頂く分にはいつでも可。

また月曜日~土曜日の昼間の時間ならば、職員に声をかけて頂ければ内部を見学することも出来るそうです。

福祉法人 岐阜羽島ボランティア協会ではこのエリアで様々な施設を持ち、活動をしています。そしてそこに通う方達が作ったものを「コンテナのアオキ」の事務所でも販売しています。よろしければキハ605と貨物コンテナの見学がてらご覧下さい。

(おまけ)

「コンテナのアオキ」の入り口にあるこの警報器。

1951年(昭和26年)式ゴング式電鈴と点滅表示機だそうですが、何と毎日午前9 時、12時、午後3時の3回鳴るようになっています。訪問される場合は、その時間に合わせて行かれると良いと思います。

それにしても線路のない田園風景の中で聞く警報器の音ですが、唐突に聞いた私はただただ笑ってしまいました。さて皆さんの感想や如何に。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!