2010年03月27日 17時33分

東京出張 副都心線渋谷駅

東京メトロの副都心線は
平成20年9月22日に乗車しました。
(池袋⇒渋谷)
勿論、各駅停車です。
※東京にはしばしば出張で行くのですが
 出張時の「ついで乗り」は
 時間的になかなかできないのが現実です。

渋谷駅には東急東横線との直通運転に備え
すでに当時、線路が敷設されていました。
先日、渋谷から新宿3丁目まで
仕事の移動で乗車しましたが、
さてこの写真は、先日か
それとも開通時の撮影かどちらでしょう?
そんな問題にするような
話題ではありませんが、
それほど見た目が変わっていないということです。
(答えは平成20年)

2010年03月27日 10時15分

越後交通栃尾線除雪車

越後交通の話しは
これで最後にします。

除雪車ということは
ご覧のとおりですが、
モーターカーだろうということは
推測がつきますが
「車体番号」とか「製造メーカー」とか
当時は調査する気持ちが全くなく
単に「越後のナロー」に乗ったという
事実に大満足して終わっており、
今思えば、
随分もったいないことをしていました。
それが『乗り鉄』の『乗り鉄』たる
所以でしょうが…。

2010年03月26日 19時17分

越後交通栃尾線 上見附駅

当時の越後交通の終点、
上見附駅です。

上見附から先、
スイッチバックで栃尾までの路線が
あったため線名が栃尾線でした。

車体番号「215」が見えますでしょうか?
さらに中央の窓下には
分かりにくいですが『EKK』の
社名が入っています。
ところで今でも十分に通用するデザインだと
思いませんか?

2010年03月26日 9時06分

越後交通栃尾線ED51

越後交通栃尾線は、昭和48年当時としては
比較的近代的な感覚の電車も
使っていたと記憶しています。

一方、電機はと言えば
古豪の雰囲気すら感じる
ED51がいました。
撮影時点ですでに貨物輸送も旅客輸送も
その使命を終えていたはずで
今思えば、線路を除雪した跡もあり
一体何に使われていたのでしょうか?

2010年03月25日 18時19分

越後交通栃尾線

新潟県長岡市に、昭和50年まで
越後交通栃尾線というナローがありました。

私が乗ったのはまさに大雪の
昭和48年(1973年)12月28日。
わずかに残っていた「長岡」~「上見附」間です。
※もう少し早ければもっと長い距離が乗車できた。
 いずれにしろ風前の灯だったので
 出かけました。

写真は途中の「下長岡」駅。
車庫があったので下車したのを覚えています。

2010年03月25日 9時05分

名鉄「桜」駅の桜

昨日(3月24日)の朝、
名鉄「桜」駅に行きました。

1番ホームの真ん中にある
駅名看板のすぐ後ろの
桜の開花状況を確かめるためです。

満開までには
あと1週間というところでしょうか。

「桜」と桜が1枚の写真に
おさまったからと言って
「それが何か?」と言われたら
それまでですが…。

2010年03月24日 21時25分

吉松駅前で発見!

2004年に行った肥薩線吉松駅前で
見つけた和菓子屋さんです。
客車(?)と腕木式信号機がおしゃれですね。

看板には「汽笛まんじゅう」とあります。
さてどんなまんじゅうだったんでしょうか?

最後に余談ですが
この後、高速バスで「吉松」から
「鹿児島空港」に向かったのですが
バス停があることは分かっていたのですが
地元の人(達)に聞いても場所がわからず
結構探し回ってやっとたどり着きました。
公共交通が廃れるわけです。

2010年03月24日 10時10分

肥薩線 矢岳駅の標高

肥薩線の最高地点駅「矢岳」。

標高536.9メートルとあります。
漢数字が時代がかっていてそそります。
(私だけでしょうか…)
蒸気機関車の時代は
とても大変だったろうと
予想がつきます。
重連の写真を撮ったり、
ドラフトの音を楽しんだり
時間をかけた旅を楽しむには
いいのでしょうが。

私は、いろいろな所に乗りに行っていて
この標高標識のような細かいことが気になるタイプです。
どこかの路線の何かをまたUPします。

2010年03月23日 19時18分

いさぶろう・しんぺい 車内

話しを元に戻して、
「いさぶろう・しんぺい」の車内。
間に合わせで作った車両ではなく
JR九州が本気で作ったということが
ヒシヒシと伝わってきます。

いさぶろう=山縣伊三郎
しんぺい=後藤新平
明治時代の偉人です。

JR九州では現役力士の名前が由来の
特急「かいおう」や
オランダ人医師の名前が由来の
今は無き特急「シーボルト」があったり
人の名前を使うことが得意のようですね。

2010年03月23日 12時04分

「DISCOVER⇒JAPAN」な頃

1970年(昭和45年)から
国鉄の「ディスカバー・ジャパン」キャンペーンが
始まり、一大旅行ブームが巻き起こりました。
(と言っても、知らない人の方が多いかな)
冊子「でいすかばあ・じやぱん」が
どれ位の期間、配布されていたか
覚えていませんが、
私はNo.2からNo.5までを持っています。
ただ、この冊子があること自体
あまり知られていなかったのでは?

「いさぶろう・しんぺい」のことを
書いていて思い出しました。
鉄道が、旅行の主役だった時代が
あったことを。
「チャレンジ20000キロ」の
始まる10年前の話しです。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!