2010年04月26日 8時58分

井笠鉄道 ホハ10

井笠鉄道の客車「ホハ10」。
ダブルルーフの屋根や
ちらと見えるピン・リンク式連結器が
郷愁を誘います。
※私には朝顔型連結器という言い方が
 しっくりきますが。

今からおよそ40年前にあった風景ですが
これは、「40年も」前なのか
「ほんの40年」前なのか
少々考えてしまいました。
写真の「笠岡」という町は
天然記念物「生きる化石・カブトガニ」の
生息地として当時から知られており
井笠鉄道こそ「生きる化石」になってほしいと
真剣に思っていたことをこのブログを
書きながら思い出しました。

2010年04月25日 18時18分

ダージリン鉄道 トラック事故に巻き込まれる

渋滞と列車が止まった理由が判明。

狭い道路で行き違おうとした
2台のトラックの荷台がピッタリ
くっついてしまい、びくともしなくなったのです。

しかも、写真で左側のトラックの荷台が
線路にはみ出し、列車が通り抜けることも
出来なくなっていました。

双方が、思いっきりアクセルをふかし
ハンドルを切ったりするも、
うまくいかず四苦八苦。
それでも強引に車を揺さぶり
最終的には離合に成功。
まあ、この程度なら
「驚くほどでもない」と思ってしまった自分は
すっかりインドに慣れてしまったようです。
それにつけても怪我人がなくて何よりでした。

こうして列車は更に遅れる…。

2010年04月25日 9時07分

井笠鉄道 ホジ3

井笠鉄道のディーゼルカー「ホジ3」の運転席。
自動車のようなシフトレバーと
鉄道らしいブレーキレバーは
当時の「ど」のつく私鉄ローカル線の
ディーゼルカーでは
まれに見かけるものでした。

すでに当時の国鉄では
このタイプは全滅していたと
記憶しており、
他線での経験ですが
シフトアップしながら
スピードをあげる感覚は
まるでレールの上を走るバスのようでした。
※乗っている感覚はバスより
 トラックに近いものがありましたが…。
これでレールから降りて走ることができれば
まるでDMVですね。

2010年04月24日 12時08分

井笠鉄道 ナロー終焉の時代

昭和46年3月27日、廃止を目前に控えた
井笠鉄道を訪ねました。
※井笠鉄道(岡山県)
 JR西日本(当時は国鉄)・山陽本線「笠岡」駅と
 井原鉄道(当時は未開業)の「井原」を結んでいた。
 ゲージは762ミリのナローで非電化。

「鉄」ではない友人との
九州2人旅の帰りに
「倉敷にも行こう」ということになり、
であればということで無理をお願いし
大分から乗車した急行「日南3号」を福山で降り、
426Mに乗りつぎ
笠岡に着いたのが朝の6時42分でした。

本当は1区間でも乗りたかったのですが
笠岡駅滞在時間は25分。

非電化ナローでは石川県の「尾小屋鉄道」が
まだ生き残っていました。

2010年04月24日 9時11分

ダージリン鉄道 何かが起きた

信号所を出て直ぐの13時21分、
いきなり何もないところで停車。
道路も渋滞しています。

前方の道路で何かあった模様。
野次馬根性丸出しで
私は列車を降りて出来事を確認に。

但し、取材はできません。
なぜならビザ取得時に
インド入国は「観光目的」で
「取材活動をしない」という誓約書を
提出しているからです。
(マスコミ勤務ということで…)
実は、以前インドに行ったときに
日本でも一部報道された
大きな事故の余波に巻き込まれたのですが
家族が同行していたこともあり、
取材を遠慮したことがあります。

今回⇒大したことはありません。
   期待を持たせてすいません。
先回⇒洒落にならない事態に直面しました。

2010年04月23日 19時04分

ダージリン鉄道 勾配

ダージリン鉄道の勾配が分かりやすかったので
交換した「2D」の後ろ姿の
写真を選んでみました。
正に「滑り落ちていく」と言ったら
大袈裟でしょうか?

路線は、ニュージャルパイグリから
ダージリン手前の
最高地点・グームまで
延々と上り勾配が続きます。

数少ない平坦区間は
駅であったり、信号所だけともいえます。

言わずもがなですが、
「トイ・トレイン」として写真で
よく紹介される蒸気機関車が主役の時代は
さぞかし大変なことであったろうと
改めて思った次第です。

2010年04月23日 9時00分

東京メトロ 限定10000系

今朝も限定繋がりです。

東京メトロ副都心線開業時に
知り合いから頂いた物で
10000系のホッチキスです。
普通のホッチキスと並べてみました。
決して使いやすくはありません。(笑)

このホッチキスは東京メトロが
販売していたものですが
「限定」品ということで、
今は、同じ10000系ですが
違うタイプのものが売られています。
※このブログを書くために東京メトロの
 HPを見てびっくりしました。

「限定」だったので同じモノは作らなかったと
いうことでしょうが、リアリティーは
こちらの方が上です。
といったところで、これは会社の机の上にあるため
微妙にひんしゅくを買っている気がします。

2010年04月22日 18時50分

ダージリン鉄道 列車交換Ⅱ

2Dも客車は3両。
お客さんはインド人の方が
ほとんどと見受けました。

何せ、スピードが遅いので
お客さんの顔が一人一人
確認できたほど。

日本でいう信号所ということでしょうが、
遠隔操作での管理はありえないので
ポイントの取り扱いを行う係員が
操作を行っていました。
列車に乗ってきたか
車でここまで来たかまでは
わかりませんが、
それにしても
こちら1Dが到着して、5分もたたないうちに
2Dが到着したのは驚きでした。

2010年04月22日 9時00分

「限定」に弱いと言えば、ジッポーライター

どうやって撮影しても
見にくいままで…、お許しください。

一体、このジッポーライターを
名鉄が発売したのはいつだったろう?

左側の3400形は
シリアルNo.035。
右側の7000形は
シリアルNo.059。
「限定」品で、たしか、
500個位のロットだったかと思います。

当時、鉄道系ジッポーはジッポー専門店でも
数えるほどしか売っておらず、
同じ乗り物でも、車やオートバイ、
飛行機、船などに比べ
『マイナー』と感じていました。
その中での名鉄の英断だっただけに
私は一人で拍手喝采していました。

話しは変わりますが、先日、
「鉄」の方たちと食事をしていて、
昭和30年代頃まで、名鉄の通勤電車の中では
普通に「タバコ」を
吸っていたという話題が出ていました。
だから何だと言うことはありませんが。

2010年04月21日 18時44分

ダージリン鉄道 列車交換

ガヤバリを出て約20分。
列車は本線上に停車し、
そのまま側線にバックしました。

しばらくすると山を降りる
2Dが見えてきて
ノンストップで通過していきました。
(と言ってもスピードはしれています)

てっきり「駅」で交換するものと
思っていたら、
こんな何もないところでの交換でした。
隣の道路は、シリグリとダージリンを
結ぶメインルートで、
写真では1台も車が写っていませんが
結構、往来はあります。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!