2010年05月16日 19時15分

三重県紀和町紀州鉱山 仕事中

珍しく(?)仕事中の私です。
この写真は、同行の取材スタッフが撮影してくれました。

注目してほしいのは取材用カメラです。
今時、民生用はデジタルカメラが当たり前で
記録媒体がDVDやHDD、メモリーカードという時代ですが、
昭和50年代前半の取材と言えば「フィルム」の時代。
使っているカメラは西ドイツ製(当時は東西分裂の時代)の
『アリフレックス』。
フィルムサイズは16ミリ。
タングステン光用ポジフィルムを日常的に使っており
屋外ではASA100を選択。
何故か、テレビの現場ではデイライト用の
フィルムはあまり使いませんでした。
このため色調整に「フィルターワーク」を要求され、
当然の事ながら「自動絞り」ということもあり得ず、
更にフィルムの交換は、ダークバッグにカメラを入れ
手探りで行うという
恐ろしいほどの緊張感の中で仕事をしていたと
記憶しています。
※ダークバッグ…カメラがすっぽり入る
 光を通さない袋とお考え下さい。

また、このカメラには音声を同時に録音する機能がなく、
音が必要な時は、オープンリールのテープレコーダーを
持って行ったものです。
今では映像と音を同時に撮るのが当たり前の時代ですが
こんな時代もあったのです。

2010年05月16日 7時05分

シベリア鉄道 ハバロフスク駅のドタバタ

ハバロフスク駅の構内で撮影した
たった一枚の写真がこれです。

何で?
13:09発のロシア号に乗るのに
再集合の時間が確か12:50だったと記憶していますが
待てど暮らせど戻らない乗客が2名いたのです。
*ハバロフスク駅の外国人乗客の
 案内人ははっきり言って怒ってました。
 当然です。
 因みに遅れたのは日本人でした。情けない。

13:00頃この2名が戻り
それから列車に向かうのですが、
重いトランクを引きずりながら
広い駅構内の地下道をダッシュで走り
やっとホームにたどり着き
乗車する号車まで案内され
とりあえず振り返って撮影したのがこの1枚。
直ぐに列車に乗り込み
自分の席に着くまでもなく
ロシア号は“定時”で出発しました。
(ああ、しんど…)



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!