2010年05月18日 18時02分

三重県紀和町紀州鉱山 鉱山鉄道復活

この写真は、昭和62年(1987年)4月。

紀和町の方から「バッテリーロコを使って
鉱山鉄道を復活させる」と連絡を受け、
早速出向きました。

復活区間は、「小口谷」~「湯の口温泉」。
正に、今のトロッコと同じ区間です。
*写真は、「湯の口温泉」駅。
*「小口谷」は、現在の「瀞流荘」。
 昭和62年当時はまだ「小口谷」だった。

人車の色こそ塗り直されてきれいになっていましたが
バッテリーロコは“現役”当時のままで
「これでよく走るなあ」という気がしました。
また、人車には相変わらず灯りが無かったと
記憶しています。

架線のないスッキリした風景で、
それはそれで一抹の寂しさを感じたものの
やはり鉱山鉄道(産業遺産)が形はどうであれ
残っていくことに喜びを感じるとともに
本格的な運転が始まることを祈りました。
(今は達成されています。)

*写真右上の以前の線路上に
 露天風呂もある温泉施設と
 宿泊施設が作られていた。
(今月15日にUPした線路とポイントのあったところ)
 右下が小口谷方面。
 人車はこれからトンネルに入るところ。

紀州鉱山 完。

2010年05月18日 9時24分

北九州モノレール 「銀河鉄道999」号ラッピングⅡ

「銀河鉄道999」号ラッピングモノレールの
2両目と3両目です。
こんな感じで4両編成の全車両の
両サイドにラッピングがあります。

4両全体の写真もあるのですが
何せ、全体では何が何だか分からないので
このサイズにトリミングしました。

話しは変わりますが、このモノレール、
開業時、地元商店街の反対から
小倉駅に乗り入れられず、
その後、小倉駅に乗り入れたことで
乗客も増えて単年度では黒字化したようですが
何せ、累積赤字が多すぎ今だに経営は
四苦八苦のようです。

今回のアイデアも市民に親しんでもらい
乗客を増やすとともに、私たちの様な
「鉄」やアニメファンに期待しての
増収策と思われます。

ところで、北九州モノレールは
小倉北区・小倉南区の2つの区を走っていますが
もともとは一つの区(小倉区)であったためか
小倉北区に住んでいる人に住所を聞くと
「小倉北区」と素直に答えるものの
小倉南区に住んでいる人は
「小倉」と答える人がいるそうです。
理由は…、まあどうでもいい話ですね。
地元の方に聞いた話ですが、本当かな?

2010年05月18日 9時07分

北九州モノレール 「銀河鉄道999」号ラッピング

昨日の続きの小倉駅。

北九州モノレールに、3月27日(土)から
「銀河鉄道999」号ラッピングモノレールが
運行を始めました。(10編成中、1編成のみ)
開業25周年の記念ラッピングと言うことで
3年間の期間限定だそうです。

運行ダイヤは北九州モノレールのHPで確認できます。
よく運転される日もあれば運転されない日もあり
行かれる方はご注意を!

とりあえず雰囲気をつかんでいただくために
先頭車の先端部分だけの写真をUPしてみました。
※小倉駅出発直後。
メーテルの切ない表情がディテールまで
ちゃんと表現されていたのは驚きでした。

私は、開業間も無い昭和60年2月26日に
最初にこの線に乗り
平成11年2月12日に小倉駅乗り入れ区間を乗っています。
だからなんだと言うことは無いのですが
「開業25周年おめでとうございます」と
ようは「今回は乗っていません」という報告です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!