2010年05月25日 18時47分

「RAILWAYS」 一畑電車 昭和50年のダイヤ改正

小さい画面でこのブログを
読んでいる方には今日の写真は
文字が見にくいと思います。すいません。

ものは昭和50年3月10日改正時の
一畑電鉄全列車時刻表です。
*時刻表の最新版は今も駅で配布しており
 私は今回、雲州平田駅でそれを入手しました。

電車の本数や、全線の所要時間は
今とあまり変わっていませんが
赤文字の“急行”がまず目を引きます。

「電鉄出雲市」から「松江温泉」方面行きで
計5本が見えます。
が、よく見ると1本は「平田市」から急行で
1本は「平田市」まで急行なんですね。
35年ぶりの新しい発見でした。

それと画面左端に列車番号の記載があります。
列車番号の付け方のルールは今も同じようですが
普通・急行の分け隔てのない通し番号は
ある種新鮮だったりします。
というか私鉄のこうした時刻表で
今、配布している最新版にも列車番号の記載がある例を
他に知りません…。どれ位のニーズがあるのでしょう?

話しは変わって「鉄道ピクトリアル」7月号に
映画「RAILWAYS」の特集があります。
私のブログと一部内容がかぶりますが
ご容赦ください。

2010年05月25日 9時00分

「RAILWAYS」 一畑電車 デハニ53

もう一両のデハニ50形(53)は
この日、「雲州平田」の車庫にいました。

52と53は、外観は一見同じですが
52はリベットが目立ち
53はリベットが目立たないなど
微妙な違いがあるとのこと。
その辺りを私は楽しんできましたが
皆さんならどんな楽しみ方をされるのでしょうか?

私がこの地を最初に訪れたのは昭和51年8月28日。
当時『一畑電車』は『一畑電気鉄道』(一畑電鉄)と
言っていました。
その後最近のことですが
『一畑電気鉄道』が持株会社となり、
電車部門が『一畑電車』という社名になりました。
とはいうものの地元では相変わらず
『一畑電鉄』(もしくは“ばたでん”)で通じますし、
「鉄」の方との会話も『一畑電鉄』のままです。

また、車庫のある「雲州平田」駅は
昭和51年当時、「平田市」駅を名乗っており
当然ながら島根県平田市にありましたが
平成の大合併で「平田市」は「出雲市」の一部となったため
何と大正時代の“一畑軽便鉄道”開業時の
名前に戻っています。

たまには以前乗った線にも行って見るもんだと思いました。
何かと新しい発見があります。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!