2010年05月26日 18時11分

「RAILWAYS」 一畑電車 一畑口駅

一畑電車 「一畑口」駅。

元南海高野線用の21000系が
3000系と名前を変えて活躍しています。
この電車の車内灯やロールカーテンが
南海時代のままで変わっておらず
風情があって良かったです。
(私から皆さんへの個人的なお勧めです)

ここは、スイッチバック駅で電車の先に
2方向に向かうためのダブルクロッシングが見えます。

この方向の反対側は、昭和19年に廃止となった
『一畑』までの線路の名残りが見えます。

映画の話ですが
このスイッチバックが重要な役目を果たします。
(私にはそう思えます)
実は錦織監督は島根県出身の地元の人で
以前にも島根を舞台に映画を撮っています。
それだけに、単なる『鉄』の転職話しならば
どこかのローカル鉄道で描こうと思えば
描けたかも知れませんが、
ストーリーの端々に『一畑電車』だからこそ描けた
エピソードが入っています。

2010年05月26日 9時00分

「RAILWAYS」 一畑電車 川跡駅

写真は北松江線と大社線の分岐駅、「川跡」駅です。

ここではご存知の通り、松江しんじ湖温泉、電鉄出雲市、
それと出雲大社前の3方向からほぼ同時に集まり
そしてそれぞれの方向に向かって出発します。
なかなか良くできた離合集散です。

私は、出雲市を朝8:03の電車で出発し、
川跡乗り換えで
出雲大社前に向かったのですが、
こんな乗り方は私くらいと思っていたら
意外にも、出雲市から川跡乗換えで
出雲大社前に向かうお客さんが結構いて、
JR大社線廃止後のルートになっているようです。
(出雲市からならバスの方が便利かと思うのですが…)

ところで映画の撮影時には、
撮影用の車両を動かしており
そのために一畑電車では特別ダイヤを
組み立てたそうです。

1時間に片道1本ペースの鉄道とはいえ
これは大変な作業であろうと容易に察しがつきます。
多分、この川跡あたりが上り下りの電車が
錯綜するのでポイントだったのではと思っています。

2010年05月25日 18時47分

「RAILWAYS」 一畑電車 昭和50年のダイヤ改正

小さい画面でこのブログを
読んでいる方には今日の写真は
文字が見にくいと思います。すいません。

ものは昭和50年3月10日改正時の
一畑電鉄全列車時刻表です。
*時刻表の最新版は今も駅で配布しており
 私は今回、雲州平田駅でそれを入手しました。

電車の本数や、全線の所要時間は
今とあまり変わっていませんが
赤文字の“急行”がまず目を引きます。

「電鉄出雲市」から「松江温泉」方面行きで
計5本が見えます。
が、よく見ると1本は「平田市」から急行で
1本は「平田市」まで急行なんですね。
35年ぶりの新しい発見でした。

それと画面左端に列車番号の記載があります。
列車番号の付け方のルールは今も同じようですが
普通・急行の分け隔てのない通し番号は
ある種新鮮だったりします。
というか私鉄のこうした時刻表で
今、配布している最新版にも列車番号の記載がある例を
他に知りません…。どれ位のニーズがあるのでしょう?

話しは変わって「鉄道ピクトリアル」7月号に
映画「RAILWAYS」の特集があります。
私のブログと一部内容がかぶりますが
ご容赦ください。

2010年05月25日 9時00分

「RAILWAYS」 一畑電車 デハニ53

もう一両のデハニ50形(53)は
この日、「雲州平田」の車庫にいました。

52と53は、外観は一見同じですが
52はリベットが目立ち
53はリベットが目立たないなど
微妙な違いがあるとのこと。
その辺りを私は楽しんできましたが
皆さんならどんな楽しみ方をされるのでしょうか?

私がこの地を最初に訪れたのは昭和51年8月28日。
当時『一畑電車』は『一畑電気鉄道』(一畑電鉄)と
言っていました。
その後最近のことですが
『一畑電気鉄道』が持株会社となり、
電車部門が『一畑電車』という社名になりました。
とはいうものの地元では相変わらず
『一畑電鉄』(もしくは“ばたでん”)で通じますし、
「鉄」の方との会話も『一畑電鉄』のままです。

また、車庫のある「雲州平田」駅は
昭和51年当時、「平田市」駅を名乗っており
当然ながら島根県平田市にありましたが
平成の大合併で「平田市」は「出雲市」の一部となったため
何と大正時代の“一畑軽便鉄道”開業時の
名前に戻っています。

たまには以前乗った線にも行って見るもんだと思いました。
何かと新しい発見があります。

2010年05月24日 19時01分

「RAILWAYS」 一畑電車 デハニ52

デハニ52と言うか
デハニ50形と言えば今は亡き『エバーグリーン』賞。
1995年(平成7年)に選ばれており
その受賞記念プレートは
デハニ52に付けられています。

私は、そもそもエバーグリーン賞の
記念プレートを初めて!!見ました。
(残念ながら豊橋鉄道でも見ていません)

で、このデハニ52が、映画の中で
重要な役割を果たしており、
その走りがふんだんに出てきます。
それだけでも一見の価値があります。

因みに走りのシーンは、最近ありがちな
コンピュータ・グラフィックスとの合成は
一切ないそうです。(映画製作スタッフ談)
また、光線の具合がとてもきれいだったりするのですが
それは全て偶然の産物とのこと。
(こんな裏話も少しは入れていくつもりです)

続く。

2010年05月24日 8時01分

「RAILWAYS」 一畑電車

映画「RAILWAYS」は
今週の土曜日に公開されますが、
その映画の舞台となった一畑電車に
5月16日(日)に行ってきました。

今、一畑電車というか島根は
「RAILWAYS」一色と言っても
過言ではない状況で、
映画は全国より1週間早くすでに公開中!!です。

写真は、映画公開を記念して
『出雲大社前』駅で公開中の「デハニ52」。
7月4日までの期間限定です。

様々な情報は一畑電車のホームページでご確認ください。どれ位盛り上がっているか一目瞭然です。

「鉄」の方たちも全国から一畑に集まっており、
人のことは言えませんが、移動のための同じ電車で
2月末からこのブログでもUPした「釧路」ツアーで
3日間一緒だった人と会いました。(偶然)

ということで今週は一畑電車の話しを中心にUPします。

2010年05月23日 18時04分

「RAILWAYS」 樽見鉄道 本巣駅Ⅱ

樽見鉄道本巣駅待合室の防犯カメラに
ツバメの巣がありました。
5羽の雛がこの写真に写っています。
本当に可愛いですね。
(5月18日撮影)

昭和の時代、田舎の民家では家の中に巣を作った
ツバメのために、一日中玄関を開け放しに
していることも稀ではありませんでした。
でも最近はあまり見かけなくなりました。

樽見鉄道は全線で34.5キロ、時間にして1時間強。
短いですが沿線の風景は、
里から山へと様々な表情を見せてくれます。
映画「RAILWAYS」は、
大型の商業施設『モレラ岐阜』にある
TOHOシネマズでも上映されます。
ご存知のように樽見鉄道『モレラ岐阜』駅の
すぐそばです。
この映画をご覧になる予定の方は、
樽見鉄道とセットでお越しください。
「乗り鉄」ついででも「撮り鉄」ついででも
構いません。

そして運転士を目指して研修中の竹村さん、
武藤さんを見かけたら是非エールを
送ってください。

また本巣駅に行かれたら
この雛たちにも「巣立ち」まであと少し
『頑張れ』と声をかけてください。

樽見鉄道 完。

2010年05月23日 8時00分

「RAILWAYS」 樽見鉄道本巣駅

「中部の駅百選」の最後は本巣駅。

国鉄時代は「美濃本巣」でした。
同様な例としては、国鉄時代の終点の
「美濃神海」も、樽見鉄道転換時に「神海」に
名前を変えています。
駅舎はいわゆる国鉄でよく見かけたパターンです。
でも駅の中は、JRの駅ではすっかり見かけなくなった
昭和の「鉄」には懐かしい木製の長椅子が並び
その昔「ステーションホテル」と称して
全国各地の駅でそこに横になり
一夜を明かした事を思い出しました。
(一見の価値あり。)

この本巣駅には樽見鉄道本社があり、
車両基地である機関区もここで、
正に樽見鉄道の心臓部です。

以前はここから住友セメント(後に住友大阪セメント)の
専用線があり、平成18年まで樽見鉄道を経由した
セメント輸送が行われ、
樽見鉄道では旅客を凌ぐ
大きな収入源となっていました。
(平成2~3年頃は年間で50万トン以上)

樽見鉄道の旅客数のピークは平成7年の104万人。
しかしその年の貨物輸送は33万トンまで減っており
営業係数は101と黒字にはならず
その後、貨物の減少に連動する形で
営業係数は悪化をたどっています。

貨物廃止後の平成20年は61万人強を運んで
営業係数は161。
それでも無策であった国鉄時代に比べれば
営業係数は半分以下で
過去を見渡せば黒字を計上した年も9回あるなど
樽見鉄道の努力には敬意を表します。

2010年05月22日 17時23分

「RAILWAYS」 樽見鉄道 織部駅

2002年の「中部の駅百選」で選ばれたのが
2002年開業のこの『織部駅』です。

写真は、列車内から撮影したものですが、
(樽見鉄道の車両では、かぶりつき撮影が可能)
「百選」ということで撮影したものの。
あまりの何もなさにちょっとビックリ。

正直言って短い「ホーム」に短い「上屋」があるだけの
典型的なウルトラローカル駅です。
何故こんな駅が「百選」に入っているのか?

この写真では分かりませんが、もう少し手前の左側に
『道の駅 織部の里もとす』があり、
その「道の駅」誕生をきっかけに
“併設”する形でできたのが「織部」駅です。
(道の駅と鉄道駅の併設は日本初!とのこと)
道の駅の建物も含めて考えれば
「百選」もさもありなんとは思えます。

乗り鉄の途中で、本巣土産を買うなら
この織部駅での途中下車はあるでしょう。

2010年05月22日 8時09分

「RAILWAYS」 樽見鉄道樽見駅 

樽見鉄道には「中部の駅百選」に選ばれた駅が
3駅あります。
今回、樽見鉄道に改めて全線乗ったので
ちょっと紹介します。

「百選」で一番奥にあるのがこの樽見駅。
平成2年1月27日に来て以来の
お久しぶりでした。
で、列車を降りて…、何かが違う?
(家に帰ってからその時の写真と見比べました)

有ったはずの駅舎が無く、何やら勝手が違う。
何と平成19年に全焼し、
20年に今の駅舎になったとの事。
知りませんでした。
(皆さん、知っていました?)

今の駅舎もなかなか良いのですが
「中部の駅百選」が選ばれた10年前は旧駅舎だったわけで、
何だか複雑な思いに駆られました。
※駅舎の良し悪しだけで「百選」がある訳ではないですし、
 今の駅舎でも多分選ばれたのではと
 個人的には思っています。

ところで樽見駅に向かう列車に
終点まで乗っていたのは私を含め3人だけ。
年間9000万円の赤字の会社だけに
この先どうなるかと心配しましたが
帰りは無料送迎バスで10分(地元の宣伝です)の
「うすずみ温泉」帰りのお客さんが24人乗車し、
少しホッとしました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!