2010年06月13日 18時01分

シベリア鉄道 イルクーツク市電

ソ連では、ハバロフスクもそうですが
このイルクーツクでも市電が
市民の足になっていました。

この時は市電に乗っておらず、今思えば「とても残念」という
一言に尽きます。

ここでは夕方までたっぷり時間があったので
百貨店(『デパート』と言うイメージではない)や
レストランでロシア料理に舌鼓を打ちました。

で、驚きの出来事。
1)ソ連のニュースでよく見かけた
  温かそうな帽子を買いたくて百貨店に行ったが
  私の頭が大きすぎたのかサイズが無かった。
  (ロシア人は、体はデカイが頭はそうでもない)
2)レストランの(窓のない)トイレに「電球」がなく、
  手探りと言うか「感」で用を足した。
  ※店の雰囲気や味は良かったのですが…。
3)現役の馬車を見かけた。
などなど。

それはそれとして全体には落ち着いた雰囲気の
穏やかないい町でした。

2010年06月13日 9時04分

シベリア鉄道 イルクーツク駅

1991年10月8日、イルクーツクです。
川は町の真ん中を流れる「アンガラ川」。
川の対岸に見える白い建物が
イルクーツク駅となっています。

米粒程度でこの写真では分かりませんが
列車も写っています…。(残念)

イルクーツクの町は、実は三重県と縁が深く
江戸時代、今の鈴鹿市出身の船頭『大黒屋光太夫』が
江戸(東京)に向けて船を進めていたところ
その船が嵐で漂流。その後ロシアの領地に流れ着き、
1789年から1791年までここイルクーツクに
暮らしてました。(最終的には帰国を果たしました)
※ご存じない方も多いと思いますが、地元の
 鈴鹿市では大黒屋光大夫記念館もある超有名人です。

この話しは井上靖『おろしあ国酔夢譚』として小説となり、
私がイルクーツクを訪れた翌年、緒方拳主演で
映画化もされました。(私は映画を見ました)

話しを戻して、当時、共産圏の町のイメージは
『画一的で面白みがない』といったところでしたが
この町は少し違っていました。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!