2010年06月25日 18時08分

若桜鉄道SL体験運転 C12運転台

C12の運転台。いよいよ運転開始です。
*写真はC12 167号機の運転席に座る私です。
 運転士の制服と帽子は若桜鉄道が貸してくれます。
 ところでこの制服、昔は「菜っ葉服」と
 言ったと思うのですが、今は?

若桜鉄道の谷口剛史(たにぐちたけし)さんの指導の下、
まずは、操作機器の説明を受け、
それから実際の運転を始める段取りです。
*写真は、記念撮影用のポーズで
 私が右手で握っているブレーキレバーは、
 単機の運転時には使いません。
 その上の小さなブレーキレバーを操作し、
 機関車を止めました。

運転時に一番重要と思えたのは
私の正面に存在する加減弁(電車で言えばノッチ)です。
その操作は本当に難しく、
私は恥ずかしながら動輪を空転させてしまいました。
(初心者にはよくあるそうですが…)

この他にも逆転機等を操作し、10分ほどの体験運転は
無事終わりました。

気分は運転士、最高です。
緊張はしませんでしたが、運転の難しさだけは実感しました。

2010年06月25日 9時00分

若桜鉄道SL体験運転 C12 167

体験運転までの前置きが長くなってしまいました。

参加費の1万円(学科講習料2000円+
体験運転料8000円)を支払い、学科講習を受け、
いよいよ『C12 167』の運転です。

このSL、ご存知の方も多いと思いますが
実は改造車であり、水と石炭で動くわけではなく、
圧縮空気で動きます。
(リヤタンク部分に積んでいるそうです)

とは言っても、蒸気を使わないだけで
動かす仕組みは全く同じ。
違いがあるとすれば、蒸気ほど圧力がないため、
大きなパワーが出ないとの事。
でもC12だけを動かすならば十分との説明がありました。

圧縮空気の運転のメリットは、当たり前ですが
石炭でお湯を沸かすことが不要なため、
運転までの準備が圧倒的に少ないこと。
それと一番のポイントは、
暑い季節になっても運転台が『暑くない事』だそうです。
言われてみれば、「そりゃそうだ」の世界ですね。

で、実際に走るのは140~150メートルくらいでしょうか?
それを2往復します。

2010年06月24日 18時11分

若桜鉄道SL体験運転への道 Ⅱ

更に…。

この写真は郡家駅で、
右側は定刻11:48着発の「スーパーはくと3号」。
左側は定刻11:55着11:58発の
1336D若桜発鳥取行き。
本来合い並ばない2本の列車ですが、
この時点では「スーパーはくと」が遅れたからと
思っていました。ところが…。

JR西日本の列車運行情報にはUPされませんでしたが
因美線内で線路のボルト破損による遅れがあり、
因美線の列車はそこで徐行運転。
その影響で最大で30分程度の遅れ。
郡家発12:37の若桜鉄道若桜行きは13:10に
やっと出発。
若桜の到着は13:35でした。(定刻は13:08)
※定時で31分かかるところ6分の回復運転。

郡家駅で若桜鉄道に「集合時間に遅れます」と電話したところ、
「遅れても大丈夫です」と言われ
這這(ほうほう)の体でやっと
運転のための「学科講習」の途中で入り込みました。

トラベルはトラブル言いますが、
私は本当にトラブルに恵まれており、
全てが順調ということは半分あるかないかです。

それでも、SL体験運転は出来た訳ですから
「終わりよければ全て良し」ではありますが…。

2010年06月24日 9時02分

若桜鉄道SL体験運転への道

6月19日(土)、
名古屋発8:35の「のぞみ7号」に乗車(自由席)。
姫路に9:59着。
ここから10:22発53D「スーパーはくと3号」に乗り換え
若桜鉄道への乗換駅「郡家」に向かいます。

智頭急行は平成7年5月22日に乗っているのですが
その時は、智頭から普通726D(智頭発6:58)で
上郡に抜けており(上郡着8:15)、
今回は、どうしてもHOT7000系に乗りたくて
このルートにしました。
名古屋を少し早めにでれば
京都か新大阪で乗り継ぎ、特急料金を節約できたのですが
高架化された姫路駅を実感しようとこの選択をしました。
※写真は、姫路駅に入線する「スーパーはくと3号」。

ところが…。
この日、琵琶湖線の障害で東海道線、山陽線は遅れており
「スーパーはくと」は到着こそ5分遅れだったものの
出発は10分遅れ。そして更に遅れて郡家には
14分遅れの12:02でした。

そして、まだまだ若桜への道は遠かった。

2010年06月23日 18時22分

若桜鉄道SL体験運転

今回、余部橋梁に向かったのはそれだけが
目的ではありませんでした。

最大の目的は、若桜鉄道でSLの運転体験をするため。
一度はやってみたい実機の運転。
それもSL。

若桜鉄道にターゲットを絞ったのは勿論、
上手く行けば余部橋梁とセットで回れると思ったからです。

若桜鉄道のHPから申し込み、
正直、当選するかどうかは不安でしたが
何と当選通知が自宅に到着。

右手で作った小さな拳(こぶし)で、
ささやかなガッツポーズを作り、自分を祝福しました。
※家族に知られないためこんな程度でしか
 喜びを表現できません。

そして6月19日(土)、若桜鉄道に向かったのでした。

2010年06月23日 9時25分

山陰本線 キハ471 余部橋梁を渡る

キハ471の162Dは
定刻の7:20、餘部駅を出発し、
いよいよ余部橋梁の渡り納めです。

万感の思いが込み上げるという程のことは
ありませんでしたが、
それでも思ったことが幾つかあります。

1)余部橋梁の架け替えがこんなに
  話題となる時代が来ようとは夢にも思わなかったこと。
2)ワンマン列車ゆえに止むをえないのですが
  運転士さん用のルームミラーが
  こんなにも前方視界を妨げていること。
3)橋梁の乗り納めと思われる子ども連れを含む
  「鉄」の方達が、この写真を撮影した“お立ち台”に
  誰も陣取らなかったこと。
  ※私の勢いに退いてしまったとは思えません。

とまあ、そんなところでしたが私の夏に向けての
一大イベントが終了したことだけは間違いありませんでした。
不幸な事故も発生している橋だけに、
単純に「お疲れ様でした」とは素直に言い難い面もありますが
一つの時代の区切りとは思った次第です。

ところで、もう2点。橋のことではありませんが…。
4)「橋梁」見物の方のほとんどが次の「鎧駅」で
  下車したこと。
5)2両編成のワンマン列車でしたが、車内検札があったこと。
  実は、162Dから豊岡で乗り継いだ
  福知山行428M「リレー号」でも車内検札がありました。
  無人駅は確かに多いのですが、最近、特急以外で
  車内検札はあまり経験をしていないので驚きました。

●驚きついでに、もう2つ思い出しました。
1)この日、行動を開始した鳥取駅では、
 520D(5:28発)出発時に
 改札口に駅員さんがいませんでした。
 県庁所在地であっても今時はこんなんでしょうか?
2)鳥取駅で、名古屋までの乗車券を購入した際、
 「京都から新幹線経由名古屋」と言ったところ
 当初、智頭急行経由の乗車券を発行され
 「山陰線経由です」と言ったら、
 福知山線経由の乗車券で、
 「山陰線で京都まで行き、そこから新幹線」と言い直し、
 やっと希望の乗車券を手に入れました。
 *駅員さんは、山陰線で京都まで行く乗車券の発行を
  最近したことがないと仰っていました。時代ですね。

2010年06月22日 18時40分

山陰本線 餘部駅 キハ471

デジカメを使うようになって
「とりあえず撮っておく」かということが
増えました。

6月20日(日)の朝、餘部駅7:20発
162D豊岡行きもこの乗りで撮影したものです。

所詮キハ47ではありますが、
これがトップナンバーのキハ471となれば
ちょっと嬉しい。

車体正面の連結部の踏み板にも「キハ471」と
書いてあるのですが
それには気付かず、車内で気付きました。

だから何だということでしょうが
そういう習性という事で笑ってください。

キハ471は豊岡鉄道部の所属なので
余部橋梁詣でなら会う確立は高そうです。

2010年06月22日 9時00分

中央本線 キハ181系「特急しなの」

俗に「よんさんとお」と呼ばれた昭和43年10月の
国鉄ダイヤ全面大改正で初登場となったのがキハ181系、
中央本線の11D・12D特急「しなの号」でした。

写真は昭和45年8月1日に撮影した下り「しなの」9連で
場所は中津川~落合川間。
名古屋発8:30の「しなの」は
中津川を9:34に出発し、
小さな峠を全力で駆け上がってきました。
※当時、終焉間近のSLの撮影で中央本線に出かけたことが
 何度かあり、その最初の撮影ポイントがここでした。
※当時、落合峠と言っていたような気がします。

大馬力ディーゼルの新型特急専用車(キハ181系)が
全国に先駆け名古屋に登場ということで
当時、随分誇らしい思いを持ったことを覚えています。

そのキハ181系が、「はまかぜ」で最後のご奉公。
その姿を目に焼き付けるなら、今の「余部橋梁」しかないと
思い立ったのが昨日の写真です。
それにしても、キハ181と天候の相性は
本当によくないですね。

2010年06月21日 18時19分

山陰本線 余部橋梁 キハ181系「はまかぜ」

昨日(6月20日)の朝、
私は山陰本線餘部駅を降り、
余部橋梁を望む漁港にいました。

列車は、来年春までの命となったキハ181系の2D
特急「はまかぜ2号」です。

鳥取を5:28発の520Dに乗り
浜坂で160Dに乗り継ぎ、
餘部で下車した後は、この撮影ポイントまで
全力でダッシュし、6:43に撮影しました。
※以前、来たことが無かったため、
 「感」で行き着いた。

天候はかろうじて曇りでしたが
そのため列車が曇り空に溶け込んでしまい
メリハリがない写真になってしまいました。
※太陽は、この「はまかぜ」であれば、列車から見て
 進行方向、ほんの僅か右。

ただ、ここで写真を撮るなら「はまかぜ」と決めていたので
『写っているだけでよし』というのが私の実感です。
※すいません。キハ181系には若干の思い入れがあります。

余部橋梁も残すところ1か月をきり、
これから「鉄」の方がどっと押し寄せると思いますが
この日も、この天候でさえ、多分各所で10名以上の方が
撮影していたものと思われます。

(この区間の初乗り)
昭和48年3月13日、名古屋発の急行「大社」に
「城崎温泉」から乗車し、ここを通過しました。

2010年06月21日 9時08分

富山ライトレール

『黒部ルート見学会』を終え、その日は富山駅近くの
ホテルに宿泊。
翌6月10日(土)、平成18年4月29日に開通した
「富山ライトレール」(ポートラム)を乗りつぶしました。

『富山駅北』を6:35に乗車し、『岩瀬浜』6:57着。
快適なLRTの一時でした。
(写真は『岩瀬浜』)

私はこのポートラムの前身となる国鉄(JR)富山港線を、
昭和53年9月28日、
121M(富山発5:30~岩瀬浜着5:46)で
乗りつぶしているのですが
早起きなのが何故か共通しており、
「乗り鉄」にとって『早起きは3文の得』と
いったところでしょうか?

ところでポートラムに戻りますが、
折角の新しい発想の鉄道にも関わらず、少し不満。
ヨーロッパ並みの車輌の快適さはOKなのですが、
工費の問題はあったにせよ、せめて路面区間は複線化し、
将来の発展構想に備えてほしかった。

(報告)
6月18日(金)夕方の本ブログで
「高熱隧道」の話題を少しだけ書きましたが
知人から「どんなに熱いの?」と聞かれ
誤解を招いていると思いここに説明を追加します。

「“高熱”」と括弧書きにしていますが
私にとって初めての経験である“温かいトンネル”を
表現するために使用しました。
今の温度は、火傷しない程度と思われます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!