2010年06月15日 18時47分

関西電力黒部ルート見学会 黒部トンネル

黒部ダムで10:45集合後、
ヘルメットをかぶり
早速見学会の最初の乗り物、バスに乗車し、
次の乗り物「インクライン」の乗り場を目指します。

バスは黒部トンネル(10.2キロ)を
途中、トンネルの隙間から見える絶景ポイントで
見学下車をしながら約40分かけて走ります。

当たり前ですが全線地中で
ただひたすら闇の中を走り続けます。
はっきり言って皆さんに読んでいただくような
“情報”は何もありません。

黒部ダム発の参加者は30名。
「鉄」が多いのではお思いきやさほどではなく、
ざっくり10名が「鉄」、
20名が「観光客」と言ったところだったのでは。

それとリピーターがいたのにはガックリ。
他では見られない『景色』の良さにひかれて
毎年何回も応募し、それできているとか。
それよりも私のように何度も落ちている人は
たまたまなのか、会話した方の中には
いませんでした。あ~ぁっ。

2010年06月15日 9時08分

関西電力黒部ルート見学会 黒部ダム

信濃大町駅発9:00のお客もまばらなバスに乗り
扇沢駅着9:40。
扇沢駅発10:00のトロリーに乗り
黒部ダム着10:18。

雨が降ったり止んだりの天候でしたが
黒部ダムでは視界が開け、
残雪を抱いた山々と、ダム周辺の緑のコントラストの
美しさにしばし見とれていました。

ところでこのダムが夏の期間、放水しているのを
ご存知でしょうか?
晴れていればその水に虹がかかってとてもきれいです。
実は番組の下見・撮影で2度来ているのですが
2度とも見ています。
たまたま条件が揃って運が良かったのではと
富山県名古屋事務所の方に言われたのですが
行かれる方、要チェックです。

また、見学会参加ではなくとも
立山黒部アルペンルートは
ケーブル・トロリー等、「鉄」の楽しみも多く、
しかも大自然を堪能することが必須というか、
「鉄」以外を拒否しようにもそれは不可能であり
ガツガツと『鉄』に徹せず、たまには『観光』もいいですよ。

2010年06月14日 17時56分

関西電力黒部ルート見学会 扇沢駅

平成18年6月8日(木)、仕事を終えた私は
千種駅発19:07のしなの25号に乗り、
松本で大糸線の信濃大町行きに乗り換え
信濃大町駅着22:22。(5分遅れ)
予約しておいた旅館に入ってすぐ、
翌日の「弁当」(各自持参のため)を頼みました。

宿の主人から、「山登りですか?」と聞かれたので
「黒部ルート見学です」と答えたら
「何それ?」と言われ、
相当な“物好き”と思われたようです。
※地元の人も知らない…見学会とは?

明けて9日(金)、集合場所の黒部ダムに向かうべく、
立山黒部アルペンルート
扇沢駅から写真のトロリーに乗りました。
扇沢(関電トロリー)は、平成6年7月6日以来の、
実に12年ぶりの再訪でした。

この見学会の集合場所は2箇所。
1)黒部峡谷鉄道欅平駅9時20分
2)トロリーバス黒部ダム駅10時45分

分かっていただけると思いますが
1日働いてから移動するには
2)しか実質的な選択肢はなく、
それが私が抽選に落ち続けた理由の
一つだったと思っています。

2010年06月14日 9時01分

関西電力黒部ルート見学会

4年前の6月9日(金)、
関西電力の「黒部ルート見学会」に参加しました。
目的はただ一つ、関西電力黒部専用鉄道乗車。

往復はがきで申し込み、高い倍率の抽選を勝ち残り
やっと念願の『ご当選通知』を手に入れました。
※右下の緑色のバッジは、いわゆる参加証です。
ここまでたどり着くのに既に5年以上の
月日が流れていました。

この見学会のHP『黒部ルート見学会のご案内』
をご覧いただければ分かりますが
開催日が平日で、そもそも休みが取れるかどうかが第一関門。

その頃、定例会議の開催が少ない日は
金曜日だけとあり
毎年、まずは金曜開催の日程を申し込み続けていました。
次にこの当選通知が来たあとは
ひたすら“突発の打ち合わせ”が入らないことを祈り、
この時はギリギリセーフで参加できました。

2010年06月13日 18時01分

シベリア鉄道 イルクーツク市電

ソ連では、ハバロフスクもそうですが
このイルクーツクでも市電が
市民の足になっていました。

この時は市電に乗っておらず、今思えば「とても残念」という
一言に尽きます。

ここでは夕方までたっぷり時間があったので
百貨店(『デパート』と言うイメージではない)や
レストランでロシア料理に舌鼓を打ちました。

で、驚きの出来事。
1)ソ連のニュースでよく見かけた
  温かそうな帽子を買いたくて百貨店に行ったが
  私の頭が大きすぎたのかサイズが無かった。
  (ロシア人は、体はデカイが頭はそうでもない)
2)レストランの(窓のない)トイレに「電球」がなく、
  手探りと言うか「感」で用を足した。
  ※店の雰囲気や味は良かったのですが…。
3)現役の馬車を見かけた。
などなど。

それはそれとして全体には落ち着いた雰囲気の
穏やかないい町でした。

2010年06月13日 9時04分

シベリア鉄道 イルクーツク駅

1991年10月8日、イルクーツクです。
川は町の真ん中を流れる「アンガラ川」。
川の対岸に見える白い建物が
イルクーツク駅となっています。

米粒程度でこの写真では分かりませんが
列車も写っています…。(残念)

イルクーツクの町は、実は三重県と縁が深く
江戸時代、今の鈴鹿市出身の船頭『大黒屋光太夫』が
江戸(東京)に向けて船を進めていたところ
その船が嵐で漂流。その後ロシアの領地に流れ着き、
1789年から1791年までここイルクーツクに
暮らしてました。(最終的には帰国を果たしました)
※ご存じない方も多いと思いますが、地元の
 鈴鹿市では大黒屋光大夫記念館もある超有名人です。

この話しは井上靖『おろしあ国酔夢譚』として小説となり、
私がイルクーツクを訪れた翌年、緒方拳主演で
映画化もされました。(私は映画を見ました)

話しを戻して、当時、共産圏の町のイメージは
『画一的で面白みがない』といったところでしたが
この町は少し違っていました。

2010年06月12日 18時58分

シベリア鉄道 バイカル湖

10月5日に乗車したロシア号も早3日目。
現地時間で夕方5時頃、美しい風景が広がりました。
写真は、ウラン・ウデ~スリュジャンカエ間で撮影した
バイカル湖です。

透明度と深さで有名な湖ですが
正直、列車からでは実感できません。

でも私はその深い「青さ」に感動し
窓際に長時間立っていました。

ついでにこんな事も考えていました。
「列車の通路がバイカル湖サイドで良かった」と。
多分、バイカル湖がコンパートメント側だったら
ベッドの間の小さな空間(窓ですが…)に顔を押しつけ、
他の乗客を気にしながら、落ち着かない気持ちで
外を見ていたのでは?

シベリア鉄道の旅は、日本と違い
大自然の風景がゆったりとした時間とともに
流れていきます。
『代り映えのしない風景の連続』で
飽きてしまうのではと乗車前は思っていましたが
その緩慢さの心地よさに気付くのに時間はかかりませんでした。

2010年06月12日 9時08分

シベリア鉄道 時刻表

1991年当時のソ連の時刻表です。

写真はロシア号のページで、
一番上の真ん中に列車名「ロシア」(Pocc…)号があり
左側が2列車(モスクワ⇒ウラジオストック)、
右側が1列車(ウラジオストック⇒モスクワ)の
時刻です。

もうお気づきかもしれませんが、
日本の列車番号は下り列車が奇数、上り列車が偶数ですから
発想が真逆なんですね。

それと画面中央の横線のすぐ上にある“2”列車側の
146y05Mの数字は全区間の所要時間で、
ユーラシア大陸横断には146時間5分かかるということ。
一方、“1”列車側の数字は144時間5分ですから
モスクワ行の方が所要時間が短いことがわかります。

また、時刻表の時間は全てモスクワ時間となっており
因みに『1』列車のハバロフスク発は『6:09』と
記載されていましたが、モスクワとの時差が7時間のため
実際の現地時間は『13:09』でした。
※最初は慣れませんでしたが、列車の運行上は合理的ですね。

ところで私の手元にある時刻表は、
モスクワ起点の優等列車のものと思われ、
全ページが、この『ロシア』号と同様に
対となる上下列車がセットで掲載されています。

なお、当時時刻表は全く市販されておらず
ロシア号車内にはロシア号だけの時刻が
書かれた紙が張り出されていました。
結局ロシア号以外の列車の時刻は
「地球の歩き方」(それもほんの一部)でしか見ませんでした。
※列車の時刻も国家機密の一つと言われていた時代です。

最後に、私の時刻表は
6月9日に紹介した帽子を売っていた車掌さんとは
別の車掌さんから申し出があり、
彼から購入したことを報告します。

2010年06月11日 18時06分

シベリア鉄道 ウラン・ウデ駅『露店』

シベリア鉄道に乗っていて駅に着くと
乗客相手の露店が並ぶこともあります。

この写真は、昨日紹介した売店と同じウラン・ウデ駅で、
この駅のように
ちゃんとした作りの売店+露店の両方の場合もあれば
売店のみ、露店のみといったバリエーションがありました。

写真中央に山盛りの茶色の丸い物体は
ロシアママ手作りの蒸したジャガイモです。
(これがホクホクしていて何とも美味しい)

私は、昼ご飯をこの様な『露店』で売っていた食べ物で
済ませることも何度かありました。

ロシア人乗客の多くは食料を車内に持ち込んで
それを食べていましたが、
駅に着くと売店や露店があればそこを覗き、
めぼしいものがあると買っていました。

因みに1食分で当時のレートでですが
50円程度と記憶しています。

2010年06月11日 9時22分

シベリア鉄道 ウラン・ウデ駅売店

ウラン・ウデ駅のプラットホームで
写真の様な売店を見かけました。

このような売店はロシア号の停車駅でよく見かけ
売っていたのは主に食料品です。
他駅の売店の事例も含めると
1)ピロシキ(揚げパン)
2)松の実(しかもまるまる「松かさ」の状態)
  ※かさ付きを生まれて初めて見ました。
   松かさのかさの間から実を取りだしながら
   食べるのは不思議な感覚でした。
3)牛乳
  ※意外と美味しかったといったら失礼でしょうか?
4)スイカ
  ※シベリアの10月は、日本の11月末の気候で
   何でスイカを売っているのか不思議でした。
5)トマト
などなどいろいろな種類がありました。
(全部、私がロシア号の7日間で食べたものです)

安くて美味い!庶民の味方でした。



ADVERTISEMENT

電子書籍「稲見駅長の鉄道だよ人生は!!」
稲見駅長の鉄道だよ人生は!! ―各駅停写の旅―

カレンダー

2010年6月
« 5月   7月 »
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!