2010年07月01日 18時26分

1991年10月11日、
モスクワ駅から357キロのダニロフ駅で
交流25000ボルトから
直流3000ボルトに変わるため
機関車の交換が行われました。
※5月13日にUPした写真が交換後の全景です。
子供たちがその様子を見に来ていたりして
この辺は世界共通ですね。
実はこの写真、機関士さんとバトルの末の産物です。
当時、鉄道の写真を撮影することは“原則禁止”で
ダニロフにたどり着くまで何も言われなかったのが
ある種ラッキーだったかもしれません。
でも機関士さんの怒鳴り声はあったものの
誰かに写真を制止されることはありませんでした。
それでも「橋」の写真は撮っていません。
理由は、そこには必ず軍隊がいたからです。
国防上の問題とのことでした。
それと絶対に撮影しなかったのは「飛行機内」と「空港」。
さすがにこれだけは『止めた方が良い』という
機内で隣り合わせた日本の旅行社の方の忠告を守りました。
本音としては、晩秋の美しいシベリアの大地(絶景!!!)と
数えきれいくらい飛行機が駐機する
とてつもなく広い『ハバロフスク空港』は撮影したかった。
※ハバロフスク空港では、カメラを2台持っている
理由を聞かれたり、そもそも私の荷物は、
他の乗客の荷物から30分以上遅れて手渡されており
ソ連から見れば怪しい「ジャーナリスト」と思われた?