2010年07月02日 9時09分

昨日のダニロフ駅から大きく後戻りした
10月9日の現地時間12時過ぎ。
モスクワから4104キロのクラスノヤルスク駅です。
この駅はまだアジアで、ヨーロッパまで
まだ2327キロあります。
※ヨーロッパに入ったのは、翌10日の
午後6時前位と思われますが、
オベリスクは既に漆黒の闇の中でした。
戻った理由は、単純に一番多くの車両が
写っていたからですが
これからする話しの中身とは全く関係がありません。
堅い話しで恐縮ですが、
丁度この駅辺りから『考えさせられること』に
何回か遭遇したからです。
1)昼間に駅に着くと、10号車辺りに
子供たちが集まってくる。
⇒10号車は、外国人が乗車しており、
子どもたちはそのボディーを叩いて
「チョコレート」「ガム」と大声で叫んでいました。
※日本史で出てくる
第2次世界大戦直後の「日本」ではありません。
2)食堂車の食事の質は、時間を追って悪化しているのに、
何故か駅に着くと「食堂車」から食糧をおろしている。
⇒食糧をおろすと、当の本人である
食堂車のオバちゃんは、相手から
現金の束を受け取っていました。
どうみても横流しです。
食糧事情の悪い当時、
ロシア号からの食糧の仕入れは案外、
堅い手法だったのかもしれません。