2010年07月16日 18時24分

上海マグレブ 車内

上海マグレブ、普通席です。

全部でたった4両のマグレブでしたが、娘が一緒だった手前
VIP車両の方は覗いていません。
※父親は結構気を使って生きています。

車内の横幅は結構あって6列シートとなっています。
座った感じでは見た目ほど窮屈ではありませんでした。

この写真を見る限り席は空いているように見えますが
発車直前にはほぼ満席でした。
また、乗客の殆どは外国人でそれもビジネス客というより
記念乗車と思しき観光客の方が多かった印象です。

私の乗車当時、上海は万博開催に向けて至る所で
工事をしており、わざわざツアーバスから
この列車に乗り換える手間はありましたが、
十分お釣りが来るぐらい快適でした。

今は正に上海万博開催中。このマグレブのみならず
地下鉄その他の交通機関も結構込んでいると予想されますが
如何でしょうか?
※道路も凄いんでしょうね。あまりこうした報道は
 されていませんが…。

2010年07月16日 8時49分

上海マグレブ 乗車券

上海マグレブの乗車券です。

カード式で、乗車時に購入して自動改札機に通して
乗車します。
一方、下車時にはこれは回収されてしまいます。

もしも手元に残したい場合は、
乗車に使うものとは別にもう一枚購入する必要があります。

私の場合はツアーだったので、現地ガイドが購入し
そのまま乗車してしまったので
結局手元にこの乗車券はありません。
咄嗟の判断で写真は撮影しましたが…。

乗車料金は片道40元でした。
※写真の左下に書いてあります。
※これは当日の搭乗券所持者価格で、一般は50元です。
市内の例えば地下鉄等に比べれば相当に高価で、
遊園地のアトラクションでも乗ったと思えば
外国人にとっては“それなり”と納得できるかもしれません。

2010年07月15日 19時08分

上海マグレブ

中国上海にある「上海マグレブ」(上海トランスピッド)。
※「上海浮上交通…公司」の公式HPに、
 「Shanghai Maglev Transportation…」とあるので
 私のブログでは“マグレブ”に統一させていただきます。

ご存知の方も多いと思いますが上海マグレブは
「浦東国際空港」~「竜陽路」間29.863キロを
7分20秒で結んでいます。
で、私は昨年(平成21年)2月24日に乗車しました。
(「鉄」旅行ではなく、娘と2人の観光パック旅行)

この夏休みに上海万博に行かれる方も多いと思いますが
参考までに私の経験を報告させていただきます。

写真は上海市内の「竜陽路」駅到着です。
ホームが結構オープンなのでこのような写真を
撮影することは簡単です。

私はJR東海のリニア実験線の試乗は
結局“当選”できず未乗でしたので
最高時速430キロを体験できると思うと
相当に気分は高揚していました。

また私の参加したツアーでは、上海市内から空港までの
帰路に乗車することになっていましたが
この上海マグレブがあったからこそ
選んだツアーではありました。

2010年07月15日 9時00分

木曽森林鉄道を訪ねて

今回、参考にした
1)「森林鉄道を訪ねて」(1963年3月1日刊)
  ※写真右側
2)管内概要/昭和46年度
  ※写真左側
以上2冊は、何れも「上松運輸営林署」が
出したものです。

2)の方は、ある種官公庁の定期報告文書といった
内容ですが、
1)の方は、営林署の事業のあらましと
森林鉄道沿線の観光案内的な紹介がされています。

この中には、今回シリーズでUPした王滝本線のみならず
7月9日から紹介をした
赤沢森林鉄道の元となる「小川森林鉄道」の記述も
入っていました。
※因みにこの冊子では、「王滝本線」は「王滝森林鉄道」と
 記載されていました。
また最後に、この冊子の編集は当時の営林署の庶務課の方を
中心に職員の方たちの協力で出来上がったとありました。
全文をお見せできないのが残念ですが
当時を知る貴重な資料と思います。

で、何故この冊子が私の手元に?
多分、営林署に入り込んで
「鉄道マニアの心と木曽森林鉄道への愛」を必要以上に“熱く”
語った結果だと思われます。
古き良き時代だったと言うことでしょう。

木曽森林鉄道 完。

2010年07月14日 18時04分

木曽森林鉄道 王滝本線 C4型

平成49年9月27日(金)の木曽森林鉄道
王滝本線は前日の曇り空から悪化し、
時折土砂降りの雨でした。

途中の対向列車との行き違い時に、身を乗り出して
写真を撮ろうとしていたら
運転士さんが手招きをして乗せてくれました。
(そういうことは覚えている)
※因みに離合した列車の写真は上手く撮れませんでした。

酒井工作所製C4型は、思っていたよりも大きく
中も広かったと記憶しております。

ところで、もしも私が「みやま号」の上松への戻りに
乗っていたとしたならば
滝越発は14:20頃で途中ですれ違うとすれば
場所は大島停車場(15:50頃)で、
月・水・金運転の「みどり号」のはずです。
その場合、対向列車を待つのは本来「みどり号」の方で
この日、信号所みたいな場所で随分待たされた覚えがあるので
一体、私はどんな列車に乗り、
どこの停留所でどの列車と行き違ったのでしょうか?

2010年07月14日 9時22分

木曽森林鉄道 王滝本線 上松行き

王滝本線滝越停車場に停車した後、
私を滝越まで運んだ列車は出発して行きました。

何とものんびりした写真ですが、
私はどんな気持ちでこの列車を見送ったのでしょうか?
(自問自答)
山裾の川沿いにへばりつくように走る木曽森林鉄道。
どこか懐かしい“心”の風景です。

今回の写真で、カラー写真が今ひとつ鮮やかでないことに
ついて一言。

私が使用しているフィルムスキャナーの能力の問題は
確かにありますが、昭和40年代、50年代のフィルムの
退色は相当に進んでいます。
※更に言うと、『30分現像』とかを売りにしていた
 現像所が大繁盛していた時代に、
 そこに現像・プリントを出していた場合は、
 時間短縮のための工夫を現像所がしていたこともあり
 その分、フィルムの退色が早いと聞いています。

私は、今、時間を見つけて1枚1枚フィルムを
JPEGにしているのですがなかなか進んでいません。

正直、時間との戦いではあります。
皆様方も古いフィルムを持っていて
デジタルデータにしたいとお考えでしたらお早めに!
※経験から言って、モノクロ写真はまだ大丈夫です。

2010年07月13日 18時00分

木曽森林鉄道 王滝本線 滝越停車場

昭和49年9月26日(木)14時過ぎ、
木曽森林鉄道王滝本線「滝越停車場」に到着です。
※「滝越」は、上松から32.8キロ。

ここで当時の思い出で一つだけ鮮明なことがあります。
それはこの滝越停車場で列車を降り
民宿に泊まっていることです。
これだけは確実です。

不思議なのは、翌日、木曽森林鉄道で
上松に戻っているのですが、
私は、上松運輸営林署の担当者とどういう交渉をして
了解を取り付けたのでしょうか?
※飛び込みで入った民宿の方が、
 結構驚いていたことを思い出しました。
そして滝越から乗った上松行きは
「みやま号」だったのでしょうか?

それにしても昼下がりの時間から
およそ何もない場所で何をしていたのでしょうか?
私の記憶が飛んでいるので申し訳ありませんが
何故、ここに泊まることにしたのかその理由すら分かりません。

2010年07月13日 9時02分

木曽森林鉄道 王滝本線 堰堤停車場

写真の左端に、カーブミラーの影になって見にくいですが
「堰堤停車場」とかろうじて察しがつきました。
※「みやま号」の「堰堤停車場」到着は、11時半過ぎ。
 上松起点で41.3キロ。

上松運輸営林署「森林鉄道を訪ねて」(昭和38年刊)を
参考に読み解くと、この「堰堤停車場」は
終点の「本谷」に近い三浦ダムの堰堤そばにあり、
『ダム見学の方はここで下車』とあります。

その内容とこの写真から察すると、
私は、「みやま号」で終点の「本谷」には行っておらず
ここで下車し、この列車を撮影したものと思われます。
※一般客は「本谷」まで行かず、ここで引き返した?
(私の写真には「本谷」の写真が一枚も無い)
但し、当時の写真撮影はデジカメと違って
決してお気楽ではなく、最低限度しか撮影していないので
行ったけど撮影しなかった可能性はゼロではありません。

この列車のヘッドマークは「みやま」ではなく
「臨時列車」だったのですが、
機関車の後ろに客車がつながっていたのか
運材運搬車がいたかは定かではありません。

2010年07月12日 18時01分

木曽森林鉄道 王滝本線 関西電力専用線

長野県に源流を持つ『木曽川』は
何故か「中部電力」ではなく
「関西電力」が発電の水利権を持っています。

そのため、木曽森林鉄道の終点近くにある
「三浦ダム」も関西電力の発電用ダムでした。
この三浦ダムの下部に関西電力の専用線があり、
写真は関西電力の車両です。(間違いない!)
※機関車の色で判断しています。
※一見、立山砂防軌道風。

森林鉄道の小さな客車で、しかも満席の状態で
あまり車窓を楽しむことも無く、
ただひたすら乗り続け、
一体、この写真はどうやって撮ったのかすら
覚えていません。

そもそもこの日、昼食とお茶はどうしたのでしょう?
多分、旅館に頼んで作ってもらったのでしょう。

2010年07月12日 9時07分

木曽森林鉄道 うぐい川線?

この写真は、右隅にある「安全第一」の縦看板から
大鹿停車場で撮影したことだけは間違いないのですが、
客車1両の列車は王滝本線を走るものではありませんでした。

多分、大鹿から分かれていた「うぐい川線」に
入っていったものと思われます。
※「うぐい」は、「魚」偏に「成」と書くのですが
 字が出てこなかったのでひらがなにしました。
※「うぐい川線」は、「大鹿」から「坊主岩」まで
 8.4キロ。木曽森林鉄道で最後まで残っていた。

人の入山下山の際、この酒井の5トンタイプの機関車に
客車が引かれて運転されているとは聞いていたので、
たまたま運良くそれに当たったものと思われます。

個人的には客車を3~4両引いた列車より
この方がよほど“森林鉄道”っぽく、
多分、王滝本線よりも凄い深山幽谷に分け入ったものと
推察され、時代が戻れるものなら
拝み倒して何としてでも乗りたかった!



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!