2010年07月11日 18時40分

木曽森林鉄道 王滝本線 大鹿停車場Ⅱ

木曽森林鉄道 王滝本線大鹿停車場での
生活に必要な品々の荷物降ろしです。

木曽森林鉄道は、沿線の住民にとって
単なる移動手段ではなく、正に生活の足で、
こうした荷物も木曽森林鉄道で運ばれていました。
※他の写真も見るとここで4~5個程度を
 降ろしたようです。

沿線は、道路の整備が進みつつありましたが
それでも「生活を運ぶ」主役はまだまだこの森林鉄道でした。
確かに不便。でも運んでくれる鉄道があっただけ
“まし”という考え方も成立していた時代であったことは
間違いなさそうです。

2010年07月11日 9時01分

木曽森林鉄道 王滝本線 大鹿停車場

木曽森林鉄道 上松から25.6キロの王滝本線大鹿停車場です。
出発してから1時間20分強の朝10時過ぎです。

ここで何枚かの写真を撮影しているので
多分、10分以上は停車していたのでしょう。

険しい山の中に「なんでこんな開けた場所があるのか?」と
言いたくなるくらい広々とした停車場という
記憶はありますが、それしか記憶がありません…。

ところで今回の「木曽森林鉄道」のブログを書くにあたり
何せ36年前のことで記憶が定かではなく、
かつ行動を記録したメモもなく
何せフィルムなのでデジカメのように撮影日時の記録もなく、
撮影日、撮影場所を特定するのに思い切り
日数がかかりました。
※今のデジカメは様々な撮影データが記録されるため
 写真を整理するには本当に便利です。
 GPSデータを入れれば場所も特定できますよね。

(撮影日の特定)
1)7月25日日付の中央本線「須原駅」の入場券。
  7月27日日付の中央本線「上松駅」起点の乗車券。
2)フィルムを撮影したと思しき順番に並べる。
 ※ネガは帯状に連続した状態で残っていたので
  撮影順の予測がつく。
  ポジはマウントされていたが、そこには
  撮影順が書いてあった。
 ※当時、私は大学生ゆえカメラは
  1台しか持ち歩いていません。
  ところが今、私の手元に残っているモノクロ・カラーの
  ネガの撮影枚数を考えると殆どの場合、
  1本分撮りきらずに交換していることになり
  捜しきれていないフィルムがありそうです。

(撮影場所の特定)
1)参照した書籍等の写真と見比べ、
 「特徴的な建物」等を見つけ照らし合わせる。

そんな風に絞り込んだ情報を元に今も
このブログを書いており、多分、情報はほぼ正解とは
思っていますが100%の自信は…。

皆様方の中で私の情報の誤りに気付かれた場合は、
是非ともコメントをお願いします。

2010年07月10日 18時03分

木曽森林鉄道 上松駅

木曽森林鉄道は、昭和49年9月26日(木)に乗りました。

25日に上松に入り、旅館で一泊。
※旅館は何と、相部屋。しかも相手は中年のご夫婦でした。
 その当時は、満室だとこのようなことが稀にありました。
 後から旅館に入った私は、ある種の気まずさはあるものの
 相部屋を快諾してくれたこの夫婦に
 ものすごく感謝しました。

朝、旅館を出て「上松運輸営林署」で許可をもらい
「みやま号」に乗り込みました。
森林鉄道への乗車は“無料”の代わりに「乗車証」が必要で、
何かしらの手続きをしました。(内容は覚えていませんが…)
当時、木曽森林鉄道は縮小に次ぐ縮小で
かつ一般の乗客(観光客)が乗れる唯一の王滝本線も
昭和49年10月には乗れなくなるということで
乗客の殆どは地元というより
観光客だったと覚えています。

午前8時40分、いよいよ木曽森林鉄道王滝本線
上松発本谷行き48.1キロの旅が始まります。

(このシリーズの参考文献)
1)ネコパブリッシング「木曽谷の森林鉄道」
  著者:西裕之
  ●今回の木曽森林鉄道の列車の各停車場における発着時間は
   全てこの本にある「王滝本線夏基本ダイヤ」を
   参照しています。
2)上松運輸営林署「森林鉄道を訪ねて」昭和38年刊
3)上松運輸営林署「管内概要 昭和46年度版」

2010年07月10日 9時04分

赤沢休養林 赤沢森林鉄道Ⅲ

復元された木曽森林鉄道(赤沢森林鉄道)は、
所々に、遊歩道から隔離され木曽森林鉄道の時代そのままの
雰囲気を今に伝える場所が結構あります。

この橋もその一つ。(と、私は思いました)
使われている機関車も、実際に木曽森林で
走っていた機関車のデザインそのままなので
その走る姿は、昭和の時代、「SAKAI」
新製登場時はかくあったであろうと彷彿させます。

ということで写真は、所詮自己満足ですが
この赤沢復活に合わせて作られたトロッコ客車を
入れないように狙ってみました。

ところで「乗り鉄」はどこまで「乗るか」かという
究極の命題があります。

私は、2本のレールがあれば(モノレールも含め)、
とりあえず乗ってみたいと思っていますが、
この赤沢を含め、そうは簡単に行けない場所に
あることが多くなかなかこなしきれません。
まあ、暇を見つけてボチボチといったところでしょうか。

2010年07月09日 18時35分

赤沢休養林 赤沢森林鉄道Ⅱ

赤沢森林鉄道は、森林鉄道記念館前から丸山渡の
片道を乗車し、丸山渡からの帰りは写真撮影をしながら
ゆったり森林浴散歩をしました。
(片道1.1キロだから歩くには程よい距離)

『夏休みだから』撮影できる場所は無いかと思いつつ
結局、この場所にしました。

シャッターチャンス的には若干、微妙ですが
所詮「乗り鉄」のついでということで
お許しください。

実は、そのその昔、木曽森林鉄道の現役時代に
この「赤沢」ではありませんが乗ったことがあり、
その時、本当に川べりを走っていた思い出があり
夏には、親子連れがこのように
川遊びをしていただろうというイメージでした。

復活とは言え、所詮「遊覧鉄道」と侮るなかれ、
乗って楽しく、撮影して楽しい赤沢です。

2010年07月09日 9時00分

赤沢自然休養林 木曽森林鉄道(赤沢森林鉄道)

長野県上松町にある「赤沢自然休養林」に
木曽森林鉄道が復元され、実際に乗ることが出来ます。
詳細は、皆さんの方が詳しいかと思いますが
私は、平成17年8月16日に
遅まきながら乗りました。
●森林鉄道記念館前発12:00 丸山渡行き

昭和62年に復活した「赤沢森林鉄道」、
平成8年には写真の機関車(北陸重機工業製)が
「SAKAI WORKS」の機関車を模して新製され、
更に昨年、同様の機関車が1台増備されているそうです。

何で今頃この話し?
そろそろ夏休みも近づいてきたので
家族連れで遊びながら「鉄」も堪能できる
お勧めスポットでも書こうかと思った次第です。

とは言うものの、私は8月の夏休みの真っ只中に
一人で車を走らせ、乗りに行ったのです。(悲し過ぎる…)
ところが、1人なんて私だけかと思いきや
そうではなかったというのが、さすが「鉄」魂!

2010年07月08日 18時45分

名鉄西枇杷島駅

名鉄ついでに、もう一つ。
名鉄の駅でも一際異彩を放つ
「西枇杷島駅」です。
名鉄というよりは、“大手私鉄”の駅の中でも異彩を放つと
言っても良いでしょう。

JRの高架とその先の名鉄犬山線との合流の問題から
昔からその姿が変わりません。(変えられない?)
8両編成の電車が雁行する鉄道の追い越し可能駅で、
4両編成までの電車しか追い越せないというのは
『平成の奇跡』といっても過言ではないかと
個人的には思っています。

このブログでも3月13日、14日に
この駅のことを書いていますが
通過する電車側から見て、
改めてこの駅の存在は凄い!!

2010年07月08日 9時05分

名鉄岐阜駅

長良川鉄道の帰りに、
何年かぶりに名鉄岐阜駅から名鉄に乗りました。

私にしてみれば「名鉄岐阜」といった
ここ5年あまりの駅名より
慣れ親しんだ「新岐阜」の方が身に染み付いています。

一方、名古屋から岐阜までの交通機関といえば
昭和の時代なら、当然名鉄でしたが
最近はすっかりJRになってしまった自分がいます。
どうしても所要時間の短さを選択してしまいますね。

で、名鉄岐阜駅を出て直ぐの所にある
このクロッシングを通るのもお久しぶり。
大手私鉄の大幹線の終点駅にあるまじき
このレイアウトが私は『好き』です。

但し、風景としてはJRがこのクロッシングの
下を通っていた時代の方が馴染みがありますが…。

今日は何の情報もありません。お許しください。

2010年07月07日 18時53分

長良川鉄道に乗ろう!

長良川鉄道越美南線は、「北濃」駅が終点です。

本来なら福井県の越美北線と結ばれ
文字通り「越(越前)」と「美(美濃)」を
結ぶ「越美線」になるはずでした。

美濃白鳥と九頭竜湖を結んでいたバスも今はありません。

歴史に「もしも」はありませんが、
もしも繋がっていたら越美線は今、
どうなっていたのでしょうか?

福井県側はともかく、岐阜県側の「美濃太田」は
如何にも地の利が悪すぎる。
また、長大路線になっているがゆえに
小回りが利かなくなっているであろうから
その分、今以上に経営が厳しくなっていたのではと
思わざるを得ません。
(例えば広島~島根の三江線・木次線の現状と近い?)

とりあえず、郡上踊りは長良川鉄道に乗っていきましょう!
この北濃駅の風景がいつまでも見られますように。

2010年07月07日 8時26分

長良川鉄道 ふるさとの鉄道館

長良川鉄道の郡上八幡駅に「ふるさとの鉄道館」があります。

今回、長良川鉄道に乗車し、
郡上八幡駅で下車するまで
その存在を私は知りませんでした。

入場無料で、展示されているのは
旧国鉄の時代からこの越美南線で使われてきた
様々な機器や駅名看板、写真等です。
数百点はあると思われました。

車両の実機があるわけでもなく
小さな地味な展示館ですが
タブレット関係や発売する乗車券を入れていた箱など
昔懐かしいものが一杯でした。

入ってすぐ左側には台秤(だいばかり)があり、
国鉄時代に「チッキ」で荷物を送る時に
重さを量ってもらったのを懐かしく思い出しました。
※チッキ…乗車券を持っていれば、その区間内で
 手荷物の駅留めとして『荷物』を送ることができた。
 私の使い方は、今のように宅配便が出来る前、
 旅行中に使わなくなった荷物や、帰省時の荷物を
 送った。
 通常は、各地から東海道線の熱田駅留め。
 但し、駅までと駅からの荷物の運搬に難渋した。

昭和世代にとっては懐かしい、
平成世代には珍しいものばかり。
「乗り鉄」も一度乗ったら“おしまい”に
しないほうが良さそうですね。新しい発見があります。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!