2010年08月24日 18時17分

豊橋鉄道、3102の運転台

なかなか本題の「運転体験」に行き着けなくてすいません。
「3102」の運転台です。

今、名古屋市電当時のことを思い出しているのですが
マスコンとブレーキ、圧力計はあったと思いますが
右側のワンマン運転のためのボックスはもっと小振りで
それとスピードメーター、これは記憶間違いではなく
無かったはずです。

また、写真の手前に椅子が写っていますが、
私が物心付いた頃、「1400形」に椅子はなく、
運転士さんは立って運転しており、
これは多分、昭和40年前後に付いたのでは
なかったでしょうか?
※確か折り畳み式。
 ワンマンではなく車掌さんがいた時代だったはず。
 車掌さんがこれを折り畳んで乗務していた記憶がある…。
※万が一、この記述に間違いがあったら
 ご存知の方、コメントでご指摘ください。

ただ、あまりの椅子の小ささに「何のため」にとは思いました。
本当に申し訳程度で座るというより、
もたれる場所が出来た程度の印象でした。

全国、どこの路面電車に行っても
最近の車両は、乗務員の作業環境を考慮し、
人間工学に基づいた快適な運転台になっていると
実感していますが、それはそれとして
運転士さんの『技量』が問われる「“職人”の世界」は
この運転台のほうが“似合いそう”だと感じています。
私だけ?
※と、書くのは簡単ですが、
 実際の運転がどれだけプロの世界かは知っているつもりです。
 お許しください。

2010年08月24日 9時09分

豊橋鉄道「市内電車運転体験」への道

市内電車の運転体験をすべく、
「駅前」から「赤岩口」の車庫まで貸切電車に乗りました。
※「市内電車体験運転会」では往路は原則、貸切電車。
 方向幕は、この日は「団体」。他の日は?
※何と、電車に乗ったまま「赤岩口」でスイッチバックして
 「車庫」にそのまま乗り入れ。ちょっと感動。

今回、日本路面電車同好会では普段あまり見かけない
「800形(801)」を貸切電車に指名していたそうですが、
“残念ながら”「3100形(3102)」でした。

しかし!!私は『3102』で人知れず小さくガッツポーズ!
(参加者の皆さん、ごめんなさい)
ご存知の方も多いと思いますが
この車は元名古屋市電の1400形。
名古屋市電の廃止時に最後まで残っていた形式で
何を隠そう、昭和49年3月31日の全廃の日、
私が乗った最後の名古屋市電が1400形だったのです。

もっとも豊橋に1400形が来たのは昭和46年ですので、
名古屋市電の全廃時までいた車両でないのは
重々承知の上。
当時、私は名古屋市南区の「桜本町1丁目」電停から
歩いて5分の所に住んでおり、
高校の通学やどこかに出かけるときは、
市電を利用することが多く、その際、
かなりの確率でこの1400形に乗っていました。
※「31系統」笠寺西門前~金山橋(高辻車庫)
 「33系統」港東通~東新町(高辻車庫)
 「61系統」今池~昭和町(大久手車庫)
 の各系統が「桜本町1丁目」を通っていました。

何十年ぶりかの『1400形』。(あえてこう書きます)
乗ってしまえば、外の塗装も緑色と黄色に赤線が1本。
「懐かしい」というのと、
「未だ現役」という両方の思いが胸を去来し、
僅か20分強の乗車時間でしたが、ちょっと無口な私でした。
誰にも気付かれないようにしていましたが…。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!