2010年08月22日 21時52分

豊橋鉄道「納涼ビール電車」運転中

乾杯!!

今回の参加者、27名。
ここに写っているのは中扉を中心に『駅前』側の半分です。
(私は左側の列の手前から6番目、奥から2番目です)

天井の装飾の賑々しさがビアホールらしさを演出し、
外の電飾は流石に昼間は「…」ですが、
夜になればこちらもビアホールしています。
更にここには写っていませんが、
豊橋の有名なお祭り「手筒花火」の手筒が車内に飾られ
縁起モノとして地元・豊橋らしさを演出しています。

ビール(キリンの一番搾りです)は飲み放題。
それにおつまみ弁当がついています。
料理は、枝豆に唐揚げといった居酒屋メニューの
コンパクト版と思ってください。

これで一人、3000円。
1車貸切なら80,000円。

私はプロフィールにもありますように
「鉄」の中でも『路面電車』が大好きなので
「日本路面電車同好会」の方たちと酒は呑めるは
路面電車の話しは出来るわで至福の一時でした。

ただ前回の「おでんしゃ」と違い、
「ホットラムとすれ違ったから乾杯!」とか
「日本一の急カーブに乾杯!」などの
“『鉄分』全開”の乾杯が少なかったような…。
まあ、所詮内輪の与太話ですが…。
そうっ、内輪と言えば、このビール電車の利用は
やはり個人より、圧倒的にグループや「貸切」が多く、
かつ地元・豊橋のお客さんが7~8割だそうです。
手頃な値段と、約1時間20分という
これも『飲み会』の1次会には手頃な時間の長さ(強制終了)、
そして定員28名も含めて“職場等の内輪の懇親”に
重宝されているようです。

豊橋鉄道以外にも「ビール電車」はありますが、
乗客減に頭を悩ませる交通機関の救世主には
とても慣れないとは思うものの
市民に親しまれる一助として定着してほしいと
願っています。

2010年08月22日 9時04分

豊橋で「走るビアホール」に乗りました。

昨日(8月21日)、日本路面電車同好会名古屋支部の
豊橋鉄道/特発「ビール電車乗車会」に参加してきました。
※今年の3月2日からUPした「おでんしゃ」の
 夏バージョンです。

豊橋ですっかり夏の風物詩になった
豊橋鉄道「納涼ビール電車」。

今年も6月18日から9月10日まで
ほぼ毎日2便運行されていますが、
実は最終日まで既に予約が一杯で
豊橋鉄道のHPではこのビール電車の告知が
既に見られなくなっているほどの大人気。
※発表して数週間で満席になったとのこと。

そんな中、というか“だから”というか
定期“ビール電車”前の『駅前』発15:55
『運動公園前』着16:21、同発16:54
『駅前』着17:20の特発、貸切電車と
相成った次第です。

写真は、『駅前』にて出発準備中の1枚。
車両はモ3203。元名鉄岐阜市内線のモ580形です。

さあ、ここから真昼間の大宴会の始まりです。

2010年08月21日 23時15分

立山砂防軌道 忙中閑あり、温泉あり

最後にプチ情報です。

その昔、立山カルデラには『立山温泉』がありましたが、
昭和48年に閉鎖されてしまいました。
※その跡地で「トロッココース1斑」は昼食。

そこで温泉を楽しむわけにはいきませんが、
水谷平の近くに「天涯の湯」が作られ
私たちの様な「砂防体験学習会」参加者は足湯を楽しめます。
現地で作業をされている方達は、私の後ろにある
建物内で「温泉」につかれますが、私たちは「足湯」です。

ヘルメットを被って「足湯」という不思議な体験は
全国でもここだけなのでは?
(思いのほかリラックスできていい湯でした)

私はいつも「タオル」を2本持っているのでOKでしたが
「砂防体験学習会」に参加される方は
“足湯用”タオルを持って行かれることをお勧めします。

あと、この学習会の説明時に入念にあったのが
「蜂」対策。
何れにしろ、係員の説明には常に耳を傾け
“学習会”の範囲で「鉄」を楽しんでください。

立山砂防軌道 完。

2010年08月21日 12時00分

立山砂防軌道 余談1(保守工事)

車窓から、これから列車が向かう線路があり
その手前の急斜面に作業員の方がいました。

山中の決して走行条件の良くない場所を通過している
このトロッコは、日常的に手をいれないと
すぐにストップしてしまう危険があるそうです。
そのため、こんな急斜面でも万全の安全確保をしながら
手を入れているそうです。

砂防工事に手が掛かるだけではなく
砂防工事を行うためのインフラにも
手が掛かっているのは、来て見て始めて知りました。

まずは立山カルデラの崩落した土砂を常願寺川に流れ出させず、
さらに下流の町に行き着かせないことで被害を防ぐためには、
単に要所要所に砂防ダムを作ればお終いではないのです。

立山砂防軌道をこれから「乗り鉄」される方は
そんなことにも思いを馳せながら乗ってほしいと
切に願っています。

2010年08月21日 9時36分

立山砂防軌道 千寿ヶ原連絡所

平成20年7月16日、
水谷を出て標高差640メートルを下り1時間30分、
予定より15分ほど早く
午後4時8分頃に「千寿ヶ原連絡所」に到着。
※デジカメには、撮影時間が記録されるので
 写真整理が本当に楽ですね。

この時、到着時間が早まったおかげで
一部の方は富山地鉄「立山」駅発16:14に乗るべく
ダッシュでこの場所を離れました。

一方、私は少しここでのんびりしていましたが、
私たちが乗ってきた車両(写真左側)の入れ替え作業を
やっている横を到着列車(写真右側)が通り過ぎました。
※グス谷の作業員の方たちはこの列車に乗り込んだものと
 思われます。

この列車、実は8月17日にUPした
「グス谷」で見かけた列車ではなく、
更にもう一つ後の列車です。
但し、この列車が2番目の続行列車なのか
それとも水谷を15分後に出発予定の“定期列車”だったのかは
定かではありません。

ところで左側の看板は、
登録記念物「立山砂防工事専用軌道」の碑で
この碑の下には「軌間610ミリ」の解説板もありました。

こうして楽しい時間は過ぎ、私はこの後、
富山地方鉄道の
立山発17:17 電鉄富山着18:16に乗り
当然、富山発最終の「しらさぎ」には間に合わないので
金沢、米原と乗り継いで名古屋に帰りました。
立山を出てからの時間の何と長かったことよ。ふう~っ。

行く時も火曜日の仕事終わりで、名古屋発の「しらさぎ」に
新幹線で米原で追いつき富山に向かっており、
平日のイベントは本当にハードルが高すぎる。
などどぼやけばぼやくほど家族からは「止めとけば」と
温かくない声をかけられます…。
今、どこからか「当たり前でしょう」という
天の声が聞こえました。気のせい?

2010年08月20日 18時22分

立山砂防軌道 千寿ヶ原連絡所全景

水谷を出て1時間半の午後4時3分、
眼下に終点、標高476メートルの「千寿ヶ原連絡所」が
見えてきました。

狭いながらも楽しい車内を堪能していましたが
いよいよその時間も終わりが近づいてきました。

とはいうものの、写真から察しがつくと思いますが
まだまだスイッチバックが続きます。

610ミリという狭いゲージに15キロレールという、
決し快適とは言えない「乗り鉄」の旅でしたが、
心は満足でした。

立山砂防軌道の一般の方の乗車は元々認められておらず、
以前、取材でお世話になった『富山県名古屋事務所』の方から
このトロッコの素晴らしさを散々聞かされていたので
「立山カルデラ砂防体験学習会」という形で
乗車が可能となった時から「いつかはクラウン」ならぬ
「いつかは立山砂防軌道」と憧れていました。

残り少し、しっかり堪能し尽くして終わろうと思った
瞬間でした。

2010年08月20日 9時08分

中京テレビからのお知らせ 明日も「鉄研」再放送があります

先週もお伝えしましたが、
明日深夜、「芸能界鉄道研究会 鉄研」の再放送があります。

●8月21日(土)25:22~26:17(予定)

今回は、内容の予告を1本します。
もう写真でお分かりでしょうが、
1月22日に放送した「貨物」です。
さて「TLPE」とは何でしょう?

この回に限って言えば、私は視聴率を心配していました。
何せ、テーマが『貨物』。うーん、ディープすぎる。
しかし、それは杞憂でした。

この番組は、皆さん「鉄」の方の視聴が多かったと
思われているかもしれませんが、
“嗜好性”の強い番組で、もしもその趣味がある方にしか
見ていただけなければ、実はそれほどの視聴率は取れませんし
意外かもしれませんが、
マニアの方の話題に上ることも少ないというのが
私の経験値です。
※「鉄研」は、「鉄」では無い方から「面白い」という意見を
 多数いただきました。

この番組、視聴者の方には「“情報”バラエティー番組」として
見ていただけたと私は分析しています。

制作スタッフは、プロデューサーを除き『鉄分』ゼロ。
それでも、スタッフはどのような番組を作れば
「鉄」の琴線をくすぐり、「一般」の方の興味を
ひきつけられるか努力していました。
※初回と、最終回頃の「制作会議」での会話の変化は驚きで、
 スタッフは「鉄」的に日々成長し、最後は
 「鉄研」の濃すぎる出演者陣と会話が成立していました。
 ⇒この3行は、中川家礼二さん談。
この「貨物」の回は、
そうして“円熟”の域に達した(?)スタッフの
『鉄道の楽しみ方』が炸裂しています。とくとご覧あれ。
(DVDもよろしくお願いします)

以上、中京テレビからのお知らせでした。

2010年08月19日 18時01分

立山砂防軌道 中小屋連絡所

午後3時50分、中小屋連絡所です。
千寿ヶ原までの最後の連絡所です。

ブレブレの写真で恐縮です。
何せ、例え先頭の客車に乗っていたとしても
前に小さいとは言え機関車があるので前方確認が出来ません。

また、窓から顔を出すことは当然“ご法度”というよりは
乗れば分かるのですが、危なくてそんなことをする気に
そもそもなりません。

ということで、「あっ」と思ってシャッターを押したら
「結果がこうだった」と言うことです。

何でこの写真?という訳ですが、
連絡所の連絡員の姿をかろうじて押さえられた
ただ1枚の写真だからです。
「えっ、連絡員というのですか?」という疑問に対しては
答えがあります。

実は8月14日UPの「時刻表」の隣にもう一枚の
「軌道運行時刻表」があり、
そこに『各連絡所の連絡員名』と書いた欄があり、
それを見て「連絡員」と呼ぶことを知りました。
運転手(運転士とは言わないようです)、車掌、
そして連絡員の方を含め全員の名前が書いてあり
こうした人たちがトロッコの運転に従事していることを
窺い知る事が出来ました。

写真は瞬間の出来事でしたが、鉄路を守る心意気を
『敬礼』に感じた一枚です。

2010年08月19日 9時08分

立山砂防軌道 天鳥オーバーハング

午後3時43分(水谷を出て1時間強)、
桑谷連絡所と中小屋連絡所のほぼ中間にある
天鳥(てどり)オーバーハングです。
※日本でここだけ???

文化庁の「登録記念物」のページにも
このオーバーハングの写真が使われています。

残念ながらこのオーバーハングはこの時、
すでに使われておらず、通ることは出来ませんでした。
※新トンネルの開通による。

“スリリング”という言葉では表現できないこの景観、
通ってみたいと思うのはきっと私だけではないはず。
但し、大雨の日とか、その直後はちょっと怖い。

ところでオーバーハングって、“トンネル”の一種ですか?
線路を3分の2も覆っているのですが…。
ご存知の方、教えてください。

●(参考)全連絡所名
 ①水谷連絡所
 ②樺平連絡所
 ③鬼ヶ城連絡所
 ④桑谷連絡所
 ⑤中小屋連絡所
 ⑥千寿ヶ原連絡所

2010年08月18日 16時00分

立山砂防軌道 川原に線路が

午後3時20分頃、
樺平連絡所と鬼ヶ城連絡所の間です。

目の前に広がった常願寺川の川原に
一本の直線の線路が。
(青い線を書き足しました。直ぐ上に線路があるのですが…)

私たちのトロッコがここを通ったわけではなく
工事用のモノと思われました。

砂防工事は延々と続く作業で、これを続けないと
万が一の大雨の際に土砂が下流まで流れ出ることを
止められないそうです。

車内からは、各所で行われている工事や、
完成した砂防工事の現場を見ることが出来、
また都度、ガイドさんから説明がなされます。

それにしても、人の営みには『一旦、区切りをつけ」と
いうことはままありますが、
この立山の砂防工事は「際限が無い」と感じました。
民主党の『事業仕分け』で変わることはあるのでしょうか?



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!