2010年09月07日 18時14分

加悦鉄道「加悦駅」

昭和51年8月21日、
「丹後山田」を11:35に出た『キハ08 3』は
「加悦」に11:52に到着。

折り返しの12:25まで構内で撮影をしていました。
※今の「加悦SL広場」が出来る前も
 加悦駅には古豪たちが展示され
 一般に公開されていました。

今回、このブログを書くに当たり
加悦駅舎の写真を改めて見ましたが
私が「乗り鉄」で訪問した全国各地の駅の中でも
その優美な姿は群を抜いていると感じました。

また駅舎と客車を改造した気動車とのマッチングも
最高ですね。
とはいうものの訪問時から既に30年以上が経過し、
今日のこの日まで記憶の片隅から消えていました。

考えてみたら当時は、ただただひたすら全国の鉄道を
乗りつぶすことだけに専心しており、
回りを見渡す余裕がありませんでした。

2010年09月07日 9時05分

国鉄宮津線丹後山田駅の入場券

昭和51年8月21日の国鉄宮津線『丹後山田』駅の入場券。
『丹後山田』駅はその後、平成2年に宮津線が第3セクター、
北近畿タンゴ鉄道宮津線になった際に
『野田川』駅に改称されました。

国鉄・JRが第3セクターで再出発した際に
駅名を変えることはままあったと記憶していますが
この『丹後山田』もその一つでした。

●一般論として、駅名を変えるということは
 国鉄明知線「明知」駅を、本来の地名『明智町』に合わせ
 明知鉄道「明智」駅とした事例のように
 必然性があったからなのでしょうが
 そのままでも良かった駅名もあったのでは…。

それはさておき
この『丹後山田』駅は、京都府野田川町(当時)にあったから
その代表駅としての駅名変更と推察されますが、
平成2年に変わっているということもあって、
昭和の時代の終焉という感慨を私は持ってしまいました。
※旧国名“丹後”を使っていたところなど、私のつぼに
 はまっていたのですが残念です。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!