2010年09月08日 18時46分

加悦鉄道「加悦駅」構内Ⅱ

旧加悦鉄道の「加悦駅」構内は、こうして見ていると
宝の山だったことを感じます。

今回UPしている写真を撮影した時点から9年後の
昭和60年の加悦鉄道全廃時、
単に加悦鉄道の乗車・撮影だけが目的ではなく
これらの展示車両を目的にした“鉄道マニア”も
多く来訪したと聞いています。
※昭和世代はやはり“鉄道マニア”ということばが
 しっくりきますね。

因みに右側の小さなDL(DB201)は
1953年『森製作所』製。
その後ろの気動車(キハ101)は1936年『日本車両』製。
左側の気動車(キハユニ51)は同じく1936年
『日本車両』製。
更に後ろに見えるのは…、はっきり言ってキリがありません。
全て、今も「加悦SL広場」に展示されていますので
一度足を運んで、そしてじっくり見てください。

2010年09月08日 9時00分

加悦鉄道「加悦駅」構内 重要文化財が?

昭和51年8月21日の加悦駅構内。
奥から「2号」「4号」「1261号」の
当時であっても超一級の古豪たちです。

「2号」は、今の『加悦SL広場』とは違い
他の機関車同様、野天で展示されていました。
この機関車が英国の最古参機関車メーカーにより
明治6年に製造され、現存する日本で2番目の
蒸気機関車であるとは露とも知らず、
平成17年に「123号機関車」として、
国の重要文化財に登録されるような歴史的な価値があるとは
思いもよりませんでした。

改めて写真を見てみれば、
可愛らしい愛嬌のあるデザインの中にも
文明開化の時代を走り抜けた貫禄のようなモノを感じます。
※「当時も本気でそう思っていましたか?」と
 自分で突っ込みを入れてみたりして…。

その手前の2両にしても、
九州の肥薩線で「SL人吉」を牽いている
8620形と同じ世代の歴史的機関車たちです。

(余談)
文化庁の「国指定文化財等データベース」で
「123号機関車」を検索しても出てきません。
それでも加悦SL広場のみならず与謝野町の資料が
誤っていることは考えられません。
そこで「国宝・重要文化財」(美術品)⇒
「重要文化財」(歴史資料)⇒「京都府」と行って
やっと見つけました。
「123」ではなく正式には「一二三号機関車」だったのです。
道理で「検索」に引っかからないはずです。ということは…。
各所で掲出されているほぼ全てのデータが
“登録名称”を使っていないことになります。
一方で、この機関車は『美術品』に分類されていることにも
違和感があります。学術的にはよいとしても…。
特に名称の件、皆さんは如何思われますか?
私は文化庁の登録名称を使用すべきと考えます。



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プロフィール

稲見部長稲見眞一
<自己紹介>
昭和52年4月、中京テレビ放送入社。「ズームイン!!朝!」を始めとした情報番組や「ドラマ」「ドキュメンタリー」等のディレクター・プロデューサーを務めた。鉄研最終回(2010年1月29日放送)では自ら自慢の鉄道写真「俺の一枚」を持って出演。 鉄道歴は小学校5年からスタートしはや半世紀。昭和55年には当時の国鉄・私鉄(ケーブルカーを除く)を完全乗破。平成18年にはケーブルカーも完全乗破。その後も新線が開業するたびに乗りつぶしている筋金入りの“乗り鉄”。好きな鉄道は路面電車。電車に揺られながら窓外に流れる街並みを眺めているのが至福のとき。さてスジを寝かせてゆったり乗り鉄と行きましょう!